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2.変化、始まる新生活(5)

 ホームセンターは美桜が言った通り車で二十分ほど走った先、田んぼに囲まれた場所にポツンと建っていた。農業をしている人たちが多く利用しているのだろう。農機具の品揃えが豊富だ。


「あ、先生ありましたよ。電子レンジとか炊飯ジャー。なんか、売れ残りっぽいの」


 美桜が店の一番端にある棚の前でサチを呼んだ。


「売れ残りっぽいのって……」

「ほら、春の転居シーズンに合わせて入荷したものの売れなかった感じ」


 美桜の視線の先には、確かに一人暮らし用の家電が気持ちばかり置いてあった。親会社から入荷させられたものの、この立地では売れずに残ってしまったという雰囲気だ。値段もシーズンを外れたからなのか、定価よりも十パーセント引きとなっていた。元の値段が安いので、サチにとってはありがたい。


「なんか、悩む余地なしって感じですね。もっと可愛いのがあればいいのに」

「いいよ、これで。安いし。白ならどんな部屋にも合うし。なによりこの値段なら買える! あ、トースターも安い。定価だけど、これでいいや」

「優柔な先生見られなくて残念」


 どこか不満そうに美桜は呟いた。サチは眉を寄せて「御影さん」と美桜へと視線を向けた。


「あなた、もしかしてわたしの弱みでも握ろうとしてない? 昨日から、変なところばかり記憶されてる気がするんだけど」

「そんなことしませんよ。先生の弱み握ったところで何の得もないし」


 それは確かにそうかもしれないが、そうはっきり言われるのもなんとなく腹が立つ。


「弱みとかそんなことじゃなくて、わたしはただ――」

「ただ?」


 美桜はまっすぐにサチの顔を見つめると、ニッと笑みを浮かべた。


「もっと先生のことが知りたいだけだよ」


 瞬間、なぜだか心臓が跳ねた。自然と顔が熱を帯びてきたのを感じる。そんなサチを一瞬驚いたような表情で見た美桜だったが、すぐにからかうように笑った。


「なんで赤くなってんの、先生」

「べ、別に赤くなんか」

「いやいや、赤いって。もしかしてドキッとしちゃった? 先生ってば免疫なさすぎじゃない?」

「そんなことありません。それになんで生徒の言葉にドキッとしなくちゃいけないの」


 言いながらサチは棚に置かれた炊飯ジャーの箱を取ってカートに入れた。続けてトースターの箱もカートに入れる。


「あ、電子レンジは店員さんに運んでもらった方がいいですよ。ちょっと呼んできます」


 美桜が言ってその場を離れる。サチはカートに身体を預けるようにしてうなだれながら深く息を吐き出した。

 本当に、何をドキドキしているのだ。いや、その理由はわかっている。あんなにもまっすぐに自分のことを知りたいと言われたのは初めてだったからだ。それがただのからかいの意味であったとしても、産まれて初めての言葉に思わずドキッとしてしまった。今まで、自分に興味を持つ人間などいるはずがないと思っていたから。


「はー……。なんか、心臓に悪い」

「え、先生どうしたの? 具合悪い?」


 顔を上げると美桜が心配そうな表情でこちらを見ていた。その後ろには店員が少し驚いた顔で立っている。慌ててサチは「ううん、なんでもない」と笑みを浮かべると店員に電子レンジを運んでもらうよう頼んだ。


「ねえ、先生。まだ時間もあるしさ、スーパー寄ってよ。今日の夕飯の材料を買いに」

「あ、うん。近いの? ここから」


 後部座席に炊飯ジャーと電子レンジの箱を乗せて、サチはゆっくりと車を発進させる。


「近いっちゃ近い。この先の交差点を右に行って十五分くらい」

「十五分……」


 田舎、というほど市内から離れているわけでもないのにこの店舗の少なさはどうだろう。考えてみれば、アパートからここまで来るのにコンビニすらなかった。いや、コンビニどころか自販機すら……。


「今、不便だなぁって思ったでしょ。先生」


 助手席で窓の外を眺めながら美桜が言う。サチは素直に「うん」と答えた。


「こういうところに住むって、女子高生なら不満じゃないの? コンビニすらないなんてさ」

「べつにー。ネットが繋がればそれで」

「そうなの? 遊ぶ場所だって遠いでしょ。ここからだとバスに乗って二十分くらい? あ、市内の繁華街に行くならバスも乗り換えが必要だからもう少しかかるか」

「遊ばないから平気」

「でも、誘われたりするでしょ? 友達から」

「まあ、ね」


 なぜかあまり話したくない雰囲気を感じ、サチは口を閉ざした。無言のまま交差点を右に曲がってまっすぐにひた走る。風景は変わらない。水を張った田んぼが夕暮れに照らされてキラキラ輝いている。車のエンジン音だけが響く車内から見るその光景は、とても美しかった。


 スーパーに着くと、美桜は調子を取り戻した様子で「先生、こっち」とカートを押して歩き始めた。


「なに買うの?」

「引っ越し祝いだからね。美味しいもの食べましょう」

「引っ越し祝いって……。さっきコーヒーで乾杯したじゃない」

「それはそれ。これはこれ」


 サチはため息をついて「美味しいものってなに?」と聞く。すると美桜は笑って「内緒」と答える。


「なにそれ……。まあ、じゃあ、とりあえずお金はわたしが出すからね」

「えー、なんで。先生の引っ越し祝いだよ?」

「だからでしょ。まさか生徒に出させるわけにはいきません」

「なに、大人ぶっちゃって。ポンコツ先生のくせに」

「ポンコツでも何でも先生ですから」

「あー、開き直った」


 ニヤリと笑った美桜は「ま、いいよ。それで」と頷くと生鮮食品コーナーから眺め始めた。のんびりと二人で食料品や生活用品をカートに入れて回っていると、ふいに美桜がフフッと笑った。


「え、なに?」


 聞くと美桜は「いや、ちょっと」と面白そうに笑う。


「なにってば?」

「いやー。先生とわたしがこうして二人で買い物してる姿を学校の誰かに見られたらさ、どう思われるのかなぁって」

「え……」


 それは考えもしなかった。思わずサチは周囲を確認する。こんな市街地から離れた場所に住む学校関係者がいるとは思えないが、いないとも限らない。


「大丈夫だよ、いないって。たぶん」

「たぶんって」

「でも、本当にどう見えると思う? しかも買ってるのって二人分の食料品とか生活用品だよ? やばくない?」

「やばいね」


 サチは即答した。本当に、この状況はどういう風に見えるのだろうか。そして、いざそういう場面に出くわしたとき、どう説明すればいいのか。

 親類だと言い張るのはどうだろう。いや、調べればすぐにバレる嘘だ。友人、というのは苦しいか。なにせ担任と生徒だ。しかも学校でもそれほど会話をしたことがあるというわけではない。では、どういう間柄だと説明するのが正解なのか。しばらく考えてから「ルームメイト……?」と首を傾げた。


「えー、そこは同棲をするような間柄、とかじゃない?」


 驚いて美桜を見ると、彼女はカートに両腕を置いてニヤニヤとサチのことを見ていた。


「……御影さん、からかってるでしょ?」

「バレました?」

「先生をからかうのはやめなさい」

「だって、反応が面白いから」


 サチがため息を吐いている間にも、美桜は先に進んで楽しそうに商品を選んでいた。

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