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3 井上保と弟の佑

令和2年5月7日 13時27分 緊急通報入電。


「はい110番緊急電話です。事件ですか?事故ですか?」

「事件です。」

「あなたは事故の当事者ですか?」

「はい。」

「怪我はしていませんか?」

「はい。」

「何がありましたか?」

「人を2人殺しました。二機捜所属安藤恵です。井上保警部を寄越してください。井上警部を、絶対に。場所は特定出来ましたか?」

「・・・はい。至急近くのパトカーを向かわせます。」

「拳銃を所持しています。井上警部が来ないのなら抵抗します。すぐに連絡を取って向かわせてください。大丈夫です、警部を殺したい訳ではありません。逮捕されるなら警部に逮捕してもらいたいんです。」

「約束は・・・あ!」

「安藤!何をやってる!井上は向かわせるからこれ以上罪を重ねるな!一体何があったんだ!誰か!早く井上に無線で連絡を取れ!」

「その声は・・・。地域課の頃は大変お世話になりました。声が聞けて良かったです。このような場で申し訳ありません。では回線を占有するのも良くありませんのでこれで切らせていただきます。」


ツーツーツー・・・


通信司令室は一瞬静まり返った後、司令官の緊急配備の号令で一気にざわめきを取り戻す。ここまで堂々と連絡してきているのだから逃げはしないだろう。とは言え、井上を向かわせない事には危険だ。人を殺したと言っている以上、場内の緊張は計り知れない。しかも身内の犯行だ。安藤は、井上は、殺された2人の身元もそうだ。それにメディアに気が付かれる前に何とか現状を把握しなければ、と様々な思惑が交差し、衝突し、その一報はすぐに刑事部から各部署へ知れ渡った。管轄の警察署からもすぐに現場へパトカーを出し、周辺の封鎖を行わせる。それでも何より、井上を向かわせる事が先決だ。だが、安藤が今本当に人を殺していて、その犯人で、容疑者なのだとすれば、それは犯人の要求に応える事となる。また殺した2人以外に人質がいるのかどうかもわからない。回線を塞ぐのも悪いだ?そんな事を気にするくらいならこんな事件起こしてくれるな!そう叫んだ管理官を見る目は同情に満ちていて、そう声を上げない他の警察官も皆一様にそう思っていた。なんて事をしてくれたんだ、と。


*****

井上保は急遽病欠した安藤の代わりを探すが待機者とタイミングが合わない。その都合で分駐所で少し暇を持て余していた所だった。それでも緊急とあらば、現場には向かえる人材として待機し、溜めている書類仕事を背に外の様子をぼうっと見ていたのだ。今日は特に何もやる気になれない。そんな落ち着いた時間が流れていた時に緊急無線を受けた分駐は通信司令室以上に騒然とした。何せ一緒に働いてきた仲間が対象だ。真偽はまだわからないにしても、そう言う問題ではない。


「はあ?!安藤が?どういう事ですか!いや、え?わかりました。田霧署管内の・・・。はい、わかりました。すぐに向かいます。」


あの安藤が?

安藤が人を殺した?


普段はポーカーフェイスでどんな事件でも飄々とこなすと思われている課長や主任も一様に動揺を隠せない。安藤は歳の割にしっかりしていて、井上をよくいじっているようで尊敬している事が傍目に見てわかった。相勤者としての相性は良かっただろう。それは恋愛だとかそういう事ではなく、お互いに職務をこなす上でうまく噛み合っていた。2人とも似たようなタイプで、体が先に動いてしまう現場向きだった。勘も良く、機動性も高い。新人の女性警察官が憧れてさえいるような存在だったのが安藤だ。その安藤が・・・?皆がそれぞれ思惑を抱えながら、それでも一目散に捜査車両に乗り込む。


どういう事だ、何があったんだ、誰もが気になる中、井上は気を揉んで、やり場のない思いで頭を掻きむしる。


やはり現実になってしまった。

あの時に・・・?いや、いつのタイミングで・・・?


その全ての判断は今となっては何の役にも立たない。全て間違いだと言っても過言ではない。一番近くにいたのに止められなかった。その後悔の念は激しく井上を揺さぶる。


*****

分駐から飛ばして10分程、そう遠くない位置の現場は恵が祖母から遺産分割で手に入れた大きな洋館だった。前に近くを通った時に、あのお屋敷私のになったんですよって言ってたか。何でそこからお前が110番通報をする事態になっているんだ。何をどう考えても正しさの定義がわからない。ただあいつの中では何か確固たるものがあったのだろう。ただそう信じたいだけで、自分の知っている安藤は全て作り物だったのだろうか。自分の知らない人物が安藤恵の本当の姿だっただけなのかも知れない。そうは思えない程、日々を一緒に過ごしてきたからこそ、既に涙が込み上げてきている。


「何でこんな事になっちゃったかなあ・・・。俺は恵と蕎麦を食いに行くの好きだったのになあ。佑や瑠璃だってまた一緒にご飯食べようって言ってたのに、何やってんだよ。何でそんな事になっちゃってんだよ。その前に一度・・・何で相談してくれなかったんだよ!クソがっ!!」


運転しながらハンドルを叩いても、何も変わらない。それどころか現場に着くまでに事故を起こしては何にもならない。恵は俺が行かなければ持っている拳銃で抵抗するとさえ言っていたらしい。


「何がお前をそんな風に追い詰めてしまったんだ。俺は・・・、俺は・・・。」


相乗りしていた同期の刑事が落ち着け!と叫ぶまで、俺はどうかしていた。どうかしていたのだ。でもそんな一言ではやはり何も片付けられない現場が目の前に広がると、もうそれはどう処理していいものかわからない程に、井上の精神をかき乱す。現場に着くと車を飛び降りるように、門へ走り出す。先に現着している地元署の警察官が対応しようとするも、井上警部が来るまで話をしないの一点張りのようだ。手には凶器らしき光るものを握っている。現時点で拳銃を構えている事はないようだ。念の為に着ている防弾チョッキは本来これほどまでに重いものだったかと疑う程に体に食い込む。こんな強攻犯みたいな事を続けたらSATまで呼ばれてしまう。そんな事わかっているはずなのに。恵はそこまでして何を・・・。


敷地端の門は開いていて、そこからは芝生が広がり、奥の洋館へと繋がっている。


「今度佑さんと瑠璃ちゃんと遊びに来てくださいよ、そう言ってたじゃないか。俺はここに防弾チョッキを着てくるなんて思いもしなかったぞ。なあ恵。どうしちゃったんだ。お願いだ、凶器を下ろしてくれ。」


もはや独り言なのか、恵に話しかけているのかわからない。門の所で構えている警察官に大丈夫ですか?と声をかけられるも、力なく笑って肩を叩く事くらいしか出来なかった。皆動揺している。当たり前だ。さっきまで仲間だった警察官を包囲して、逮捕しようとしている。さっきまで仲間だった警察官が自分たちに狂気を剥き出しにしている。恵が冷静そうに見えてもそれはまやかしだ。冷静に人は2人殺せない。どんな理由があろうと、だ。体力も気力も握力もいる。冷静さはその全てにとって邪魔でしかないだろう。今目の前に見えている彼女はもうかつての仲間ではないのだ。どんなに受け入れたくなかったとしても、どんな理由があったとしても、警察官である以上、目をつぶる事は許されない。


井上が敷地内に入ると現場に緊張が走った。


「井上さん。来てくれたんですね。」


少し離れた場所から入り口の方を見ていた恵が声を上げる。


「ああ、来たよ。お前が呼んだんだろう。何をしちゃったんだよ、恵。」

「すみません。でもこうするしかなかったんです。最後に井上さんにお礼が言いたくて、こんな手段を取ってしまいました。ごめんなさい。」

「わかったから。凶器を置いて、手を頭の後ろに回せ。」

「井上さん。未熟な自分に機動捜査隊の何たるかを一から教えてくれてありがとうございました。このご恩をちゃんと返す事も出来なかった。でも井上さんと職務に当たれて幸せでした。本当にありがとうございました。」

「待て、な。ほら、それはもういいから。手に持っているものを下に落とせ。」


恵の位置までまだ3メートルはある。これ以上近づくのも難しいが、出来ない事はない。それよりも話している内容がまずい。これはこのまま自害の可能性がある。


それだけは。それだけは・・・

お願いだ。後生だから・・・


恵の目からは涙が溢れていて、それはそろそろ到着したであろうSAT隊員の目にも映った事だろう。何で優秀な可愛い部下が涙を流しながら、包囲される側になっているのか。何度自問自答しても答えが見つかるはずはない。それでも何でもそうでもしていないと自分が崩れてしまいそうだった。


「安藤!手に持っているものを離せ!でないと撃つ。そして償わせる。話したい事があるならそれから話せ!いくらだって聞いてやるから!今は言う事を・・・」


その瞬間、合っていた目の焦点がバチっと改めて合って、恵がニコッと笑った。ありがとう、そう呟いたように見えた。


だめだだめだだめだだめだ!だめだ!


全力で走り寄ろうとしたその瞬間に感じたのは生温かい何か。頬に感じる生温かいそれを手で拭うと、それは赤い。赤く、次第に黒ずんでいく。そして目の前で安藤恵がどさりと芝生に倒れ込んだ。


「安藤っ!おい!救急車、救急車を!安藤!死ぬな!安藤!恵!死ぬな!」


安藤恵は自分のイニシャルが刻まれた骨すき包丁で自分の首を一気に掻き切り、自ら頸動脈を破った。その血は激しく吹き出し、まるで噴出泉のように止まらない。みるみるうちにその一帯を血まみれにし、彼女を抱き抱えている井上も赤く赤く染める。空気に触れ、段々と色を濃くするその血液はまるで解放されたかのように、そして大地に染み込まんとするが如くその体から抜け出ていくようだった。手首を切るくらいならすぐに止血してどうとでもなったが、この量ではもうどうにも手の施しようがない事をその場の誰もが覚悟した。自身の首を掻き切るなど、何がどうしてそうなったのかなんて誰にも理解は出来ない。


その向こう、安藤が今息絶えんとする場所から数メートル離れた位置に2人横たわっているのが見える。安藤が倒れた事で他の捜査員が一斉に走り込んできて確認するも既に彼らも息絶えた後だった。後に聞いた事だが、彼女らの首も掻っ切られていて、死因は出血多量による失血死。鑑識はそのどれもが恵の所持していた凶器によるものだと断定した。


もう1人いる状態で首を掻っ切る事が出来る状態。


普通誰かが誰かを殺そうとしていたら止めるだろう。それとも狂気を帯びた人間を前にしたら身じろぎ叶わず、ただ見ている事しか出来なかったのだろうか。それもこれも被害者に息が無い以上、推測する事しか出来ないが、それにしてもどう言う関係だったのか。それでも他に損傷がない事を考えるとやはり無抵抗だったとしか考えられない。


無抵抗だったのは、首を掻っ切られる事を了承していたから。


この筋なら目の前の異常な状況も少しは話がつくような気がした。現役の警察官が同僚の前でそんな最後を迎えるなんて、誰も自分事として想像した事はなかった。凶器は自分の所持品のみだった。拳銃を所持しているとは言ったものの、結局身には付けていなかったのだ。その殺傷能力を知っている恵の最後の良心だったのかも知れない。後に屋敷を捜索した際に、拳銃はダイニングテーブルの上で発見された。


この事件自体は安藤恵の個人的な行いだ。それでも警察はその資質と言う点で世間から存分に責めを受ける事となるだろう。そしてこの豪邸がその彼女のものだとなれば尚更ゴシップ紙が飛びつくに違いない。現場に関わった一人一人が少なからずトラウマを抱えた今回の一件は同時にメディア対応への恐怖も植え付けた。ただでさえ警察官の公開自殺なんて、それだけでセンセーショナルなのだ。その方法が外に漏れた場合、そしてそれ以前に殺人も犯していたと言う事実。もし自分が部外者ならば、何故?どうして?と黒い好奇心位湧く事だろう。実際当事者としては、何故?どうして?は今から地獄に出向いてでも聞きたいくらいだ。それでもそれは現時点では叶わない。


井上は自害した恵をそのまま抱えたから、その衣服は血まみれで、顔にかかっていた血液は拭ったにしても、その匂いは体に染み付くようだった。見かねた鑑識の渡辺が予備の作業着を手渡し、着替えるように促さなければ、現場の皆が地獄の最中にいるようで、どうにも息苦しく、その首を真綿で締め付けられ続けるようだった。現場に慣れた捜査員でさえ、その顔を歪めていたのだから、配属したての新人がどこかで堪えきれずに流した涙の跡を隠す事はどうにも難しい。その瞬間、動揺と驚愕と恐怖と憐憫にも似た、ただただ苦しい声が現場に溢れた。もしかするとこれをきっかけに辞めてしまう者さえもいるかもしれない。色々な覚悟はしたつもりでも、時に逃げられない形でその心は、その覚悟は残酷に問われる。


検視の結果、被害者2名と安藤の胃の内容物はほぼ一緒だと判明した。所持品から身元も判明した。1人は安藤郁。恵の親戚で経営者としての手腕も確かだったが、一方で世路の教えと言う新興宗教らしき組織の幹部を務めていたようだ。宗教法人としての登録はされておらず、アングラ系の宗教だろうと初期捜査では説明されている。もう1人は多野卓。所持品はなかったものの、捜査員の一人が顔に見覚えがあり、それを辿って検索をかけた所で身元照会が取れた。多野総合病院の院長である彼と2人の関係はまだ正式には明らかになっていない。


2人の遺体を現場で発見、被疑者も現場にて死亡を確認。


3人もの命が失われ、その惨劇は多くの同僚の目の前で幕を閉じた。だが、捜査本部が設置される事はなかった。それどころか、テレビを付けても流れるのは俳優の不倫騒動ばかり。一様に箝口令が敷かれたようにも見えたが、その実、正確にはそれぞれが自主的にそれを話す事をしなかっただけだった。それを口に出し、言葉として発する事で、有形無形その形を世界に表してしまう。それに怯えていては通常業務をこなす体力が保てない。そんな事があろうとなかろうと、ひったくりも交通事故もご近所さんとの諍いも万引きも放火疑いもそれなりに日々起こる。話さない事で日常を強制的に呼び戻し、それで自身を一杯にして、そして少しずつ忘れていくのだ。そうでもしないと耐えられなかった。正しくはない、そんな事は誰もがわかっている。そしていつかは隠せなくなるかもしれない。それも重々承知だ。それでもせめて時間が必要だった。事実を受け入れるにしても、ほんの少しだけでも、せめてそれだけでも。そうでもしないと目の前にある有象無象に立ち向かえない。


忘れる事が人が今の今まで生き延びてこれた所以でもあるのだから。


*****

カランコロン・・・

中華街の雑居ビルにある占い横丁のドアベルが閉店間際に鳴らされた。帰り支度をしていた井上佑は娘の瑠璃のお迎えを案じながら、それでもゆっくりとした口調で客に声をかける。


「お客さん、今日はもうおしまいなんですよ。・・・あ、お兄ちゃんだったの。」


そう言って入り口のドアを見ると、そこに立っていたのはその顔に疲れと悲しみとやるせなさを滲ませた兄の保だった。俺にわかるのはほんの一部分だけ。そして兄が話せるのも部下の安藤恵が死んでしまった事だけ。わかるそのほんの一部分がどうにもならない事で恐らくそれがそのまま起こったのだろうと思うと、その後何日か眠れなかった。警告はしたものの、兄はそれに従わなかった。こうなる未来を何度だろうと彼は選ぶのだから。


*****

事件の数ヶ月前、令和元年も終わりに差し掛かる11月の確か5日頃。初めて安藤恵を兄が店に連れてきた日。彼女の足元や首元に纏わりつき始めた真っ赤な何かは明らかに側にいて良いものではなかった。普通に生活を送る彼女自身には特に問題はないのだろうが、他者に与える影響がとても大きい。良くも悪くも影響力がある人だと一目で感じたのだ。


俺自身、人に見えない物やその人の進む道のいく筋かが見えはするも、それまでだ。どうせ何も出来ないのなら、見えて意味があるのか。それでもわざわざ俺の元に足を運んで、その意味を知りたいと問われれば、その気持ちに答える。ただやはり、その人が見たいものを見られる訳ではない。時に、と言うかほとんどの場合に見えるものは他愛のないもので、人生の決定を揺るがすような大事件は見えない。そうそうそんな事件が起こらないから、との見立てが正しいのかもしれないが。ただそれでもたまにゾッとするように体に流れ込む感覚がある時がある。それは数年に一度あるかないか程の確率で、そしてそれがお客さんであるとは限らない。それでもやはりこの感覚を知っているからこそ、目の前に座るお客さんに最悪の事態が起こらない事位はわかるのだ。ただその程度の勘なら、意外と誰でも持ち合わせている。わかりやすく言うなら、子どもの頃の勘の良さ。占い師と言う稼業は勘の良さが何よりも大事だ。間違ってはならないのは我々は魔法使いでも呪術師でもない。コールドリーディングや過去からの積み重ねで出来上がったカードや文字や組み合わせ理論で既知の結果を導き出し提示するもの。後は商売にならないと意味がないから、相手の欲しそうな言葉を選ぶ。現実問題、未来が知りたくて来る人よりも今の気持ちを聞いてもらいたい、もしくは自分の判断が間違いないと誰かに言ってほしい、そのような場合が多い。大体はそれを肯定すればよく、本当に稀に、今回のようにおかしな場合を除いてはウンウンと話を聞いてくれる人の良さそうな変な格好をした人だ。ここまで言ってしまうと同業者に足を引っ掛けられかねないが、それぞれのスタイルはあるものの、似たり寄ったり、どんぐりの背比べだろうと考えている。


本来なら、彼女自身に警告すべきだった。ただ彼女はお客として来たのではなく、兄の付き添いだった。そして何よりもその影響が自分の大切な人にあるのなら、申し訳ないが優先するのはこちら側との判断になる。お客として来てもらう事も出来ようが、兄が渦中ともなると易々と手出しは出来ない。何よりもまず兄を守りたかったから。


あの日見えたのは兄が車の中で楽しそうに話す姿。それから憔悴して、動揺して、涙を目の淵に溜めている顔。最後にはその目に絶望が宿り、肌に血を浴びる姿。泣き叫ぶその涙で手が濡れてしまったような気さえする酷い臨場感だった。あまりにも強いそのイメージに俺自身が度々うなされる程にイメージが体を巡ってたまらない気持ちになった。


詳細は置いておいても、兄の心がズタズタになる事は確かで、その全てに彼女が関わっているだろうと言う未来。可能性は幾重にも枝わかれしているから、たまたま食べるはずだったエビを食べられなかった、乗り合わせた電車でバックが当たって転びそうになった、それだけでも進む道は変わる。出会う人は変わる。未来は変わる。だから、あの時に見えた事が全て現実になるとは限らないし、そうならない可能性だって十分にある。ただ一緒に見た彼女の未来もまた血に濡れていた。だからこそ、どうにか出来るならしたかった。彼女は救えなくてもせめて兄だけは救いたい。糸口がないものかと縋る気持ちを隠しつつ、彼女と話してみると実に普通の女性で、仕事柄少し変わっている所がありはしても、それはそれで別に何らおかしい所はない20代の女性だった。好き嫌いなく食べ、兄との関係も良好。実際兄が同僚を自分に会わせるなど今までになかった。恋愛感情ではないけれど、お気に入りで期待している相性のいい相棒なのだろう。


問題はこれからだ。兄が依頼してきた人物探し。1人は先日殺された佐々木あかり。そしてもう1人は多野努。この2人の名前を出された時、感じたのは”探している”ではなく、”探されている”だった。彼らの事を探しているのではなく、辿り着いた我々を探していた、その感覚がよぎったのだ。嫌な予感は長くひきづるもので、その後にも影響した。


人探しや素性調べをする上で、一番手っ取り早いのはインターネットでその名前を検索する事。そして主力SNSでも同じ事を行う。警察内であれば防犯カメラや彼らの検索履歴なんかも照会可能だろう。ただ一介の探偵にそれは無理がある。とは言え、こんな稼業だからこそ手に入る情報もあれば、人間関係もある。例えばバイト先の”なりきりや”の社長は仕事柄とも言えるが、妙な事をよく知っているのだ。簡単に彼女の稼業を説明すると客の”なりきり”ニーズに応える仕事で、その方面は多岐に渡る。よく知られているのが、結婚式の人数合わせなど。俗に言うレンタル〇〇も範疇だ。俺は兄や弟、時に彼氏、上司や部下、先輩。単純にバイトのシフトを代わってほしいと言うものまである。そんなものにお金を払うのか?と思う人もいるだろうが、このような隙間産業程、実は社会に必要とされていたりするものだ。実際、占い師よりもこちらをフルで入れた方が稼げる事には薄々気がついている。それでも社長のゴリ押しが生活の全てになるのは勘弁と少し線を引いてバイトの身分なのだ。社長は何せ豪気で豪快。この人からは悲哀なんぞ全くもって感じない。何もかも貪欲に糧にし、そして金にするから全てが消化試合の様に見えるのだ。だから力が有り余っている。それをそろっと使わせてもらって、実に助かっているのは内緒だが、それ込みで俺の面倒を見ているのを俺もわかっているから、ある意味持ちつ持たれつ、ウィンウィンなのだろう。


「佐々木あかり・・・はわかんないな。でも多野、多野・・・どっかで聞いた苗字だな。どこだっけな。あぁ、横浜の方にそんな名前の大病院なかった?あったよ、多分。院長は地方の・・・確か九州だかどっか西の方の人なんだけどさ、パトロンでもいるんだろうね。こっちに医院持ってた老い先短いじいちゃん先生からそこを上手い事買い取って、一代で町医者から総合病院にまで育て上げちゃったって話よ。ほら医者って金かかるじゃない。医療機器だって何なら普通に何千万とかなるし。そもそも主力の医師の給料も看護師もバカにならない。安い給料じゃ他に勝てないし、集められないし、だからジャブジャブ使える金がないとまああの規模にするのは無理よね。怪しげな拡張ではあるものの、それでもまあ腕はいいから、評判も良くて患者も集まる。患者としてもいい先生にいい設備がいいに決まってるからね。うちも買ってもらえないだろうかって町医者がチラホラとまで聞くわね。どこも後継者不足ってやつかしら。」

「パトロン・・・。大病院の医者・・・。うぅん、今の所、多野努と繋がりそうはありませんが、それでもただ苗字だけでまあよくそこまで地味に細かい情報が出て来ますね、本当に。」

「私だってただの酒飲みじゃないのよ?ちゃんと情報交換してんの。私の場合はほとんど収集で相手に渡す事はしないけど。若い子の方はさ、SNSで大学特定して、捕まらない程度に聞き込みでもしてみたら?後は仲よさそうな彼女のフォロワーにそれとなく聞いてみる。ある程度フォロワーのいるアカウント作ってからでもいいし、時間ないならセット済みのアカウント買っちゃうのもありかもね。」

「はい。佐々木あかりの方はその線で調べてるとこです。それとは別なんですけど、世路の教えって聞いた事ありますか?」

「何それ、宗教かなんか?」

「まだわからないんです。どこかで小耳に挟んで、何だか引っかかったままなんですよ。何だったか思い出せなくて。」

「なるほどねえ。わかった、気にしとくよ。どっかで聞くかもしれないし。あ、お客さんだわ。・・・はい、なりきりや天野です。お世話になっております・・・」


ペラペラペラっと情報を垂れ流したかと思ったら、すぐに切り替えてかかって来た電話で別件の話を始めた社長を背に改めて調査を再開する。正直兄からの依頼は必要最低限の経費しか取れなくて、割りは良くないのだが仕方ない。払うと言われても、何となく受け取りづらい。それならまた会いに来てくれて、一緒にご飯を食べてくれた方が何倍も嬉しい。だから、実質赤字でも顔を見る機会になるならと毎度引き受けてしまう。


佐々木あかりはやはりアカウントを何個も開設していて、それなりにフォロワーもいるようだった。ただアカウントによりだいぶ性格が違って、本当に同じ人物なのだろうかと疑うレベルだった。キラッキラのアカウントでは何を食べたとか何を買ったとかどこに行ったとか、さながらファッション雑誌のような投稿が並ぶ。メイクも大好きだったようで、極めたその技を動画配信する程だったらしい。実際にその動画も見てみたが、何とも慣れている。撮られ慣れていると言うか、自分の魅せ方を完璧に熟知していると言うか。確かに可愛い子ではあるが、その自信に満ち溢れる姿はメイクでより輝いていく。まさかこの彼女が既にその命を終えていて、更新がこの先二度とないとはとても思えなかった。最近では死後のデジタル遺産をどうするか、と話題になる事も耳にする。それでもこんな若い子がそんな事を気にするはずもなく、運営がその死に気がつけるとは思えない。警察が捜査で連絡し、判明した場合にはまた違う話かもしれないが、そうでもない限りはそのままこの彼女はインターネット上に漂い続けるのだろう。皮肉だが人類はもう不老不死を成し遂げてしまっているようだ。そのキラキラアカウントには勿論彼女のようになりたいと集まってくる子もいるが、それ以外にもその群がるフォロワー目当てでやってくる者もいるし、大元の彼女を騙くらかしてやろうと言う輩だっている。バズればどこからともなく引用記事にしてもいいかと打診があり、その中に紛れて仕舞えばどれが怪しくて、どれが怪しくないかなんてわかりはしない。サイバー犯罪課が事例を元にデータをソートでもしない限りは、玉石混合。その全てが宝玉にも見え、そしてただの石ころにも見えるのだ。


投稿をひとつずつ遡って確認していくと、時折美容セミナーの投稿に反応している様子が見える。他にも有名メーカーの投稿があったりもする中で、どうやら一箇所だけは扱いが違うようだった。特に会社名のようなものは誇示していない事からも、お金持ちのマダムが自宅のリビングを改装してやるサロンのような類なのかもしれない。広告塔になっている女性は確かに綺麗で凛としている。肌も綺麗、スタイルも良い、そして実業家となれば確かに憧れる人も多そうだ。このIKUと名乗る女性が主宰する美容セミナーは有料のもので、会員にならなければその内容を見る事は出来ないようである。動画サイトに投稿があるからと見てみても、それはその有料会員への誘導でしかなかった。俺自身が潜入してもいいが、やはりここは女性の方がいいだろう・・・。金銭的にやむなくだったが、結構軽はずみに始めたなりきりバイトがこんな時にも使える。今回は客としてなりきり依頼を出す事にしよう。該当セミナーへ参加してその雰囲気とIKUの本名でもわかれば収穫だ。


そしてこのアカウントの最終更新日が昨年6月24日で、彼女関連のニュースを見る限り、遺体発見の約4ヶ月前。


“私が大好きなフォロワーのみんなの為、そして世界の為にに出来る事が見つかりました!みんなの幸せが私の幸せです(ハート)”


たまにこの類の誰かの為になりたいとか助けたいとかの発言をしているようだから、それに対する返信も”いつもありがとう”とか”愛してる”とかまあ一般的なもののようだ。ただファンでもない俺からすると少し違和感の残るもので、その後に遺体で発見されているとなればまた印象はだいぶ変わってくる。確実に良くはない意味で。それ以降何ヶ月も更新されてないのに、全くそれに関しての投稿は見当たらなかった。佐々木あかりは3年近くはこのアカウントを使っていた。3日と日を空けずに更新していたにも関わらず、だ。そんな川の流れのような関係が普通なのか、それともそろそろアカウントとしての旬が過ぎていただけだったのか。それにしても何千人にもフォローされていてもこれなのか、と一抹の寂しさを全くの部外者の俺が感じてしまう。誰かこの中の1人にでも手を合わせてもらいたかったのではないだろうか。そんな事を思ってしまうのは俺が歳を取ったからなのか、娘を持ったからなのか。いずれにしても何だかとてもとても薄っぺらい繋がりが虚しかった。


あの感覚に似ている。お腹が空いて簡単に食べられるカップラーメンを数分で食べ終わる。早いと準備から含めて5分も経たずに終わってしまったりもするだろう。その瞬間は味が濃いから舌も満足し、温かいものが胃に入り満たされるその感覚は快感とも呼べる。驚く程の短時間でその幸せが得られるのだ。しかも安価で。けれどもその後また空腹を感じるのも早い。そのエネルギーが尽きる時は急激で、突然におとづれる。そしてまた食べたくなる。


一瞬で繋がれる快感、ワンクリックで友達が増えたような感覚になる。顔を出す必要もなければ、声を聞かせる必要もない。何を着ていてもいいし、髪もボサボサでいい。メイクもいらないし、ある意味ありのままでいられるのだ。何も飾らない、無防備で攻撃の加減を知らない子どもの頃のような感覚の自分を受け入れてもらえるのがネットの社会だ。最初はそれで満足する。それでもすぐに繋がれるインスタントな友達に心地よく、その世界に知らず知らずのめり込む。匿名性が自分を自由にしてくれる気がして、腹を割って話せる感覚が病みつきになる。それにも慣れてくると、今度は何もかも受け入れてほしくなる。その頃には、ある程度繋がっている仲間内では現実世界程ではなくても、また本音が言いにくい世界が醸成されている。誰しも嫌われたくない。例え顔も名前も住所も何も知らない相手でも。そこに一期一会があって、それは唯一無二のように感じる瞬間も確かに確実にあるから。それでもメリットだった顔出しなしが、枷に思えてくる。この人たちなら可愛いと言ってくれる。私を認めてくれる。そう考え、思い込む。実際それまでにそれなりの人数と繋がっていれば、肯定的な意見のみが出されて、深く考えずにその波に乗ってくる友達の友達やただ単に検索で引っかかった人とも簡単に出会い始める。自分を認めてくれて、必要としてくれる。その依存が生まれた瞬間に取り入る輩もいる。それはネットワークビジネスだったり、宗教だったり、犯罪目的だったり。承認欲求はパンドラの箱だ。空けたら最後。出てくる魑魅魍魎を食うか、はたまた食われるか。


彼女がどのような死を遂げたのか、それは詳しく明かされていない。ただ時折聞くような痴情のもつれでカッとなって相手を刺しましただとか、喧嘩が行き過ぎて首を絞めてしまいましたとか、突き飛ばしたら打ち所が悪くてとかすぐに想像がつくもの、筋が通るものでない事は確かだ。わざわざ兄さんが俺の所に依頼に来る何かがある。ましてや、容疑者も出ているし、捜査本部も解散しているそんな件なら尚更。年間の捜査本部の開設数でもそんなに量がある訳では無いはずなのに、開く理由があると判断したのにクローズした。そしてそこに兄さんは疑問を持った。


“読みが正しければ、早めがいい”


それはつまり、まだ真犯人は捕まっていなくて、こうしている間にも別の被害者が出るかもしれないと言う事。わざわざ時間外に部下まで連れてきたのだ。つまり殺された佐々木あかりは異常な状態で発見された。それにも関わらず、上層部は簡単に幕引きをした。まるであつらえたかのように発見された男を容疑者として、容疑者死亡で送検。


何だ?何がこんなにも引っかかる・・・?


IKUのアカウントを見ていると、ちょうど明日のセミナーに空きが出たとの投稿がアップされていた。そう言う商法なのかもしれないが、タイミングがいいのもまたそれはそれで運命だと思うようにしているタチなので、申し込みをしながら先ほど別れたばかりの社長に電話をする。年頃の女性に1人なりきってもらう為に。同僚の或木可奈なら丁度いいのだが・・・そう思って折り返しの連絡を待っていると、部屋のインターホンが鳴った。出てみるとその主は或木で、明日はちょうどキャンセルが入ったから案件を受けてもいいと事務所の隣に住む俺の部屋にそのまま言いに来たのだ。渡りに船とはこの事。自分に自信がないフリをして美容セミナーに参加してもらいたいと言うと何だそんな事なの?と拍子抜けしていたが、探偵業としての話をダブルで受けてくれないかと問うと、ニヤリとする。彼女は勘がよく、それでいて冷静だ。時に冷静すぎる程に。だからたまにその観察眼を探偵業の方でも借りていたのだ。彼女はあくまでなりきりがメインだったが、こちらの依頼でスリルを楽しんでいるようにも見える。


「IKU・・・。なあんかこの人見覚えがあるような。まあ私相当数の人に会ってるから、どっかで見た事ある可能性はあるよね。パーティー案件も多いし。今回はじゃあ、”佐藤薫”とかでいいかな。名前は。」


なりきりをする上でそれぞれいくつか名前を用意しているのだが、一見さんに使う名前でセミナーに申し込みを完了し、可奈に正式に依頼する。ダブルワークだったから今回は2万円。自分が行けないのだからこの程度の出費は目を瞑るしかないだろう。可奈はイベントが終了次第の報告を約束すると、毎度あり〜と調子良く帰っていった。


*****

ピンポン・・・ピンポン・・・ピンポン・・・


こんな夜中にいったい誰が・・・そう思いながらインターホンの液晶を確認すると興奮した様子の可奈がそこに映っている。瑠璃を寝かしつけるのに一緒に寝てしまっていたが、今日は潜入を頼んでいたセミナーの日で、うまく懐に入った可奈はそのままIKUと飲みに行くと言っていたのが数時間前の話だった。早速報告にきてくれたのだろうか。でもこの時間には瑠璃が寝ている事だって知っているのにこんなにインターホンを鳴らすなんて。


「ちょっと佑さん!やばいよ!色々やばい!」

「何ちょっとどうしたの?まあとりあえず入って。お茶淹れるから。」


シンとした廊下で興奮気味に話すものだから、人目が気になって家に入れたが、こんな時間に例え俺が子連れとは言え、フリーの男の家に女性を入れてもいいものなのか。入れてしまった以上どうしようもないが、それでもちょっとそわそわしてしまう。


「ちょっと佑さん、何やってんの?座んなよ。あ、もしかして意識しちゃってるぅ?何もしないから、ほら座って。」

「いや、ここ僕の家なんだけど・・・。ごめんごめん、仕事の話だよね。で、何がやばいの?聞くのちょっと怖いけど。」

「それがさ・・・」


端的に言うと、今回は神人選だったと言えよう。何をどう組み上げたら、探りたい相手と潜入させた人間をちょうどよく疎遠の親戚だなんて繋がりに出来ようか。可奈の今の苗字は或木で、よく考えないと思い出せないくらい疎遠な親戚だったから気が付かないはずだ。依頼の時に見覚えがあるかも?と言っていた彼女の勘は正しかったのだ。何せ子どもの頃に本人に会っているし、何より従姉妹なのだからどこか面影を感じても何の違和感もない。ただその伏線を見つけたのにも関わらず、それを相手に気取らせずに帰ってきた彼女は、なりきりと探偵が本当に天職なのだ。何なら俺よりもよっぽど向いている。美容セミナーでIKUの懐に入りこみ、もう少しお話ししたいとナンパのような手口で飲みに連れ出したようだ。そこでいつものように懐柔したらしい。向こうとて手練だから、そうやすやすとは落ちないだろうがそれでも別名まで仕入れてきている可奈の手腕には頭が下がる。


世路の教え 主宰代行 安藤郁


安藤・・・?兄さんが連れてきた部下の苗字は確か安藤だった。他人の空似なのだろうが、このタイミングで現れた安藤姓に違和感を覚えないはずがない。まるで佐々木の最後のコメントのような喉に何かつっかえているような違和感がどうにも残る。確実な接点はまだ見えていない。それにしても、だ。


”世路の教え”


この名前が今回の重要なピースである事はどこかで確信があった。小耳に挟んでいたのもどこでだったかは覚えがないし、あまりにも情報が少ない。ネット上で検索を掛ければそのホームページにもヒットするが、あまりにクリーンなのだ。可奈の潜入したセミナーもそうだが、地域おこしや経営コンサルのような事まで手広くしているようでただ単に宗教団体、とも言えない。そもそも宗教法人としての登録はしていないから、宗教との特定も出来ないし、団体が私たちは特定の宗教です、とでも名乗らない限りもはや何なのかわからない。


可奈は幼い頃に両親が離婚して、母親に引き取られていた。母親もその後再婚し、今の苗字である”或木”になったのだ。元々の苗字は”安藤”。こんなにも安藤が周りに湧くものだろうか?集まりすぎのような気もするが、さして珍しい苗字でもないから、そう騒ぎ立てる程の事ではないだろう。ただざわつくのだ。何かがおかしいと、このままでは良くないとまるでそれは虫の知らせのように心をざわつかせ、有益な情報が得られたのにそれに対する高揚感が思った程得られない。


一旦兄に連絡を入れておこう。そう思って適当な所で来るように言うと、その安藤恵が休暇に入ったから少し忙しいとか何とか。明日にでも行けるよう時間を作ると言われたから、こちらでももう少し調べを進める事にする。まずはどうにも怪しい”世路の教え”をもう一度調べるか、とホームページを隅から隅まで確認して気がつく事があった。何だかこう、要領を得ないのだ。確かに世の中何が言いたいかわからないものは星の数以上にある。それに加えて、それっぽいのに中身がないものを入れると玉石混同のほとんどは石で、宝玉など混ざっていやしない。確かに訳はわからない。適度にキラキラっとしていて、一見何もなさそうだ。だがその読みを狙われているような気がする。ただ単にネットサーフィンをしているだけなら深読みのし過ぎだ。ただ俺は表も裏も、その間も余地があるのなら、その全てを出来る限り探してみる必要がある。とは言っても公権力がある訳でも、天才的なハッカーな訳でもない。だからこそ、勘は見過ごせない。何だがよくわからないけれど気に掛かるものは、そのまま見過ごせば明らかに何かの種になり、問題の成長を促す。


隅から隅まで全てのページを見ていくと、あるページにアクセスした時にだけ現れるシンプルなバナーを見つけた。


”個別カウンセリングはこちら”


そう書かれているバナーは他のページでは設定されておらず、お知らせページの5ページ目までスクロールした時にだけポップアップするようだ。パソコン自体にはあまりデータを残さないようにしているから、もしウイルスが入っても問題はないが、それでもこんな仕掛けのように現れるバナーには少し警戒する。一度パソコンのアクティビティウィンドウからウイルスソフトがきちんと作動しているかを確認した上で、恐る恐るそれをクリックする。すると表示されたのは、別の画面でそれ以上は進めない。


“紹介者コードを入力してください”


一見様お断り、か。それでも個別カウンセリングを行うのに、紹介でないと入れないなんて何だかチグハグな印象を受ける。身元保障がないとカウンセリングの対応はしませんよ、と言う事にはなるが、それ自体はなくもない話だ。誰でも彼でも受け入れていたのでは、何をしようにも足手纏いが明らかに紛れ込む。ただこれはチグハグというか、この隠し方が何とも言えず、まるで暗号のように思えたから引っかかるのだと思う。別にトップページでもいいし、その他のページにも同様に表示したっていいのに、何故かバックナンバーのお知らせページにだけ現れるのだ。お知らせの5ページ目以降のページ全てに同じ表示がされているのであれば、その時点でホームページの構成を変えたのかもしれないとも考えられる。ただそうではない。むしろ、このページだけを他と違えているのだ。それでも確かなのは、この集団には何かある。その裏付けが取れない以上は俺の戯言に過ぎないが、恐らく佐々木あかりの真実はこの先にある。


*****

時間を見つけてやってきた兄の井上保は頭を抱えた。どうしたのかと問うと、先日連れてきた部下の安藤は今まさにその安藤の家に帰省をしている。突然届いた遺産分割協議に参加する為に昨日から休みを取っていると言う。虫の知らせのような予感があって、昨日電話をしてみたそうだが、やはり何だか様子がおかしかったらしい。とは言え、明らかにプライベートな事だし、一上司がこれ以上突っ込んで聞くのは悪い気がしたからそのまま電話を切ったのだ。対応としては間違いないだろうし、彼氏や家族でもない限り現時点でそうそう切り込む訳にもいかない。だがやはり、兄の口から安藤と名を聞くと、彼女の死のイメージが浮かび、兄の悲しみが胸に流れ込む。


「お兄ちゃん。部署の異動願って出せないの?もういい歳じゃん。俺も弟としていつまでも現場なのは体も心配なんだよ。」

「いや、俺まだそんなに歳じゃないからな?ただお前の懸念はわかるよ。確かにいつまでも出来る仕事じゃないなとは思うし、体で感じる瞬間もちらほら出てきた。24時間シフトに耐えられる体なんてそうそうないし。歳取るのはそんな気にしないんだけどな、やっぱ疲れ取れないとかそう言う感じで気が付くのは心に来るわ。」

「瑠璃の成人式まで生きててもらわないと・・・。」

「生きてって・・・それは流石に心中穏やかじゃなさすぎやしないかい、佑君。まあでももし倒れるような事があれば、その時は異動願出すよ。だからそれまでは現場で頑張らせてくれ。心配してくれてありがとな。俺は本当いい弟を持ったよ。幸せだなあ、全く。」


そうじゃない。そうじゃないのだけれど、それでもそうなるとは限らない。ましてや誰かの命がかかるような事を易々と口にする訳にはいかない。もしこれが起こらなければ・・・それはまあそれでいい。だがそれでももしここで口を挟んで俺の発言の信憑性を下げてしまうのならそれはそれで困る。そんな思いはよそに心配された事がよほど嬉しかったニヤニヤを隠しきれていない保の顔を見るとそれ以上の言葉を告げる事が出来なかった。この件は未然にどうにかする事は無理なのだろうか。そうならば、あの悲しみに暮れる兄を側で支える事に全力を尽くすより他ない。そこを支えるのは当たり前で、出来ればそんな思いをして欲しくないのが本心だ。それでも彼がこの道を分岐しない限り、恐らく近い将来その未来は現実になる。この話をした後も同じイメージが頭をよぎり、そしてそのイメージはより細かい描写になっていった。他の選択肢よりも可能性が高い未来なのかもしれない。どうにか何かのタイミングで進む道が脇道に逸れてくれればいいのにと心の底から願うけれど、大抵そんな時はそうはならない。俺自身も腹を括らなければならないのかもしれない。ともすると、その未来があるからこそ、佐々木あかりの真実が白日に晒されるのかもしれない。


他にも何人も刑事はいるのに、何でお兄ちゃんなのかなあ・・・


そう思っても仕方ないけれど、思ってしまう事くらいなら、飲んで愚痴ってしまう事くらいなら許して欲しいと今は何も出来ない弟は思うのだ。それが例え叶わない願いだったとしても。


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