010_月夜に交わした最後の秘密ですわ
クラリーチェ「ようこそ、おいでくださいました」
リゼットがクラリーチェの屋敷を訪れたのは、月が昇り始め、窓の灯りが道しるべのように灯り始めたころだった。
リゼットの後ろには、護衛も兼ねているのか体躯の大きい執事が2人、かしこまっている。
リゼット「……」
クラリーチェの出迎えを、リゼットは表情を変えずに受けた。
古びた屋敷に少し落胆を感じているようだ。
だが、通された部屋を見てリゼットの表情が輝いた。
リゼット「これ……」
ディープブルー、インディゴ、ターコイズ……
部屋には、幾重にも青いカーテンが垂れ下がり、ろうそくの光に揺れて美しいグラデーションを描いていた。
そしてそこかしこにパールホワイトのチュール。
リゼット「海……?」
クラリーチェ「私とあなたの大切な場なのです。特別な内装にいたしました」
リゼット「……そんな簡単に、あなたを許したりしませんけど……」
リゼットは少し悔しげに、ぼそぼそとつぶやいた。
リゼット「この部屋は……嬉しい……」
クラリーチェ「良かった」
クラリーチェの屈託のない笑顔がまぶしくて、リゼットは目を逸らした。
クラリーチェ「ハール。一杯ずつワインを注いだら、もう下がってくれ」
小太りの執事が2つのグラスに赤ワインを注いだ。ボトルをテーブルに置いて、部屋を出て行く。
リゼット「あなたたちも、部屋の外で待っていなさい」
リゼットも2人の執事に声をかけた。2人は一礼すると、音もなく部屋を退室した。
クラリーチェは、リゼットをソファに座らせ、自身もその隣に腰を下ろした。
クラリーチェ「お飲みになりますか?」
リゼットはじろりとクラリーチェの顔を見た。
クラリーチェ「毒など入っておりませんよ」
クラリーチェはグラスを傾け、一口飲んで見せた。
リゼットは乱暴にクラリーチェが口をつけたグラスを奪い取り、そのグラスから、こくり、と喉を鳴らしてワインを飲んだ。
クラリーチェは苦笑して、リゼットの目の前に用意されたグラスを取った。
クラリーチェ「乾杯、です」
そしてグラスを傾ける。
リゼットは毒殺を恐れているのだ。しかも、ワイン自体だけでなく、グラスに細工がされたのではないかと疑う徹底ぶりだ。
……きっと、ずっとそういう世界の住人だったのだ。
クラリーチェは悲しい気持ちになった。
クラリーチェ「……私たちは、決定的にすれ違い、あなたはそのせいで、大切なものを失った……」
静かに諭すように、クラリーチェは言った。
クラリーチェ「私は考えました。ここから、二人が生きていける方法を」
リゼットは上目遣いにクラリーチェを見た。
クラリーチェ「……秘密を交換しませんか?
お互いに秘密を分かち合って離れがたい間柄になってはどうかと、思ったのです」
リゼット「……わたしの秘密より、あなたの秘密の方が大きいのなら」
クラリーチェは笑みを浮かべた。
クラリーチェ「分かりました。互いの秘密を競わせましょう」
そして、なにかを思い出そうと、宙を見上げる。
クラリーチェ「初めてのパーティでは、意地の悪い令嬢に足を踏まれて泣いてしまいました」
リゼットは思わず吹き出しそうになる。
リゼット「なに、それ……可愛い秘密だこと」
クラリーチェ「まだまだ夜は長いので」
リゼット「わたしは……幼い頃、母の香水を勝手に使って、この世の終わりかってくらい、叱られましたわ……」
クラリーチェ「分かります。私も、母の口紅を……」
リゼット「口紅?」
クラリーチェはせきをしてごまかした。
クラリーチェ「動物が苦手でウサギから逃げたことがあります。
……今でも、出来ることなら会いたくありません」
リゼット「まあ。あんなに可愛らしいのに。
わたしは友人の飼っている犬がうらやましくて、友人の目を盗んでこっそりパンをあげてましたわ」
会話は次第に深まり、些細な秘密が、かすかに重みを帯び始める。
クラリーチェ「フェルディナン男爵家は慣れぬ領地経営で……
今、借金できる相手を探しています」
リゼット「それはそれは。
コルヴィア家もろくなものじゃないのよ。お父様は愛人が多すぎて、口止めにお金を包むなんて日常茶飯事なの。
それから……」
対抗意識を刺激しあい、2人の秘密はエスカレートしていく。
リゼットは、そっとクラリーチェの耳元でささやいた。
リゼット「わたし、本当は妾腹なの」
クラリーチェ「……それは、また、大きな秘密ですね」
リゼット「本家の人間しか知らないわ」
クラリーチェ「……では、私も相応の秘密を……
私はフェルディナン男爵家に養子として引き取られた、元、平民です」
リゼットは目を丸くした。
リゼット「うそ。そんなこと、あるかしら?」
クラリーチェ「秘密にしてください」
リゼット「ふふっ……本当にすごい秘密ね。もしバラされたら、貴族の中でどんな扱いを受けるか……」
クラリーチェ「バラしたら、お母様の香水の話を広めますよ」
リゼット「うふふふ……冗談ばっかり。
わたしに、そんな秘密に見合う秘密があるかしら?」
リゼットはじっとろうそくの火に揺らめく、カーテンの影を見つめた。
リゼット「……わたしの前に、王太子の許嫁だった方……
王女を毒殺しようとして捕まったヴァレンティス家の令嬢がいたのですが……
彼女、冤罪ですわ」
クラリーチェ「……と、いうと?」
リゼット「わたしが、嘘の証言で罪を着せましたの」
少しの間、沈黙が部屋を支配した。
クラリーチェ「……では、私も……とっておきの秘密を明かしましょう」
静けさに溶け出してしまいそうな、クラリーチェの声。
クラリーチェ「私はクラリーチェ・ヴァレンティスです」
リゼット「……なにをおっしゃってますの?
そんな冗談、趣味が悪いわ……」
まっすぐに自分を見つめるクラリーチェの真剣な瞳に気圧されるようにして、リゼットは目を逸らした。
クラリーチェ「冗談ではございません。この身体になる前、わたくしはクラリーチェ・ヴァレンティス
でしたわ。
死を乗り越え、魂がこの身体に宿ったのです。
今でもありありと思い出せますわ。舞踏会の夜、あなたの見下すような目……」
クラリーチェはリゼットの顔に手を伸ばした。
リゼット「……いや、やめて!寄らないで!」
リゼットは、クラリーチェから離れようと身をよじった。ワイングラスが床に落ちて、鋭く儚い音を立てた。
顔を逸らし、リゼットは床の一点を見つめた。呼吸が整わない。
リゼット「もう……たくさんよ!わたしの物になろうとしないなら……
やっぱりあなたには、わたしに乱暴したことになってもらうわ!
もう一度あなたを牢獄送ってあげる!」
リゼットはクラリーチェを突き飛ばそうとしたが、クラリーチェは身じろぎもしない。
クラリーチェから離れようと立ち上がったリゼットは、しかし数歩後じさってよろめき、床にへたり込んだ。
そのままの姿勢で、クラリーチェに噛みつきそうな顔を向けた。
リゼット「ここでの話をしても無駄よ!わたしの全てを使って握りつぶして見せますわ!
誰も……誰も、あなたの言葉など信じるものですか!」
ユリオ「……では……」
リゼットは目を見開いた。
そんな馬鹿な、こんなところにいるはずがーー
ユリオ「余の言葉なら、どうであろうな」
ユリオ王太子が、青いカーテンの奥から、姿を現した。




