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第三十話『吾輩、諦めないのである』

 吾輩は犬である。名前はポチという。

 

「ワン!」

「キィ!」


 しばらくすると、部屋に二人の男が入って来た。


「お待たせして申し訳ございません」


 二人の内、神経質そうな細身の男がマリアに向かって頭を下げた。


「構わないよ。色々、事後処理が大変なんでしょ?」

「ああ、大変だ」


 もう一人の大男はマリアを睨みつけた。とても、礼を言いに来た人間の態度とは思えぬ。


「剣聖。あれはアンタを狙ったものなんじゃねーのか?」

「お、おい、グライス!」

「そこはハッキリしとかねーとだろ!」

「剣聖様のおかげで死傷者が出なかったのだぞ!」

「だから、原因その者に礼を言えってのか!?」


 気まずいのである。グライスとやら、名推理である。彼が見抜いた通り、ネルゼルファーの狙いはマリアだった。

 マリアも視線を泳がせている。


「そういう態度を取らぬと約束したから連れて来たのだぞ! この事は協会本部に報告するからな!」

「構わねぇよ。それでも、今はオレがギルドマスターだ。この街で剣聖に物を言えるのはオレとお前だけなんだ。文句の一つも言わねぇで舐められてみろ! このまま滞在されて、また襲撃を許す事になる! そうなった時、次も犠牲者を出さずにいられると確証を持って言えんのか!? メフィラス市長よぉ!」


 グライスの言葉にメフィラスは頭が痛そうな表情を浮かべた。

 そして、隣の男にも聞こえぬほどに小さな声で「馬鹿者め……」と呟いた。

 その言葉に込められた意図を吾輩は読み解いた。

 メフィラスとて、マリアに本気で感謝しているわけではないようだ。むしろ、グライス以上に煙たがっている。

 取り繕っている理由は単純明快だ。彼はマリアを恐れている。彼女の怒りを買えば、今度こそディオルフォードが滅ぼされると確信している。

 ならば、グライスが底抜けの愚か者なのかと言えば、そうでもない。彼もマリアの怒りを買う事の恐ろしさは理解しているようだ。だからこその第一声だった。メフィラスに自分の態度を注意させる事で対立関係を示唆して見せた。自分が何を言おうとも、それは決してディオルフォードの総意ではないと示したのだ。粗暴な物言いも、自分を浅はかで愚かな人間だと思わせる狙いがある。これにより、自分と民がイコールではないとして、マリアが怒った時の敵意の矛先を自分に向けさせる布石としている。

 

「……ワゥ」


 回りくどい事だが、マリアの滞在はディオルフォードの民にとって、確かに大きなリスクとなる。この地の守護者として、マリアに退去を求める事は当然と言える。

 その上でリスクを最大限削る為の茶番というわけだ。涙ぐましい努力である。


「大正解。そうだよ。アレはわたしを狙ったもの。迷惑を掛けて、ごめんなさい」


 マリアはアッサリと認めた。その上で、しっかりと頭を下げて見せた。

 その姿にグライスとメフィラスは揃って狼狽した。思ってもみなかった対応なのだろう。

 

「わたしとしても長居するつもりはないの。ただ、一つだけお願いがあるんだけど、構わない?」

「……もちろんでございます、剣聖様」


 答えたのはグライスだった。さっきまでとは打って変わって、実に殊勝な態度である。

 

「ただ、その前に謝罪をさせて頂きたく存じます。御無礼な態度、深く陳謝致します」

「謝る必要はないよ。わたしのせいだもの。あなたの言葉に間違いは一つもなかったわ」

「今日までに剣聖様にお救い頂いた命は数知れず。実に厚顔無恥な態度で御座いました」


 聡明な男である。マリアを見誤った事を悟ったのだろう。深く頭を下げる彼の言葉からは深い罪悪感と謝罪の念を感じる。

 

「いいから、頭を上げてよ。お願いを聞いてくれるのよね?」

「拝聴致します」

「……冒険者カイトの情報が欲しい。星光の旅団の一員だった筈だから、今もそうなら旅団の現在地も知りたいわ。交戦の為ではなく、そこのワンちゃんのテイマーの可能性があるから会わせてあげたいの」

「カイトの……?」


 吾輩、思わず立ち上がった。

 その態度は明らかにカイトくんを直接知っている者の反応だ。


「知ってるの?」

「え、ええ。ただ、星光の旅団の一員というわけではありません。一時期は共に行動していたようなんですがね。足手纏いになりたくないからとパーティを離脱して、しばらくはこの街に滞在していました。真面目な奴で、評判も上々でしたよ」

「今もここに居るの!?」

「い、いえ、今はいません」

「だったら、どこに……?」


 グライスは視線を泳がせた。何かを悩んでいる様子だ。


「ワン!」

「おっ!?」

「この仔も会いたがってるの」

「な、なるほど……、しかし……」


 歯切れが悪い。


「言えない事情でもあるの?」

「……結晶の館はご存じですか?」


 カリウスによれば、カイトくんが発見したものと言っていた。

 詳細は分からぬが、館というからには建物なのだろう。


「おとぎ話だった筈よね?」

「ええ、そうです。おとぎ話でした。カイトが発見するまでは」


 おとぎ話。つまりは空想の存在。カイトくんが発見するまで、結晶の館とやらはそういうものだったらしい。


「『その美しき建物はどこにでもあり、どこにもない』。絵本などの冒頭に記されている定型文ですが、そのままの意味でした」

「どういう事?」

「結晶の館は移動するのです。故にどこにでも出現するし、出現した場所を探しても見つからない」

「面白そうな話ね」

「ええ、冒険者としてはとても興味深い。ですが、結晶の館に纏わる文献の中には空恐ろしいものもあります」

「たとえば?」

「……『人を喰らう』」

「そういうタイプの魔獣って事?」

「分かりません。存在は確認されましたが、それだけなのです。他にも『迷い人を誘う』、『富を授ける』、『人ならざるものへ変える』などがあります」

「それで?」

「それで、我々は止めたのです。ですが、彼は結晶の館に魅了されてしまいました」

「……それで?」

「探しに行ったのです。それ以降、一年以上音沙汰がありません」

「結晶の館の手がかりは? それか、カイトの目撃情報はない? 冒険者ギルドって、冒険者の互助会なんでしょ? 行方不明になった冒険者が居たら、捜索とかするんじゃないの?」

「一切ありません」

「え?」

「仰る通り、冒険者ギルドは冒険者の互助組織です。ですから、助けを求められたら最大限の助力を行います。ですが、求められなければ動きません」

「ど、どうして!? 互助って、お互いを助けるって事でしょ!?」

「そうです。お互いに助け合う。求められてもいない捜索を一方的に行う事は互助ではありません。行方不明と言いましたが、カイトくんが危機的状況にあると決まったわけではないのです。単純に我々が彼の行方を掴めていないだけなのです」

「でも……」

「冒険者は自由です。街を出る時、律儀に声を掛けてくれる者もいますが、そういう者ばかりではありません。カイトは……、声を掛けてから出掛けそうなタイプではありましたが、だからと言って、行方が掴めなくなったから捜索隊を出すなんて事はしないのですよ」

「じゃあ、カイトの居場所は……」

「我々には分かりません。結晶の館についても同様に」


 落ち込みそうになる。ここで一気にカイトくんへ近づける筈だった。

 それなのに、また遠ざかってしまった。


「……分かったわ。ありがとう」


 そう言うと、マリアは立ち上がった。


「じゃあ、みんな! 結晶の館を探しに行くよ!」

「オッケー!」

「了解!」

「そう来ると思いました」

「ワゥ……」


 あまりの切り替えの早さに吾輩は目をパチクリさせた。


「ワンちゃん。大丈夫よ。絶対にわたし達がカイトと会わせてあげるからね!」

「ワゥ」


 そうであった。吾輩は絶対に会うのである。落胆している暇などない。

 手がかりは途切れていない。

 結晶の館。カイトくんはそこにいるに違いない。

 吾輩、諦めないのである!

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