しゃれこうべの再会
私は芳しい花々の中に埋もれ、天を見上げていた。
――真っ青だ。今日も美しい空の色。
どうしてこんな景色が見えているのか、私にはわからない。もしかするとこの体に、霊となって宿っているのかも知れないななんて思った。
私は一つのしゃれこうべ。
体はどこへ行ってしまったのか知らない。とうの昔に失われ、残ったのは頭だけ。
しゃれこうべに宿った私の魂は、もう長い間ここにいる。天界へと赴かず、ここでぐずぐず怠惰を貪り続ける日々。
あれはどれほど前になるだろう。
まだ九つだった私は、友達の男の子と遊ぶ約束をしていた。
けれどその子が病気で来られなくなり、花をあげて励まそうと思ったのだ。
サプライズにしようと、母にも内緒でこっそり家を抜け出した。
山を登り、一人きりで花畑へやってきた。可愛い花々を摘み取り、その香りにうっとりとして、私は我を忘れてしまったのだろう。
花畑にはおそましい熊が潜んでいて、私に食らいついたのだ。
私は摘んだ花束を取り落として逃げた。が、足が熊の鋭い爪でしっかりと掴まれていて、どうにもこうにも逃れられなかった。
私は食われた。ガブリガブリと、遠慮なく、無配慮に、無慈悲に。
その時きっと、死んだのだろう。けれど私の意識はなぜかこの世から離れず、少し浮き上がって、食われる私を眺めていた。
途中で鷹がやってきて、私の亡骸を貪る熊と争い始める。体格の大きな熊が勝るかと思いきや空の方が有利、鷹の嘴で目を潰され、熊は悲鳴をあげて帰っていった。
鷹に荒らされて私の体は見るも無惨になってしまった。頭部だけを残し、鷹は私の体を咥えて持ち去っていく。
――気づくと私はしゃれこうべになっていた。
どうしてあのまま死なななかったのだろう。それから何年も何年も、何十年も、この花畑に囲まれていた。
ここへやって来る者はいない。時計の針がいくら進んだとしても、私の時は止まったままだ。
私は一体こんなところで、何をしているの?
そんなある日のことだった。
花を踏み踏み来る人影が見えたのは。
見えたというより感じたのやも知れない。
その人物は、若く美しい青年だった。
花畑を背に立つその姿には、どこか見覚えがあった。
彼は私の方へまっすぐ歩いてくる。
それを見上げることしかできない私。
「――見つけた」
目の前まで来た青年はそう呟いて、私を抱え上げる。
人と触れ合ったのなんて、何年ぶりのことなのか。遠い遠い昔には、たくさん触れられたのに。
青年の体温が、私にじんわりとした暖かさをもたらした。
その時私は、やっと気づいた。
そうか。そうだったのか。やっと……、やっと来てくれたのか。
「ごめんね、待たせて。う、ぅううぅっ、うぅぅぅ」
私に頬を擦り付け、青年は涙を流している。
私は「いいよ」と言ってあげたいのに声がないというもどかしさに、身悶えしたくなった。しかしその体もないのだから、つまり見ていることしかできないのだけれど。
「僕のせい……。僕のせいで君は何年も何年も」
いいの。いいんだよ。だってあなたは、迎えに来てくれたんだもん。
心の中だけで、彼にそっと語りかける。
再会できただけで、私は満足なのだから。
私はようやく理解した。雨に打たれ風に晒されながら、私はずっとこの時を待っていたんだと。
「また会おう」と約束したことを覚えている。
「いいものを持ってきてあげるから、待っててね」
私はあの日、そう彼に言ってここへ来たのだ。
しかしいいものを持って帰ることはついにできなかった。それでも私は心の奥で、その約束を果たしたいと思っていたのだ。
そして彼もまた同じ。私とのあの約束を忘れないでいてくれて、ここまで見つけに来てくれた。
「君がいなくなったあの日から、僕はずっと探していたんだよ。けれど君は見つからなくて、僕も引っ越ししなくちゃいけなくて……。遅くなって、ごめん。でも十年ぶりに街へ戻ったその時に、ふと気づいたんだ。ここへ来たら見つかるんじゃないかって。そしたら君はいてくれた」
青年は優しく笑う。私は心から嬉しくなった。
「――綺麗だね。君は約束通り、僕にいいものを見せてくれたよ。さあ、帰ろう」
私を大事に抱えながら、青年はそっと花畑を歩き出す。
歯が剥き出しになった私の口には、一輪の花が挟まれていた。
私は一つのしゃれこうべ。
今は彼の家で、柱時計に嵌め込まれ、その一部となった。
孤独なお花畑から抜け出して、動き出した時の中、彼と一緒に過ごす日々。
彼と話すことはできないけれど、私は彼を愛してる。
妻ができて子供ができて、いつか彼が忘れたとしても、私は永遠に見守り続けるだろう。
柱時計として、静かに時を刻みながら。
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