第四十二話『吾輩、好きなのだ』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
大迷宮を出た後、マリアはすぐにDr.クラウンが寄越した通信機を使用した。
幾度かのコール音の後、聞きなれた老人の声が応答した。
『ふぉっふぉっふぉ、どうした?』
「斬り殺されたくなかったら結晶の館の場所を言いなさい」
『ふぉ!? いきなり、物騒じゃな! 結晶の館? はて? なんの事じゃ?』
「そう……、斬られたいのね」
『待て待て待て! ちょっとしたお茶目じゃよ!』
「笑えない。つまらない。次に誤魔化そうとしたら、容赦しない」
マリアは本気である。鞘から抜いた刀の刃が陽炎のように揺らいでいる。
『分かった! 話す! 結晶の館の現在地をハバキリに転送しておくから、案内してもらえ!』
「……ちなみに、黙ってた理由はなに?」
底冷えするような声だ。吾輩、カリウスの後ろに隠れておくのである。
「ポチ……」
「ワン!」
吾輩の盾となる栄誉をやろう。誇るがよい。
「やれやれ……」
『別に意地悪をしたわけではないぞ。ただのう……』
Dr.クラウンは言い淀んだ。
「ハッキリ言って!」
『……お前さん、旅が楽しいのじゃろう? 結晶の館には生体反応があってのう。恐らく、ポチの探し人もそこにおる。辿り着いたが最後、旅は終わってしまうじゃろう』
「それは……、寂しいけど! でも、その為に旅をしてるんだから!」
『ポチが死ぬぞ』
「え?」
吾輩、ギクリとした。
「どういう事!?」
「ちょ、ちょっと、ポチちゃんが死ぬってなに!?」
「Dr.クラウン。どういう事ですか!?」
ミゼラ達も黙っていられなくなったようである。吾輩、気まずい。
『エヴォルクによるメタルディザイア化によって、ワシのデータベースとシステムにリンクが生まれたのじゃ。一応、相手は嘗ての雷帝じゃからな。それに乗じて思考データの解析を行った。すると、既にポチの寿命が尽きかけている事が分かった。長引かせているのは、アースから共にこの世界へやって来た少年を家に帰す為のようじゃな。その目的意識によって、権能やスキルが死を先延ばしにしておる。しかし、少年と出会ってしまえば終いじゃよ。少年を家に帰す手立ても既に思いついておるようじゃ。それにより、ポチの目的は完遂する。その後に待っているのは天寿の全うじゃ』
「……え? 待って、分からない。何を言ってるの?」
「ポチちゃんの寿命が尽きてるって……、それ……、え?」
「待ってくれよ。ポチたん、テイマーと再会したいんじゃなかったのか? それで、そのテイマーと一緒に冒険を続けるんじゃないのか? オ、オレ達、ずっと一緒は無理でも、そのテイマーやポチたんと一緒にチームを組んだりして……、それで一緒に冒険がもっとって……」
「……ポチ」
メタルディザイアへのエヴォルクには思わぬ落とし穴があったらしい。
よもや、思考をDr.クラウンに読み取られるとは思っていなかった。
「……ワゥ」
まったくもって、意地の悪い男だ。黙っておいてくれても良かろう。
カイトくんを家に戻したら、そっと姿を眩ませて、そこで生を終えるつもりだったのだ。
『ただまあ……、これ以上の先延ばしも出来まい。既に尽きている寿命を無理矢理伸ばしているに過ぎん。少年と会わせなければ長生きしてくれるというわけでもない。素直に結晶の館へ向かい、本懐を遂げさせてやるがよい。解析によれば、あと一か月は保つじゃろう』
吾輩が思っていた以上にギリギリだったのである。そのギリギリまで共に過ごせるようにというDr.クラウンなりの気遣いだったという事だろう。
こうしている間にも、カイトくんは家に帰る事が出来なくて悲しんでいる筈だ。その事を思うと、怒りを覚える。だが、同時に旅の仲間達との別れも惜しく、その気遣いをありがたく感じているのも否定出来ぬ。
「……ヤダ」
マリアは大粒の涙を零しながら呟いた。
「ワンちゃんが死んじゃうのヤダ」
『やむなき事じゃよ、マリア。ポチは魔獣ではない。エヴォルクによる魔獣化は一時的な物でしかなく、その寿命は通常の犬と同じなのじゃ』
「……ドクターなら何とか出来るんじゃないの? 天才なんでしょ!?」
『ポチが望むのであれば、ある程度の事は出来る。じゃが、望まぬじゃろうな』
「なんで!? ワンちゃんだって、死にたくない筈でしょ!?」
『……ああ、本当に良き旅であったのじゃな。故にこそ、ワシはお前に真実を語るとしよう。死を恐れる者とは、生を全う出来ぬ者じゃ。己の生きた道に納得がいかぬ者は死を拒む。じゃが、ポチは違う。既に死を受け入れておる』
「どうして!?」
『生を全うしたと言う事じゃろう。己の生きた道に納得し、満足しておる』
「で、でも! だって……、でも!」
『マリアよ。生きたいと願う者を死なせる事は残酷じゃ。じゃがのう、死を受け入れた者を生かす事もまた、残酷なのじゃよ』
「ざん……、こく」
マリアは青褪めている。涙が止め処なく溢れさせている。
果たして、吾輩と出会った事は彼女にとって幸いな事だったのであろうか?
吾輩の死は、彼女によりよき未来の為の何かを残す事が出来るのであろうか?
『マリアよ。よく考え、最後の一か月をポチと過ごすのじゃ。ポチと出会った事がお前さんにとって幸福な事であったのか、あるいは不幸な事であったのか……、それを決めるのは他ならぬお主なのじゃからな』
その通りである。この出会いと旅路が彼女にとって、如何なるものになるのか? それを決めるのは吾輩ではない。
「ワン!」
共に最後の時を過ごそう。
この旅は吾輩の中でも特別であった。少なくとも、吾輩にとっては幸福であった。
「……ポチちゃん、死んじゃうの?」
ミゼラもまた、泣いている。
「生きてくれないの?」
顔を歪ませている。
「どうして……」
怒りが滲んでいる。
「やめろ、ミゼラ」
ヤザンがそんな彼女を叱る。
「その顔をポチたんが見る、お前の最期の顔でいいのか?」
「……ヤダ」
ミゼラは顔を手で覆い隠した。それこそイヤである。怒りであれ、なんであれ、吾輩はお前の顔を見ていたい。死の間際まで、お前達の顔を見ていた。この魂にお前達という存在を焼き付けておきたいのだ。
ミゼラに飛び掛かる。
「キャッ!?」
その顔を舐め回す。
「ポ、ポチちゃ!? にゃっ、くっ、くすぐ……ッハッハハハハ!」
ミゼラよ。ヤザンよ。お前達が吾輩を愛してくれた事を吾輩は忘れぬ。
「ポチ。それがお前の決めた事なんだな」
「キィ……」
カリウスとバッキーは身を震わせながら言った。
その通りである。吾輩の決めた事なのである。
カイトくんを家に帰し、吾輩は眠りにつく。その時は身を隠すつもりであったが、知られた以上はお前達に看取らせる。
最期の瞬間まで、吾輩を愛する事を許してやろう!
「ワンワン!」
泣くでないぞ、人間達よ。
吾輩はお前達の笑顔が好きなのだ。




