第十九話『吾輩、お前達の友である』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
吾輩、マリンシアを出たのである。次に向かう場所は決まっている。
「中央都市まではどのくらいかかるの?」
「そんなに掛からないよ。グランベルとルベリアを超えたら、もうすぐそこだから」
結構掛かりそうである。だけど、今はカリウスについて行くしかない。
中央都市ディオルフォードにはルテシアン連邦国最大の冒険者ギルドというものがあるそうだ。そこで、吾輩を従魔登録しているテイマーとやらを探す事になっている。発案者はカリウスだ。
吾輩、カイトくんと従魔契約とやらを交わした覚えはない。だが、一国の首都となればカイトくんの痕跡が残っている可能性も高い。
それに、吾輩がカイトくんと再会出来るようにと考えを振り絞ってくれたカリウスの心意気を吾輩はとても嬉しく思っている。
「いっそ、飛んで行っちゃう?」
「うーん……」
杖を掲げるミゼラにカリウスは渋い表情を浮かべている。
「やめておこう。この辺りはダリマルスフェルの目撃情報がある」
「殺人鳥か……」
「わたしとワンちゃんが居るし、襲って来るようなら対処出来るけど?」
「それはそれで生態系を乱してしまいそうなので……。スタンピードの時みたいに、ダリマルスフェルが住処を捨てて別の場所に移動してしまうと、その方が不味いんです」
「そこに居ると分かってりゃ、避けられますけどね。居ないと思われていたルートと移動先が被ったら大惨事になっちまう」
「だったら、わたし達もダリマルスフェルの生息域を避けて飛べばいいんじゃないの?」
「空には障害物がない。ダリマルスフェルの索敵範囲が地上に対するものと比べて、すごく広いんだ。そこを避けて飛ぶくらいなら歩いた方がいい。ずっと飛べるのならともかく、途中途中で魔力の回復を待たないといけなくなるからな。リスクばかり増して、大した時短にはならないよ」
カリウスには色々と考えがあるようだ。剣聖も感心している。
「……凄いね。わたし、生態系の事なんて考えた事がなかったわ」
カリウスは苦笑した。
「オレ達は弱いんですよ。自分を守るだけでもいっぱいいっぱいだ。自分以外の者を守ろうとしたら、小賢しくならないといけない」
卑屈な事を言いながら、カリウスは自信に満ちた表情を浮かべていた。
「勇者様や剣聖様には遠く及ばない。だけど、オレ達は冒険者なんです。冒険者の主な任務は魔獣の生息域や生態の観察。その結果を研究者に報告して、研究結果を聞いた国の偉い人達が国としての方針を考える。そうやって、みんなで生きる為に繋いでいく。その最初の一歩を踏み出すのがオレ達なんです。だから、オレ達はよく見るし、よく聞くし、よく考えるようにしています。人間世界をより良くしていきたいから!」
「……そこまで意識高いの、少数派だけどな」
「否定はしないけどね」
熱弁を振るったカリウスにヤザンとミゼラはやれやれと苦笑している。
その反応を見て正気に戻ったのか、カリウスは顔を赤くしながら俯いた。
「わたし、冒険者の事を何も知らなかった」
剣聖は呟いた。
「凄いんだね。みんなが力を合わせて、みんなを守ってる。そういうの、ちょっと羨ましいかも」
「剣聖様……」
「マリアだよ」
「え?」
「剣聖って、別にわたしの名前じゃないもの」
そう言うと、剣聖は吾輩を抱き上げた。背中に押し付けられた彼女の胸の奥からドクンドクンと大きな音が聞こえる。
「マリア・ミリガン。それがわたしの名前なの。みんなには、ちゃんと名前で呼んで欲しい」
「……剣聖様。いや……、マリア様」
「様も要らないよ。だって、とも……だちに様なんて付けないでしょ? 普通」
心臓の音が更に大きくなっていく。剣聖マリア・ミリガンはとても緊張しているようだ。
「オレ達……、そんなに大したものじゃないですよ? 冒険者として、木っ端もいいとこだ」
「……イヤなの?」
「そんな事ない!」
ウダウダ言っているカリウスを押し退けて、ミゼラがマリアの手を取った。
「友達になろ! マリア!」
「……ええ、ミゼラ!」
ミゼラは実に気風が良いのである。
「剣聖様は……」
「マリア!」
「わ、分かったよ。マリアは冒険者と話した事が無かったのですか?」
「敬語!」
「いいだろ、それくらい! いきなりは無理だよ!」
頬を膨らませるミゼラを押し退け、カリウスはマリアを見つめた。
「話した事自体はあるよ? でも、帝国の人間やドクター以外とこんなに長く接したのはいつ振りかな……」
「マリア……」
「まあ、自業自得なんだけどね」
「え?」
「わたしは基本、斬る事しか頭に無い人間なの」
そう呟いた瞬間、マリアは最初に対面した時の剣聖に戻った。
まるで、殺意の塊である。その刃が振るわれれば、たった一振りでさえ、この地の生命は淘汰されるだろう。
それほどまでに隔絶した力の持ち主であると、吾輩の本能が告げている。
「先代や勇者ゼノンと戦った時は楽しかったわ。充実していた。だけど、二人がいなくなった。先代はわたしが剣聖になった日に斬り殺してしまったし、ゼノンは遠い地で勝手に死んだ。ドクターのメタルディザイアはそこそこ楽しめるし、キャロの成長速度はいずれわたしに届く事を予感させてくれて、新たなる勇者も産声を上げている。ちょっと前に斬ったアンデッドにも期待している。だけど、物足りないのよ」
剣聖の深紅の眼は禍々しく輝いている。
「人も魔獣も数え切れないくらい斬って来たけれど、違うのよ。わたしが斬りたいのは、わたしを殺せるほどの相手。だから、いつも乾いて、イライラしちゃう。鬱憤を晴らす為に斬るものばかり探す毎日。だから……」
深く息を吸い込み、剣聖はマリアに戻った。
「今は不思議な気分なの。ワンちゃんがプリティーだからかな? 斬らなくても、心が波立たない」
吾輩は改めてマリアを見た。そこには悩める少女がいた。
その頬をペロペロ舐める。
「わわっ!? ワンちゃん!? たはっ! あははっ! ちょっ、ちょっ! あはははっ!」
疲れたサラリーマンには腹を貸し、悩めるOLにはこうしてペロペロして来た。
人間とは、実はとても単純な生き物なのだ。吾輩がこうするだけで簡単に元気になる。
「ワンワン!」
「……オルグも友達だって言ってるみたいですよ」
言ってない。元気を出せと言った。だが、友になりたくないわけではない。
吾輩のご主人は今生において、ただ一人である。だが、友はいくらいても良い!
「ワンワン!」
「あははっ! ありがっ! っはっはっは!! ちょっ、息できなっはっはっは!」
「マリアばっかりズルい!! わたしにもペロペロしてよ!!」
キレ気味にミゼラが飛び掛かって来た。
「オレをペロペロしてくれ!! オルグたん!!」
ヤザンも飛んで来た。
吾輩は華麗に避けた。
「……とんでもない絵面になってるぞ、ヤザン」
マリアとミゼラとヤザンは地面で絡み合っている。
その光景にカリウスはやれやれと肩を竦めながら吾輩を抱えた。
「ちなみに、オレとも友達になってくれるか? オルグ」
「ワン!」
カリウスの鼻をペロンと舐める。カリウスは嬉しそうに頬を綻ばせた。
吾輩、お前達の友である!




