エリナ女王伝
クリスは目の前の古びた建物を見上げた。町の外れにあるこの頑丈なレンガ造りの家は、つる草で覆われていて、壁に無造作に打ち付けてある看板もつる草をはらってようやく読めるほどだった。『エメラルディア・クィーン・カンパニー』――太い殴り書きの文字で、そう書かれてある。そして、大きな文字の下に小さく『モンスター討伐、財宝運輸、要人護衛、何でもあれ! どんな仕事でも請け負います!』と書かれてある。
「何があっても、『クィーン・カンパニー』って所だけには行くなよ!」
友人が言っていたそんな言葉が、脳裏に浮かぶ。クリスは息を吸った。もう、ここしか残ってないんだ。ここにしなきゃだめなんだ。そう自分に言い聞かせながら、クリスは鉄製の頑丈な扉にノックをした。
しばらく、静かに時が流れる。空を見上げると、雲を散らしながら配達屋の魔女が大きい箒に乗って飛んでいる。周りには木が茂っているだけだ。遠くで鶏が朝でもないのに鳴いている。鶏の声は空に響き渡り、消えていった。
いきなり、扉がサッと開いた。そこには、クリスの父ほどの歳の、奇抜な髪型の男が立っていた。丸い眼鏡をかけた背の高い頑丈そうな男だ。無精ひげを撫でながら男は言った。
「いらっしゃい・・・・・・何か用でしょうか?」
クリスは答えた。「あの・・・・・・エメラルディア国政のものでクリス・ゴールドというんですが、依頼をしたいと思って・・・・・・」
途端に、男の顔に光が宿り、男は背筋を伸ばしてにかっと笑った。「依頼ですか! いやいや、どうもどうも! どうぞ中に入ってください!」心の底から喜んでいるのが伺えた。
クリスは言われるがままに建物の中に入った。中は薄暗く、広い部屋に年代物の大きなテーブルを囲むように横長いベンチのようなものが置いてあった。椅子に囲まれたテーブルの上には、金貨とトランプが散らばっている。賭けトランプでもしていたのだろうか。奥の方の椅子には金髪の若い男が座っていた。
若い男はクリスを見て嬉しそうに飛び上がった。「おお、ルーク、まさか依頼か!?」何故か小声だった。
「ああそうだアトラス、依頼人だ!」ルークという男は、またしても小声で答えた。「さぁ、おかけになってください」ルークはクリスに言った。
「粗大ゴミから拾ってきたんですけど、結構すわり心地いいですよ?」アトラスは言った。
ルークはアトラスに黙ってろと言った。
アトラスはクリスの対面に座り、小声で話を始めた。「では、具体的に依頼というのは・・・・・・?」
それより、何で小声なんですか? とクリスは訊きたかったが、とりあえず話をはじめることにした。「エメラルド山脈ってのはご存知ですよね」
「はい・・・・・・」ルークは言った。「ここから八町、歩いて十日ほどのところの山脈ですね」
「そこに、今多くの屈強な山賊が巣食い、エメラルディアという砦を築き、悪事を働いているのも知ってます」アトラスは付け加えた。
「なら話は早いです!」クリスは言った。「あの山賊たちと、平和交渉をするために私は国王から派遣されました。しかしエメラルディアまでの道のりはとても険しく国の大軍では進めません。それに着く前に山賊に気付かれて警戒されてしまっては交渉もうまくいきません。ですけど、恥ずかしながら私は武術には長けていないので、道中モンスターに襲われたりしないように護衛が必要なのです。それで、私と一緒に着てくれる少数の護衛を雇うために都内のなんでも屋・用心棒・ギルドをあたってたのです。しかしどこも引き受けてくれなくて・・・・・・あなたたちに頼みに来たのです」
「ほう!」ルークは呟いた。「・・・・・・是非やらせてもらいたいですね」
「卑しい話になるが」アトラスは言った。「報酬はいくらなんだ?」
「さぁ・・・・・・」クリスは首をかしげた。「でも、国王が直々に払いたいといってました」
「おっしゃ! よし、じゃ早速行くぞ! 『あの人』が帰ってくる前に・・・・・・」アトラスは言った。
「ああ、『あの人』が来ると面倒になるからな・・・・・・では、早速出発しましょう!」ルークは既に荷物をまとめはじめていた。
「『あの人』って・・・・・・?」クリスがそう訊き始めた瞬間、入り口の鉄製の扉が飛んできて、アトラスを吹っ飛ばした。驚いて扉のあったところを見ると、そこには足を高く上げた、クリスと同い年ぐらいの、背は低めの息をのんでしまうほどの美少女が立っていた。外の日光で透ける長い朱色の髪の毛は大きな新緑の瞳と激しく対を成していたが、違和感はなかった。
「ちょっと!」少女は力強く大声で怒鳴った。「あんたたち何あたしを置いていこうとしてるの! まったく、全部聞こえてんのよ」
「しまった・・・・・・大声を出してしまった、一生の不覚・・・・・・」アトラスは顔を地面に落とした。
「何てことをするんですか! 大変ですよ! すぐ治療しなければ!」クリスは慌てて言った。
「大丈夫よ、こいつはこんなことじゃくたばらないわ」少女は言った。「アトラス、起きなさい!」少女はアトラスに歩み寄った。
「すみません!」アトラスは飛び上がった。
「サッサと旅の準備をしなさい!」少女は痛そうにしているアトラスと眉をしかめているルークに向かって吠えた。二人は言われたとおりにした。
少女はクリスに近寄って、クリスの目を見た。人形のような、うっとりしてしまうほど綺麗な顔だったが、強気な眼差しはクリスの目を射抜いているようだった。「ふーん」少女は言った。「あんたが今回の依頼主ね・・・・・・」
「あ、はじめまして・・・・・・」クリスは威圧感に耐えながらも言いかけた。
「さっさと荷造りしなさいよ! 何ぼうっと突っ立ってんのよ!」少女は耳が痛いほどの大声で怒鳴った。
クリスは逆らえなかった。
「さーて」数時間後に、その少女は言った。「これで荷物はそろったわね。じゃ、行くわよ!」
ルークとアトラス、そして何故かクリスまでもが重い荷物を抱えて出発することになった。少女は軽装で、荷物といっても腰元に鞭を一本提げただけだった。
倒れそうなほど重い荷物を負いながら、クリスはルークに訊いた。「あの・・・・・・あの人は一体・・・・・・」
ルークはため息をした。「『クィーン・カンパニー』の店長、エリナ・クィーンです。あなたにはすまないが、荷物は持ったままにしていただきたい。彼女だけには逆らっちゃいけないんですよ・・・・・・」
クリスはこの人たちの絶対的な力関係を掬すことができたような気がして、先が心配になった。
『クィーン・カンパニー』は金がないため、旅行の手段も徒歩だった。クリスも持ち合わせがなかったため、一緒に歩くことになった。五日目あたりからエメラルド山脈の樹海に入り、食料調達などは自分でやらなくてはならなくなった。勿論ルークとアトラスが食料を調達することにいつもなる。だが彼らはどんなハードな任務でもこなしてきたというなんでも屋。食料調達など、簡単なほうだと話していた。。クリスはといえば、途中でルークやアトラスに荷物を負担してもらったりしたが、旅を始めて七日目ごろについに疲労で倒れてしまった。
「なによ、なさけないわね!」
と、エリナは寝かされてるクリスを見て言った。「それでも男なの!?」
エリナ自身は、とても元気だった。ルークとアトラスも疲れてはいないようだった。この人達は化け物なんじゃないかとクリスは思った。
クリスは道中、『クィーン・カンパニー』の三人について色んな話を聞いた。ルークはもとは外国の軍で魔法師範として腕を鳴らしていた大魔道師だったという。だが、色々と事情があって今はエリナのもとにいなくてはならなくなったのだそうだ。
アトラスは王国の剣術大会で優勝したところエリナに目をつけられ、半ば強引な手で『クィーン・カンパニー』に入れられたのだと言った。
だが、二人ともエリナのもとで働いていくうちにエリナ・クィーンを制限なしに世界に解き放つのは危険だ、と悟り、自分は『クィーン・カンパニー』にいなくてはと思うようになったらしい。そのような話を聞いて、クリスはエリナ・クィーンの性格と恐ろしさが少し伺えたような気がした。そして、伺わないほうがよかったと思った。
エリナ・クィーン自身はと言うと、どこぞの国の名家の『科負い比丘尼』――つまり、本家のお嬢さんの罪を代わりに背負う女――だったが、あるときとても大きな罪を背負わされたため国を追われ、幼い頃一人でこの国に逃亡して来たらしい。それから一人で、自分の力で生きてきたことが、今の性格につながっているのかもしれないとアトラスはエリナに聞こえないようにクリスに呟いた。
しかし、エリナの先頭を歩くエリナの方から鞭が伸びてきてアトラスの顔を弾いた。
「じ、地獄耳・・・・・・」アトラスはそう言いながら倒れた。しかしルークとエリナは構わず歩き続けた。ルークによると、いつものことですから、なのだそうだ。
八日目の夜に、食料が切れた。
しかし、日も暮れていたのであまり遠くへ行くのは危険だった。しかたなく、食料なしで夜を過ごすことになった。
「ったく、何を考えてんのよ! ちゃんと食料の計算ぐらいしておきなさいよね! だからあんたたちはいつまでたっても・・・・・・」エリナは叱るように言い始めた。それはあなたが軽装で来たからです、とクリスは言うに言えなかった。
突然、エリナの背後の地中から巨大な生物が物凄い速さでエリナに飛び掛ってきた。エリナは後ろを見もせず、素早く鞭を抜き謎の動物を目にも留まらぬ速さで鞭で縛り上げた。
「何よ、これ」エリナは大人の男ぐらいの大きさの生き物を見て言った。
ルークは眼鏡を動かしていった。「これは・・・・・・この地方特有のるモグラの一種ですね。『トガリネズミ』です。すこし巨大なようですが・・・・・・」
「食べられるの?」エリナは言った。
「はい?」
「だから、食べられるのかって訊いてるのよ」
「さぁ・・・・・・何しろ滅多につかまらないほど速くて凶暴な生き物なので、食料になるかどうかはわかってません。毒があるかもしれませんね」
「じゃ食べなさい」
「?」
「食べなさいよ! 食料が足りないんだから。毒見よ、毒見!」エリナは『毒』を強調して言った。「しょーがないでしょ! あんたたちが食料を充分もってこなかったんだから!」
いや、それはあなたが軽装で来たからです、とエリナ以外の全員が心の中で突っ込むのがクリスは聞こえたような気がした。
幸い、トガリネズミに毒はなく、一行は死者を出さずに進むことができた。そして、ついに十日目に、一行は山賊の砦、エメラルディアが見えるところまで来ていた。切り立った崖に挟まれた一つの谷しか、砦に行く道はないようだ。こんなところを通ったら袋叩きなのでは・・・・・とクリスは心配になってエリナの表情を伺った。しかし、エリナの顔は自信で満ち溢れていた。
「さーて、いよいよね・・・・・・」エリナは言った。
「そうですね・・・・・・」クリスは答えた。
「山賊退治!」エリナは自信満々に言い放った。
「なっ!?」エリナ・クィーンのまさかの発言にクリスはびっくりし、転びそうになった。
アトラスとルークは「やれやれ・・・・・・」とでも言いたそうな顔だった。
「ちょっと待ってくださいよ!」クリスは体勢を整えて言った。「山賊と交渉しに来たんですよ! こんな少人数で山賊相手に戦うことなんて出来るわけないでしょう!」
ルークがクリスの肩に手を置いた。クリスが振り向くと、ルークは言った。「すみませんが、もう任務は諦めてください・・・・・この人が言い出したらもう聞きません。絶対に」
クリスが気絶しそうになると同時に、エリナはとてもよく響く声で叫んだ。
「山賊!!!! 出て来なさい!!!」
「ぎゃあああああ!!! 山賊を呼んじゃったよこの人!」
クリスが転び終わらぬうちに、とてつもない数の山賊が砦から出てきて、あっというまに谷を埋め尽くした。そして、波となりクリス達のほうに向かってきた。
ルークは杖を取り出し、アトラスは剣を抜き、エリナは鞭を取り出して戦いの構えに入った。クリスは何をしていいかわからず、とりあえず立ち上がった。
ルークが杖を振ると、山賊たちの最前線の前の土が突然青白く光り、大爆発を起こした。
アトラスが剣を振ると、鎌居達か真空波か何かで谷の両端の崖の岩もろとも山賊たちの身体が斬られた。
どっちの攻撃も、どういう原理なんだろう・・・・・・そんなことを思いながらも、クリスは矢や飛んでくる火の玉を避けるので精一杯で戦いに参加することは出来なかった。
エリナは、地面に強く鞭を打ちつけ、その反動で一気に跳んだ。山賊たちが矢を撃っても届かない高さを飛び、一気に谷の反対側の敵が少ないところまで飛んだ。そして、虚をつかれた山賊たちを背後から目にも留まらぬ鞭さばきで吹き飛ばした。エリナはそのまま砦の中にスキップしながら入った。
「あっ!? 自分だけ先に入っちゃいましたよ!?」クリスは言った。「ハァ、ハァ・・・・・・・どうするんですか残りの敵は! メチャクチャじゃないですか!」
「今更何を言ってるんだ! あれがエリナさんだ! 慣れるしかないぜ相棒!」アトラスは光速の剣で次々と敵を薙ぎ倒しながら吠えた。
「ハァ、ハァ・・・・・・相棒って何なんですか!? 僕はあなたたちと残る気はないですよー!?」クリスは矢などの流れ弾を必死に避けながら大声で叫んだ。
「それがそうはいきませんよ、クリスさん!! あなたの依頼を受けたってことは、あなたは彼女に気に入られてる!」ルークは杖先から巨大な稲妻を放ちながら言った。大爆発が起き、山賊が落ち葉のように舞った。
突然、戦いの轟音の中でもくっきり聞こえる、強引なほど大きい声が響いた。
「みんなーっ! 注目!!!」
山賊たちまでもがその声を聞き、動きを止めた。山賊たち、ルーク、アトラス、それにクリスは声の主の方向を見た。
エリナだ。砦の正面の一番見晴らしのよい四階ほどのところのバルコニーで、山賊たちのリーダー格らしき人物の顔を片足で踏み、立っている。
え!? もうあんなところにいるの!?!? さっき砦の入り口から入ったんじゃなかったっけ!? とクリスは思った。
「この砦は今からこのエリナ・クィーンのものよ!」エリナは言った。「そしてあんたたちはあたしの奴隷! わかった!?」
その声には不思議な強さと、説得力、あと逆らったらたぶん殺されるだろうと思わせる殺気があり、山賊たちは呆然としたまま反論もできず立ち尽くしていた。戦場は小鳥の鳴き声が聞こえるほど静まり返った。
「返事は!?」エリナは叫んだ。
エリナは踏み台のリーダーから降りて、元・首領を鞭で打った。元・首領は嬉しそうな悲鳴を上げた。戦っていた山賊たちも少し痛そうな、興味深いような表情をした。ああ、変態なんだ、この人たち・・・・・・クリスはなんだか何もかもがバカバカしくなってきた。
「返事はどうしたの、あんたたち!!!」エリナは言った。
「はい!!!」統率の取れた軍隊のように、山賊たちが一斉に返事をした。
「よーし、これでエメラルディアは今からあたしの城ね!」
「はい!!!」
まぁ何にしろ結局山賊の問題は片付いたからいいか、とクリスは思った。
エリナは続けて言った。「エメラルディアの新リーダーは勿論あたし! 副首領達はそこのルークとアトラス! そして、城の運営係は・・・・・・クリス!」
「えええええええええええっっ!?!?!?!?」クリスは大声をあげずにはいられなかった。
「あたりまえでしょ!」エリナは言った。「いいからあたしの言うとおりにしなさい! 逃げたりしたら承知しないわよ!!!」エリナはまた鞭を強く打ち、ピシャリという音を立てた。
「ああ、さっきルークさんとアトラスさんたちが僕のことを 『相棒』とか言ってたのは、こういうことか・・・・・・」クリスは思った。「逃げたら多分殺されるんだろうな・・・・・・」
クリスは帰りたくなった。すごく。自分に山賊との交渉を命令した国王が恨めしくなってきた。クリスは笑顔で空を見上げた。目からは涙がこぼれていた。
お願いですから、帰っちゃダメですか・・・・・・?
クリスの切ない願いは、エメラルディアの空に虚しく響き渡り、消えていった。
この作品は、毎週小説を書くという友達とやっている「合間を縫って小説家」という非公式クラブ的なもので書いた作品です。今回の課題として与えられたジャンルは「ハイ・ファンタジー」と「クラシック」、そして入れるべきキーワードは「科負い比丘尼」「トガリネズミ」「掬す」の三つでした。故にところどころ非常用非日常的語句が混ざってますが、あしからず。