003_男爵くらいがちょうど良いのですわ
使用人ハールは不満を募らせていた。
ハールは男爵家古参の使用人だ。誇り高き貴族にお仕えする栄誉ある仕事と自負している。
しかし、ここ最近は旦那様の道楽のせいで、平民の相手ばかりさせられている。
ハール「次ぃ!」
男爵家の一室。イスにふんぞり返り、ハールは声をあげた。
ハールの今の仕事は、男爵家の養子を選ぶ試験官だ。
貴族の養子を平民から選ぶなど、前代未聞だ。馬鹿げた夢を見た貧乏人どもが次から次へと押し寄せ、ハールは休む間もない。
旦那様の道楽にも困ったものだ。
ハールはため息をついた。
平民に貴族の一員になれる者がいるはずはないのに……
次は、やけに顔の整った青年だ。忌々しい。
クラリーチェ「クラリオと申します。北のユリス村から参りました」
ふん、とハールは鼻を鳴らした。
ユリスという村に覚えはないが、北というだけで分かる。ど田舎の未開人だ。
練習してきたのか、お辞儀だけは様になっている。
ハール「ひどい服だ。そのなんとかという村には、まともな服はないのだな。
もっとマシな服に替えて出直したらどうだ?」
クラリーチェ「おっしゃる通り、村には着飾る余裕はございません。
ですが、ここは今ではなく将来、貴族となる素養がある者を選別する場と心得ます」
こしゃくなことを言うガキだ。
こんな青二才が旦那様の養子になるなど、あってはならないことだ。
机の上に羊皮紙が投げ出される。
ハール「書いて見ろ。自分の名前だ」
町に住む平民ならまだしも、村で暮らす平民で読み書きが出来るような者は少ない。
クラリ-チェは一礼してさらさらと美しい筆跡でクラリオと書いた。
その余裕のある物腰が、ハールには気にくわない。
ハール「では次……俺の名前、ハールと書いてみろ」
自分の名前だけ書ける平民は確かにいる。文字を学ぶ一番最初に練習することが多いからだ。
だが、今初めて聞いた物を書ける平民など……
クラリーチェ「どうぞ」
しかしこの青年は、わずかに迷うそぶりもなく、ハールと書き上げた。
ハールが自分で書くよりも綺麗な筆跡だ。
クラリーチェ「お望みなら、古典詩の一説でも書き記しましょう」
古典詩など一編も知らないハールは、馬鹿にされたような気がして、目をむいた。
ハール「結構だ。
では、向こう壁に立ってあっちに向かって歩いてみろ。気品をもって、だ」
クラリーチェは一礼して、言われたとおり歩いてみせる。
それは堂々としてまっすぐ、まさに気品ある上流家系の歩き方だった。
ハール「ふ……ふん。まるで女のような歩き方だ」
クラリーチェ「もしその女性が淑女であれば、それ以上に気品を感じる歩みはありますまい」
言い返す言葉が浮かばず、ハールは顔を真っ赤にした。
この生意気な青二才を屈服させねば、気が済まない……
ハール「……おい。こっちに来て、俺の前にひざまずけ。そして、俺の靴をなめるんだ」
クラリーチェ「……それは、試験ですか?」
ハール「ああ、そうだ。それが出来ねば失格だ」
クラリーチェは迷いなく答えた。
クラリーチェ「お断りします」
ハール「なんだ、貴族になりたくないのか?」
クラリーチェ「貴族になりたくて恥知らずな真似をする者に、貴族になる資格はございません」
思い通りにならないこの青年に、とうとうハールは怒りをぶちまけた。
ハール「自分には貴族になる資格があると?なんと傲慢な!
お前なんかが、貴族になれるはずがないだろうが!」
初老の男性「……はたして、そうかな?」
その声を聞いて、ハールは真っ青になった。
ハール「ち、ちがうのです。旦那様……これは、その……」
わなわなと震えて、口の中でつぶやくハール。
放心したように、イスから降りて地面に膝をつく。
初老の男性「失礼をしたね。クラリオ……と言ったか。
私はノイアス・フェルディナン。過分にも男爵の位を拝命しておる」
クラリーチェは慌てることなく、優雅なお辞儀をして見せた。
クラリーチェ「お初にお目にかかります。クラリオと申します。
本日はお目にかかれただけでなく、お声まで頂戴するなど、この身に余りある栄誉でございます」
フェルディナン男爵「ほっほっほ。君は本当にすごいな。
今すぐにでも社交界デビュー出来そうだ」
クラリーチェ「恐縮です」
初老の男爵は頬を緩ませた。
フェルディナン男爵「来なさい。これからの相談をしよう」
クラリーチェ「承知いたしました」
フェルディナン男爵「ただその前に……」
男爵の表情が一気に険しく、眼光は厳しくなった。
フェルディナン男爵「ハール!これまでも試験と称し、候補者に無理難題を突きつけていたのか?」
ハール「そ、それは、その……」
フェルディナン男爵「反論するなら、心したまえ。今、私を納得させられないなら、貴様はクビだ」
ハールは今にも泣き出しそうな顔で、口をぱくぱくと動かしたが、言葉は出てこなかった。
クラリーチェ「男爵閣下。わたくしから説明しても?」
フェルディナン男爵「……なんだ」
クラリーチェ「ハール殿は立派に試験を行っておりました。
難題を出してどのような反応をするか、その返しを採点する……そういった試験だったのです」
ハールは思わぬところから助け船を出されて、あっけにとられた顔を見せた。
フェルディナン男爵「……そうなのか?」
ハール「そ、それはもう……まさに……」
ハールは起死回生の状況に顔を輝かせかけたが、すぐに暗い、悲しげな表情に戻った。
ハール「……いいえ、旦那様。そうではありません。
……私はその青年を侮辱する目的で無理を言っておりました。
それなのに、その青年は私を庇おうとしたのです……」
目に涙を溜めてハールは言った。
ハール「……私の最後の仕事となりましたが……
その青年……クラリオは合格となります。
強く推薦いたします。彼は貴族になるべくしてなる人物でございます」
ハールは深々と頭を下げた。涙が、彼の服に水滴の跡を残す。
ハール「……お世話に、なりました……」
男爵は表情を緩めて、ため息をついた。
そして、ハールの背中に手を置いた。
フェルディナン男爵「……これだから、お前のような男は……
これからは、クラリオに仕えたまえ」
ハール「ありがとう……ありがとう、ございます……」
ハールは声をあげて泣き出した。
クラリーチェは涼しい顔をしていた。
が、内心は大混乱だった。
クラリーチェ(え?……反応を見る試験ではありませんでしたの?
名前を書いたり、歩くだけ……?あまりにも、試験が簡単過ぎではありません?)
しかし、なんとか男爵という地位に結びつけて納得した。
男爵とは貴族の中で一番低い、末端の位だ。
王族に次ぐ名家の侯爵令嬢だったクラリーチェにとっては、ともすると平民とそこまで変わらない地位に感じる。
クラリーチェ(まあ、男爵位ならそういうこともあるのですね。
健康的な男性なら誰でも良かったわけですわ。きっと……)
そんなことは全くないのだが、クラリーチェには、もうそうとしか考えられなくなっていた。
クラリーチェ(きっと、男爵になりたい方がいなかったのね。
そうですわね。せめて伯爵でもないと、ご不満ですわよね。
ですがわたくし、これで毎日お風呂に入れるのなら、なんの文句もございませんわ)
クラリーチェは、小さく満足げな笑みを浮かべた。