第二十一話『吾輩、嫌いである』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
グランベルで一夜を明かす事になったのである。マリアやカリウス達はすぐに寝てしまった。
静かである。
「ワゥン」
この集落にもカイトくんの痕跡がなかった。
テーブルの上に広げられている地図を見る。さっきまで、カリウス達が次の目的地であるルベリアへのルートを確認する為に使っていたものである。
この地図によれば、最初に吾輩がカイトくんと生活していた森はジュラ・マウンテンという山の山頂にあったようだ。
ジュラ・マウンテンは四大魔境と呼ばれているようだ。危険な魔人や魔獣が蔓延っている為、世界でも屈指の危険地帯とされている。ベリオスは魔境に対するルテシアン連邦国の前線基地に位置付けられているそうだ。
「ワゥ……」
ジュラ・マウンテンの麓にはベリオス以外の集落がない。
カイトくんは山を挟んだ反対方向へ行ってしまったのではないかとも考えていたのだが、ベリオスがある東側以外に人里はまったくなかった。
西側には亡霊の港、風の谷、ブリュート・ナギレスといった地名はあるのだが、そのいずれも人類の領域では無いという。カイトくんを保護した者達は間違いなく人間であった。彼らが西側へ彼を連れて行く事は無かろう。
ならば、どうしてカイトくんの痕跡が見つからないのだろうか?
吾輩の鼻はこの地に来る前よりも格段に利くようになっている。この部屋の匂いを嗅げば、過去にここで寝泊まりした人間の匂いを嗅ぎ分ける事も出来る。一か月や二か月ではない。恐らくは一年以上前に滞在したであろう人間の匂いまで分かった。
「クゥン……」
無数の人間が入り乱れる場所でさえ、これほど正確に嗅ぎ分けられるのならば、匂いの移り変わりが少ない森の中ならばもっと古い匂いさえ感知出来た筈である。
木々の葉が無くなり、夏から冬になったのだと思っていた。
吾輩は一体、何年間眠っていたのだろうか?
「クゥン……」
中央都市に辿り着いた時、そこにも痕跡が無かったらと思うと怖くなって来た。
吾輩、カイトくんに会えるのだろうか?
「どうしたの?」
どうやら、マリアを起こしてしまったようだ。傍に寄って来て、吾輩を抱き上げた。
「哀しいの?」
「ワゥ……」
哀しいのではない。怖いのである。
「ずっと探してるんだよね。テイマーに会いたいんだね」
「ワゥ……」
テイマーではない。カイトくんである。
「元気出してね、ワンちゃん。わたしも一緒に探してあげるから」
「ワゥ」
吾輩、もう眠るのである。
瞼を閉じながら、カフェの扉を叩く吾輩に声を掛けてくれたカイトくんの姿を思い浮かべる。
哀しくて仕方がなかった時に吾輩に手を差し伸べてくれた。一緒にお散歩に出かけてくれた。そのせいで、あの鏡に吸い込まれた。
この地に来て、吾輩は面妖な力を得た。だけど、カイトくんには何もなかった。あの鏡は間違いなく、吾輩を原因としている。カイトくんは吾輩に巻き込まれたのである。
イヤなのである。吾輩のせいでカイトくんが不幸になるのはイヤなのである。
「クゥン……」
会いたいのである。
家に帰してあげたいのである。
それだけが吾輩の生きる意味なのである。
◆
吾輩、グランベルを出た。次はルベリアに向かう。
その道すがら、それはやって来た。
「キィ!」
空から降り立ったのは、以前カリウス達を襲っていた鋼の鳥だった。
おそらく、ドクターが言っていたメタルディザイアのハバキリなのだろう。
「……あの時の」
カリウス達は警戒している。当然である。
《レベルアップ承認。保有経験値:300を消費。レベル10になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:10を消費。『種族:バーニーズ・マウンテン・ドッグ』から、『種族:ストーム・ベルーガー』へエヴォルクします》
吾輩もエヴォルクしておく。やはりと言うべきか、この鋼の鳥からは意思を感じない。これほどまでに虚無な生き物が存在するなど信じ難いのである。
「……とりあえず、ドクターに連絡を入れとくか」
マリアは端末を操作した。
「もしもし、ドクター?」
『おお、マリアか! どうじゃ? ハバキリとは合流出来たか?』
「出来たけど、みんなが警戒心バリバリ」
『なんじゃなんじゃ!? 大丈夫と言ったじゃろうが! 前みたいに暴走などはせんぞ!』
「だってさー」
「そう言われてもー!」
「メタルディザイアはやっぱり怖いです!」
「……やっぱり、返品していい? みんなが怖がってるし」
『なぬ!? 本当に大丈夫なんじゃよ! なんじゃったら、お前さん達の護衛も命じておく!』
「いや、でも……」
「いくら大丈夫って言われてもなぁ……」
「ちょっとなぁ……」
『お主らは冒険者じゃろうが!! ビビっとらんで、むしろワクワクせんかい!!』
「いや、メタルディザイアはちょっと……」
「だって、これって魔獣を改造してるんでしょ?」
「正直、倫理的にも受け入れるのキツいです」
『ぐぅぅ、なんと真っ当な連中じゃ! マリア! こういう者達との繋がりは大切にするのじゃぞ!! それはそれとして、何とか受け入れてくれるようお前さんからも頼んでくれ!!』
「えー……、もう諦めなよ」
『わしの研究の為じゃ!!』
「マッドサイエンティストの研究にはあんまり協力したくないなぁ……」
『正論で殴って来るでない!! ほれ、マリア!!』
「しょうがないなぁ……」
渋々、マリアはカリウス達の説得を始めた。そして、十秒くらいで諦めた。
「無理!」
『じゃあ、勝手について行かせる』
「斬る!」
『斬る度にどんどん送り込む』
「全部斬る!」
『メタルディザイアの集団が大陸を横切る事になるのう。あちらこちらでスタンピードか……、大変じゃなぁ』
「ドクターを斬りに行こうか?」
『ちょっと、ハバキリを受け入れてくれれば済む話じゃ!!』
カリウス達は深々と溜息を零した。
「……分かりましたよ。もう、仕方ないなぁ……」
「あーあー、マッドサイエンティストに協力するのかぁ……」
「はぁ……」
『感じ悪いのう!! そういう態度は良くないと思うんじゃがのう!?』
「仕方ないでしょ。もう、協力してあげるんだからグチグチ言わないの。通信切るからね」
通信を切ると、マリアはやれやれと肩を竦めてハバキリを見た。
「仕方ないね」
「キィ」
鳴いている。それなのに、意思を感じない。本当に気味の悪い存在である。
吾輩、嫌いである。




