006_護衛騎士に説教いたしますわ
クラリーチェは細心の注意を払って、アマリエ王女の部屋のドアを薄く開けた。
慎重に廊下の気配をうかがう。
男の声「今なら」
クラリーチェ「きゃっ」
突然の言葉に、思わず悲鳴が漏れる。
男の声「……今なら、どなたもご覧になっていません」
クラリーチェ「……どうも……」
クラリーチェは素早く部屋を抜け出る。
安堵のため息。部屋から出るところさえ目撃されていなければ、ごまかしようがあるだろう。
男の声「少々、お時間よろしいでしょうか?」
丁寧な口調だが有無を言わせぬ雰囲気で、男が言った。
王女の部屋の前で見張りをしていた男……護衛騎士、カイル・フォルセティだ。
クラリーチェは久しぶりに会った幼なじみに、一瞬、顔を輝かせかけたが、今の自分を思い出して表情を戻した。
カイルも前に会ったときから、ちょっと痩せたようだ。頬がこけている。
カイル「こちらへ」
カイルはクラリーチェを書斎に案内した。
そして「少々お待ちを」とだけ言って、書斎を出て行った。
おそらく、王女の身支度を調える侍女を呼びに行ったのだろう。
ほどなくして、カイルは書斎に戻ってきた。
カイル「お待たせいたしました」
戻るなり、カイルはそう言った。そして、深く頭を下げた。
カイル「クラリオ殿。王女殿下の窮地を救っていただいたこと、深く感謝の意を」
……なんだか、憎まれ口をたたき合ってきた幼なじみが、こうも礼儀正しいとむずがゆい。
クラリーチェ「いいえ、私が失礼を働いてしまったのです」
カイルはじっとクラリーチェの顔を見つめた。思い詰めた表情。
カイル「……少し、話を聞いていただくことは、出来ますか?」
クラリーチェ「いいけど……んんっ……構いませんよ」
クラリーチェは咳払いをして、言い直した。
カイルに対しては、子どものころの口調が出てしまいそうになる。
カイル「王女殿下は今、窮地におられます。
リゼット・コルヴィア嬢という方が、ユリオ王太子の寵愛という威を借り、ご自分の地位を盤石なものにしようとしております」
女性であるアマリエ自身に王位継承権はない。しかし、婿をとればその婿に王位継承権が生まれる。また、有力貴族に嫁ぐ形でも、その貴族は王家の傍流となり、大きく力を増すことになる。
カイル「少し前までは、コルヴィア伯爵家ゆかりの縁談を打診されておりましたが……
王女殿下はとある事件から、コルヴィア伯爵家に強い嫌悪を抱いております」
……わたくしがリゼットに陥れられた事件のことですわね……
クラリーチェは胸の奥がギュッと痛むのを感じた。
カイル「拒否し続けた結果、今では精神的に屈服させようと様々なことを仕掛けられております。
悪い噂を流されたり、侍女に接触を図ってきているフシもございます。
本日も無理に舞踏会を開くこととなり、辱めを受けるところでした。
このまま社交界に復帰すれば何をされるか、分かりません。
……私は王女殿下を守りたいのです。
でも、ひとつも上手く行かない……」
カイルは悔しそうに顔を歪めた。拳を硬く握るが、当然その拳を振るうわけにはいかない。
クラリーチェ「……」
クラリーチェは過去のカイルを思い出した。
足を挫いたクラリーチェを、家まで送り届けてくれたとき。
彼は背中を向けて、「ん……」としか言葉を発しなかった。
それが、おぶってやる、という意味だとクラリーチェが分かるまで、かなりの時間がかかった。
不器用でぶっきらぼうで。
……優しい……
カイル「……私は……
大事な人を守るため、騎士になりました……
でも、誰も守れない……」
クラリーチェはかける言葉が見つからず、カイルの固く握りしめた拳を見ていた。
その拳が、ふっと力が抜けて、緩む。
カイル「……惚れた女も、守れなかった……」
……ん?
カイル「……私には、幼き頃から、密かに思いを寄せる女性がいました」
……んん?
カイル「太陽のように明るく、聡明な女性でした。強引なところもありましたが、根が優しく、そこすらも愛らしかった。
気品があって美しい彼女は、王太子の婚約者に選ばれるほどのお方でした……」
……んんんん!?
カイル「この身に代えてもお守りすると誓い、その方のために騎士を目指しましたが……
なにも出来ないまま、亡くしてしまった……
……愛していたのに……」
クラリーチェ「ちょ、ちょちょちょっ……え?
それ、わた……やめ……」
カイル「クラリオ殿?どうしてそんなに顔を赤くされているのです?」
クラリーチェ「な、なんでもない……です!」
クラリーチェは顔を振った。
幼馴染みからの不意の告白に動揺したが、なんとか息を整える。
クラリーチェ「……大丈夫。落ち着きました」
カイル「……クラリオ殿……?」
様子のおかしい男爵令息に、カイルは怪訝な表情だ。
クラリーチェ「とにかく、私がまず言いたいのは……」
クラリーチェは、一呼吸置いてから、言葉を放った。
クラリーチェ「騎士辞めろ。です」
カイル「なっ……!?」
男爵令息の発言に驚き、カイルは言葉を詰まらせた。
カイル「なにを、バカなことを……」
クラリーチェ「バカなことではありません!
考えてご覧なさい!
騎士という立場で守れるのは、剣を振るってくる相手だけ……
今、王女殿下は何で攻められておりますか!?」
カイル「……」
クラリーチェ「あなたはすぐに騎士を辞めて、執事になるべきなのです!」
カイル「しかし、俺は、剣でしか……」
カイルはひどく混乱していた。
騎士を辞めるなど、考えてもみなかったことだ。
しかし確かに、国際情勢の安定している今のこの国で、剣を握って、なにから守ろうというのだ?
クラリーチェ「カイル・フォルセティ!
次は死んでも守るんじゃなかったの!?」
そう。もう二度と失わないと、そう誓った……
カイル「……わかった……」
クラリーチェ「よし!」
カイルは満足げにうなづく男爵令息を見た。
その表情が、誰かと重なる……
カイルは首を振って、バカげた幻想を振り払った。
カイル「クラリオ殿……
私はこれから執事の仕事を学びます。
しかしそれ以上に、貴族文化に、社交界に詳しくなる必要があります」
クラリーチェ「まさに、その通りです」
カイル「クラリオ殿に、その、稽古をつけていただきたいのです」
稽古をつける。まるで武芸の訓練のような物言いに、クラリーチェは笑みをこぼした。
クラリーチェ「私で良ければ、お力になりましょう」
カイル「……かたじけない……」
幼い頃から志した今の地位を捨てようとしている……今の自分の状況に現実感がなく、フワフワとした心地をカイルは感じていた。
そしてその奥に、明らかにそれとは違う感情が存在している。
喜びと期待がない交ぜになった、それでいて不安も内包しているような、くすぐったいような感情。
それはどうやら、目の前の男爵令息に感じているもので、そして、過去、ずっと抱いていた……
だから、なのかも知れない。
その呼びかけは、あまりに自然で。
カイル「ところでさ、クラリーチェ」
クラリーチェ「なによ?」
思わず返事をして、クラリーチェは口をふさいだ。
カイル「……」
クラリーチェ「な……なにか……?」
カイル「……まさか、お前、クラリーチェ……?
クラリーチェ、なのか……?」
クラリーチェ「ち、ちが……違いますわ!
わたくしはクラリオ、ヴァレンチノじゃなかった、フェルディナンだ。ですわ!」
カイル「……口調、むちゃくちゃになってんぞ?」
クラリーチェ「あー、もう!誰のせいよ!」
突然、カイルに肩をつかまれてぐいっと引き寄せられる。
さすが騎士として鍛練を積んだ身。抵抗をものともせず、クラリーチェを抱きすくめる。
クラリーチェも今は背の低い方ではないが、長身のカイル相手だと首もとに頭がくる。
クラリーチェ「ちょっ、ちょちょ!?」
カイル「……なにがどうなってんのか、全然分かってないけどよ……」
クラリーチェ「ちょ、やめ……はなれて……ねえってば!」
カイル「……良かった……」
ぽたり、と頬にあたたかいしずくを感じて、クラリーチェは抵抗の力をゆるめた。
ひとつ、ため息。
カイル「……クラリーチェ……クラリーチェ……」
肩を震わせるカイルの背中に手を回し、そっと、さする。
クラリーチェ「……違うもん……」
クラリーチェのつぶやきは、きっとカイルに届いていない。