57 勇者は、均衡を破る
瓦礫の隙間から、魔王アルバ・レウスが歩み出る。
崩れた床。折れた柱。
玉座の間は、たった一発で原形を留めないほど破壊されていた。
だが魔王の足取りは、乱れていない。
体には、傷一つない。
魔王は最初に拳で俺の攻撃を受けたときに、傷ついたはずだ。血も流れていた。
それなのに。
(……もう、塞がってる)
完全に、ではない。
だが、傷は浅くなり、血は止まり、呼吸も整っている。
トリス・レギオン。
三叉の最後の刃――均衡。
魔王は、槍を軽く地に突く。
その瞬間。
空気が、静かに揺れた。
嵐のような魔力ではない。
むしろ、逆だ。
乱れたものが、元に戻っていく。
壊れた流れが、正しい位置へ戻される。
魔王の体が、元に戻っていく。
「均衡とはな」
魔王が言う。
「壊れたものを治す力ではない」
一歩、近づく。
「壊れぬように、保ち続ける力だ」
俺は、奥歯を噛み締める。
(実質、回復ってことじゃないか。……これじゃ、削れない)
どれだけ斬っても。
どれだけ追い詰めても。
時間が経てば、魔王は「元の状態」へ戻っていく。
戦闘中ですら、だ。
魔王が、こちらを見る。
「恒一よ」
低く、静かな声。
「お前は、自分が──何人目の勇者だと思っている?」
唐突な問い。
だがその言葉に、胸の奥が嫌な音を立てた。
「勇者は、なにも一世代につき一人ではない」
魔王は、淡々と続ける。
「我を倒そうと、すでに何人も召喚されている。だが、そのすべてが途中で力尽きた。」
俺は黙って聞いていた。
嘘だと否定できない。
「わかるか?」
魔王の声が、わずかに低くなる。
「人間は勇者が倒れるたびに、次を呼ぶ。次々に召喚し、次々に消費している」
胸が、重くなる。
「道中で、勇者だと言われることがあっただろう?」
『もしや勇者様』
『召喚されたと噂の?』
『魔族を倒したとか……』
魔王が、言い当てる。
「召喚されたにしては、噂が早いと思わなかったか?」
一歩。
また一歩。
「それはな、恒一。前の勇者を指して言っていた場面も、あったのだ。」
喉が、ひりつく。
「もし、ここでお前が勝ったとして」
魔王は、槍を肩に担いだまま、静かに言った。
「そんな人間たちが、お前を歓迎すると思っているのか?」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
剣を握る指が、緩みかけた。
「勇者を消耗品のように考えているような連中だぞ?帰っても、碌な扱いにはならぬに決まっている。」
(……くそ)
考えたことはある。
疑っていた。
でも、こうして突きつけられると――重い。
「……だからどうした」
俺は、低く言った。
「人間がクソなのは、今に始まったことじゃない」
魔王は、少しだけ目を細める。
「それでも、お前は守ると?」
「別に人間を守るためじゃない。」
一歩、前に出る。
「俺は、自分が生き残るために戦ってる」
剣を構え直す。
「そのために、魔王を倒す。それだけだ。」
魔王は、槍を構えた。
「ならば――」
破壊の刃が、淡く輝く。
次の瞬間。
魔王が踏み込んだ。
速い。
破壊の一撃。
受けてはダメだ。あの衝撃波で吹き飛ばされる。
俺はすんでのところで回避をし、斬り返す。
確かな手応え。
血が、再び流れる。
だが――
均衡の刃が光る。
次の瞬間には、また戻り始めている。
それを見て、俺は魔王にとある魔法をぶつける。
魔王は一瞬反応するが、攻撃魔法ではないのを見てそのまま受ける。
「無駄だ、恒一」
魔王が言う。
「我に、状態異常は効かん」
俺は、息を吐いた。
「……違うな」
剣を下げ、魔力を巡らせる。
「今当てたのは、状態異常じゃない。」
魔王の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
「その均衡の能力は、回復に見えるが少し違う。」
俺は、はっきりと言った。
「正確には、『戻っていくバフ』だろ?」
さっき見てわかった。
継続回復、のようなもので、分類上はバフだ。
空気が、張り詰める。
「そんなに均衡が好きならさ」
俺は、一歩踏み出した。
「俺も同じように――正常な状態を、保たせてやるよ」
魔王の目が、鋭くなる。
「正規化」
世界が、静かに軋んだ。
魔王の体を巡っていた魔力の流れが――止まる。
戻りかけていた傷が、そこで固定される。
血が、止まらない。
「……我が、戻らぬ?」
魔王が、そう呟いた。
このスキルは、『バフ・デバフを打ち消し元の状態に戻す』というものだ。
主要な効果は『デバフの打ち消し』、つまり回復魔法に分類される。
魔王に状態異常が効かないなら、回復魔法で妨害をする。
影の者のデバフに苦しめられたから、魔王戦でもデバフがあるかもしれないと思い、念の為取得したものだ。
それが役に立ってくれた。
「……正規化、か」
初めて聞くような声。
「回復を、回復として扱わぬとは……」
俺は、息を整える。
(別に優位に立ったわけじゃない)
だがそれでも、確かに勝機は見えた。
王は、倒せる。
魔王アルバ・レウスが、槍を握り直す。
その口元に、わずかな笑み。
「なるほど……面白い」
均衡が、揺らいだ。
だが、戦いはまだ終わらない。
次で、決着をつける。




