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第二十九話『吾輩、ペロペロした』

 吾輩は犬である。名前はポチという。


「ワン!」

「キィ!」


 戦いはあっけなく終結した。

 ネルゼルファーの敗因は一つ。一瞬でもマリアから意識を逸らした事である。

 甘い期待の下で吾輩達に矢を放たなければ、もう少し戦いの体裁を保てていた事だろう。

 

「ただいまー」

「おかえりなさい! 勝ったんだね、マリア!」

「さすがです!」

「剣聖様最強! 剣聖様最強!」

「剣聖様だ!! 我らをお救い下さった!!」

「マリア様!!」

「助かったんだ、私達!」


 マリアが戻ってくると、ミゼラ達だけではなく、辺りにいた人間達も彼女へ駆け寄っていく。

 

「キィキィ!」


 合体を解除して、エヴォルクを解くと、またハバキリの言葉が分からなくなった。

 だが、薄っすらと意思を感じる事は出来ている。それが意味する所をエヴォルク時の吾輩は理解していたように思うが、今は分からない。

 メタルディザイアになった事で思考能力も向上していたのかもしれぬ。


「ワン!」


 まあ、良い。ハバキリが合体中におしっこを漏らした事に文句を言い続けている事は分かっている。その意思が分かるだけで吾輩は満足である。

 

「キィキィ!」

「ワンワン」


 分かったから、そろそろ落ち着くのである。もう、謝ったであろう?


「キィキィ!」

「ワゥ……」


 困った奴である。


 ◆


 吾輩達は冒険者ギルドの一室に通された。ギルドマスターとディオルフォードの市長がマリアに是非ともお礼を言いたいそうだ。

 マリアは面倒くさいと嫌がったけれど、カリウスがカイトくんを探す為に協力を得られるかもしれないと言うと渋々了承した。

 星光の旅団は世界屈指の冒険者パーティである為、その情報を得る為には複雑な手順を踏む必要があったそうだ。その手順を踏み倒せるかもしれないとなると、マリアも納得した様子だ。

 かたじけないのである。


「……それにしても、悔しいなぁ」


 ギルドマスターと市長を待つ間、マリア達はソファーで寛いでいる。

 吾輩とハバキリは床で寝転んでいる。


「危機は脱したのですから、十分なのでは?」

「でも、逃がす気無かったんだもん!」


 マリアは頬を膨らませている。

 どうやら、ネルゼルファーに逃げられたようだ。


「……『魔王の権能』のゲートを見落としてたわ。あれはネルゼルファーじゃなくて、ファルム・アズールのね」

「魔王……。七大魔王のネルゼルファーは文献を読んで知っているのですが、ファルム・アズールとは?」

「前にわたしが追っていた魔人だよ。聞いた事ない? 各地で行方不明者が続出している話」

「聞いた事はもちろんあります。むしろ、聞かない日は無いくらいで……」

「あっ、帝国以外はそうなんだっけ……」


 何やら、物騒な話をしているな。


「一年くらい前からかな。帝国で行方不明者が出始めたの。帝国では国民一人一人に番号が割り振られていて、その一挙手一投足をすべて監視してるから、行方不明になったらすぐに分かる筈だったの。それなのに、発覚がかなり遅れてしまった」

「……怖い」

「一人一人に番号って……」

「帝国は完全な管理社会という噂は本当だったのか」

「あれ? なんか、微妙は反応……? でも、おかげで帝国の死者数は処刑した人間を除けばアガリア王国に次ぐんだよ!?」

「そ、そっかー」

「す、すごいですね!」

「ちなみに、処刑された人間の数は如何ほどで……?」

「去年は六千五百十一人だったよ。キャロが斬った数もちゃんと合わせてるから間違いなし!」

「へ、へー!」

「そ、そうなんですねー!」

「ちなみに処刑の担当者は?」

「わたし!」


 ミゼラとヤザンが震えている。カリウスは遠い目をしている。


「あれ!? いや、でもね! 全員犯罪者なんだよ!? 完璧な監視体制だから、冤罪も起こらなくて、すごくクリーンなの!」

「……いやしかし、監視されていると分かっている中で六千人以上が犯罪を犯すなんて、ちょっと考えにくいのですが」

「それが結構居るのよ。陛下を侮辱したり、同じ国民の肉体や精神に傷をつけたり、外国の情報を得ようとしたり、定められている量以上の嗜好品を使用したり、規定の業務を怠ったり」

「ミゼラ。分かっただろ? 帝国に行くのが如何にヤバいか」

「う、うん……」

「え?」


 マリアは目を丸くした。


「あの……、噂で聞いただけなんですけど、帝国には裁判がないって本当ですか?」

「サイバン?」

「……えっと、これも噂なんですけど……、処刑以外の刑罰が無いって本当ですか?」

「処刑以外の刑罰? なにそれ? 犯罪者は斬るだけでしょ?」


 カリウス達は帝国の内情を聞いて、すっかり青褪めている。


「オ、オレ、帝国に生まれなくて良かった……」

「わたし、帝国、いかない……」

「帝国って、マジで噂通りなんだな……」

「え? え? え? 世界でも屈指の平和で安全な国だよ!? 全国民が幸福に生きられるように陛下が考えた最高のシステムで運用されているの!」

「マリア。話を戻しましょう。ファルム・アズールの話を聞かせてください」


 お気楽なタイプであるミゼラとヤザンが怯え切った表情を浮かべている。

 このまま話を続けていると二人はマリアを恐怖の対象として見てしまうだろう。少し、手遅れに感じるがそれはどちらにとっても不幸であると考えたのか、カリウスは少々強引に話を切り替えた。


「う、うん」


 マリアは困惑した様子でミゼラとヤザンを見ながら頷いた。

 常識そのものが異なる者同士、これまでは奇跡的に歯車が嚙み合っていたのだが、帝国の内情を話す事で狂い始めたようだ。

 人間の言葉を話せぬ吾輩では仲を取り持つ事など出来ぬ。ここはカリウスに期待しよう。


「えっと……、そうだ。行方不明者が出ている事が判明して、調査を行ったのよ。すると、どうやら精巧な人形を行方不明者の代わりに配置していたみたいなの。おまけに業務の監督員に魔法を掛けていた。人形は一定時間で機能を失うみたいで、それまでに自然とフェードアウト出来るように報告書を改竄したり、工作を行っていたみたい。だから、監督員に掛けられた魔法の痕跡を辿って、本拠地を見つけだしたのよ」

「そこにファルム・アズールはいたのですか?」

「いたよ。山一つを丸ごと頭上に転移させて、大質量で押し潰そうとして来たり、猛毒を発生させたり、空気を消滅させたり、多芸で楽しかったわ」

「……楽しかったのなら何よりです」


 カリウスは様々な言葉を呑み込んだ様子だ。


「そこには行方不明者やその子供らしき人間の牧場や研究施設があったわ。研究内容は人為的な権能の生成ね」

「……えっと、権能って?」

「バルサーラ教の教典くらい読んでおけよ」


 カリウスは呆れたようにミゼラのおでこを小突いた。


「だって、分厚くて読む気起きないんだもん!」

「……まったく。権能は信仰を受ける者に与えられる奇跡だ。例えば、マリアの『剣聖の権能』は剣聖を敬う信奉者の信仰によって形成されている」

「へー……」


 ミゼラはよく分かっていない様子だ。


「それで、ファルム・アズールはどうなったのですか?」

「……逃がしちゃった」


 マリアは気まずそうに言った。


「もっともっと強くなって、わたしを楽しませてくれそうだと思って、つい……」

「……うーん、擁護する言葉が見つからない」


 マリアは縮こまった。


「それで、再びネルゼルファーという魔王を伴って襲い掛かって来たわけですね。倒しといてくださいよ……」

「つ、次はちゃんと斬るよ!」

「お願いしますよ、ほんと……」

「はい……」


 カリウスは大したものだ。マリアを窘めるような態度を取る事で、ミゼラとヤザンを安心させた。二人のマリアに向ける視線は帝国の内情を聞く前のものに戻っている。

 吾輩、褒美にカリウスをペロペロした。

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