働く。
ぼくはいたってれいせいだ。僕は至ってれいせいだ。墨吐いたって冷製だ。
悩ましい。
「ほかにも、タマの修正を施したり、取引先の営業さんがやってきて」
「馬鹿かお前は!そんな説明ですぐに理解できるはずがないだろ」
川本さんは、鋭い口調で森田の話を切ると、僕の方を見た。
「ここはな、死後の世界だ。で、俺たちは、いわば、天使とか、神とか、そういったたぐいだ」
「死後の世界?天使?いや、そんなこと」
「疑問が沸くのはわかる。しかし、この世界も、俺たちも、あるものはあるんだ。そして、お前は、そこにいるんだ。とりあえずは思考を停止させてでも、この状況を一度肯定しろ。そうしないと話が進まん」
川本さんは、言い終わると森田の方を見た。
しゅんとしていた森田であったが、再び快活に話し始めた。
「続きを説明しますね。トイレの個室にいた堂本さんの頭上に鞄が落ちてきました。堂本さんは激しく頭を打ったんですね。その際に、堂本さんのタマがでてきたんです。そのタマを、うちの現場作業員が、すくってきたんです。虫取り網のようなものでタマをすくうんですがね」
タマ?魂みたいなものか。そんなものが存在するのかしないのかわからないが、しかし実際に魂は存在する。思考の停止とはこういうことだろうか、と思考する。
「でね、そのまま、堂本さんが死んでくださればよかったんですが」
森田に悪気はないのだろうが、嫌な言い方だな、と思った。
「生きてたんですよ、堂本さんの肉体」
「え?僕まだ死んでないんですか?」
「ええっと、死んだと思ってタマをすくってきたんですが、生きてたんですね。これは、法律上いけないこ
とになってまして。肉体が完全に死んだときにしかタマをすくいとってはいけない決まりなんですよ。肉体の死、といのも何を持って死とするかは難しいのですが。髪の毛なんかは人が規定する死を過ぎても、当分は生きていま」
川本さんの貧乏揺すりがデスクを揺らすほど大きくなったのに気づき、森田は慌てて話を本題に戻す。
「とにかく、私どもは、その時代の、その社会の人の規定する死、を持ってその人のタマをすくってくるのですが、うちの作業員が早とちりして堂本さんのタマを死ぬ前にすくってきてしまったんです。ここまでなら、またタマを肉体に戻して終わりなのですが」
森田は、頭を掻き、軽い笑みを浮かべながら続ける。
「私が、堂本さんのタマを登録してしまったんですね、データとして。へへへ。よく書類を確認すれば、まだ肉体が死んでいないことがわかったはずなんですが、そのとき私ちょっと疲れてまして、ははは。データ登録されたタマは、工場長の許可がない限り地上に戻れなくなるんですよ。昔、うちの作業員が面白がってタマを地上に戻したことがあって大問題になりまして、それからというものタマの行き来に制限ができたん
ですね」
死んだ人のタマを掬ってくる作業員がいて、そのタマを管理する工場が、ここである。色々と手違いがあって、僕は間違えてここにいる。幾度かの思考停止を経て、話を理解する。
「あのー、その、工場長は?」
「言いづらいんですが、えーっと、工場長は長期の出張中でして。堂本さんを地上に戻すには工場長から判子をしてもらわないとダメなんですが、当分帰ってこられなくて、あの人」
「へ?」
生前まだ高校生であった僕でもわかる。この工場の体制は杜撰である。
申し訳なさそうに、森田が言う。
「いつもなら判子を置いていくんです。工場長特製のね。それがあれば、書類を通してタマが行き来できるようになるのですが、今回、あの方間違えて判子も一緒に持っていってしまって。まあ半年もしないうちに帰ってくるとは思いますんで」
「え?いつ帰ってくるかわからないんですか?」
森田は、はあ、と曖昧に返事をした。
黙って聞いていた川本さんが、口を開く。
「全面的にこっちのミスだ。俺のミスではないのだが。とにかく、申し訳なかった。ほら、お前も頭下げろ」
森田共々、僕に頭を下げた。
二人に対しての怒りはなく。かといって、この状況を楽しんでいるわけでもなかった。ただ、僕の心にあるのは、この後どうすればいいのか、どうされるのか、という不安だけである。
「で、ですね、堂本さんにはですね、当分の間、このタマ管理で働いてもらう、ということになったんです」
「え?」
「当分の間ですね、働いてもらおうと。といっても簡単な作業ですよ。ちょうど手が足りなくて」
「いや、だって、ぼく」
森田は、僕の言葉の上から、言葉を被せる。
「もちろん、こちらの責任でこの状況があるので、住まい、交通費、食費の幾分かはこちらが負担します。ですが、工場長の帰還が半年、いや、状況次第では年を超えることもあります。そうなることを考えますと、誠に申し訳ないのですが、働いてもらうしかないのです。住民登録をしてもらう際や、身分証明などのときなど、こちらで生活していく上では、社員になっていたほうが何かと便利でして」
「いや、僕何もできませんよ!仕事なんて無理です!不器用で覚えが悪いし何回も同じミスするし」
「今から覚えりゃいいだろ」
頬杖をついた川本さんはそう言うと、一つあくびをした。
「いや、でも」
働く、なんて大層なこと、僕にできるはずがない。高一の夏休みのラーメン屋のバイトで経験済みである。1日でばっくれた自分が、仕事など。絶対に失敗をするし、失敗して怒られたら、手が震えだす。一度萎縮してしまうと、もう際限なく失敗が続く。ストレスになる。死んだのになぜストレスフルなことをしなくてはいけないのか。そもそもこの状況の原因は向こうにある。なぜ働かなくてはいけないんだ。
言葉を紡ごうとしたそのとき、再び扉が開いた。
青い作業着を着た青年が、顔に笑みを敷きながら入ってきた。
僕は、口を噤んだ。
青年は、うっすと小さくお辞儀して、森田と僕の前を通り過ぎると
「川本さん、予定表は出てますか?」
と朗らかな声で言った。
「予定表は出てるけど、伝票はまだだぞ、木部」
と川本さんは、青年に紙を渡した。
「木部君、ちょうどよかったです。今日から二十一号機は、堂本くんと二人でやってもらいます。後はよろしくお願いします」
と森田は、さっさと部屋を出て行った。
「てなわけで、木部、頼んだぞ。えっと、こちらは、堂本君」
「うっす、話はある程度聞いてるんで。行きましょう、堂本君」
目の前で、話がさっさと進んでしまう。いや、僕はどうすればいいんだ、と立ちすくんでいると
「ここにいてもなんもなんねえぞ、堂本!」
と川本さんに睨まれ、ひいひい言いながら、僕はおずおずと、木部、と呼ばれた青年の後に付いて部屋を出た。もう呼び捨てなんですね。吐き出そうとしていた文句は、心の中でうずうずとした苛立に変わり、やがて消えた。後に残ったのは、やはり不安だけであった。