第九話『吾輩、託すのである』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
人間を見つけたのである。
光と共に力が抜けつつある。急ぐのである。
《『スキル:疾走』発動》
匂いの下へ向かって駆け抜ける。
《エヴォルク、終了》
あと少しという所で、肉体に激痛が走った。体が小さくなっていく。
まだ、人間の下へ辿り着いていない。けれど、このままではカイトくんを落としてしまう。立ち止まり、風でカイトくんを安全に降ろそうとしたけれど、風はうんともすんとも言わない。
さっきまでは手足のように動かせたというのに、そのやり方を思い出す事が出来ない。
「ワン!」
もう一度である。
一度出来た事ならば、もう一度出来る筈である。
そう意気込んだ瞬間、吾輩の視界が回転した。
「ワフッ!?」
気が付けば、ひっくり返っていた。そして、喉奥からせり上がって来るものを吐いた。
頭が割れそうに痛む。手足が痺れている。目が回り続けている。
立ち上がろうと考える事すら出来ない。
「ワ……ゥ、ワ……ゥ……」
動けない。
ダメである。このままではカイトくんを助ける事が出来ない。
「……ワゥ」
まともに思考する事も出来ぬ。
苦しい。痛い。辛い。
遠ざかっていた筈の死が近づいてくる。
「ワゥ……」
吾輩、死ぬ。カイトくんも死ぬ。ならば、寂しくはない。
最期にカイトくんの顔を見たい。
必死になって体を動かす。カイトくんの傍に向かう。そして、吾輩は見た。
吾輩が望んでいた笑顔ではなく、苦しみのあまり、眉間に皺を寄せたカイトくんの顔。
イヤだ。これがカイトくんの最期だなんてイヤだ。
「アオォォォォォォォォオン!!!」
最後の力を振り絞り、雄叫びをあげる。
《『スキル:コール・ロア』を会得しました》
「アオォォォォォォォォオン!!!」
助けて欲しいのである。カイトくんの命を救って欲しいのである。
人間よ、ここに人間の子供がいる。どうか、助けて欲しいのである。
「アオォォォォォォォォオン!!!」
眩暈がどんどん酷くなっていく。
「アオォォォォォォォォオン!!!」
それが本当に最後の足掻きだった。もはや、雄叫びすらあげられない。
それでもと口を開きかけた時、吾輩の前に彼らは現れた。
「えっ……、子供!?」
「あれはなんだ!?」
「オルグに似ているが……」
人間だ。吾輩が追い求めた匂いである。
カイトくんやご主人とも、あのウサギや鹿とも違う音で会話をしている。
「大変よ! 子供が倒れてる!」
「迂闊に近寄るな!!」
「でも!」
「ここは既に魔境の入口だ。こんな所に普通の子供がいるわけないだろ」
「……魔物って事?」
「恐らく……」
何を悠長に話しているのだ? 何故、すぐにカイトくんを助けない?
「あるいは、悪魔かもしれない」
「悪魔? それって……」
「確かめてみればいい。アミリス、その子供に鑑定を掛けてみろ。もし、本当に普通の子供だったら直ぐに助けないと不味いしな」
「わ、分かったわ。『コノモノノシンカヲワレニシメセ』」
「どうだ?」
「……この子、普通の子供よ!!」
「え?」
「なに!?」
人間達はようやく慌てた様子でカイトくんに駆け寄ってきた。
「心臓は!?」
「まだ、微かにだけど動いてる。でも、呼吸が小さ過ぎる。熱もある!」
「まさか、呪いを受けているのか!?」
「ううん。栄養失調と極度の疲労によるものみたい。『赤の聖瓶』使っていい!?」
「仕方がない。飲ませたらすぐに移動するぞ。こんな所じゃ、治療するにも限界がある」
「分かった! 大丈夫よ、坊や。絶対に助けてあげるからね!」
どうやら、カイトくんは大丈夫そうである。
安心した途端、意識が遠のき始めた。
人間達がカイトくんを連れて行く。手を伸ばすが、届かない。もはや、死を待つばかりの吾輩には何も出来ない。
後は彼らに託すしかない。
「……ワゥ」
カイトくん、どうか元気に……。
吾輩の意識はそこで途絶えた。




