タマ①
部屋の外は白いもやが蔓延していた。
無言のまま、僕は木部さんに付いていく。
薄いもやが消え、視界が明朗になっていく。
左手に大きな四角い建物が現れた。
「あれは、タマ洗浄場です。第一と第二があります。また行く時があるので、今度また説明しますね」
と木部さんは、少し振り向いて言った。
はあ、と僕は相づちを打った。
そして、沈黙のなか第一洗浄場と呼ばれる建物に沿って、歩いていく。
訊ねたいことはあった。
しかし、言葉がでかかっては止まった。
これから、この人に仕事を教わることになるらしい。嫌われるとあとあと面倒である。どのように話しかけて、どういったキャラクターになれば、この人に嫌われずに済むだろうか。
などといちいち悩んでいると、のど元まできた言葉は、唾液とともに下の方へ落ちていく。
沈黙がつらかった。
死んだはずなのに、胃がきりきりする。
早く、この沈黙を打破したい。
これでは、生きているときと同じである。
そして、諦める。
気まずい沈黙のまま歩きながら、ある考えに至る。
沈黙が気まずいのは生きている人々だけであって、この世界の彼らは、沈黙を気にしないのではないか。
そう思うと、気が楽になった。妙に自分が誇らしくなり、胸を張って歩いた。
途端、木部さんが歩く速度を落とすと、僕の横に並び、右足のズボンの裾を上げた。
「へへ、今日、間違えてお母さんの靴下はいてきちゃった」
小さなピンクの花が無数にちりばめられた、白い靴下だった。
木部さんは、僕の反応を待っていた。
沈黙は、この世界でも気まずいものらしい。
僕は、木部さんの頑張りに答えようと、なんとか言葉をひねり出した。
「か、かわいい靴下ですね」
木部さんは、へへ、と笑った。
僕も、はは、と笑った。
僕と木部さんは、横並びのまま歩き始めた。
再び沈黙が流れる。
次は、僕の番だ。
「あの、どんな仕事なんですか?」
どもることなく、声が出せた。
「えっとね、タマの説明は森田さんから聞いたかな?」
はい、と僕は頷いた。が、よく考えるとタマってなんだ。
「タマは、ほとんどが転生される。もしくは、ほかの工場に移送される。転生される場合は、タマの洗浄を行って、そのまま地上に戻すだけ。それだけならいいんだけど、新しいタマを作るときにね、タマとタマを、なんていうかな、工場では印刷って言ってるんだけど、いくつかのもととなるタマを印刷して、新しいタマを作り上げるんだ。そのもととなるタマを保管しておかないといけなくて、それが今から行く自動倉庫にあるんだ」
もやが薄くなってくると、視界が開けた。
やたらと横に長い、四角い建物が現れた。
「あそこでそのもととなるタマを保管している。で、僕らの仕事は、川本さんからもらった指示書に従って、印刷に使うタマを倉庫から出したり、印刷に使い終わったタマを倉庫に直したりすること。あ、待って」
木部さんは、急に立ち止まった。
「ここ、横断歩道があるでしょう」
真っ白の地面の上、僕と木部さんの行く先に、黒い線がいくつも引かれている。
「指差呼称しないと、怒られるんですよ。へへ」
「えっと」
僕が戸惑っていると
「ああ、指差呼称初めてかな。工場内で横断歩道を渡るときは、必ず指差呼称してから渡らないと駄目なんだよ。こうやって、ぴっぴっと」
木部さんは、右手の人差し指を右に左に一度づつ、あっちむいてほいをするように指した。
「リフトとか、トラックとか来ないかを確認するんですよ。まあ、みんな形だけですけど、やらずに渡ってるの見つかると怒られるんでね、へへ」
あまり意味がないように見えるが、誰が考えたのだろう。思いつつも、木部さんの言う通り、指差呼称をして横断歩道を渡る。
建物の左端にある扉の前にくると、木部さんは
「ここは自動倉庫の裏口です。まあ、入りましょう」
と言って、扉を開いた。
ピンピロリン ピンピロリン
どこかで聞いたような親しみのある音が、ある乗り物から流れていた。
「リフト、今日荒井さんですね。結構運転荒いんで気をつけてください」
だじゃれかな、と思い、反応しようかと木部さんの方をちらりと見たが、当の木部さんは、何かを誤摩化すようにほほを掻いていた。偶然だじゃれになってしまったのだろう。そっとしておこう。
ピンピロリン ピンピロリン
天井高く広々とした倉庫内、荒井さんは、リフトを颯爽と操縦する。リフトについた二つの爪をパレットの穴に入れ、パレットをぐっと持ち上げると、ものすごい勢いでバックし始める。天井からぶら下がった紐を引っ張ると、シャッターが素早く開いた。そしてそのまま、外へと出ていった。
シャッターは、数秒後に自動的に閉まった。
「今荒井さんが出てったシャッターの方が、表側になります。そっちにはトラックとか止まってるんで、まあ後で行きます。僕らが入ってきたこの扉は、倉庫の裏口になります」
なるほど、となんとなく相づちを打ちながら、僕は、倉庫内を見渡した。
倉庫の中央は、広々としていて、何も置かれていない。床には幾重にも黒い線が残っていた。リフトのタイヤ跡だろうか。
倉庫の右側は、奥が見えないほど暗く、広かった。パレットがでてくるゲートが4つあり、それぞれに胸高ほどの操作盤があった。シャッターのそばにある小さな事務室から、小太りの男が現れた。一番端の①と書かれた操作盤の前に立つと、なにやらボタンを押し始めた。
途端、鉄の擦れる音とともに、右側の暗闇から、積み荷ののったパレットが、一番ゲートから現れた。
「パレットが出てくるゲートは、4つあります。あの方が使っている操作盤が、一番ゲートのやつです。僕らが使うのは、この端っこの、4番ゲートだけです。ゲート一つに対して、2列あります」
ふむ。ゲートが4つで、一つに対して2列。計8列か。奥行きはどれくらいあるのだろう。
「奥行きは、五十連あります。ちなみに、上は十段です」
木部さんは、僕の疑問を掬いとってか、言った。この右側の暗闇に、それほどのパレットが入っているのか、と驚く。
実際にやってみましょう、と言って、木部さんは操作盤の前に立った。僕も、おずおずと付いていく。
操作盤の画面には、電卓のように並んだ数字と、四つの空欄の四角があった。
「タッチパネル式です。四角が4つあるでしょう。一番左の四角で、ゲート番号を設定します。ここはゲート4なので、4を押します」
一番左の四角は、4を設定する。なぜなら、ゲートは4番しか使ってはいけないから。メモっとこうか。いや、これくらいなら覚えられるか。
「次の四角が、列です。ゲートは4つですが、列は8つあります。ゲート4から出せるのは、七列目か八列目だけです。それ以外の数字を設定してしまいますと、アラームがなります。試しに押してみましょう」
木部さんが数字を入力すると、二つ目の四角に、9 と入力された。途端に、倉庫内にブザー音が鳴り響く。
「アラームが鳴った場合は、左下にアラーム停止ボタンを押してください」
ブザーが鳴り止むと、再び木部さんは説明を始める。
「さて、次の四角が、奥行き、つまり連ですね。五十連までしかないので、気をつけてください。そして、最後の四角に打込むのが、段の数字です。段は、高さですね。十段まであります。今回は、七列目の二十連目、九段目の棚にあるパレット出してみましょう。なので、4ゲート、7、20、9、と入力。さて、ここまで入力すれば、右下のスタートボタンを押せば完了です。押してみますか?」
木部さんは、にっこりと笑って、こっちを見た。
僕は、いえいいです、と言ったら、木部さんはどんな反応を見せるだろうか、などと、意味のない妄想を一瞬しながら、はい、と頷いて、スタートボタンを押した。
鉄と鉄が鈍く摩擦する音が、遠くからだんだんと近づいてくる。
ガクンと何かが止まったような音がすると、パレットが、右側の暗闇から明るみに現れた。
「上にのっているのが、タマです」
そう、あれが、タマ。
「ええ、あれがタマ?!」
「ええ、あれがタマです」
僕は、タマを見て口をあんぐりとあけた。
パレットに、山積みになったタマ。
これって
「人ですよね?」
正方形の黒いパレットに、半透明のカバーでくるまれた人々が、膝折になって立てられている。それもパレット一杯に、何人も。
「タマです。生前の姿で地上から送られてくるんですよ。カバーは、外傷が付かないように、ですね」
タマタマって話には出てきてはいたけれど、どんな形をしているのだろう、と疑問に思わなかった自分もおかしいが、まさか人がそのままでてくるなんて考えることがあるだろうか、いや、ない。
タマが、というより、立てられた人が落ちないように、外側には青いバンドが締められている。心なしか、端に立てられた人の体がバンドのせいでくぼんで見える。見ていると、少し吐き気がする。