51 勇者は、絶望を打ち破る
通路の空気が、重い。
絶対影域は崩れたが、闇が完全に消えたわけじゃない。床の隅、壁の継ぎ目、俺の足元。
影は、まだ生きている。
俺は剣を構えたまま、息を整えた。
血が垂れる。肩の穴が熱い。脇腹が痛む。
でも、さっきまでみたいに『引きずられる』感覚は薄い。
(結晶を壊してから、デバフが軽くなった。これなら、まだ動ける。)
正面には影の者が立っている。輪郭が曖昧なまま、黒い布のように揺れている。
その隣に、一体だけの分身。
本体を含めても二人だけだ。
だが、まだ圧はある。
空気が肺に入るのを拒むような、呼吸すら苦しくなるような圧だ。
「……勇者」
影の者の声は低い。怒りが混じっているのがわかる。
それでも冷静さを保っているのが、余計に不気味だった。
「空間の核を壊したことで、私の器は傷ついた。だが...」
影が、床を這う。
「殺すには十分だ」
次の瞬間。
俺の足元の影が、跳ねた。
(来る)
最初と同じく、足元から黒い槍が突き出してくる。
それを横へと躱すが、次の瞬間、肩が引かれる。
「……っ!」
影の糸。
槍の残滓が細く伸び、俺の影に絡みつく。動きが半拍遅れる。
(こんな戦い方もするのか。影を攻撃だけじゃなく、拘束具にもしてくる)
動きが遅れたところに分身が来る。
影の刃が、首を狙って走る。
剣で受ける。
あの闇の空間の中で受けた時よりも、威力は低い。
だがそれでも重い。鉄がぶつかりあった火花は出ず、黒い粒が散る。
そして受けた瞬間、理解した。
(こいつ...分身が近くにいると、デバフが強くなる...!)
あの闇の空間ではそもそものデバフが強力すぎてわからなかったが、弱まった今だからこそわかる。
刃を受けるたびに俺の魔力が削られ、中に入り込んだ影が体を蝕んでいく。
長引かせたら負ける。
(短期で決めるしかない)
俺はわざと一歩下がる。
通路の壁際。灯りの魔石が嵌め込まれた場所へ。
(影は光を嫌う。完全に防げなくても、薄くなる)
影の者は、すぐに追ってこない。
代わりに周りの影が盛り上がる。
左右から同時に2本の槍。
跳んでかわそうとするが、体が重い。回避するほどの跳躍はできない。
ならば...
俺は剣を床に突き立てる。
「地形変更」
床石がせり上がり、俺の足元に段差ができる。
槍が段差に刺さって軌道がずれた。
それでも、掠る。脛が裂ける。
「……っ!」
分身が距離を詰め、影の刃を振りかざす。
受ける、ではだめだ。
斬りにかかる。
影の刃を斬り裂き、その勢いのまま腕まで斬撃を伸ばす。
分身の腕が落ち、闇が霧散する。
だが...消えない。形が崩れただけで、また寄り集まってくる。
(分身は倒す対象じゃない。この分身が復活するまでの間に、本体を仕留める。)
俺は本体を正面に捉える。影の者はさっきからほとんど動いていない。
それが余裕ではなく、消耗のせいで動けないというのはわかる。今がチャンスだ。
だが、今の分身を倒したので俺も身体が限界に近い。
分身の復活までに、仕留めきれるかどうか...。
その時
「勇者...」
背後。壁にもたれたラザルが、まだ立っていた。
顔色は紙みたいに白い。呼吸が浅い。
だが、目だけは鋭い。
「一発だけだ。……逃すなよ」
「...わかった。」
その状態で、まだ魔法が撃てるのか?
その疑問に答えるように、ラザルが指先を上げた。
詠唱は短い。というより、詠唱を削っている。
無理をしてるのがわかる。
「『情報固定』」
空気が、きしんだ。
分身の復活が止まり、影の者の揺らいでいた輪郭もはっきりと定まる。
「...!?」
影の者から、焦りが伝わる。
周りの影の動きもぎこちなくなり、槍も、糸も、形が崩れていく。
(今だ)
俺は踏み込む。限界に近い体でも、止まっている相手を斬るくらいならできる。
ラザルの魔法により動きが止められた影の者は、それでも尚、俺を迎撃しようとする。
形が崩れた影を一つにまとめ、俺の足元へと集中させる。
影が足にまとわりつき、動きが止まりそうになる。
(ここで止まったら、もう次はない...!)
俺は自分の足元に魔力を叩き込む。
無理やり動くため、ではない。
影をまとめて押し返す。ここに来ての力技。
下手な小細工は、力技で押し切る。押し切ることができる。
ヴァルゼインにやられたことを、今度は俺が同じ四天王相手に仕掛ける。
影がはじけ飛び、足が自由になる。
俺はそのまま影の者の懐へと飛び込む。
剣を振りかぶる余裕もない。ただ剣を前に突き出す。
だがその剣の先端に、すべての力を乗せる。
剣聖補正、覚醒、英雄。全部を一点に集中させたその突きは───
影の者を、貫いた。
今度こそ本当に、手ごたえがあった。
影を斬った感触ではなく、実体を突き刺した感覚。
「……が」
影の者の声が、詰まる。
闇が一瞬、膨れ上がり...そして崩れた。
影が床に落ちる。
布のように薄くなる。
分身が動く。
最後の抵抗をするように俺へ伸びてくる。
だが、それはもう刃でも、槍でも、糸でもない。
ただの影だ。
俺は息を吐き、崩れている闇に向かって剣を振り下ろした。
その振り下ろしで、決着はついた。
影は霧散して消えて、通路に静寂が訪れる。
背後から、倒れるような音。
振り返ると、ラザルが膝をついていた。
体から、口から、血を流し。それでも笑っている。
「...僕の最後の一発、なかなかよかったでしょ?」
「最悪だよ。四天王の援護とか笑えない。」
「僕も笑えないね...。痛いし...」
「いや、普通にさっきからずっと笑ってるぞ」
ラザルはそれを聞き再びニヤリと笑い、視線を俺の背後へと向ける。
「...終わったんだよね?」
俺も振り返り確認する。
影の者は倒れている。影も霧散して消え去った。
「ああ、終わったな。」
ここにもう、絶望はなかった。




