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1-1 白いワンピースを着たミイラ

令和元年10月も半ばの20日。10月にも関わらず、この日は昼にもなると気温が25度を軽く超える。スーツで臨場した第二機動捜査隊所属の井上保と安藤恵は車を降りると一旦ジャケットを脱ごうか悩む程に天気のいい日だった。


「何ですか、これ・・・」


機捜に配属されて半年以上が経ち、それなりに日々のルーチンには慣れてきた安藤はそう口にすると二の句を告げられずにいる。無線が入るまで、上司であり相勤である井上保と本当にどうにもならない話を笑ってしていただけにその落差に感情が追いつかない。


外から見る限りは普通のアパートだった。単身者用のよくあるアパート。唯一の窓には量販店で売っているような大きい花柄のカーテンがかかっていて、それは閉じたままだ。部屋に漏れいる光がちらちらと室内を照らし、それがまた気味の悪さを増長させるようで身震いがする。締め切った室内は今日の陽気なら多少は温度が上がるはずなのに、妙に空気が薄く、そしてヒヤリとする。最近では特に意味もなく一日中カーテンを開けない家もあるから、本当におかしい所なんてぱっと見はわからない。それなのにこの明らかな違和感。部屋の中にはカーテン以外何もない。6畳にロフトと小さなキッチン、ユニットバスが付いているこの部屋には彼女しかいなかった。


部屋の真ん中に座った状態でミイラ化している彼女。

佐々木あかりしか存在していないのだ。


現代日本で恐らく自分とそんなに年端も変わらない女性が何もない部屋の中央で体育座りの姿勢で恐らくミイラになっている。安藤はウッと込み上げたものを抑える事が出来ずに、急いで部屋の外に出る。こんなにも晴れて、平和この上ないこの世界に、何故彼女は。何をどう考えても合点がいくはずはなく、その異様な光景が頭から離れない。すぐに戻ってもまた戻してしまいそうで、少し落ち着くのを待っていると、鑑識のナベさんこと、渡辺が部下の山﨑と一緒にワゴンで現場に到着した。


「あら、安藤ちゃん。どんまい。これほら開けてないから、口濯いで落ち着いたら現場戻って。それとも車で待機する?」

「いえ、大丈夫です。聞いてはいたものの、やっぱりちょっと衝撃的で取り乱しました。お水ありがとうございます。現場こちらです。」


頬をピシャリと叩いて、走って飛び出してきた現場にもう一度戻る。一度大きく息を吸って吐いて、背筋を伸ばして、改めて足を踏み入れる。どう気合を入れようが、その玄関を跨ぐ時のこの異様な緊張感はすぐにでもまた踵を返したくなる。それでも初動捜査が仕事の機捜で現場に一番乗り出来ないなら、役立たずだ。ここでこんなくじけ方をする為に今まで頑張ってきた訳がない。私は誰かの役に立ちたい。だからこそ警察官を志した。その志を忘れるな。目の前の恐怖に飲まれるな。


遺体は体育座りをした状態でミイラ化していて、一見大きな外傷も着衣の乱れもない様に見える。ただ白かったであろうワンピースは体液によるものなのか、一部変色して遺体に張り付いていた。ただそれだけが正しい世界の反応のようで、この部屋にあるそれ以外は明らかに異様で、もう戻しはしないものの、本能的に理解を拒むようなそんな明らかに関わってはいけない何かを感じて体がすくむ。


「大丈夫か?」


戻ると上司の井上が心配して声をかけてくれたものの、望んで配属された限りはここでダメだとは言えない。言いたくない。溢れ出してくる色々を体の奥底に押し込めて、大丈夫です、と絞り出す。恐らく諸先輩方は気が付いている。まだまだひよっこであるこんな私の強がりにも、今の状況に心底怯えているその本心にも。それでも今の私が出来る精一杯は現場を汚さずに、虚勢を張ってその場を乗り切る事だけ。そんな事をしても意味がないかもしれない。そんな状態でここにいても、まともに状況把握出来ないかもしれない。それは重々わかってはいるが、それでも私はその場にいて、それを耐える事を選択した。


遺体の状態を少しでも保存する為に、運び出すまではカーテンを開けずにこのまま検分する。


「自殺・・・ではないだろう。1人でこんなに綺麗には死ねないよ。と言うかこれはもうほとんどミイラ化してるし・・・。一応自殺と他殺の両方の線で洗うけども、他殺だったとしてもこれはかなり特殊案件になりそうだ。宗教とか絡んでないといいけどなあ。」


そう1人ごちると井上は到着した一課の捜査員に現場を引き継ぎ、私を連れて一度署に戻った。後は然るべき部署に真相究明をしてもらうしかない。取り乱して、その後も思うように動けていなかった私はどうにも落ち込んでいた。顔にも態度にも出さないように気をつけてはいたけれど、帰りの車の中で全て承知の上の井上に言われた言葉がその先もずっと忘れられなかった。


「恵。あれに慣れるなよ。拒否反応を忘れるな。あんなものに慣れてあっち側に行っちゃダメだ。俺たちは人間として事件を追うんだ。追われる側に引きづられるな。わかったな。」


現場を見て平気そうにしていた井上の言葉はずっしりと重く、今までにもたくさんの感情に怯え、溺れそうになりながらも自分を何とか保って職務をこなしてきたのだとその積み重ねられた覚悟に頭が上がらない。


*****

ピピピピピピ・・・


とても耳障りがいいとは言えない目覚ましアラームの音で恵は毎朝目を覚ます。起きる直前に見ていた夢はいかにも夢らしい夢で、それなのに匂いも風も温度もわかる様な気がした。


夏の暑い日の昼間のバス停。どこだかわからないがこの辺りではないし、実家の辺りでもない。もしかするとどこかで見たポスターや映画の情景を借景しただけなのかもしれない。それはいいとして、その風景の中で私の手は何故血濡れていたのか。昨日発見された遺体があまりにも奇妙だったから、その記憶を変に引用したのだろうか。それでもあの血濡れた手に感じた生温かさと独特の匂い。そして頬をねっとりと撫でる灼熱の風。そんな事があってはならないのに、何故か郷愁さえ漂う奇妙な夢だった。寝ぼけ眼にそんな回想をしていて、鳴った二度目のアラームで我に返る。今日は休み返上で先日のミイラ事件の捜査を引き続き手伝って欲しいと所轄の刑事に頼まれていたんだった。


人を守るなんて簡単に口に出来るものではない。現場に出られたとしても、それはもう事後でせめてもの悔いを残さぬよう、法で罪を裁く為に常識外に歯を食いしばって向き合う。と、思いを新たにしたものの、ミイラ化した遺体からは特に身元の照合に繋がるような検視結果は得られなかったと風の噂に聞いた。引き続きもう少し細かい鑑定などには進めるらしいが、手がかりがない状態では結果を生かす事も、ましてやその結果を殺す事さえ不可能だ。身寄りのない人だったのか、ミイラ化前からは生前の様子など窺い知れない。発見した部屋一つとっても彼女の物ではないかもしれない。実際にその後調べが付いた部屋の家主はどこぞの法人で、家賃は契約時に2年分前払いになっていた。事件後に不動産屋が登録の電話番号に連絡をしてみて初めて使われていない電話番号だったと発覚したのだから、もうその線では辿れない。両隣の住人だって今までその部屋に誰か住んでいたのかどうかそれすら知らなかった、


変わっていないと思い込むのはいつもそう思う人の都合で、それ以外の要素は含まれない。加えてその他の人々一人一人がそう思う事が出来るのだとすれば、それはもう誰かの言う”普通”が自分の”普通”である可能性もないし、それがましてや変わる事のない要素であるなどとどうして言えようか。身元は未だわからないが、発見時にはわからなかった遺体の状況は検視で少なからずわかってきた部分があった。その遺体は死の直前に顎下を何らかの鋭利な刃物で掻っ切られていた。想定死因は切創を起因とする失血死。凶器と思われる刃物は実に鋭利で、よく砥がれていたのか、その切り口は随分と真っ直ぐにパックリと開いていたようだ。丹念に研いで、角度を計算して、更にその腕に自信があるのなら話は別だが、もし衝動的な殺意だったり、安直に刃物なら切れるだろうと言うような考えならこうも真っ直ぐな切り口にはならないらしい。となると刃物の扱いに長けた者かよほど入念に計画実行したかのどちらかになるだろう。ただ、発見時に遺体が身につけていたワンピースは白く、体液が付着したかと思われるシミはあったものの、それは血痕ではなかった。引き続き捜査協力していて出向いた先で解剖を担当した教授にそう告げると、胃の底が捲れるような気分になる気持ち悪い想定を聞かされる事となる。


「鋭利な薄い刃物で一切りにされているのは恐らく被害者ご自身の手によるものでしょう。ですが、自分で首を掻っ切るのはなかなか・・・。予想でしかありませんが、一般的には誰かの介添ありきではないかと思われます。疵痕から推察するに刃厚は2、3ミリ程度、刃渡は15センチ程度の刃物かと。ただ表皮がここまで乾燥してしまっているので、そうでない場合に比べてどうしても推測が多くなってしまいます。事前に衣服からの血痕反応はなかったと聞いておりまして、恐らくそれはその通りですかね。左右の外頸動脈を一度に裂傷させ失血死に至らしめるまでの間に刃物を外し、硬直までの間に首からの出血がない状態にまで血を抜き、衣服を着替えさせ、体育座りに姿勢を整えた上で死後硬直を待ったのでしょう。確定は非常に厳しくはありますが、左腕に針跡と疑わしき傷跡があります。ざっとこんな所です。詳細はこちらの報告書にまとめてありますので、また何かあればご連絡ください。」


説明を聞き終えるか否かの所で安藤の持つ携帯がけたたましく鳴り響いた。静かな処置室で平謝りにしながら安藤は急いで部屋を出る。


「え?そんなまさか。え?それは確かなんですか?」


捜査本部が立ち上がり、その会議の後に聞き込みに出ていた同僚からの電話だった。ミイラの彼女が見つかったアパートのすぐ側に同じようなアパートがあって、捜査員の1人がそこの住民に話を聞いてみようとした所、室内で首を吊ったご遺体を発見したそうだ。その足元には遺書があり、彼女を殺したのは自分だと書いてあったと言う。向かいのアパートの105号室に首を切って殺した佐々木あかりを放置した、その罪を償う為に自殺すると言うような内容の遺書だったらしい。


「発見されたのは多野努58歳、無職。現場に遺書あり。本件殺害方法に言及する内容が遺書には書かれており、これらはメディア露出をしていない事からもその詳細さから容疑者であると推察される。自殺には目立った異常性もなく、遺体のすぐそばに置かれていたスマホでその方法を検索した履歴が残っており、部屋には生活の痕跡がある。室内は多少の乱れがあるものの、生活によるものであり、他者によるものではないと推測される。よって容疑者死亡で書類送検とする。捜査本部は現時刻をもって解散。残務処理は別途指示する。お疲れ。」


急いで本部に戻った井上と安藤は上がった息を落ち着ける間もなく、疑問だらけの異様な事件はえらくあっさりと解決してその幕を下ろしてしまった。釈然としないまま、去り行く捜査員達の背中を見つめても、納得出来る理由が得られる訳もない。確かに状況から見ればこの件は終了なのかもしれない。そうだったとしても発見された遺体はミイラ化していたのだ。そんな痴情の絡れとも言えるような理由一つで出来る所業なのだろうか。


少しは疑問に思う関係者もいただろう。それでもこの事件の被害者である佐々木あかりはご遺族が出てくる事もなく、その遺体の引き取り手を探しているような状態だった。ここに一つの命が失われたのは事実だが、それに伴ってもう一つ命が引きづられた現実をセットにして解決とすれば、方々が丸く収まる。容疑者の多野にしてもまだ身内と連絡が取れていないと言う。それでもここではもう終わった事になってしまった。一つに拘り続けてそれを解明するのも正義だが、一定の幕引きで次に起こるもしくは既に起こっている事件にリソースを割くのもまた社会の歯車として必要とされる残酷さではある。今回は遺書によって容疑が固められている。ただ、死人に口無し。こうなってしまってはもう多野努が容疑者であると確定してしまった事実が揺らぐ可能性は無いに等しいだろう。何がそんなにも引っ掛かってしまうのかわからないままに、2人は会議室を後にする。分駐に戻る道中、井上も安藤も考え込んでいて、必要以上に会話を交わす事はなかった。それぞれが違和感を胸に抱えたまま、長かった勤務を終えて帰途に着く。


漠然とした猜疑心に苛まれながら。


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