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アイドルじゃない君に恋をした

作者: 大崎真

入店を知らせる音が鳴り、目をやると、午後十時だというのに学生らしき女の子が一人で店内に入ってきた。


ここは原宿にほど近い、高級マンションが建ち並ぶ一角にあるコンビニだ。俺は三年ほど前から大学に通いながら、ここでバイトをやっていた。翌日に大学が休みの時は、こうして深夜バイトも入れていた。


店内に客は一人もいなかった。

彼女は俺と目があって微かに会釈すると、そのまま、奥の飲み物コーナーへ行った。しばらく品定めをして、二本のアルコール缶を持つと、レジにいる俺のところへやってきた。どういうわけか、少し緊張している空気があった。

初めて買うのか。いや、もしかして、未成年か?


「身分証、見せて下さい」

「え……」

「年齢確認したいんで、念のため」

「あ、はい……」


おずおずと差し出された免許証を見て、


(平成十七年……だから、二十歳だよな)


俺は気になったので、もう一度、言った。


「マスクとってもらっていいですか?」

「あ、はい……」


おずおずと下ろされたマスクに、俺は免許証の顔写真と見比べて、


「ありがとうございます。画面にタッチしてもらっていいですか?」


と言って作業を続けた。

彼女はマスクを付け直すと、商品を手に足早に去っていった。

朝晩がまだ冷え込む春先のことだった。






それから彼女とは、週二くらいの頻度で会った。必ずマスクを付けていた。


決まってアルコール缶を手に、俺にレジを頼んだ。レジが二つ稼働していて俺とは別のレジがあいてしまった時は、「お先にどうぞ」と後ろの人に譲るくらい徹底していた。

二人の間に特に会話はなかった。


俺が品出しをしていた時は、


「すいません、これいいですか?」


と、アルコール缶をわざわざ見せてきた。免許証を出さずに済む奴を見つけた感が凄かった。

いつもは、ほろよいやバー・ポームムやウメッシュだったが、その日は彼女らしくないビール缶も入っていた。思わず、


「カレシさんのですか?」


と聞いてみると、ぶんぶんと首を横に振って、


「ついでに買うのを頼まれただけです」


と、教えてくれた。

会計を済ませてコンビニを出ると、駐車場に停められた車に乗り込んで、運転席の男にビール缶を渡していた。スーツ姿の男が受け取っている。


(どう考えてもカレシじゃん。……あ、片想い中なのか)


俺は心の中で納得した。






いつものように彼女がやってきた。

今日はアルコール缶を買わないらしく、俺のところへは来なかった。スナック菓子を手に並んでいたが、柄の悪そうな男性に横入りされて困惑している。後ろを振り返り、誰も並んでいないことを確認すると、黙って男性の後ろに並んでいた。注意をする様子もない。


(私の後ろは誰もいないし、私だけ我慢すればいっか)


そう考えているのが分かった。

俺は彼女の持っているスナック菓子を取ると、稼働していなかったレジをあけて精算した。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


という会話だけを交わした。






コンビニ前のゴミ箱が溢れ返っていた。地面にもゴミが派手に散乱している。


(誰だよ、もう)


と思いながら掃き掃除をしていると、小さい子供がコンビニから出てきた。後ろを気にしていない客がドアを開けた時に、一緒に出てきてしまったようだ。このままだと車に轢かれてしまう。

駐車場へ走りだそうとする子供を、俺は急いで抱き上げた。


「すいませんっ、ありがとうございます」


お母さんらしき人が慌てて店から出てきた。どうやら会計中だったらしい。会計が終わるまで抱っこして待ってますと言い、その後、無事にお母さんに子供を引き渡した。

またゴミの掃き掃除を再開していると、


「忙しそうですね」


と、彼女がいつの間にか立っていた。


「忙しいですよ」


と、俺は掃きながら返した。


「いいことをしますね」


と、言うので、


「掃くのはバイトだからですよ」


と、俺は返した。そして、


「お酒ですか? 掃き終わるから、ちょっと待ってて」


と言うと、彼女は、


「はい!」


と、思いのほか、嬉しそうに答えた。


「……待たないといけないのに嬉しそうですね」

「なぜか嬉しくなりました。おいくつですか?」

「二十二です」

「二つ違いだ。敬語はなしでいいですよ?」

「それは年上の俺が言う台詞ですよ?」

「お客様の言う台詞ですよ?」

「…………」

「では、敬語はありでいくんですね……?」


マスク越しでも分かるほど、あからさまにしょんぼりした顔をする彼女に、俺はこう言うしかなかった。


「……敬語はなしでいいよ」

「やった!」


パッと顔を輝かせた彼女に、俺は嫌な気持ちにはならなかった。なぜか一気に距離が縮まった気がする。人の懐に入るのが上手だなぁと思う。

俺にはないものを持っている彼女に、俺は羨ましくなった。






それ以来、彼女と話すようになった。品出ししたり、割引シールを貼っている時に隣へやってきた。


話す会話は大した内容ではない。彼女は、ようやくスイカゲームをやり始めたとか、ちいかわが可愛いしおもしろいとか。俺は、天皇賞(春)の話や歴代のレガシィの話をした。


ある日のことだった。店内のモップ掛けをしながら、いつものように彼女と話していると、機械の前で戸惑っている来店客に気付いた。

彼女に手をかざして、


「ごめん、ちょっと待って」


と会話を遮ると、来店客に操作を教えにいく。また戻ると、彼女は同じ場所できちんと待っていた。なぜか、ニコニコしている。


「なんで笑ってんの?」

「困ってる人をすぐに助けるなぁと。私にだけ親切なんじゃなくて誰に対しても親切なんだなぁと」

「……そんな特別なことをしたわけじゃないよ。バイトだからだよ」

「会話をしながらなのに、よく気付いたなぁと。働いてるなぁと」

「バスケ部でポイントガードだったから視野は広いよ」

「バスケ部だったんだぁ」


彼女は少し声を張って言った。その口調は、俺のことを知ったことに喜んでいるニュアンスがあった。


気のせいか? 誰に対してもそうなのか? ただ、勘違いをしてしまいそうになる。


それからも、彼女はコンビニへやってきては、本当にどうでもいい話ばかりしていた。

お互いに共通するような話題はなかったが、それなのに、なぜか不思議と会話は続いた。お互いに無理することなく、一緒にいても自然な感じがした。二人でいると、その場は居心地がいい空間になった。どういうわけか、彼女に対しては全く緊張しない。


人見知りの俺が他人に、ましてや女性に対して落ち着けるなんて、彼女が生まれて初めての人だった。






ある日、ようやく実のある会話になった。彼女から切り出してくれた。

コンビニ前のゴミ箱の袋を換えている時だった。


「名前は何て言うの? 大学生?」

山崎翔真やまざきしょうま。大学四年。そっちは?」

井上遥奈いのうえはるな。私はもう働いてるのよ」


遥奈は自慢げに言った。


「何の仕事をしてるんだ?」


聞いた俺に、遥奈は迷った末にこう言った。


「う~ん……内緒」

「なんで?」

「多分、そのうち分かるよ」

「なんだそれ?」

「いいからいいから。あ、来た」


駐車場に、いつもの車が停車した。運転席には、いつものスーツ姿の男がいる。

遥奈は、「またね」と言うと、さっさと助手席に乗り込んで行ってしまった。排気ガスの臭いが、キツく俺の鼻についた。


ゴミ箱の横に立ったまま、なぜか、本当になぜか無性に惨めな気持ちになった。今までこんな感情が湧いてくることなんてなかったのに。


俺たちは一体何なんだろう。これは一体どういう関係なんだろう。なぜ、俺に話しかけてくるんだ。


そう思うと、俺はもやもやした。

大学のどんな研究や課題よりも、俺には遥かに解けない難題だった。






陳列棚にパンを並べていると、彼女がそばに立っていた。めぼしいパンを選んでいる。


「オススメある?」


と聞かれ、俺はパンを差し出した。


「新発売のこれ。結構、おいしくて俺は好きだな。菓子パンなら、これが好き」

「アイドルのキャラとコラボしてるパンだ」


言われて初めて気が付いた。確かに商品の包装にキャラクターが描かれている。パンしか見ていなかったので、キャラクターのことは言われるまでなんとも思わなかった。


「翔真くんはアイドル好きなの?」

「いや、このパンが好きなだけで、特にこのアイドルは知らないな」

「アイドルとか俳優さんには興味ないの?」

「そうだな……あんまり芸能人とか知らないな。テレビも最近、観てないし」

「そうなんだ。じゃあ、アイドルに推し活とかしたことない?」

「アイドルに推し活とか考えられないな。アイドルと恋愛なんかできるわけないんだし」

「…………」

「恋愛するなら、アイドルじゃなくて現実の女の子がいいな」


品出ししながら答えたが、遥奈の返事が返ってこない。

不思議に思って目をやると――遥奈は泣いていた。

そのまま何も言わずに去っていった。


俺は呆然とした。俺としては喜んでくれるものかと思っていたのに、どういうことだ? 見間違い?


次回に聞こうと思ったが、それ以降、遥奈はパタリと来なくなった。


最初は、忙しいんだろうなくらいに思っていたが、別の便利なコンビニでも見つけたんだろうなと思い直し、更には、やっぱり泣いていたのか? 俺、なんか傷つけるようなこと言ったっけ? と不思議に思っていた。


その夜、ようやく理由が判明した。

珍しく家族揃って晩ごはんを食べながらテレビを観ていたら、画面いっぱいに遥奈が映し出された。

俺は思いっきりお茶を吹き出した。


「汚いわね~っ」

「お兄ちゃん、なにしてんのよ~っ」

「翔真、お茶が飛んだこの辺は、責任を持ってお前が食べなさい」


家族全員に叱責されても、俺はそれどころではなかった。


テレビに映し出されていたのは音楽番組で、数組の出演者が雛壇に座っていた。どうやら遥奈はグループの一員らしく、グループの代表として司会者と話していた。


「こ、これ誰だ?」

「これ? はるみんじゃん」

「……ハ、ハルミン? C13H12N2Oのハルミン?」

「なに言ってんの? 池田遥美いけだはるみではるみん」

「インドール構造とピリジン環を持つ三環式のβ-カルボリンアルカロイドに属するハルミンの方なら俺は知ってる」

「違うよ。はるみんを知らないの? そんな人いるんだ。センター五回目だよ」

「……いや、知らないな」

「大学でわけ分かんない実験したり化学式とか覚えてないで、こういう世間一般のことも幅広く知っておいたほうがいいよ。今日もなんかわけ分かんない実験のこと言ってたじゃん。えっと……カリウムなんとか……」

「カリウムミョウバンと鉄アンモニウムミョウバンの合成の実験」

「わけ分かんないよ。それより、お兄ちゃん、アイドルに興味あんの~? 意外~っ」

「そんなんじゃない」


俺は即座に否定した。が、すぐに心の中で更に否定した。

いや、そんなんじゃない、こともない。


司会者に笑って答える彼女は、確かに遥奈だった。普段はマスク越しだが、笑顔の目の形も、仕草も、歌う準備のために立ち上がって歩く姿も遥奈だ。なにより、最初に会った時にマスクを下ろした時の顔だ。

薄紫の膝下のドレスを着ている。綺麗だったが、俺といる時のような、リラックスした感じが全くなかった。


池田遥美……。はるみん……。全然、知らない……。

名前も違う。芸名を使っているのか。


ようやく分かった。遥奈が俺にレジを頼みたがっていたわけが。

アイドルだと知られずにアルコール飲料を買えるからだった。俺は店員で彼女は客。それ以上でも以下でもなかった。最初の頃は。あの時までは――


泣いていた。泣かせてしまった。


思い返してみて、ようやく思い当たった。


(アイドルとか興味ないと言ってしまった……。推し活なんて考えられないとまで言ってしまった……)


遥奈からしたら、遠回しに嫌いだと言われているようなものだ。こっちはそんなつもりで言ったわけじゃなかったのに。


謝りたい。どうすればいいんだ。居場所なんか知らない。


よく考えたら、俺は遥奈とあんなに話していたのに、とりとめのないくだらない、どうでもいい話ばかりしていた。それだけで充分楽しかったし、話す内容なんかどうでも良かった。話していたかっただけだった。


だが、遥奈のことを何一つ聞こうとしなかったことに、俺は心底、後悔した。もっと遥奈のことを知っておけば良かった。


そう思った瞬間――

気付いてしまった。俺は遥奈に惹かれていたことに。いなくなってから気付くとか遅すぎるだろ。


俺の中で、今まで感じたこともない、言い様のない淋しさと後悔が募った。






夕方、綺麗な夕日がコンビニを茜色に照らしていた。客足もひいたので、新しいのぼり旗を設置していると、


「忙しそうだね」


と、遥奈の声がした。急いで振り向くと、遥奈が立っていた。三週間ぶりくらいだ。マスクで表情は読めないが、泣いていないことと怒っていないことは分かる。

遥奈に会えたことに、俺は思わずほっとした。


「もう……来ないのかと思った」

「……忙しかったから」

「そっか、なら良かった。嫌われたのかと思った」

「どうして?」

「俺がアイドルに興味ないとか、推し活なんて考えられないって言ったから、俺のことが嫌になって来なくなったのかと……」


遥奈は慌てたように、首を横に振ってくれた。


「そんなんじゃないっ。あなたのことを嫌いになんてならないっ」

「そっか、それなら良かった。ごめん。君がアイドルだったなんて知らなくて」

「さすがに気付いたでしょ?」

「気付くに決まってるだろ」


のぼり旗には、『推しスイーツ新発売!』の文字と遥奈の顔が印刷されていた。

ふふっ、と遥奈はいたずらっぽく笑った。


「しばらく来れなかったのは、本当に忙しかったの。マネージャーに頼んで、仕事を増やしてもらってたの。知ってるでしょ? いつもの運転してくれてる人」


車の中で待っているスーツ姿の男性を思い出し、


(あれはマネージャーだったのか)


と、俺は納得した。


「どうして急に仕事を増やしたんだ?」

「だって翔真くん、全然、気付いてくれないから。だから、私に気付いてほしかったの」

「ああ……なるほど」

「もっと頑張って、もっともっと有名になって、翔真くんを驚かせたかったの。驚いた?」

「驚いた」


ふふ、成功した、と遥奈は柔らかく笑った。


「今日、来たのは確認したかったの。私のことどう思うのかなって……アイドルは興味ないって言ってたし、どう思うのかなって……。あ、テレビの私はまだ観てない?」

「観たよ。昨日も観た。番宣してた」

「観てくれたんだ。どうだった? 好きになってくれた? それとも、やっぱりアイドルの私は興味ない?」

「好きは好きだけど……」

「……なに?」

「君が言う『好き』は、ファンとしてか?」

「…………」

「俺は君を見て、ファンになりたいとは思わない。カレシになりたい」


俺の言葉に、遥奈の目から涙が流れ出した。

どっちの涙なんだろう。怖かったが、遥奈の気持ちを知りたい。俺はどうしても確かめたかった。


「他の人は知らないけど、俺にとって遥奈はアイドルじゃなくて現実の人だ。ファンになってほしいんだったら、俺には無理だ。俺の『好き』は独占欲があるやつだから、みんなと一緒じゃなくて、俺だけ遥奈に愛されたい」

「…………」

「俺は、ファンのみんなと一緒に君を応援なんてできないよ。悪いけど、君のファンにはなれない」

「…………」

「俺に何になってほしいんだ? ファンか? カレシか?」


すると遥奈は、テレビの時とは違って、顔をくしゃくしゃにして泣きながら、俺の胸に抱き付いて言った。


「カレシ!」

読んでくださって、ありがとうございました。

アイドルの設定に意味を持たせるために、『好き』の種類を確認する内容にしてみました。

でも、翔真は優しい奴なので、遥奈のファンとカレシの二足のわらじでいくと思います。

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