60話 勇者は、素直に帰らない
魔王の消滅。
それは、世界中の誰もが感じ取ることができた。
上手く言葉にはできない。
だが確かに、感覚として魔王の消滅を知った。
胸を押さえつけていた重苦しさが、ふっと消えた感覚。
空気が軽くなり、世界そのものが深く息を吐いたような感覚。
人々は口々に言った。
「……終わった」
「魔王が、倒れたんだ」
根拠はない。
それでも、誰も疑わなかった。
それを真実だと裏付けるように、その直後から戦況は一気に動いた。
魔族軍は瓦解した。
指揮系統を失った軍は、もはや軍ですらなかった。
前線は崩壊。
王国軍と冒険者集団が一斉に反攻に転じ、魔族は各地で散り散りに潰走した。
四天王の名を掲げていた強力な部隊も、すでに存在しない。
抵抗らしい抵抗は長く続かず、魔族たちは逃げるか、隠れるか、あるいは討たれるかの選択を迫られた。
戦争は、事実上の終結を迎えた。
街に活気が戻る。
避難していた村に灯りが戻る。
酒場では杯が交わされ、広場では歓声が上がった。
「勇者様が、やってくれたんだ!」
「魔王を倒したんだ!」
人々は、勇者を称えた。
感謝し、賛辞を贈り、帰還を待ち望んだ。
凱旋の日を夢見て、街は準備を始めた。
王都では式典の話が持ち上がり、王の前で勇者に何を授けるかが議論された。
――だが。
勇者は、帰ってこなかった。
数日が過ぎた。
一週間が経った。
人々はまだ、気にしなかった。
「魔王城は遠い」
「重傷を負っているのかもしれない」
「休んでいるだけだろう」
だが、二週間が過ぎた頃。
不安が、静かに広がり始めた。
「……まさか」
「相打ち、だったのでは?」
噂が立つ。
沈黙が、重くなる。
そして、王国は決断しようとしていた。
――魔王城への探索隊の編成。
勇者の安否確認。
もし倒れているのなら、せめて遺体を――。
そんな話が、王のもとで交わされ始めた、その矢先。
ようやく。
王都に、一報が届いた。
「――勇者、凱旋」
それは、簡潔な報せだった。
だが、その一言だけで。
王宮がざわめき、街が息を呑み、世界が再び動き出した。
※※
王都の門が見えたとき、俺は足を止めた。
城壁。
見張り台。
行き交う人々。
懐かしい、という感情よりも、まず頭に浮かんだのは――
(……さて、どうなる)
という言葉だった。
魔王は倒した。
世界は救われた。
だが、それで俺の安全が保証されるわけじゃない。
だから俺は、すぐには帰らなかった。
※※
魔王を倒したあと、俺が最初にやったことは休息じゃない。
調査だった。
魔王城に残された資料を、片っ端から漁った。
目的は一つ。
(……歴代の勇者)
俺より前に召喚された勇者は、どうなったのか。
勝ったのか。負けたのか。帰れたのか。消されたのか。
だが、具体的な記録はほとんど残っていなかった。
勇者の名はない。
功績の記録もない。
あるのは曖昧な年表と、「その時代に魔王が誕生し、勇者が召喚された」程度の情報だけ。
(……都合よく、消されてるな)
次に確認したのは、ゴーレムの記憶だ。
あいつは、はるか昔から稼働していた。
なら、勇者の情報も残っているかもしれない。
だが――
(人間同士の戦争ばっかりか)
ゴーレムが稼働していた時代は、魔王軍との戦争以前。
記録の大半は、城の構造、兵站、城塞、戦術。
勇者に関する情報は、こちらにもなかった。
その後に俺が調べたのは、魔族領。
かつて人の国だった場所。
滅び、奪われ、塗り替えられた土地。
そこに残された文献を、俺は丹念に読み解いた。
魔王城の資料。
人間側の古文書。
禁書扱いされていた理論書。
それらを組み合わせていくうちに、ひとつの仮説に行き着いた。
(……異世界転移魔法陣)
誰かが完成させたものではない。
だが、断片は揃っていた。
召喚に使われた理論。
座標固定。
世界間干渉。
それらを逆算すれば――
理論上は、帰れる。
問題は素材だった。
この規模の魔法陣を組むには、希少素材が足りない。
魔王城にも、魔王領にも、必要数は揃っていなかった。
(となると……)
選択肢は一つ。
王国に戻る。
戻れば、処分される可能性はある。
だが、すぐに殺されることはない。
勇者は「象徴」だ。
しばらくは祭り上げられる。
その間に。
褒美として素材を受け取り。
魔法陣を完成させる。
そして――自力で帰る。
だから俺は、時間をかけた。
魔王領の街を回り、放棄された金庫を確認し、
戦争で滅びた都市から、使えるだけの資金も回収した。
最初に旅支度で王宮の物資を持ち出した分。
あれは、きちんと返すつもりだった。
(借りは、残したくない)
そうして準備を整え、ようやく。
俺は、王都へ戻ってきた。
※※
「勇者、相川恒一様。王がお待ちです」
衛兵の声に、俺は小さく息を吐いた。
(さて……)
ここからが、本当の勝負かもしれない。
俺は背筋を伸ばし、玉座の間へと足を踏み出した。
次回、最終話です。




