2-3 安藤郁
安藤郁は時折今の人生の始まりになったとも言える日の事を思い出す。あの日がなければ、全く違う人生を歩んでいたかもしれない。今となってはわからないが、あれは祖母に仕組まれたものだったのか、本当にただの偶然だったのか。真意や真実がどうであれ、あの出来事が私の人格形成に大きな影響を与えたのは言うまでもないだろう。
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平成8年7月18日
それはとてもとても綺麗だった。何にも変えられない。あれ以上のものを私はその後の人生でも見る事はなかったと思う。
その日は晴れていたのに晴れたままで突然雨が降り出した変な日だった。私は学校の置き傘を差しながら珍しく一人歩いて家に帰っていた。隣の家の友達は熱を出して午前中で帰ってしまったから、その寂しさを紛らわす為に、歌を歌いながら、水たまりを渡りながら帰っていた。ちょうど学校と家の真ん中辺りの通学路沿いに雨宿りが出来るバス停がある。青いプラスチックが白っぽくなって、少し割れているようなベンチがそれを少し覆う位の小さな屋根の下にある。バスはそもそもあんまり来ないからそこに人がいる事は稀なのに、今日は女の人の靴が見える。肌色のようなヒールの靴から伸びる脚が見えて、そこに何か赤いものが垂れている。何だろう?水たまりを踏むのにも飽きてきた私は物珍しさに走り寄ってみた。するとそこにいた女の人は首から下が真っ赤だった。
それはまるで白い画用紙に初めて色を落とした時のような感覚で、激しく主張するその色鮮やかな赤色はその目に、その脳裏に焼きついた。
”私を見て”
そう言っているようにも感じられた。
雨の匂いに仄かに生々しい匂いが混ざっている。それは雨でむわっと暑さを増していたその日の気温を更に上げるような熱と温度を持っていて、私の胸を高鳴らせた。何が起こっているんだろう。どこかわかっているようでもその確信はない。
「お姉さん、お姉さん。ねえ、真っ赤だよ。これ血なの?お姉さんは今死んでるの?」
ぐったりと力なくベンチに置かれている右手にはよく見る鞘付きの果物ナイフがゆるく握られていて、そのナイフも赤く濡れている。雨漏りの雨の雫がピチョンとのその刃先に当たり、その血痕を薄めて、色を混ぜていく。パックリと開いたその傷は首の真ん中より少し上、顎の下にあって、それはまるでもう一つ大きな口が開いたみたいだ。そしてあまりにも鮮やかなその赤い色は私の興味を惹き続ける。そして最初は微かにヒュウヒュウと音を立てていたその口は、気づけば静かになっていた。
一体どれ位そうしていたのかわからない。触ってみたかった。その温度を、その感触を確かめたいと言う衝動が体の底から湧いて、湧いて、それは衝動以外の何ものでもなかったと思う。ただその溢れる何かに触れたかった。その瞬間にしかない、その溢れ出る命をこの手に感じる喜びを幼い私は知ってしまった。
「郁!何してるの!」
買い物を終えた母親がたまたま私を見つけて声をかけなければ、私はその傷に手をつける所だった。
その世界に、あの空間に、この彼女に魅入られて、自分の肩を掴まれるまで私は戻れない程に夢中になり、我を無くしていた。知らなかった世界を知ってしまった。そんな衝動はあの日が初めてだった。
母が通報してからは警察で何度か話を聞かれたりしたものの、実際私が話せる事なんてない。誰かいなかったかと言われても、その瞬間まで私は水たまりしか見ていなかった。私がわかったのは見た事のないお姉さんが真っ赤に染まってとてもとても美しかった、ただそれだけ。そう言った時にあまりにも空気が凍ったから、あぁこれは言ってはいけない事なのだと悟った。それでも私が心の底から美しいと思ったものをその記憶から消し去る事は出来ない。今もこの先もずっと。
あのお姉さんの事件の後、程なくして一緒に住んでいた従姉妹の恵がその父の紅葉と一緒に家を出て行った。祖母は時折寂しそうな顔をしていたけれど相変わらず優しかった。郁はおばあちゃんの側にいるからね、と言うと嬉しそうに目を細めて抱きしめてくれる。そんな祖母が大好きだった。ところが、その頃から父と母の喧嘩が目立つ様になった。理由はよくわからなかったけれど、日に日に2人の会話は無くなり寝る部屋も別になって、喧嘩している時位しか一緒にいるのを見なくなった。そんな生活を半年位した初冬のある日。母は悲しそうな目をして”ごめんね”と、一言だけ残した。何の事なのかわかってはいた。それでもやはり、遠ざかっていく靴の音に、聞こえなくなってしまうその音に、通り過ぎて消え掛かった母の匂いに何をすればこうならなかったのかとは考えない訳はなかった。ただ誰がどうしようが何が正解で何が不正解かなんて、そんなのはわからない。子どもだからわからないのではない。私は母ではないからわからないのだ。慮る事は出来る、子とは言え、違う人間である私が出来るのはそこまで。悲しかった。寂しかった。でもどうしようもない事も子どもながらに察した。この時私は人生で初めて諦めを受け入れたのかもしれない。
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時は流れ年号が令和になり、絶対的権力者だった祖母の四葉が床に臥すようになった。父とその兄弟は今まで通り自分の役割をこなしはするものの、その主宰の座にはつかなかったし、つこうとしているようにも見えなかった。そうして私は次期主宰として代行を名乗り”世路の教え”の活動を率いる事になったのだ。
都内の貸し会議室をレンタルし、郁は多野風子と共に美容セミナーを開いていた。風子は美容系の専門学校を出た後美容師として働き、その後安藤の家に入った。だから私の秘書のような事をしてもらいつつもヘアメイクはいつも任せている。今回の様な美容セミナーにしても風子の尽力が非常に大きい。
今私がメインとしてやっている”世路の教え”は基本的に何かしらのセミナーで流れ着いてきた人が多い。例えば美容セミナーで有料会員になって活動に興味を持ったり、既存会員の口コミやその紹介だったりだ。関東の会員が主にはなってくるが、今はもう地元よりもこちらの活動の方が活発なのかもしれない。それはやはり総人口に対してと言う根本的な対象者の多さもあるが、インターネット上の匿名の呼びかけに応えてくれやすいのが、こちらの特徴とも言えるのかもしれない。そして、実社会での人間関係は希薄だ。祖母から引き継いだ”手助け”は周りに茶々を入れられては都合が悪い。そのせいで他の人の願いを聞き入れられなくなってしまえば、何をしているのかわからない。その点が都会の人間関係の希薄さと親和性が高く、ターゲットとしてちょうど良かったのだ。叔父の紅葉が多野卓とこちらの基盤を整えてくれた事も非常に大きかっただろう。今は私のセミナーやインターネット上の集客と多野が切り盛りする病院からの会員斡旋で引き続きその”手助け”は順調だ。
とは言え、誰でも彼でも自殺願望のある人を集める訳にもいかない。祖母がやっていたように、ちゃんと人物調査を行い、遺書を書き、同意を得られる人のみが対象でその条件はよっぽどの事がないと揺らがない。”手助け”のベースは安楽死を遂げられない国で安楽死を代執行する、がわかりやすい大義だったりする。だからこそ、相手にもその覚悟を問う。
定期的な収入にも会員の保持にもなるから、不定期で今回のような美容セミナーを行なっているのだが、そこにどこかで見かけた事のある様な女性が参加していた回があった。風子に調べさせるとやはり、動画投稿などでそこそこフォロワーを抱える佐々木あかりと言う人物だった。20歳、年齢的にも広告塔にするにはちょうどいいかもしれない。向こうから来ているのだから、うまく事が運ぶ可能性は高いだろう。軽い会員を100人も勧誘すれば、その中から最後まで付き合う事になる人間が1人は出る。その枝の先の葉と言う可能性だってない事はない。せっかくのチャンスだ。しっかり活かすとしよう。
「こんにちは。今日は参加いただいてありがとうございました。楽しめましたか?」
郁が営業スマイルの下、佐々木あかりに話しかけるとひどく驚いた様子で挨拶を返してきた。話しかける前に再生回数の多かった動画をさらっと確認したが、その中の印象とは随分と違うように感じる。あれは作ったキャラクターだったのかもしれない。この先から広がれば、と思って手中に収めようと思ったが、これは1人目から当たりを引いた可能性すら出てきた。それならば・・・。
「あんまり緊張しないで。今更かもしれないけど、このセミナーの主宰をしてます安藤郁です。もしかして、佐々木あかりさんかしら?動画でお見かけした事があるような気がするんだけど、違ったらごめんなさいね。」
「・・・あ、私が・・・その佐々木あかりです。すみません。実はすっごく引っ込み思案で、人と、話すのが苦手なんです・・・。」
「そうだったの。それなのに話してくれてありがとう。とっても嬉しいです。もし良ければ、またいらっしゃって。」
はい、と消え入るような声で俯いて返事をする彼女はイメージとまるっきり違う人物だった。そんな彼女もセミナーを開く度に別途招待を送っていたら、回を重ねる度に少しずつ心を開いてくれている様だった。それでもやはりまだ時折笑顔が見えるようになった位で、緊張はなかなか解けない。
同じ頃、私は祖母の要望で疎遠になっている従姉妹の安藤恵を探していた。随分と弱ってしまって、もうそんなに長くないだろうと言われている祖母が最後に恵にも会いたかったと言うものだから探偵に探らせていたのだ。さして難しい話でもなかったが、叔父の紅葉が亡くなってからは間接的にもパイプがなくなっていたから、やはりプロの手は必要だったのだ。生前に叔父とは何度か会っているものの、恵の話は一切しないどころか雰囲気としてその話題に触れる事すらも許さなかった。一見柔和に見える人だったのに、譲れない所は一切譲らない頑固なタイプだった。家の事は抜きにしても、一人っ子だった私は妹のように可愛がっていた恵が突然引っ越してしまった時、子どもながらにショックを受け、悲しんだ。その後も何かにつけて思い出しはしていたけれど、年を追う毎に祖母もその名前を口にしなくなって、私も心の底にそっと仕舞った。私が寂しがって、祖母が同じ気持ちになるのが嫌だった。だから大好きな祖母が喜ぶ事を沢山した。私は寂しがるのをやめ、その時を生きたのだ。もう1人の叔父の神楽にも可奈と言う私と10離れた娘がいるが、こちらも離婚してその母についていってしまった。生まれたばかりだったからほとんど交流する事もなかったけれど、気がついたらみんないなくなってしまっていた。
それから10年程経った頃、久しぶりに祖母が恵の名前を口にした。恵は5歳の時、初めて自分の骨すき包丁を意のままに使ったのだと。私はあの美しかった忘れられない光景を作り出したのが彼女だったのだと知った時、久しぶりにとても愛おしくなった。私の世代はもう私1人でこの”手助け”を続けるしかない。回数はもうそれなりにこなしはしたが、それでも少し不安はある。風子はいるものの、やはり補助に過ぎないのだ。将来を考えれば考える程、日に日に恵をこちら側に戻したくてたまらなくなった。そんな中の祖母の希望だったから、この機会を逃す訳にはいかないと考えた。それでも今は警察官をやっているらしい恵をこちら側に引き込み直すのは、恐らく正攻法では無理がある。一つ間違えば、一族諸共の逮捕劇になってしまうだろう。正義の権化とも言える様な立場の彼女を崩すにはどうしたらいいのか。探偵の話では仕事が忙しく、警察署と家の往復しかしていないようだ。友達と遊ぶ事もない様なら、セミナーに呼び出すなど到底無理だろう。それどころか、有料セミナーの盲点でも突かれてしまってはまともにやっているビジネスまで転けてしまう。死神のような家業ももちろんだが、それ以外にも地域創生や美容セミナーやその他諸々をする上では取引先も従業員もいる。ただでさえ常に危ない橋を渡っているのに、一体どうすれば・・・。
そんな時だった。個人的にメッセージをやり取りする程に仲を深めていたあの佐々木あかりから思い詰めた様子で連絡があったのは。
元々のあかりは引っ込み思案で人見知りだ。けれどそれではダメだとネット上では正反対のキラキラ女子を演じていた。どんなに引っ込み思案だろうが、人見知りだろうが、承認欲求はある。何なら普段人よりも機会が少ない分、よりその思いは色濃くなっていたのかもしれない。だからこそ、動画に好意的な反応があるとそれが病みつきになり、溺れていった。自分ではない”それ”が求められるから、ただそれだけの理由でどんどん思ってもいない方向に進んでしまう。それは止めえられず、本人もまた止めたくはなかった。初めは数人でも見てくれたら嬉しかった。それがいつの間にか何千人もの人に見られる事が”普通”となり、自分の一挙手一投足を彼らが見ているのかと思うと精神が良くも悪くもグラついた。恍惚を覚える程に高揚する感覚とその興が醒める程に絶望する感覚、その間を行き来する様になってしまったのだ。そうなった時点であかりは全てを辞めれば良かった。別に辞めたって、何なら新しいキャラで始め直す事だって何だって出来たのだ。でもそれは出来なかった。
彼女は求められる事に応えたかった。
実際の所、1人の配信者が消えた所で誰も気が付かない。一瞬騒いでもらえたのなら、有難い位。それでもこの人たちには私がいないとダメなんだ、そう思ってしまうのだ。恐らく他人がそんな事を真面目に言っていたら、この人は大丈夫なのか?と思うだろう。それが自分の身に起こったら、全く冷静になれないだなんて思いもせずに、ただ善意を振りかざすのだろう。それで彼女から血が出ようが涙が出ようが、それは自己責任だと突き放して。
そんな状態で取り乱して郁に連絡したのが運の尽きでもあり、彼女にとっては救いだったのかもしれない。そしてそれが安藤恵の人生の最終章を始める歯車の一つにさえなってしまった。つまり、安藤郁はこのタイミングを逃さず、チャンスを掴んだ。例え、多少のリスクを冒す事になったとしても、それでも将来的にこの”手助け”を続けていくのならば、今彼女を、安藤恵の記憶と本能を呼び覚まして、こちら側に戻すしかない。その為にこの病んだ配信者を使わせてもらうのだ。
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深夜だったにも関わらず、郁はあかりのマンションにまで出向いていた。取り乱す彼女を抱き締めて、その涙と鼻水を優しく拭う。都会に住んでいて、こんな風に駆けつけてくれる人なんてまずいない。学生時代にかろうじてあった友人関係は世界が広がる程に幻のように消えていく。そんな乾いた呆気ない世界でそのような愛情にも似た感情を真っ直ぐに向けられると弱った心はより弱る。心強い、は多少の依存がそう勘違いをさせる事でその場を乗り切る力に変化してくれたりもする。そしてその事態を乗り切って、自分を生きる事が出来るならそれで問題ない。だが、その時に頼る人を間違ってしまった場合、思いもよらない顛末を迎えてしまうのだ。この佐々木あかりの様に。
「ねえ、あかりちゃん。私今とても困っている事があって。どうにもならなくて。でも解決しないとならないの。一つお願いを聞いてもらえないかしら。あかりちゃんにしか頼めない事なの。あなたが無理なら誰かに私を殺してもらうしか道が残っていないの。私はもっと沢山の人を助けたかった。生きていればそれが出来るのに、今は誰かが未来の為に死を受け入れるしか、もうそれしかないの。私、どうしたらいいかしら。」
「郁さんの為なら私何だってするよ。私が大変な時に支えてくれたのは郁さんだけだった。どん底にいても抱き締めてくれた。だから私、何でも出来るよ。郁さんになら、いいよ。私が代わりになるよ。」
「本当にいいの・・・?」
「うん。郁さんは沢山の人を助ける事が出来る。私に出来る事なんてそもそもないのに、その私が郁さんを助けられるなら、それは間接的に沢山の人を救う事になるじゃない。それなら配信なんかよりもよっぽど意味があるよ。」
「そんな事言わないで。やっぱり忘れて。若いあかりにとんでもない事を話しちゃった。ごめんね。忘れて。」
「じゃあ一つ条件を出すよ。それを私の最後の願いで叶えてくれる?」
「何・・・?」
「誰よりも目立つ方法で私の人生を終わらせて。配信者としてそれが本望だと思うの。郁さんになら全てを託せる。郁さんだからだよ。他の人から頼まれても絶対にこんなお願い聞かないんだから。」
すぐ側に寄り添って座っていたあかりを郁はぎゅっと抱き締めると、ありがとうと何度も言いながらその頭を撫でた。あかりは随分とホッとした顔で郁に体を預ける。
これで準備は整った。
小一時間後、あかりを寝かしつけた後に郁はそっとマンションを後にする。深夜だと言う事はお構いなしに、多野卓のスマホを鳴らすと案外すぐに繋がった。どうやら院長と言えど人手不足や働き方改革でちょうど夜勤シフトに入っているようなのだ。取り急ぎあかりの事を伝えると、それは良かったと安堵した声を漏らす。
「それではどうでしょう。ただ恵様の過去の威光を模倣してもあかりさんは浮かばれません。それどころか恵様に思いが届くかさえわかりません。そうですね。遺体は少しユニークにしましょうか・・・。少しでも早く記憶を呼び起こしていただく為に印象的にしなくては。そして、努叔父さんに協力してもらいましょう。母にも明日連絡を入れますが”世路の教え”に生かしていただいている我々です。その繁栄の為なら、私たちはその命を惜しみません。」
「ありがとう。本当に頼りにしているわ。」
恵への執着はもう何かでどうにか出来るレベルはとうに超えていて、彼女がいなければ、もう何も立ち行かないようなそんな気にさえなっている。一人では心細い、それは大いにあるかもしれない。それでも今の私を作ったのは、恵のあの日の行い。私はこの業とも呼べるであろうしがらみに囚われながら、元よりそれを喜びともしながら、祖母も認める天賦の才を持つ恵に大きな力で導かれたい。より高いまだ見ぬその高みへ。
「恵ちゃん。もうすぐ、もうすぐ会えるからね。待っててね。」