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第1話 初筮は告ぐ。一番最初が肝心よ。

改稿版です。一話ごとの文字数は多めです。

中国古代のオカルトを当時の常識に即して謎を追求し解決するミステリー仕立て、春夏秋冬の連作です。

中華ファンタジーミステリー感覚でお気軽にお楽しみください。

 重い呪いの念に巻き付けられながら、士匄(しかい)は地に押さえつけられていた。視線の先には、返り血を浴びた宰相と切り落とされた父の首である。


嗣子(しし)(げつ)にて」


 士匄は強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。押さえつけてくるのが人なのかそうでないのか、わからぬ。ぎ、と喉奥から呻くように奇声をあげた。


 刖とは脚を斬る欠損刑である。


「う、嘘でしょう、あ、」


 あまりの惨劇を目の当たりにし、趙武(ちょうぶ)が引きつった声で叫んだ。


 士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら


「がああああああああああああああああっ」


 全て落ち、


「うそ、うそです、なに、こ、れ」


 響きわたる士匄の叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえ――……




 恐るべき呪いの惨劇が起きる、数日前――士匄は内心うんざりしていた。


 つまらん話が舞い込んできやがった……


 士匄(しかい)は、不敵な笑みで心の裡を隠し、わざと大仰なしぐさで口を開いた。

 ――つまらん話が舞い込んできやがった……


 士匄(しかい)は、うんざりした顔を不敵な笑みで隠し、わざと大仰なしぐさで口を開いた。


「いやあこれまた父上も面白いことを仰る。わたしに、わざわざ! 新たな(ゆう)を受け取りに行け。と?」


 二十代半ば、整った顔にどこか野性味を漂わせた青年である。その笑みはからかいまじりで、父親に対して無礼極まりない。


 黄砂を連れた強い風が外で舞っている。庭には桃の花がほころんでいたが、砂を避けるように主人の邸は扉を固く閉じていた。


 士匄は大夫(たいふ)と呼ばれる貴族である。しかも、大国・晋の大貴族の令息であった。すべらかな絹の衣を大仰にさばき、不遜にも父親の言葉に問い返す。


 父親である士燮は目元をぴくりと動かしながら、低く唸るように改めて命じた。


(しゅう)の貴き大夫の方がぜひに、と強くおっしゃった。家格として卑しい我らを信頼してのこと、嗣子(しし)として公族大夫として、(ゆう)を引き継ぐ儀を行うよう」


 士爕(ししょう)の言葉に士匄は口を歪ませた。士氏(しし)に領地が増えるのは良い。公族大夫すなわち大臣令息としておおいに喜ばしい。しかし。


 自分が行くのはめんどくさい! 


 我の強い若者である、ありありと顔に出てしまった。


 厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。


「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。邑ひとつ、家宰(かさい)にでも任せてしまえばよろしいではないですか。だいたい父上は、この邑の引き取りを断っておられた。周人(しゅうひと)のあからさまな賄賂でしょう。父上はそういったことが大嫌いではないですか」


 堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。


 親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。なおかつ、場所が遠いからわざわざ行きたくないという本音を隠そうともしない。


「匄。私は常に言っている。戒めを持て、常に慎みを思え、苦難に耐え、祖を尊べ。それがなんだ。親の命に頷かぬ。次に家長が決めたことにケチをつける。最後に親の真意を勝手に推測する。そのような振舞いは終わりよくない。………汝は我が家を滅ぼす気か」


「父上に付して具申の願いと、ご挨拶いたしましたまで」


 士匄が深々と、しかしわざとらしく拝礼する。常識家かつ厳格な士燮は、怒りのあまりめまいを起こしかけたが、何とか持ち直した。


 持ち前の忍耐力と自制心を発揮して士燮は怒声をおしこめる。静かに重い声で


(なんじ)が知る必要はない」


 と返した。


 士匄の言うとおり、この邑は大国の(けい)――すなわち大臣である士爕――に、周の貴族が個人的な繋がりを求め渡された賄賂である。


 形骸化した周王朝の貴族が西方の軍事大国、晋によしみを結ぼうと近づいてきたわけだ。


 確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。


「父上。わたしは嗣子(しし)としてこの(ゆう)を受け取りにいくのです。これが他意なきものか、賄賂かくらいはきちんと父上に伺うは必要ではございませんか」


 流れるような所作で拝礼する様も、顔を上げてまっすぐ視線を合わせる怜悧な表情も、士燮すら思わず見惚れるほどの完璧な嗣子ぶりだった。朗々と正論を語り、清々しいほどである。


 が。口を挟む隙を与えないのも士匄である。


「わたしは無知蒙昧、出来の悪い嗣子だ。もしどなたかに尋ねられたなら『父上が弱腰にも周の貴族ごときの押し売りに負け、まぬけにも賄賂と気づかずしょうもない邑を喜んでいただきました』などと、妄言吐きかねません。不孝な息子をお許しください」


 はっきり言って、父親に殴られると分かった上で甘えきった憎まれ口である。


 当然なされた殴打を素直に受けた後、士匄は何事もなかったかのように姿勢を正した。そうすると、貴公子然となるのだから、始末が悪い。


 士燮はため息を付いた。士匄の言う通りである。周の貴族からむりやり押し付けられた賄賂であった。


「私は断った。我らは()に長じ(けい)の家となったが、それ以上に法制の家である。このような些細なことでも歪みかねん」


 そう。士爕は敢然と断ったのである。慎み深く私欲の無さが有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが晋公(しんこう)ではなく卿の己にである。


「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」


 士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。 


 士の一族は正道を歩み欲が無い。しかし、きっちり領地は広げている。


 本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋は質実剛健な国でこの手のいやらしさがない。


 何度も粘られているうちに、士爕は折れた。


「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。(かい)、私の無様を教訓として汝は同じ過ちを犯すな。二度と来るなと最初に強く出るべきであった」


 士燮が首を振りながら嘆いた後、士匄をひたりと見据えて戒めの言葉を紡ぐ。


「無い腹を探られかねん。我が君と卿たちはなんとか上手くいっているのだ。汝もこころえよ。針一本の穴が堤防を壊し氾濫を起こす。それがまつりごとというものだ。我らが乱すことなどあってはならん」


 今、晋に問題はないが、小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあるのだ。


 それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。


 とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ


 と、士匄は国都より離れた邑を見た。空が黄砂で汚れ、強い風が衣をはためかせる。うんざりした士匄は舌打ちをした。


「このようなこと、家宰(かさい)にでもまかせればよいのだ。父上は律儀すぎる」


 が、邑の門を抜け歓待されたあたりで考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族とコネを作るチャンスでもあった。


 士爕が心底嫌がった発想である。


 力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。


 付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。


 しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。


 引き渡しの()に待ち受けていたのは、邑宰(ゆうさい)と持ち主の貴族本人であった。


 邑の外で作られた祭儀場で周の貴族は仰々しく邑の来歴を読み上げていく。土地の登記事項であり、やたら国名やら人名が出てくるが気にしなくていい。


「この度は我が(ゆう)(まつ)りをお引き受けいただくことお許しいただき、光栄でございます。この地は虞舜(ぐしゅん)の前は開かれておらず、()の世から商殷(しょういん)まで()氏が治めておりました。我ら(しゅう)建国の際に同族の武王に献じられ、私どもの家にはその後下賜されたもの。常に姫性(きせい)統治のものでございましたが、士氏(しし)へお世話をお願いしたい所存でございます」


 貴族が儀に則って生け贄である羊の血を唇に塗って言った。そうして、同じ文言が書かれた竹簡を渡してくる。言わば土地の登記事項証明書である。


 士匄(しかい)も同じように唇に血を塗って口を開く。こちらは自家の来歴で、契約時のお約束みたいなものだ。現代人なら役所で戸籍謄本を出せば終わるものでる。


「この度、邑の祀りを承り恐悦至極に存じます。わたしの祖は(ぎょう)にて王の同族、祁姓(きせい)陶唐(とうとう)氏であり、()の世をそのまま、夏の世には御龍(ぎょりょう)氏となり、商にて豕韋(しい)氏、周にて唐杜(とうと)氏でございました。周より晋へ渡り士氏を名乗り范邑(はんゆう)を頂いておりますので(はん)家を称しております。祁姓の我らに大切な姫姓の邑を治めること祀ることお任せいただき我が祖と共に喜びとし務めて参ります」


 互いの祖を文字と言葉で確かめ合い、天へ約定を(ちか)う。まさに土地所有権取得の契約書。竹簡を渡し、互いに儀に則った動作で礼をすると、証の玉璧を生け贄と共に埋めようとした。


 その時である。


「ここは、我が地である!」


 みすぼらしく、ぼろのような衣服を纏った男が分け入ってきて、叫んだ。


 よくよく見れば染めていない麻衣(あさころも)で断ち切りのみの素衣素冠(そいそかん)、いわゆる喪服であり、葬式帰りに路頭にでも迷ったのか、といいたくなるような風体であった。


 年の頃はわからない。老人のようにも見え、疲れ果てた壮年のようにも思えた。


「このものは」


 士匄はするどい声で聞いた。周の貴族は困惑した顔をする。


「時々来てはこのようなことを叫ぶ狂人です。我らもほとほと困っている。邑人(ゆうひと)どもも、迷惑をしているのだ」


 軽く目配せすると、士匄は傍に控えている己の家臣に


「斬れ」


 と端的に言った。家臣どもは逡巡せずにみなでなで斬った。


 男はあっさりと斬られた。薄汚れた麻衣に血が広がっていく。


 そこからの士匄は常軌を逸していた。その死骸を邑の外へ持ちだそうとした家臣どもに


「生け贄と一緒に放り込め」


 と言ったのである。神聖な儀に不浄不祥な狂人の死体など、と家臣たちもさすがに抗弁し、周人たちも息を飲んだ。


 業を煮やした士匄は、その汚らしい死体を奪い引きずりながら運ぶと、坑の中に蹴り落とした。どう、と底に落ちた死体の上に生け贄を降ろさせ、玉璧を置く。みなドン引きしていたが、士匄は全く気にしない。


「古来、人の贄こそが最も(ちか)い確かになり祖への祀りとなる。この男は己が地と叫んでいた。つまりわたしが治める地を差し出しに来たと言うことだ。吉兆となるであろうよ」


 鼻を鳴らし、埋められていく地を見ながら士匄は嘯いた。その声音は自信と傲岸に満ちている。


「士氏の嗣子はなんというか……《《果敢》》なようで……」


 周人が蒼白な顔で言った。笑みをつくろうとして失敗した引きつった顔だった。後ろに控えた邑宰は蒼白を通り越して土気色の顔色である。新たな主君は非常識かつ苛烈だと思えば気も重くなるだろう。


 家臣どもも蒼白になりその様子を伺った。これはさすがに、主である士爕に言上せねばならぬであろう、とも思った。


「父上には言うな。あの方は少々心配性。めんどくさい」


 士匄はだれた仕草をしながら家臣たちを睨み付ける。


 この嗣子(しし)は彼なりのルールを持っている。それは常識的にも法制としても正しいこともあれば、意味のわからぬこともある。


 ただ、彼のルールから逸脱した者は


 法を犯した


 と責められ、下手すれば罰をくらう。


 結局、この自儘な嗣子の前に、家臣たちは黙るしかなかった。その様子を見た士匄が傲慢な仕草をしたかといえば、そうでもない。


「しかし、お前たちの働きは良き。素早く、鮮やかであった。今日は邑にて宴席であるが、おまえ達も侍って良い。思う存分肉を食え」


 心底労る顔で、士匄は家臣どもへ無邪気に笑んだ。


 彼らは下役であり、肉などめったにありつけぬ。お心遣いありがとうございます、と丁寧に、喜色を隠さず拝礼した。


 士匄は傲岸であるが、傲慢ではない。このようなところで、妙なかわいげがあった。


 さて、宴席もその際の儀礼も省略する。士匄はこの周の貴族に個人的な友誼を結ぶと――半ば強引にせまったのである――無事役目を終えて帰った。


 帰る最中、ぼろ服の男を斬った家臣どもが川に落ちたり落石で潰されたり食中毒で死んだりとしたが、士匄は運が悪い奴らだなあ、という程度で何も思わなかった。


人が死ぬにつれ少々の瘴気も漂い、()――今で言う霊が漂っていても、士匄は意に介さなかった。この青年は霊感が強い。子供の頃から敏感すぎて、磁石が砂鉄を吸い寄せるように通りすがりの霊が取り憑いていく。その苦しさに倒れる日々もあったが、今やすっかり慣れ、人の死にまつわる瘴気が身を包もうとも、霊がまとわりついてこようとも、こういったことが日常茶飯事であった。


 ゆえに、己には関係ないと、強い自信をもって思い込んだ。恐ろしいほどの自己肯定と楽観主義である。


 そもそも死んだのは運の悪い下僕どもある。彼らは士燮の部下である。つまり、父への不詳であろう。士匄は勝手にそう断じたのだ。


 ゆえになんだかんだと父を尊敬する士匄は不詳を祓うよう薦めた。


 士匄にとって、まあめんどくさい仕事が終わって一段落、であったが、数日経って体が重い、頭が痛い、などの症状が出だした。理由は明白であった。


「今日も、祓え」


 士氏に仕える巫覡(ふげき)が頷き、夜明け前から祝詞(のりと)をあげる。日本における厄払いや除霊と同じで、士匄に憑いていた()が祓われた。


「このところ、毎日ではございませぬか。体質とはいえ、何か不祥なことをなされたのでは」


 呆れた顔をする巫覡に士匄は不快をあらわにする。


「知らん」


「以前、妙な女性につきまとわれ呪われかけましたよね、変に手を出されるから……」


「あれは! 事なきを得たろうが!」


 バツの悪さを怒鳴って誤魔化す士匄に壮年の巫覡は深いため息をついた。


「人はもちろんですが、山神河神などは石を潰されてもお怒りになることもある。いや、本当にこれは中々無いほどの吸い込みっぷりです。本当に心当たりないとは……」


 言われ、士匄は考えるが心当たりがない。実際、最近の士匄は磁石どころかブラックホール並に霊を呼び寄せ霊障の憂き目にあっている。


「わからん。続くようなら先達に相談もしよう。とりあえず出る。父より後に出仕すれば、殴られかねん」


 年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。


 子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。


 士匄は、それは正しいながらも少々堅苦しいと思いながら、首をコキコキと鳴らしたあと、うんざりした顔で家を出た。


 巫覡はその後ろ姿に、歪んだ澱みを見て、眉を顰めた。それは霊障でも瘴気でもない。そして悪意でもない。


「――執着……? 若君は今度は何を《《たぶらかしたのか》》……」


 頭抱え、巫覡はため息をついた。あの様子ならまた取り憑かれながら帰ってくる。清めの準備をしなければならなかった。


 若い大夫(たいふ)の控え室に来た士匄を見て、憐れみ少々蔑んだ顔をしたのは、後輩の趙武(ちょうぶ)である。その姿は美しい少女のように(たお)やかで衣に潰されそうな細さであったが、きっちり成人男性であり、趙氏(ちょうし)(おさ)でもあった。父が早世しているのである。


 今、士匄は趙武を教導する立場となり、二人で行動することが多い。


「ちょっと。范叔(はんしゅく)、あまり寄ってほしくないんですが。今日もですか? なんですか、そのぼやっとした()を背負って。その、とても不浄で凶のかたまりのような状況なのですが」


 范叔とは士匄の字である。それはともかく、士匄は憑いた雑霊を手で祓う仕草をしながら、


「祓っては憑いてくる。これでも道すがらかなりどけたのだ。宮城に入ればさすがに増えぬが、これ以上落ちん」


 最も早く控えていた(かん)氏の嗣子、韓無忌(かんむき)が、入口に控えている寺人(じじん)に向かって声をかける。寺人は巫覡を呼ぶためすっ飛んでいった。


 ここ数日、士匄は異様な数の雑多な幽霊に取り憑かれる毎日である。元々、憑かれやすい体質であるため、いつものことと当初は軽く見ていたが、こうも多く寄ってくるのは異常であった。


 さほど霊感はない趙武や韓無忌にもわかるほどである。まあ、この時代はこのような超常現象が多数記録されており、何の作用かわかることも多かったようだ。


「何か心当たりは無いのですか? 対処療法に祓うだけでは意味がありません。きちんと原因を究明したほうが良いです。私も見ていて不快です」


 見た目によらず、趙武ははっきりと言った。これは趙武が非礼無遠慮というわけではない。そのくらい、士匄の状況が周囲にも迷惑なのである。


 凶に触れれば凶になる。それが古代の考え方でもある。今であれば凶悪な感染症を振りまくに等しい。


「知らん。はっきり言おう。呪われる心当たりなど、多すぎてわからん。呪うようなものどもは卑しくたいがい逆恨みをする。我が家、わたし含めそのようなことはあるであろう。全く! ()()()()()()()()()()()()()知らんが、しつこい。……いや私を呪い殺そうというなら、見つけ出して手足をもぎ、戦勝の贄として晒してやる」


 士匄は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。


 控室に、士匄がおもちゃにしている間抜けな荀偃(じゅんえん)、そして現正卿(せいけい)いわば内閣総理大臣ご令息の欒黶(らんえん)がやってくる。全五名。ここは卿の嗣子、公族大夫(こうぞくたいふ)と呼ばれる若者たちの学び舎なのだ。


 士匄は立ち上がると、幼馴染でもある欒黶の腕を素早くつかみ


欒伯(らんぱく)。このあと、わたしの邸に来ぬか。お前と弓を競いたい」


 と少し食い気味に言った。欒黶、(あざな)は欒伯はあまり頭はよろしくないが、だからといって鈍いというわけではない。


「なんだ。また憑かれまくっているのか」


 宮城と自邸を往き来するだけで変なものが寄ってきているのか、という問いである。士匄は図星をつかれ、苦い顔をしながら頷いた。


「お前といると、寄ってこないからな。いいなあ、お前は! 泥のような空気の中でもピンピンしているからな!」


「そりゃあ、俺の人徳というものだ、(なんじ)とは違う」


 人徳という言葉からほど遠い、甘やかされて育ったぼんぼんが(うそぶ)いた。


 欒黶は士匄と真逆の、全く憑かれない男であり、もっと言えば強運の人間である。士匄は運が悪いわけでは無いが、凶を呼び寄せれば多少その日の卦も悪い。他の者も士匄ほどではないが、何かしらの怪異に会わぬわけでもない。が、欒黶は違う。雑多な幽霊怪異などはじき飛ばし、不祥漂う空気も全く気づかない。


 そうして他者を守る、などがあればよかったが、雑多な霊ていどならともかく、凶悪極まり無い場など共にいれば、欒黶以外が倒れるはめになる。日常でも非日常でも、空気を全く読まぬ男であった。


 二人は父どころか祖父も卿であり、それぞれ才や真面目さで代々人望があるのだが、息子二人に重厚さも真面目さも見受けられぬ。さて。彼らがこの大国を治められるかはともかく、目下の問題は士匄がやたら霊に憑かれたり寄られる最近である。


「まじないをしても祓っても憑いてくる。祟りか呪いか知らんが、何故わたしだけだ。わたしだけ辛いのは許せん、みな同じように苦しむべきだろう」


 欒黶に後ろから覆い被さるように体重を預けその頭に顎を乗せながら口を尖らせた。士匄は背が高い。欒黶はそこそこ低い。子供の頃からの慣れか欒黶は文句を言わぬ。


「みなが苦しんでも俺は関係ないから、まあ好きにそんな祝詞でも作ってろ」


 うるせえ、と士匄は返し、席に着いた 




 さて。読者のかたはお察しであろう。原因は先日の、冒涜的ともいえる儀式である。が、この真相に彼らが気づくまで、しばしお待ち頂きたい。

改稿前は無理やりぶった切って3000文字区切りにしてましたが、作風として4000文字〜1万文字くらいないと逆にダラダラして読みづらいので、デフォルトでお送りします。

以前より専門用語や古典的引用を減らしました。

オカルトミステリーとして楽しんでほしいです。

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