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100キロ令嬢の華麗なる変身

作者: 土風 り子

「お前とは婚約破棄だ、シャーロット・ロゼ!」


 その整った顔を怒りで歪めながら、応接室の机に拳を叩きつけて彼は叫んだ。




「…………っ、理由をお聞かせ願えますか」


「そんなの分かりきったことだろうが!お前がシードル公爵家の次期当主である俺の妻として不適格だからだ」


「…………」


 それはそうだ、と納得してしまった私がいた。ロゼ侯爵家の長女である私は、曲がりなりにもたくさんの努力を重ねた。内政やシードル公爵家の歴史、シードル家と関わりのある各地の地理など、頭に入れた知識の量は数知れず。それでも、明確に私が公爵家の妻として至らない点が一つあった。


 月に一度の婚約者の会合。着ているドレスは人気のデザイナーに特注で頼んだとっておきだ。上品なクリーム色の生地に、真珠のボタン。控えめにあしらわれたフリルが目にも楽しいそのドレスは──みちみちと音を立て、今にも破れそうだった。




 私の体重は、ゆうに100キロを超えている。


 原因は不明だった。物心がついた頃には同年代の平均よりもはるかに太っていて、それを気にした私は、私を甘やかそうとする両親を跳ね除け魔術省で騎士になることを目標としている兄と同じトレーニングを受けたり、食生活にはかなり気を遣いバランスの取れたメニューを取るように心がけた。


 婚約者が彼──ヴィクトル・シードルに決まったのは七歳の時だった。彼は王国随一の名家の息子であり、私を溺愛する両親が取り付けてきた婚約だ。公爵家と侯爵家、家柄の釣り合いも取れていることが決め手だった。


 私はその頃には既に運動や食事によるダイエットの効果が出ないことを焦っていて、当日ヴィクトル様に会うのが嫌で仕方がなかった。こんなのでは嫌われてしまうわ、と鏡を見て泣いたのが懐かしい。


 そして当日、ヴィクトル様の『こんなデブ嫌だ!』という絶叫によりその嫌な予感が的中する。ずっとコンプレックスに思っていた体型が本気で煩わしくなり、三日ほど食事を抜いて倒れたのはその時だ。


 子供の頃から共に育っている侍女のサラが心配し、目覚めた後は半ば無理やりたくさんの料理を食べさせられたのも忘れられない。サラに悪気はなかっただろうが、更に体重が増えたあの時は本気で悲しかった。


 そんなこんなで18歳の今になっての婚約破棄だ。よく考えれば、彼はよく8年も我慢したものだ。そして、私も。彼の顔を合わせるたびの舌打ちや暴言によく耐えただろう。自分が幸せになれると思って待ってきた婚約話で不幸せになっているなんて、両親には到底言えなかった。


「異論はあるか?あるとは言わせないが」


「……ございません」


「なら、さっさと帰れ……いや、その前に、俺の新しい婚約者を紹介しよう。入ってくれ」


 婚約者の紹介なんて、嫌だわ、それなら早く帰りたい──そう考えていた私は、応接室の扉から入ってきた人物を見て目を見開いた。


「サラ……!?」


「俺の新しい婚約者のサラだ」


「こんにちは、お嬢様」


 朝だって普通に私の身支度をしてくれたはずのサラが、そこにいる。どんな辛いダイエットも侍女であり親友のような存在だった彼女が支えてくれたと、ずっとそう思っていたのに。


「彼女は俺にシャーロットの家での様子を全て教えてくれたのだ」


「家での、様子……?」


「お嬢様、本日は紅茶しかお飲みにならなくて大丈夫なのですか?いつものクリームたっぷりのスコーンも、ジャムクッキーも、ケーキも、全て用意できなくて申し訳ございません」


「侯爵家の娘にも関わらず暴食を繰り返し、あろうことか要望の菓子を持ってこないとサラに手を上げたそうだな」


 愕然としたままサラを見る。悲しそうに顔を伏せる彼女は、一瞬だけ私の方を見た。その目には、嘲るような暗い光が宿る──嵌められた。そう気づいた時には、もう遅かった。


「サラは幸い子爵家の出身だ。家格に問題があるならば縁戚の伯爵家にでも養子に行かせてから嫁げば良い」


「嬉しいですわ、ヴィクトル様」


 金糸のような髪をきらめかせるヴィクトル様と、いつもの侍女服にひっつめ頭ではなく、美しいドレスにふわりと茶髪を靡かせたサラは、素晴らしくお似合いだった。婚約破棄を宣言された時に堪えていた涙が、とうとう溢れる。


「泣くな、醜い」


「……ごめ、なさ、」


「さっさと帰れ」


「お嬢様、出口はあちらですよ」


 侍女だった時と同じように扉を開けられる。この扉をくぐった時、私は親友と婚約者を失ったのだった。





「……シャーロット、大丈夫か」


「……お兄様」


 婚約破棄から一週間後。遠慮がちに部屋に入ってきた兄を見て、私はぐず、と鼻を鳴らしながら答える。兄──ジークフリート・ロゼは困ったようにベッドで寝ている自分の方に向き直った。


「大変だったな」


「……はい」


 兄は魔術省に所属するエリート騎士だ。この世界では男性のみが魔術を使うことができる。学者の研究によると魔術を使うための器官が男性にしか備わっていないことが理由らしい。魔術省では魔術に関する研究や魔道具の開発、騎士の育成などを行っている。


「それで、だな。シャーロット。実は……縁談が来ている」


「お兄様に?」


「いや、その……シャーロットにだ」


「え?」


 100キロ越え、婚約破棄の瑕疵つきの令嬢に?いくら侯爵家と言えどもあり得ないだろうに。私が信じられない思いでいると、兄は小さく笑った。


「信じられない、という顔か」


「だって……」


「同い年で、魔術省の俺の友人だ。研究部の変わり者なんだが、根はいい奴だ。断ってもいいと言われているから、一度会わないか?」


「……どんな方なんですか?」


 兄が急に口をつぐむ。その反応に私は少し怖くなった。兄も両親も、私を不幸にしたくて縁談を持ってくるはずがないのだが、ヴィクトル様という前例もあるのだ。


「……変わり者なんだ、本当に」


「その、どのように」


「研究バカだ」


「研究、バカ」


「魔術研究が得意なんだが、先天的に魔力が少ないせいでしょっちゅう倒れてる」


「え?あの、それ……え?魔力枯渇ってものすごく危険な状況と聞いたことがあるのですが……」


「毎回枯渇一歩手前まで行っている」


「……大丈夫です?その方」


「うーん……」


 兄と一緒に首を傾げる。私に求婚してきた、というのも謎が深い。


「どうして私に?」


「……聞いたんだが、本人にまず伝えたいと言って聞かなくてな」


「は、はあ……お名前はなんと言うのですか?」


「ハルト・エールだ。十年前に魔法を生み出して最年少で叙爵された少年を覚えているか?」


「……ああ、あのお方」


「そいつだ」


「……そんな凄い方がなぜ私に」


 当時の夜会には出た記憶がある。しかし、当時から既にヴィクトル様に嫌われていた私は一人ぼっちで城の外の庭に置いていかれたから、どんな方かは知らないのだ。


「とりあえず、会うだけ会ってほしい。本当に、悪い奴ではないし断っても全く問題はない。家は俺が継ぐし、ずっと居てもいいんだからな」


「それは、リンシャお義姉(ねえ)様に申し訳ないですわ」


 リンシャ・ラム様は伯爵家の出身で、隣の領地に住んでいる。私たち兄妹とは幼馴染で仲が良く、自然とお兄様との婚約が決まった。お義姉様が20になる来年に兄との結婚式を行い、ロゼ家へと嫁ぐ予定なのだ。


「いや、リンシャとシャーロットなら大した問題にはならないだろう。だから、本当に何をしてもいいんだ。父上も母上もそう言っている」


「お父様と、お母様が……」


 ヴィクトル様に対して大層怒っていたお父様とお母様は、同時に婚約者を選んだ自分たちの見る目の無さを悔いているという。ほとんど会話もなく一週間部屋に閉じこもっているので、直接話したわけではない。兄や他の侍女──サラに代わって信頼できる親戚筋から雇った──曰く、申し訳ないと仕切りに泣き暮れているお母様と、それを慰めつつも普段よりも大幅に口数が減っているお父様という状況らしい。見かねた兄が縁談を持ち帰ってくるのも納得だった。


「……分かりました、お会いします」


「早速なんだが明日でも構わないか?」


「大丈夫です」


 ふと鏡に映った自分の体型を見る。一週間もの間辛くて何も喉を通らなかったのに、一切痩せていなかった。明日会うハルト・エール様にもすぐに愛想を尽かされるのだろうか、と。悲観的な想像が浮かんだが、口には出せなかった。





 応接室に座る。鏡を見ると、泣き暮れていたからかいつにもまして顔がむくんでいるせいで、ピンクトパーズの瞳は完全に埋もれていた。こんな顔か、と相変わらず落ち込みそうになるが、なんとか顔を上げる。


「お嬢様、ハルト・エール様がいらっしゃいました。ジークフリート様が応接室にお通しします」


「そう、ありがとうね」


 新しく侍女となったミナは、ロゼ家の遠縁の娘だ。サラと比べると口数が少なく、サラとかつて築いていた親友のような関係になる未来は想像できない。しかし私の髪を結ったり服を着せたりするその手つきからは確かな丁寧さが伝わってきて、一週間という短い時間ながら実直な彼女を少しずつ信頼し始めていた。


「あの、お嬢様」


「どうしたの?」


「本日の髪型、どう、でしょうか……」


「髪型?」


 そう言われてもう一度鏡を覗き込む。いつものハーフアップだと思っていたが、よく見るとドレスの色と同じ細いリボンが細かく編み込まれていて、ミルクティー色の髪は緩くウェーブを描いていた。


「あら、すごい。ミナは手先がとても器用なのね」


「はい、昔から母や姉妹の髪結をしておりまして」


「まあ、素敵」


「いつも決まった髪型だと伺っていたのですが、お嬢様の髪がお綺麗だったので……余計なことをしていたらすみません」


「っ、余計なんてとんでもないわ。ありがとう」


 髪が綺麗、なんて。容姿について褒められることなんて人生で初めてかもしれない。思わず言葉に詰まったが、なんとか答えることが出来た。これからハルト様とお会いするのに、少し泣きそうだった。


 扉からノックの音がする。私が慌てて「はい」と返事をすると、扉が開いた。そこに立っていたのは、お兄様と、黒髪の男性だった。まず目を引くのは、紫色の瞳だった。光の少ないその瞳には、吸い込まれるような不思議な印象がある。そして、私と正反対の体型である。失礼ながら、今倒れてもおかしくないようなレベルで細い。


「初めまして、シャーロット・ロゼ様。ハルト・エールと申します。子爵位を賜っておりますりよろしくお願いいたします」


「よろしくお願いいたします。シャーロット・ロゼです。ロゼ侯爵家の令嬢です。お座りくださいませ」


 彼は失礼します、とかすれた声で言って座る。やはり少し体調が悪そうだった。


「本日はお日柄もよく……」


「は、い」


 窓の外からはざあざあと土砂降りの音が聞こえる。ちぐはぐな挨拶に首を傾げそうになったが、ハルト様の後ろに立っているお兄様が目で『気にするな』と訴えている気がしたので流した。


「その、シャーロット様。僕と婚約していただけないでしょうか」


「え、っと、その、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「……覚えていませんよね」


「え、……!あ、それ……!」


 彼が取り出したのは、白いハンカチだった。Sというピンク色の刺繍に小さなリボンがついているそれは、見覚えのあるものだった。


「あの時の……!?」


 そうだ、すべて思い出した。ハルト様が叙爵されたあのパーティで、庭に追い出された私は、庭に『逃げて来た』という少年が膝をすりむいていたからハンカチを手渡したのだ。そう、あの時、確か彼は。


「孤児だから、とたくさんの大人に嘲るような視線を向けられていた僕に唯一優しくしてくれたのが貴女だったんです」

 

 僕、元々孤児だったんです。なのに、貴族になっちゃって。そう不安げに呟く彼に共感した私は、当時の身の上を語ったのだ。私は婚約者に追い出されてしまいました、と。少しだけ話した私たちは、お互いの名前を知ることもなく別れ、その後一度として会うことはなかった。


「あれから一度も貴女と会うことはできませんてした。しかし婚約破棄の話をジークから聞いて、すぐにでも、と」


「一度も会っていなかったのに、どうして」


「魔術省によく差し入れをくださったでしょう」


 兄の所属する魔術省にはよく作った保存食を差し入れていた。そのうち騎士団だけでなく、ハルト様の所属している研究部の分も作るようになったのだ。


「あの差し入れ、毎回小さなメッセージカードがありましたよね」


「ああ、あの……」


 頑張ってください、と。毎回小さな紙に書いて瓶に張り付けていたそれを見ている人がいるとは気が付かなかった。


「研究部って、騎士団よりも目立たないし日陰者なんですよ。応援してくださるのがとても嬉しくて」


「それで、私と……?大丈夫ですか?私、こんな、なのに」


「こんな、とは?」


「醜いですわ」


「え?美しいでしょう」


「そん、なわけ、」


「美しい心を持っている貴女に関して、容姿がどうとかそういった評判は本当にどうでもいいです」


 ボロボロと頬が涙を伝う。必死に前を向くと、後ろに立っているお兄様が目元を覆っていた。すすり泣く声が響く異様な応接室で、彼はもう一度「僕と婚約していただけないでしょうか」とこちらに手を差し伸べた。痩せた彼の細い樹木のような手には、瑞々しい植物のような力がこもっている。言葉も出せず、私はその手を取ったのだった。




「ご婚約おめでとうございます、シャーロット様」


「ありがとうございます、リンシャ様」


「本当に良かったわ、私も嬉しい」


 婚約の成立から翌日。元々リンシャ様はお兄様と貴族街で買い物をする予定があった。私の婚約の一報を聞いたお義姉様は、その予定を変更し自宅での食事会にしてくださったのだ。そしてお兄様は騎士団からの呼び出しがかかったという。急病による欠員が出たらしい。


「嬉しいけれど、私はジークとお義母様、お義父様、シャーロットと五人家族になる未来も大歓迎だったわ」


「あら……そんな」


「でも、シャーロットが嫁いで幸せになれるならそれが一番よね」


 お義姉様は幼馴染という関係もあってか兄の婚約者というよりも親友のような間柄に近かった。ラム家の伯爵令嬢であるリンシャ様は、騎士であるお兄様を支える立場として自らも剣技を身につけている。そのさっぱりとした性格は、私の体型であったり容姿であったりを一切気にしない。幼馴染として仲良くできた理由はきっとそこだろう。


「お義姉様の結婚式には二人で出席できると思います」


「どんな方なの?」


「婚約したばかりで、まだあまり分からないですが……良い人ですよ」


「そうなのね」


 今度は四人で食事でもしましょうか。お義姉様は優しく目尻を下げた。



 それから私とハルト様は、少しずつ仲を深めた。街に出かけることはなかったが、屋敷に来ていただいて庭園を散歩したり、家族と共に食事をしたり。そのたびにミナは趣向を凝らした髪型にしてくれる。お兄様は当然、お父様やお母様もハルト様の印象はかなりいいらしい。しかしやはり不健康そうな印象はあるらしく、来るたびのたくさんの料理を食べさせられている。今日は、庭園でのお茶会だった。


「その、シャーロット様」


「はい、なんでしょうか」


「今日この後、魔術省に来ていただけませんか?」


「魔術省、ですか」


 ヴィクトル様の婚約時代から今に至るまで、外出を伴うデートは夜会以外一切していない。私が不安に思ったのが伝わったのか、ハルト様は慌てたように付け足した」


「あの、新しい魔法を開発中なんです。見て頂ければと思って」


「それは凄いですね、見てみたいです」


 彼が叙爵されるに至った魔法は豊穣の魔法だった。大昔には『聖女』と呼ばれる存在が使っていたとされる伝説の魔法を、魔力のある男性ならば誰でも使えるようにした功績はとんでもなく、未来の歴史書に名前が載ると言われているそうだ。こういった魔術社会の情報は魔術を使えない女性の元には一切回ってこないため、婚約をして初めて知った。こんなに素晴らしい彼が、元孤児という理由だけで婚約を結べなかったというのだから不思議だ。


「どんな魔法なんですか?」


「それは、来てからのお楽しみ、です」


「あら、ふふ」


 珍しくおちゃめなことを言った彼は慣れないからなのか口が回らなかったらしい。そんな可愛らしい光景に私は小さく笑った。





 魔術省の建物に来るのは久しぶりだ。昔はよくリンシャ様と騎士団の修練場を訪れたが、最近はそれもない。そして、研究部に来るのは初めてだった。


「実験室借ります」


「あ、どうぞ」


 ハルト様は慣れた手つきで受付を通る。受付に座っていた男性はこちらに見向きもせず何かの書類を書いていた。そのままオフィスらしい廊下を通るが、誰もこちらを見ない。同僚の方たちに体型について揶揄されてハルト様に恥をかかせるかもしれない、なんて思っていたから拍子抜けだった。


「研究部の方々って本当に研究熱心ですね」


「魔術にしか興味がないですから。僕の名前を知らない方も、僕が名前を知らない方も多くいます」


「まあ……」


 団結、連携、絆。そういった言葉が飛び交う騎士団の雰囲気とは全く違っていて、同じ魔術省でも随分変わるのだな、と思った。


 彼は鍵を使い奥にある実験室の扉を開ける。少し埃くさいその部屋には、何らかの薬品らしいものや杖、使い方の想像さえつかないような魔道具がたくさん置いてあった。女性は魔術という概念に触れることがほとんどないため、何もかもが新鮮だ。


「シャーロット様は聖女の存在を信じますか?」


「聖女ですか……」


 聖女とは、伝承上の存在だ。ありとあらゆる魔術を使いこなし、現在では消えてしまった技術もあるという。そのうちの一つが、ハルト様が復活させた豊穣の魔法だった。女性は魔術を使うことはできない、という当たり前の概念がある現代、歴史書に載ってはいるものの最早架空の人物だと思われている節がある。


「まあ、そうですね。夢があると思います」


「僕は聖女の魔術を復活させたいんです。豊穣は上手く行きました。次は天気を頑張ろうと思っていて」


「天気……?」


「天気を操る魔法です。今少しやってみます」


 彼は杖を取り出し、何かを呟いて振った。杖から光が溢れ、彼の周囲に雲が現れそこから雨が降る。


「まあ……!?」


「まだ小さな範囲しか操れないんですけど」


 もう一度杖を振る。すると小さな太陽のものが現れそれが光を放つと、雲の隙間に虹がかかった。


「綺麗……!」


「でしょう。あとは、雪」


 今度は冷たい雪の粒が降る。思わずそれを手で拾い上げると、本物の雪と全く違わないものだった。幻想的な光景に目を光り輝かせていると、波に乗ったのか彼の手元でコロコロと天気が変わる。


「すごい……!」


「そうでしょう、これを後は部屋単位のサイズ、で……」


 突然、彼の身体がぐらりと傾いた。受け止める間もなく、彼は床に倒れ伏してしまう。


「ハルト様!?大丈夫ですか、あ、人、呼んでこなきゃ、」


「だい、じょ、です、よくあるので、」


 床に寝転んだ彼は額に手を当ててゼーゼーと息をする。魔力枯渇寸前まで魔法を使う、と兄が言っていたのを今更のように思い出した。私が喜んでいたから無理に魔法を使ってしまったのかもしれない。


「ごめんなさい、魔法を使わせてしまって」


「しゃーろ、っと様が、喜んでくれ、たなら、何よりです」


「……ハルト様」


「すみません、手を、……」


 苦しげな彼がこちらに手を伸ばす。その手をそっと握ろうと指先が触れた瞬間、そこから眩いほどの光が溢れ出した。思わず目を瞑った私は、体内から『何か』がものすごい勢いで放出されていることに気づく。全く理解はできなかったが、とにかく何か異常事態が起きていることだけは分かった。慌てて手を放すと、ハルト様は先ほどの様子からは想像できないくらいにしっかりと立ち上がった。


「これは……っ、まさか、」


「……ハ、ハルト様?私、何をしてしまったんでしょう!?」


「落ち着いてください、シャーロット様。僕はもう大丈夫なので」


「大丈夫って……」


「その、シャーロット様、……手鏡を」


「手鏡……?」


 実験室の端にあったらしい手鏡。彼はそれを私に手渡した。よく見ると、私の手のひらは知っているそれよりもずっと薄い。令嬢たちの白魚のような手のような。そんな、まさか。声にならない声が漏れる。


 恐る恐る鏡を覗き込む。そこに映っていたのは、少女だった。


 お母様のように大きく光り輝くピンクトパーズ。

 お父様の持つ優しげな垂れ目と眉。

 お兄様によく似た高い鼻と緩やかに弧を描く唇。


 ロゼ侯爵家に痩せた美しい令嬢が来たらきっとこんな顔をしているんだろう。


「……シャーロット様」


「ハルト様、あれ、私、……わたくし、っ」


「泣かないで」


 頰を伝う涙の粒を、彼の指先がそっと拭った。痩せすぎたせいで枯れ木によく似ていたはずの彼の手は、どうしてかふっくらと健康になっている。手鏡に映ったそれが自分自身である、という実感が遅れてやってくると同時に涙が溢れる。もう止めることもできず、私は実験室でへたり込んでただ泣き続けたのだった。





「とりあえず、説明をしましょうか」


「……せつめい」


 実験室にある椅子に座る。人目も憚らずに泣いてしまったことを内心恥じながらハルト様と改めて向き合うと、彼もまた容姿が大きく変わっていた。元々痩せぎすだったその体型は健康的な細身の男性のそれになっていて、枯れ木のようだった手足はしっかりと身体を支えている。少しこけていた頬には体温が感じられて、鋭い瞳の、吸い込まれるような鈍い瞳だけは変わらなかった──有体に言えば、黒髪紫眼の美青年である。


「シャーロット様は、過剰魔力体質だったと考えられます。あくまで僕の仮説ですが」


「過剰魔力体質……?」


 『聖女』の魔術の研究を進めるうちに、女性に宿る魔力に関する研究も並行して行っていたハルト様は、女性にも魔力が宿っていて、かつ時に男性として生まれていれば大魔法使いになる可能性を秘めた女性がいるという仮説を立てたそうだ。しかし放出できない魔力がどのような形になっているのか、そしてどのようにして放出できない魔力を譲渡するかは未だ研究中だったらしく、その鍵となりそうなのが私──らしい。


「僕は先天的に魔力が少ないんですが、その魔力が尽きかけている時に身体のどこかに触れれば魔力が譲渡される、ということなのでしょうか」


「どうなんですかね……」


「もしもシャーロット様のように苦しんでいる方がいるのならば、魔力譲渡を行える魔道具の開発もしたいし、魔力譲渡の法則性についても……というかそもそも僕の魔力の器自体も大きくなっている気がするし、シャーロット様の魔力がそれだけ多いということなのか?」


「は、ハルト様?」


 ハルト様はどうやら思考の波に溺れかけているらしい。普段の敬語も取れ、聞いたこともないような早口で半分くらい聞き取れないことを言っていた。


「いや、そのためには器の大きさを測る手段も欲しい。まずはやはり魔力量の数値化と画一化に関しての計画書を出すか?大仕事になりそうだし騎士団らしく団結も必要か……?」


「ハルト様!」


「あ、……すみません」


「いえ、熱心なのは良いことだと思うので……」


「あ、はは……研究部の奴らはみんなこんな感じですよ」

 

 ふふ、としばらく笑い合う。それが収まってお互いを見つめる。


「……綺麗になりましたね」


「……あら」


「元々美しかったけど、今の方が表情が見やすいです」


「……ハルト様もお美しいですよ」


「……ありがとうございます」


 婚約者同士なのに、どこかぎこちない私たちは、目を合わせてもう一度笑い合った。





 それから。両親と兄に私の体質についての仮説を説明するために二人で屋敷へと向かった。両親や兄、侍女のミナはとても喜んでいたが、それは醜い娘が美しくなったことを喜んでいるのではなく、容姿で苦しんでいた私が解放されたことに対する喜びだった。それが伝わったからか、数日に渡る屋敷全体の明るいお祭りのような雰囲気はとてもありがたいものだった。


 そして、あの実験室での出来事から一年。ハルト様は以前よりも健康になった身体で、それでも時折魔力枯渇寸前まで魔力を使い果たして私から魔力を譲渡されながら、様々な研究を進めた。その中でもとある研究結果が大変素晴らしいと王家からお褒めの言葉を賜り、私たち婚約者は夜会に招待されていた。


「シャーロット、綺麗になったな」


「ええ、本当に」


「ありがとうございます、二人とも」


 式をすでに上げ、正式にリンシャ・ロゼとなったお義姉様とお兄様に挨拶をする。二人は大人びた雰囲気を纏っていた。数年後にはお兄様は騎士団を引退し完全に領地経営に身を入れるらしく、次期当主夫妻としての二人は社交界でもお似合いと評判だそうだ。


「ハルトはまだ来ていないのか」


「もうすぐいらっしゃいます。どうもこのような公の場に出るのが随分久しぶりなのと、体形が変わったので着替えにも時間がかかっているそうで」


 ロゼ家の関係者に与えられた控室。全身鏡を見ることが呪いではなく祝福となった一年前から、私は自分の姿を見るようになっていた。たとえ魔力を放出できたという大きな理由があっても、瘦せるために必死でしてきた努力はその中に確かに映っているような気がした。何より、常に魔力が不足しているころからは見違えるほどに見目麗しくなったハルト様の隣に立つことがふさわしい自分が誇らしかった。


「お嬢様、本日はいかがでしょうか」


「素晴らしいわ、ミナ」


「ありがとうございます」


 今日はハーフアップをして、あちこちにキラキラと光る小さなストーンを散らばしている。光が当たるたびに輝きを変えるその髪型は、目にも楽しい。ミナと共に選んだドレスは、ハルト様の瞳の色だった。昔だったら絶対に考えられなかった袖のないデザインのマーメイドドレスの上に、半透明のショールを羽織る。


「お嬢様がご自分の容姿を好きになってから、私ももっと楽しくなりました」


「……ミナ」


「良かったです、本当に」


 ハルト様と婚約したころに感じていた印象は間違っていなかった。彼女は実直に侍女として私に尽くしてくれた。今考えてみれば、親友のような関係だったサラの胸の奥にはどこか貴族令嬢である私の容姿を見下す気持ちがあったのかもしれない。


 控室の扉がノックされる。どうぞ、と声をかけると、そこには黒いスーツを身にまとったハルト様がいた。カフスボタンの色は、ピンクトパーズ。その婚約者らしいお揃いに頬を緩めながら彼と腕を絡める。


「エスコート、よろしくお願いしますね」


「もちろんです」


 婚約者として親密になったが、未だ敬語を使いあうのもどこか心地が良い。魔力が有り余っていた私と常に足りなかった彼は、最初から運命に導かれていたのかもしれない。控室から広間に向かうと、扉が開いた。今回の夜会は少しくだけたものらしく、入場に際した名前の読み上げはない。会場内で知り合いを探していると、ハルト様が早速声をかけられた。


「ああ、今回の研究についてですね。……すみません、シャーロット様。少しだけダンスは待ってもらえませんか?」


「ええ、もちろん」


 研究について話している時のハルト様が好きだ。その瞳の輝きが鋭くなって、魔法についてよくわからない私でもとにかくそれがすごいことが伝わってくる。少し離れてハルト様の様子を見ていると、背中越しに声をかけられた。


「……そこのお美しいレディ、本日はおひとりですか?」


 聞き覚えのある声にはっと振り返ると、そこにはヴィクトル様……シードル公爵令息がいた。相変わらずの美しい容姿だが、今となっては傲慢さがにじみ出ているように感じる。


「いえ、その……シードル公爵令息は先日サラ・モヒート様とご結婚されたのでは?」


「いや、まあ、そうなんですが。よくご存知で」


 私の声が冷たいことに気が付かないのか、シードル公爵令息は調子よく話を続けた。


「レディが知っているかは分からないのですが、サラは侍女上がりで。どうにも公爵家にふさわしいマナーは身につかず、癇癪を起こしてばかりなんですよ」


「あら……」


 そうなったのですね。二人の結婚に対して不幸になれ、と呪うような気持ちがあったことは事実だ。略奪なんて上手く行くはずもない。


「まあ、前の婚約者よりはずっとましなんですが」


「前の?」


「あの豚ですよ。レディはご存知ないですか?ロゼ家の長女なんですが、まるで豚のような体型で大層醜いのです。あれと婚約破棄できた時は天にも昇る心地でしたよ」


 ああ、この人は私がその豚だなんて本当に気づいていないのね。それにしたって、今から口説こうとする女性の前で別の人の容姿に関する悪口を言うなんて、今になってみれば考えなしの人だ。


「そうなんですね」


「レディ、お名前をお伺いしても」


「シャーロットですわ」


「はい?」


「私が、そのシャーロット・ロゼですが」


「……は?」


 面食らったような顔をした彼は、「さすがに噓でしょう」と引き攣ったような笑みを浮かべて呟いた。


「俺を揶揄っているのか!?」


「そんなわけないでしょう。私はシャーロット・ロゼです。髪の色も瞳の色も同じでしょう」


「いや、しかし、そんな……!お前まさか、俺との婚約中はわざと痩せなかったのか!?」


「サラはそう言ったんでしょう?なら、そうなのでしょう」


「っ、……!」


 サラが婚約破棄の時に吹き込んだ嘘を思い出したのか、彼は怒りで顔を真っ赤にした。そのままの勢いで拳が飛んでくる。まずい、殴られる──と。



「私の婚約者に何を?」


「お前、……孤児上がりの……!ふん、こいつと婚約したのか。元公爵家の婚約者が落ちたものだな!なあ、サラ!」


 どこから出て来たのか、サラがこちらに気が付いた。近くにいる状態で別の人を口説こうとしていたのか、と呆れを通り越す。まあ、大きな声ではなかったから聞こえないと高をくくっていたのだろうが。こちらに近づいてきたサラは、私を見て呆然と口を開けた。


「……お嬢様、なんですか?」


「久しぶりですね、シードル公爵夫人。ああ、あちらにジャムクッキーがあったけれど一緒に食べますか?」


「っ……!」


 あの時の会話を思い出しながら思い切り皮肉を込めて言うと、サラは悔し気に唇を噛んだ。見下していた私が変貌したことが腹立たしいのだろう。


「サラ、こいつの婚約者は孤児上がりの子爵だ。所詮子爵、大したことはない」


「あ、ああ、そうですわ。シャーロット様、私は公爵夫人ですから、口の利き方には気をつけなさい」


「そうですね」


 ああ、どうしようもない人たち。この二人に苦しめられた婚約期間は何だったのだろう、と考えてしまいそうになるが、今に至るまでのステップだと思うことにする。きっと、必要な試練だったのだろう。


「……ハルト様、そろそろ」


「ああ、はい」


 ハルト様にこっそりと声をかけたのは、この夜会の主催である王太子殿下の側近だった。その光景を怪訝そうに見つめた二人だったが、王太子殿下からのお言葉が始まる合図であるファンファーレで、誰もが黙り込んだ。


「皆様、本日は来ていただきありがとう。この夜会は国の歴史を大いに揺るがす素晴らしい発見をした魔術省研究部をねぎらうものだ」


 シードル公爵令息は一瞬で蒼ざめた。ハルト様の所属はさすがに知っていたのだろう。


「かつて『聖女』が使っていたとされる天候を操る魔術の広域での再現、そして女性ながら魔力を多く持つ人が魔力を譲渡するための魔道具の開発。二つの大きな成果を生み出した研究部に拍手を」


 夜会の会場を万雷の拍手が包み込む。しかし、唖然としている二人は手さえ動かさなかった。


「よって、この成果に対し大きな働きをしたものに栄誉を与えます。ハルト・エール子爵とその婚約者のシャーロット・ロゼは前へ」


 はい、と挨拶をして彼のエスコートでホールの真ん中へと進む。


「ハルト・エールには特例として名誉魔法爵の地位を与える。これは公爵と同等以上のものとし、領地も与える」


「有難き幸せでございます」


「そして二人の結婚式は王家の主催の元行う。これからこの国のために更なる研究に励むように」


「はい!」


 私たち二人が王家の庇護下にあることを意味する宣言に、会場は再び拍手に包まれた。お兄様とリンシャ様、両親が目を潤ませて拍手をしているのが見えて、じんわりと胸が温かくなる。先ほどまで話していた二人は、視界にさえ入らなかった。カーテシーをし、王太子殿下の御前から下がると、再び会場は喧騒に包まれる。私たち二人に声をかけようと牽制しあう参加客を横目に、ハルト様は言った。


「庭に行きませんか?」


「はい」


 二人で庭園へと向かう。二人になりたいという意思が伝わったのか、私たちを追う人はいない。


「懐かしいですね」


「そうですね」


 私たちの始まりである庭園の景色を眺めて、そっと手を握る。あの頃は追い出された私たちが、今となっては周囲に人が集まるようになっていた。不思議な気持ちだった。


「貴女と出会えて良かった、……シャーロット」


「……私もよ、ハルト」


 上を見上げると、空は少し曇っていた。それを残念に思ったのが伝わったのか、ハルトは空に手をかざす。そうすると雲が晴れ、星空が現れた。


「こんなことに魔術を使っても良いの?」


「今日くらいいいだろう、多分」


 あの時実験室で浴びた光のように眩い星が私たちを照らす。それはまるで祝福のように降り注いでいた。


「あ、見て、流れ星」


「……流れ星に向かって心の中で願いを唱えたら叶うという伝承を聞いたことがある」


「そうなの?……それなら、……うん、唱えたわ」


「なんの願い事をしたんだ?」


「秘密よ。でも、きっとハルトと同じだわ」


「そうか、それなら絶対に叶うな」


 

 ずっと一緒に居られますように。


 その願い事を聞き届けたと言わんばかりに、ひときわ大きな流星が夜空を駆けて行った。

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