第十五話『吾輩、反省するのである』
吾輩は犬である。名前はポチという。
「ワン!」
吾輩、肩透かしを食らったのである。
いざ戦おうとした瞬間、獣達は一斉に回れ右をして、森の奥へ去って行ったのだ。
少々モヤモヤするが、やるべき事はやったのである。
「ワゥ」
風の壁を解くと、人間達は相も変わらずに怯えていた。吾輩が怖いのだろう。
立ち去っても良いが、匂いからして、集落はまだ遠いようだ。折角助けた人間がまた襲われては敵わぬ。
「……ワフ」
人間達が落ち着くまで待つとしよう。いずれにしても、剣聖やミゼラがいなければ人間の集落には入り込めないのである。
手段が無ければ強行突破も考えたが、穏便に事を運べる手段があるのならばそれに越した事はない。
「ワオォォォォォォォォン」
みんな、早く来い。吾輩、待っているのである。
「ひっ!?」
「前に出るなよ!」
「お母さん……、怖いよぉ……」
とりあえず、一旦姿を隠すべきかもしれぬ。
《『スキル:スニーク・モード』発動》
《『スキル:ウォール・グリップ』発動》
手近な木の上に登る。人間達は動かない。それで良い。吾輩も少し疲れたのである。
よくよく考えると、剣聖とミゼラの決闘騒動のおかげで餌を食べ損ねている。
音を立てぬように、雷で焼いた獣の肉を一切れ木の上に運び込んだ。美味いのである。
◆
一晩が過ぎた。ミゼラ達の匂いが近付いてくる。眼下の人間達も移動を開始する為の準備を始めていた。
「ワゥ……」
獣達の匂いは遠ざかったままである。吾輩に恐れをなしたのであろう。
少しだけ、悩む。吾輩は何者なのだろうか? もちろん、犬である。だが、姿を変えたり、風や雷を操る犬などいない。
こういう悩みをモラトリアムと言うのだ。昔、ご主人が学生達をよくモラトリアムに悩む若者達と評していた。吾輩、もうお爺ちゃんである筈なのに、身も心も若返ってしまったようだ。
「ワンワン」
ご主人の下へ行く日がいつになる事やら。
少なくとも、今ではない。吾輩、カイトくんを見つけて、彼を家に帰さねばならないのである。
「ワゥ」
人間達が移動を開始した。吾輩も後を追うのである。ミゼラ達の匂いもどんどん近付いて来ている。集落に到達する前には合流出来るだろう。
《『スキル:スニーク・モード』発動》
《『スキル:ウォール・グリップ』発動》
音を立てぬように木々の枝を伝って移動する。
ちょっと楽しいのである。
「ワゥ?」
しばらくすると、人間達の下へ別の人間達がやって来た。
集落から助けが来て、吾輩もお役御免かと思ったのだが、どうにも様子がおかしい。
《『スキル:サウンド・サイト』発動》
『なんだ、お前達は!!』
『おいおい、物騒な物を人に向けるんじゃねーよ』
『抵抗しなけりゃ、楽に殺してやるよ。スタンピードに巻き込まれて、もう満身創痍なんだろぉ? 楽にしてやるよ』
『舐めるなよ、野盗め!!』
『おうおう活きがいいな! 気に入ったぜ。お前は俺様の玩具にしてやるよ。爪や歯を一本一本抜いてやる。そんで、指を一本一本切っていく。安心しろよ。俺様は治癒魔法が使えるんだ。なが~く、愛してやるぜぇ』
『下種め!!』
どうやら、人間同士で敵対しているようだ。
「ワフ」
世話が焼けるのである。
《レベルアップ承認。保有経験値:300を消費。レベル10になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:10を消費。『種族:バーニーズ・マウンテン・ドッグ』から、『種族:ストーム・ベルーガー』へエヴォルクします》
もはや慣れたものである。大きくなった吾輩は人間達の前に降り立った。
「お、お前は!?」
「あの時の……」
「なんだぁ!?」
「ベルーガーだと!?」
折角助けてやったのだ。人間同士で殺し合って全滅など、吾輩が許さぬ。
「ガォォォォォォォォオオオオオオン!!!」
《『スキル:テラー・ハウリング』発動。範囲内の生物に恐怖状態を付与しました》
全員纏めて、眠っているがいい。
一人残らず失神した事を確認すると、吾輩は元に戻った。
「オルグちゃぁぁぁぁぁぁん!!」
しばらくすると、ミゼラが飛んで来た。文字通りの意味である。なんと、空からやって来た。
「会いたかったよぉぉぉぉぉ!!」
離れていたのは一晩程度だった筈であるが、まるで幾星霜もの年月を経ての再開のようである。
ミゼラの後に続いて飛んで来たヤザンも両目から大粒の涙を流していた。冷静なのは、相変わらずカリウスだけのようだ。
「半分は冒険者と貴族の一家か? んで、こっちは野盗か……」
カリウスは難しい表情を浮かべて吾輩を見た。
「少し離れた所に人間や魔獣の死骸が山を築いていたんだが、あれはお前の仕業か?」
「ワンワン!」
獣は吾輩であるが、人間は違うのである。
「……ダメだ。分からない」
伝わっていないようだ。こういう時、もどかしい気分になる。
困った顔でカリウスと見つめ合っていると、剣聖の匂いが近付いて来た。
あっという間に上空へやって来ると、そのまま落ちて来る。
「ワンちゃーん!」
受け止めろとでも言うかのように両手を広げている。
この状態では無理なのである。
《レベルアップ承認。保有経験値:300を消費。レベル10になりました》
《条件達成。エヴォルク承認。保有レベル:10を消費。『種族:バーニーズ・マウンテン・ドッグ』から、『種族:ストーム・ベルーガー』へエヴォルクします》
《『スキル:エアリア』発動》
大きくなって、風で減速させながら背中で受け止める。すると、剣聖は吾輩の背中に全身でくっつき、頬ずりを始めた。
「うわーん!! ワンちゃん、本当に受け止めてくれた!! 好きぃぃぃ!! 大好きぃぃぃ!!」
ちょっとサービスし過ぎた時、こういう事をしてくるお客様がそこそこいたものである。
「剣聖様、ずるい!! わたしも受け止めて欲しかった!! 背中乗りたい!! 全身でモフモフしたーい!!」
そう言って、ミゼラも背中に乗って来た。今の吾輩の背中は人間が二人乗っても余裕があるのである。
「ずるいぞ二人共!! オレもモフらせてぇぇぇぇぇ!!!」
ヤザンはお腹にくっついて来たのである。
「ガゥ?」
カリウスもくっつくであるか?
「……じゃあ、折角なので」
頬に頬ずりして来た。
「ありがとうな。また、人間を守ってくれてさ」
「ガウ」
礼には及ばぬ。吾輩はやりたい事をやっただけなのだ。
「それにしても、スタンピードが起こるとはなぁ」
「ガゥ?」
スタンピード?
「それ、ワンちゃんとわたしのせい……」
「ガゥ?」
吾輩のせい? いきなり、いちゃもんであるか? 振り落とすぞ。
「どういう事ですか? 剣聖様?」
「ワンちゃんがスキルでベリオスの憲兵隊を脅かしたでしょ? その時に森の魔獣達も怯えちゃったのよ」
心当たりがあるのである。吾輩、ちょっと居心地が悪くなって来たのである。
「それでベリオスにはわたしが居たじゃない? だから、魔獣は前後をワンちゃんとわたしに挟まれちゃったわけ。もう、大パニック! スタンピード、スタートってわけね」
「ええー……」
「うわぁ……」
「な、なるほど……」
「ガゥ……」
吾輩、魔獣と人間の死臭が漂う方角を見た。
「ガゥ」
すまなかった。
吾輩、反省するのである。




