第三十八話『吾輩、怖いものは怖いのである』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
「キィ!」
吾輩達はフィオレの地下へ通された。即ち、大迷宮と呼ばれる場所である。
水が滴り落ちる岩肌をゆっくりと歩いていく。あまり広くはなく、バッキーは翼を広げて飛ぶ事が出来なかった。おまけに斜面が急過ぎて、とても歩き難そうだ。
「ワンワン」
「キィ……」
吾輩の背中に乗るがいい。無理だと?
たしかに、今の状態では乗り難かろう。かと言って、ストーム・ベルーガーにエヴォルクしては、サイズが大き過ぎて身動きが取れなくなる。
「ワン!」
だが、問題はない。ストーム・ベルーガーにエヴォルク出来ると言う事は、その一段階前の状態にもエヴォルク出来るという事だ。
《レベルアップ承認。保有経験値:10を消費。レベル3になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:3を消費。『種族:バーニーズ・マウンテン・ドッグ』から、『種族:ベルーガー』へエヴォルクします》
「ガォン!」
「おお、ベルーガー! オルグ、普通のベルーガーにもなれたのか」
「おお、普通だ」
「見覚えのあるベルーガー!」
灰色の毛皮の狼の魔獣。それがベルーガーだ。サイズもストーム・ベルーガーほどではない。
「ガォ!」
さあ、吾輩の背に乗るが良い。
「キィ」
しゃがみ込むと、バッキーが吾輩の背に乗った。
少々重い。だが、問題はない。バッキーの背には何度も乗った。ならば、吾輩もバッキーを背負うのだ。
「キィ……」
礼など要らぬ。謝罪はもっと要らぬ。
吾輩の背でゆるりと過ごすが良い。
「オルグちゃんとバッキー、すっかり仲良しさんになったね」
「なんというか、和むな!」
「ああ」
「うん」
「ワン!」
「キィ!」
意気揚々と坂道を降りていく。やがて、道が平らになった。
松明などないのに、そこは薄っすらと明るかった。どうやら、ヒカリゴケが自生しているようだ。
「……それにしても、ちょっと驚いたわ」
先頭を歩くドロシーが振り返った。
「随分と仲が良いのね、あなた達」
「えへへ、旅の仲間なんだー!」
「ねー!」
マリアとミゼラは肩を組み合っている。仲睦まじく、実に結構な事である。
「ふーん」
ドロシーは立ち止まると、吾輩の下へやって来た。
「ガォ?」
「……本当に不思議だわ。どうして、あなたは平然とマリアの傍に居られるの?」
「ちょっと、ドロシー! それ、どういう意味!?」
「そうよそうよ! どういう意味!?」
マリアとミゼラがブーブー言っている。
「ガォン!」
吾輩も質問の意図がよく分からぬ。
「だって、マリアはあなたを殺した男の孫娘よ? 覚えてないの?」
「え……?」
「え?」
「は?」
「ん?」
「キィ?」
全員、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「ガォ」
吾輩も少々困惑している。
マリアの祖父とは、吾輩を滅ぼした勇者メナスの事であろう。無論、覚えている。
どうやら、この女は吾輩の事をかなり詳しく知っているようだ。だが、その割には頓珍漢な事を言う。
「トンチンカン? えっと、的外れって意味だっけ……? ええー……、そんな事はないでしょ。自分を殺した相手の事よ? 憎くて堪らないんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと! どういう事だ!? オルグたんを殺した!? オルグたんはお化けとでも言う気か!?」
ヤザンが言うと、ドロシーは首を横に振った。
「あなた達、このワンちゃんの正体に気付いていないのね。まあ、見た目がこんなに可愛くなってたら無理もないかー」
「正体って……?」
ミゼラが首を傾げた。
「言っていい?」
ドロシーが問いかけて来た。
「ガォン!」
好きにするがいい。隠していたわけではない。
「そうなんだ。じゃあ、話しちゃうよ?」
「ガォ」
構わぬと言っている。それにしても、吾輩の言葉を明確に理解しているようだな。吾輩と同じスキルを持っているのか?
「うん。あなたのソレとはちょっと違うけどね。さすがに『理の声』まで拾う事は出来ないわ」
「ガォ?」
理の声? なんだそれは?
「本来は言葉ではないもの。けれど、確かに存在する意思の事。君が持つ『万象の声』は真なる七王の直系にのみ許された世界の根源に触れる力なのよ」
よく分からぬ。
「ねぇ! オルグちゃんの正体って、何なの!? どうして、あなたが知ってるの!?」
「どうして知ってるのかって? それはわたしがドロシーだからよ」
噛みつくように迫るミゼラをあしらい、ドロシーは言った。
「このワンちゃんの正体。それは嘗て、雷帝と呼ばれたもの。あのお猿さんが横取りしなければ、いずれは獣の王となり、七王の一画として世界の守護者になっていたもの。偉大なる前王アルヴァトロスの仔、ザイン」
「それって、お爺ちゃんが滅ぼした七大魔王の名前じゃ……」
「七大魔王!?」
「いやでも……、はぁ!?」
「ま、待てよ! 七大魔王は嘗て勇者メナスが滅ぼした筈だろ! なんか、二体は見逃したとかDr.クラウンが言っていたけど……。でも、ザインは滅ぼしてるって!」
「そうよ。雷帝ザインは滅ぼされた。そして、魔王の権能によって転生を果たした」
「転生……?」
戸惑いながらドロシーの言葉を反復するマリアにドロシーは頷いた。
「元凶は竜姫シャロン。彼女のせいで、魔王の権能には『強制転生』のスキルが付与されている。だから、あの偉大なる獣の王がこんなに可愛い姿になってしまった」
「ガゥ」
なるほど、吾輩が前世の記憶を引き継いでいたのはその為であったのか。
それにしても、随分と詳しいものである。
「だって、わたしはドロシーだもの」
ニッコリと笑顔を浮かべて、彼女は言った。
「雷帝ザイン。ワンちゃんが……」
マリアは動揺しているようだ。ミゼラとヤザンも呑み込めていない様子だが、カリウスだけはどこか納得した様子だった。
「あら? あなたは察してたの?」
「……いや」
カリウスは吾輩を見つめた。
「Dr.クラウンの言葉やエヴォルクした時の常軌を逸した強さについて、ずっと考え続けていたんだ。その答えとして、納得がいったよ」
そう言いながら、カリウスはしゃがみ込んだ。
「オルグ。ザインって、呼んだ方がいいか?」
「ガォ」
好きにするがいい。貴様の呼びたいように呼んで構わぬ。だが、敢えて言うならば、今の吾輩はポチという。
吾輩を育ててくれたご主人が付けてくれた良き名である!
「……いいって事か?」
「いいけど、自分の名前はポチだって言ってるよ。生まれ変わった後、その子を育てた人間が付けた名前みたいね」
「ポチ……、ポチか! 可愛い名前だな! じゃあ、ポチって呼ぶよ。構わないか?」
「ガォン!」
それで良いのである。吾輩、カリウスの顔をベロンと舐めた。
「……ははっ、その姿で舐められると顔がビチャビチャだ」
顔を拭いながら、カリウスはどこか怯えた様子のマリアを見た。
「大丈夫だよ、マリア。ポチは君を憎んでない」
「……なんで、言い切れるの? だって、お爺ちゃんに殺されたんでしょ?」
「ガォ! ガォン! ガォガォ!」
殺されたのは確かである。だが、それとこれとは別である。吾輩はメナスを憎んだ事など一度もない。
ドロシーよ! 貴様の迂闊な発言が原因なのだ。吾輩の言葉をしっかりとマリアに伝えよ!
「はーい! ポチちゃん、マジで憎んでないってさ」
「で、でも!」
「ガォン! ガォ!」
メナスとは殺し合った仲である。だが、それは互いに譲れぬものがあったが故の闘争。
あの者は勇敢であり、強き者であった。そして、それ以上に優しき者であった。
吾輩はメナスと戦った事を誇りに思っている。あの者に殺された事を心から納得している。
「……それ、本音?」
「ガォン!」
無論、本心である。
「これだから七王の直系ってイヤなのよねぇ……」
「ドロシー?」
「ガォン!」
いいから、さっさと吾輩の言葉を伝えるのである。
「はいはい。メナスとは互いに譲れないものがあったから戦ったけど、勇敢で強くて優しいメナスが大好きだったんだってさ。だから、メナスと戦った事は誇りだし、殺された事にも納得してるんだって……」
「戦って、殺されたのに?」
ミゼラが不思議そうに呟いた。ヤザンも困惑している。
やはり、吾輩の意思を一番汲み取ってくれるのはカリウスである。見るが良い。彼はうんうんと頷いている。
「つまり、雷帝ザイン様は誇り高い御方だったって事だろ」
カリウスは言った。
「オレ達とは尺度が違うんだ」
「尺度って?」
「器の大きさが違うって事だよ」
「ガォン!」
よく分からぬ褒め方だが、褒めている事は分かる。
良いぞ。もっと褒めるが良い!
「……なんか、自分が一番オル……ポチちゃんの事を分かってますアピールしてる?」
「すげぇ、腹が立って来た」
「なんでだよ!?」
カリウス達が言い争いを始める中で、マリアが近寄って来た。
「ねぇ、ワンちゃん」
「ガォ」
「本当にお爺ちゃんの事を恨んでないの?」
「ガォン!」
くどいのである。それ以上侮辱するでない。
吾輩とメナスの関係に憎しみや怒りなど存在せぬ。生まれ変わり、再び巡り合えたのならば友になると誓ったのだ。
「……くどいってさ。これ以上、メナスと自分の関係を侮辱するなって言ってる。わっかんないなぁ……」
ドロシーは意味不明だと首を傾げている。
何故、理解出来ないのか、吾輩の方が理解不能である。
殺し合いの中には憎悪しかないとでも思っているのであろうか?
「普通はそうじゃん」
「ガォ」
貴様は視野が狭いのだな。
「……むぅ」
ドロシーはむくれた。
「ワンちゃん。じゃあ、まだわたしの友達でいてくれる?」
「ガォン!」
当然であろう。吾輩は貴様に恐怖と友情を抱いている。
「いや、恐怖も感じ取るんかい!?」
「ガォ!」
当然であろう! 吾輩の死因の血縁者であるぞ。
「いや、恨んでないって言ってたじゃん!」
「ガォガォ!」
恨んではいない。だが、トラウマではあるのだ。
「なんじゃそりゃ!?」
「ど、どうしたの?」
マリアから見たら、ドロシーの一人芝居なのだろう。少し引いているようだ。
「……ワンちゃん、マリアの事だーい好きだってさ」
「ワンちゃん!」
マリアに抱き締められた。
吾輩、ちょっと漏らした。
「……よく分からないなぁ」
「キィキィ……」
吾輩、マリアの事は好きである。でも、怖いものは怖いのである。




