第1章 辺境の荷物持ち
辺境の村、エルムズの森の外れに、鉄狼の牙という傭兵団のキャンプがあった。
木々の隙間から差し込む柔らかな朝陽が、焚き火の残り火を淡く照らしている。地面には昨夜張られたテントがまだいくつか残り、朝露に濡れた布が軽く揺れていた。空気には土と木の香り、わずかに残る獣の血の匂いが混じっている。
「ユーマ! 起きろ、荷物持ち! 朝飯の支度がまだだぞ!」
太い声が響いた。声の主はガルド――鉄狼の牙の副団長を務める大男だ。身長は二メートル近く、筋肉が鎧のように盛り上がった体躯に、顔には古い刀傷が一本走っている。彼の声はいつも通り荒々しいが、目にはわずかな優しさが混じっていた。
私はテントから這い出すように起き上がった。体が重い。昨日も荷物を運び、野営の後片付けを手伝い、ようやく眠れたのは夜中過ぎだった。
「は、はい……今、行きます」
声が小さく震える。名前はユーマ。……前世の記憶がぼんやりと残る転生者だ。この世界に来てから、もう五年になる。転生した先は、この辺境の小さな村。両親は魔物の襲撃で早くに亡くなり、村の外れで独りぼっちになっていたところを、鉄狼の牙に拾われた。
以来、私はこの最強と名高い傭兵集団の「荷物持ち」として生きている。
ステータス画面を開くと、相変わらず惨めな数字が並ぶ。
【名前:ユーマ】 【レベル:7】 【筋力:E】 【敏捷:E】 【耐久:E】 【魔力:E】 【知力:E】 【運:E】
すべてEランク。専門特化型の傭兵たちから見れば、まるで役立たずだ。剣を振ってもすぐに腕が痺れ、弓を引けば矢は的に届かない。魔法など、火花一つ出せない。
それでも、団長のレオンは私を追い出さなかった。
「弱くても、根性だけは一人前だ。荷物持ちとして、生き延びろ」
そう言って、笑ったのだ。
私は焚き火のそばに移動し、大きな鍋に水を張った。今日は昨日の残りの干し肉と、森で採れた野草を煮込むだけ。簡単な朝食だ。包丁を握る手はまだ震える。包丁一本持つのも、最初は重くて仕方なかった。
「ユーマ、今日も頼むぞ。俺の斧の柄、緩んでるから直してくれ」
近づいてきたのは、赤毛の女性傭兵、リリアだ。彼女は団の中で数少ない魔法使いの一人で、火の魔法を得意とする。戦闘では前線で敵を焼き払う猛者だが、キャンプでは意外と世話焼きだった。
「わかりました。朝飯の後で」
「ふふ、相変わらず真面目ね。弱いくせに、逃げないところは好きよ」
リリアは私の頭を軽く撫でて去っていった。彼女の笑顔は優しい。でも、私は知っている。この団の誰もが、私を「可愛がる」のは、弱いからこそだ。戦力としては期待していない。ただ、雑用を一生懸命やる姿を見て、ほっとしているだけ。
朝食の支度を終え、団員たちが集まり始めた。総勢二十名ほどの小さな傭兵団だが、その実力は大陸辺境では指折りだ。皆、特化型のステータスを持つ猛者ばかり。ガルドは筋力と耐久がSランク近く、リリアは魔力がAランク。剣の達人である団長レオンに至っては、筋力・敏捷・知力がすべて特化していると言われる。
私は皆の前に鍋を並べ、木の椀にスープをよそった。自分の分は一番最後に、小さな量だけ。
「いただきます……」
小さく呟いて、スープを口に運ぶ。味は薄いが、温かい。辺境の朝は冷えるから、これだけで十分だ。
食事が終わると、今日の予定が告げられた。
「今日は村の近くの森で、ゴブリン退治の依頼だ。小規模だが、報酬は悪くない。ユーマはいつものように荷物持ちと後方支援。怪我人が出たら手当ての準備を怠るな」
団長レオンが静かに言った。彼は三十代半ばの落ち着いた男で、黒い髪を短く切り、常に冷静な目をしている。最強の傭兵と恐れられる男だが、私に対してはいつも穏やかだった。
「はい、わかりました」
私は荷物を背負った。テントの解体道具、予備の食料、治療用のハーブ、予備の武器……総重量は三十キロ近くあるだろう。レベル7の私には重い。足が少し震える。
行軍が始まった。森の小道を、鉄狼の牙の面々が軽快に進む。私は最後尾で、息を切らしながらついていく。
「ユーマ、遅れるなよ!」
誰かが笑いながら声を掛ける。からかい半分、励まし半分だ。私は歯を食いしばって足を動かした。汗が額を伝う。背中の荷物が肩に食い込む。
この世界に来てから、私は何度も思った。
なぜ自分だけ、こんな成長の仕方なんだろう。
他の転生者っぽい話は聞いたことがないが、もし神様が私に与えたものが「満遍なく少しずつ上がる」ステータスだとしたら、なんて意地悪なのだろう。特化型なら一つの道で最強になれるのに、私は何も突出しない。剣も魔法も、どれも中途半端。
でも、弱いからこそ、この団にいられる。
荷物持ちとして、皆の役に立てる。
村の子供たちに笑顔を向けられる。
畑を手伝い、季節の野草を摘み、のんびりとした辺境の時間を過ごせる。
スローライフ……それが私の望みだ。派手な冒険なんて、いらない。ただ、静かに、皆と一緒に生きていければ。
森が深くなるにつれ、ゴブリンの気配が漂い始めた。団員たちの空気が変わる。武器を構え、足音を殺す。
私は後方で荷物を下ろし、治療用の布とハーブを準備した。心臓が少し速くなる。でも、戦うのは皆だ。私はただ、支えるだけ。
最初のゴブリンが飛び出してきた瞬間、ガルドの斧が閃いた。一撃で首が飛ぶ。リリアの火球が別の個体を焼き払う。戦いはあっという間だった。
「ユーマ、包帯!」
軽い傷を負った団員が声を上げる。私は慌てて駆け寄り、手当てを始めた。指先はまだ不器用だが、五年かけて覚えた技術だ。傷口を洗い、ハーブを塗り、布を巻く。
「ありがとうな、ユーマ。お前がいると助かる」
団員が笑って言った。その言葉が、胸にじんわりと染みる。
戦闘が終わり、依頼は無事完了した。帰り道、皆はいつものように冗談を交わしながら歩く。私はまた最後尾で荷物を背負い、ゆっくりとついていく。
夕陽が森を赤く染め始めた頃、キャンプに戻った。
テントを張り直し、夕食の準備。今日は少し豪華に、狩ってきた野兎を焼くことになった。私は串を回しながら、火加減を調整する。煙が目に染みるが、心地いい。
夜が更け、焚き火を囲んで団員たちが酒を酌み交わす。私は少し離れたところで、静かに座っていた。
レオンが近づいてきて、私の隣に腰を下ろした。
「ユーマ。お前、今日もよく頑張ったな」
「……ありがとうございます、団長」
「まだ弱いが、いつか……お前にも、光が当たる日が来るかもしれない」
レオンはそう言って、軽く肩を叩いた。私はただ、うなずくことしかできなかった。
ステータスはまだEばかり。
でも、少しずつ……レベルが上がるたび、全ての数値が均等に、ほんの少しずつ上昇している気がする。
今はまだ、荷物持ち。
辺境の村で、鉄狼の牙の皆と、のんびりとした日々を過ごす。
それで、十分だ。
私は焚き火を見つめながら、そう思った。
(第1章 終わり)




