第二十七話『吾輩が征く』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
「キィ!」
吾輩、あり得ぬものを見た。
赤い女が弓を構えている。あり得ぬものとは、その者の事ではない。以前、Dr.クラウンが予告していたから、彼女が現れる事自体に驚きなどない。
あり得ぬものとは、その者がいる位置である。街の外、遥か彼方に聳える山の山頂。到底視認出来る距離ではない筈だ。にも関わらず、吾輩は見た。
「『剣聖の権能』」
そして、深紅の極光が山頂で瞬いた瞬間である。マリアが呟くと共に、ディオルフォードの空を深紅の雷霆が迸った。
「なんだぁ!?」
「なになに!?」
「赤い雷!?」
「キィ!?」
脳裏に知らぬ筈の光景が浮かび上がって来た。
天空に浮かぶ城。その城に吾輩はいた。そして、彼方に深紅の光を見た時、城は崩壊を始めた。
音どころではない。光の如き速度で飛来する、魔王の矢。
「ワゥ……」
アレは本来、回避も防御も不可能なもの。それをマリアは防いで見せた。
剣聖の権能と彼女は言った。
ミゼラが使うような、何らかの術なのだろう。大したものである。
「……困った」
マリアは呟いた。その表情には焦りが浮かんでいる。
「ワゥ?」
「頭では分かってるんだけどね……」
彼女にとっては待望の瞬間である筈だ。なにしろ、楽しみにしていた魔王の襲来である。
けれど、彼女の表情には喜びなど一欠けらもなかった。
それを何故かなどとは問わない。なにしろ、彼女の望みは魔王との戦いだ。だが、空に煌めく深紅の輝きがそれを許さない。
彼女の剣聖の権能なる力が消え去れば、この地は跡形もなく消え去るだろう。
「敵を斬らなきゃ解決しない。犠牲を出したとしても、一刻も早く討伐する事が一番被害を抑えられる。分かってるんだけどなぁ……」
普段の彼女ならば、それが出来たのだろう。斬る事しか頭に無いと言っていた彼女ならば。
だが、今の彼女は違うのだ。吾輩達との冒険が楽しくて、斬る事以外を考えてしまった。だから、斬るよりも守ってしまった。
「マリア……」
ミゼラ達も察したようだ。彼女は別にディオルフォードなど守っていない。ただ、ここにいる三人の冒険者と一匹の犬を守っているのだ。
その為に動けずにいる。
これではじり貧である。動けぬ者では、彼方の射手を討つ事は出来ぬ。
ならば、道は一つであろう。
《レベルアップ承認。保有経験値:300を消費。レベル10になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:10を消費。『種族:バーニーズ・マウンテン・ドッグ』から、『種族:ストーム・ベルーガー』へエヴォルクします》
「ワンちゃん!?」
「まさか、オルグちゃん!?」
あれは魔王である。カリウスやミゼラ、ヤザンには荷が重かろう。
《レベルアップ承認。保有経験値:100,000を消費。レベル70になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:70を消費。『種族:ストーム・ベルーガー』から、『種族:ライトニング・ベルーガー』へエヴォルクします》
ならば、アレに挑むのは吾輩である。
《レベルアップ承認。保有経験値:100,000,000,000を消費。レベル1,000になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:1,000を消費。『種族:ライトニング・ベルーガー』から、『種族:アルヴァトロス』へエヴォルクします。失敗。『種族:アルヴァトロス』へのエヴォルクには『獣王の仔の権能』の復元が必要です》
《『獣王の仔の権能』の復元要請。失敗。資格情報を消失しています》
アレに挑む力を求めたが、どうやら失敗したようだ。恐らく、アルヴァトロスとやらが犬となる前の吾輩なのだろう。
仕方のない事だ。今の吾輩は犬である。名前はポチという。生憎と、父母は獣王などと大層な名ではなかった。
「ガオォォォォォォォォォォォオオオオン!!!!」
「ワンちゃん、ダメ!! それだと勝てない!!」
「ガォォォォォン!!!」
それでも、吾輩は征く。
この地には、待望であったカイトくんに繋がる情報がある。
彼方から吾輩達を狙う射手たる魔王の事も実に不快である。
そして、なによりも! マリアとカリウス達、そして、バッキーを吾輩は守りたいのである!
「キィ!!」
「ガォン!!」
バッキーよ、そこで吾輩の雄姿を見ているが良い。
いざ、参らん!
《『スキル:エアリア・ブースター』から、『スキル:ヴォルティクス・ブースター』へ派生しました》
全身を雷霆が駆け巡る。そして、吾輩は駆け出した。剣聖の守護の外へ飛び出し、魔弾の射手へ挑む為に――――、
「ダメ、ワンちゃん!! 雷の速度じゃ避けられない!!」
当然の事であった。魔弾は光の速度で飛来する。音の数倍程度の速度しか出せぬ雷では、文字通り桁が違う。
剣聖の守護から出た瞬間、魔弾は吾輩を撃ち抜いた。
その破壊力は想像を絶した。
―――― わたしの矢は対象以外の森羅万象を無視して突き進む!
ああ、そうである。そういうメカニズムだと彼女自身が語っていた。
光は質量を持たぬからこそ最速なのだ。質量を持つ物質には辿り着けぬ速度。けれど、その矢は質量を持ちながらも光速へ至った。
複数の権能によって、彼女はその矛盾を孕んだ一撃を生み出した。
質量を持つ光。それこそが彼女の奥義『朱天』であった。その破壊力は一撃の下で国を消し去る事さえ出来よう。
「ガォ……」
たった一歩を踏み出す事すら出来なかった。
我が半身は消し飛び、生きている事が奇跡の状態となりながら地面を転がった。
エヴォルクは解けぬ。解けば死ぬ。だが、それも時間の問題である。意識が明滅している。気を抜けばエヴォルクが解け、吾輩は死ぬだろう。
あまりにも口惜しい。
「ワンちゃん!!!」
「オルグちゃん!?」
「オルグ!!!」
「オルグたん!!」
死ねぬ。吾輩はまだ死ねぬ。まだ、カイトくんに会っていない。彼を家に帰せていない。なにより、ここで死ねば状況が覆せなくなる。マリアが打って出るしかなくなる。それではカリウス達が死んでしまう。
ミゼラが何やら魔法を使い始めた。少しだけ、痛みが引いていく。
「キィ!!」
「バッキー!?」
「まさか!? ダメ!!」
「戻れ、バッキー!!」
「やめて!!」
何を考えている!? バッキ―が飛び立った。まさか、吾輩と同じ事をしようとしているのか!?
「ガォォォォォ!!」
やめるのである、バッキー! 貴様では耐えられぬ。死んでしまうぞ!
「ど、どうしよう……、どうしよう!?」
マリアは泣きそうな声をあげた。カリウス達を守る為には動けぬ。動かなければ、射手は倒せぬ。倒せなければ、バッキーが撃ち抜かれる。
最強の存在であっても、一人で出来る事には限界がある。
だが、吾輩では辿り着く事さえ出来ぬ。他の者では猶更無理だ。
「ガオ……」
故に役割を入れ替える。守る必要が無くなれば、マリアは勝てる。双方の実力を知る吾輩には断言出来る。
問題はどう伝えれば良いかだ。
《『スキル:エアリア・ガード』から、『スキル:ヴォルティクス・ガード』へ派生しました》
青い雷がこの街を取り囲み始める。
「……これはワンちゃんの!?」
「よし! バッキーが雷に驚いて止まったぞ!」
「オレが連れ戻してくる!!」
「ガォ」
吾輩はミリガンを見つめた。
「ワンちゃんまさか……、でも!」
「ガォン!」
信じるのである。半身を抉られはしたが、吾輩は一撃を耐えられた。
防御に専念すれば、貴様に僅かながら攻撃の猶予を与えてやる事が出来る筈である。
「……一秒でいい。多分、それでも十発は飛んでくるよ?」
「ガォン!!」
構わぬ。必ずや、守ってみせる。
「ガォォォォォォォォォォオオオオン!!!」
「マ、マリア! ワンちゃんは何をする気なの!?」
「……わたしの代わりにみんなを守ろうとしてくれてる」
「守ろうって、こんな状態なのに!?」
問題はない。多少だが、動けるようになった。
魔弾の射線に向かう為、大地を蹴ろうとした時、聞き覚えのある電子音が響いた。




