10.君と、わたしと(5)
玄関のドアが閉まる音が響く。瑞穂とサチはその場に立ったまま、しばらく動かなかった。エアコンの音が静かな部屋に響いている。
「えっと、とりあえず座ってください」
瑞穂が遠慮がちに言ってクッションを置いてくれる。サチは頷き、その上に腰を下ろした。そして再びの沈黙。
「――御影さん、大丈夫でしたか?」
瑞穂がおもむろに口を開く。サチは「うん」と頷いた。
「アパート近くのバス停にずっといたみたい。ちょっと、落ち込んでて……」
「そうなんですか」
瑞穂はそう言うと一度視線を俯かせ、そして「でも」とサチを見た。
「サチが見つけたんだから、もう大丈夫ですね」
そう言いながら笑みを浮かべる瑞穂を見て、サチは膝の上に置いていた手をグッと握った。
これ以上、瑞穂にこんな辛い表情をさせてはいけない。
ちゃんと自分から言わないと。伝えないと。
自身の気持ちを。これからのことを。
サチはすっと息を吸い込むと「あの」と口を開いた。しかし、後に続く言葉が出てこない。サチは俯きながら「あの、ね」と言葉を必死に探す。
「ちゃんと気持ち、伝えられたんですね」
瑞穂は微笑んでいた。悲しそうに。けれど、どこか安心したように。
「どうして……?」
「わかりますよ。だって昨日までと表情が違うんだもん」
瑞穂は言って、笑みを浮かべたまま寂しそうに眉を下げた。
「わたしといるときに、そういう顔が見たかったな……」
「瑞穂」
サチは瑞穂を見つめながら「わたしね」と胸に自然と浮かんできた言葉を口にした。
「瑞穂のこと、好きだよ。最初は美人で背が高くてモデルみたいだけど、ちょっと冷たい感じがする人だなって思ってた。だけど、あのホームセンターで偶然会って一緒にたこ焼き食べてお喋りして、あのとき思ったんだ。すごく可愛い人だなって」
サチはそのときのことを思い出して笑みを浮かべる。
「それから瑞穂は優しい気持ちをたくさんくれて、いつだってわたしのこと心配してくれて、辛くてどうしようもなかった時にはずっとそばで支えてくれて……。瑞穂がいてくれて、わたしは本当に嬉しかったんだよ。瑞穂がいてくれたら安心するし、自然なわたしのままでいられると思った。瑞穂のこと、好きだなって思った」
でも、とサチは視線を手元に落とすと口を閉ざす。次の言葉が出てこない。
「――それは恋愛の好きじゃなかったんですよね」
瑞穂が静かな口調で言った。サチは視線を上げて泣きそうになりながら「違うよ」と首を左右に振る。
「わたしの気持ちが完全に友情だったのかって言われたら、それはたぶん違うと思う。だってわたしは――」
「それはきっと、勘違いだったんじゃないかな」
瑞穂はサチの言葉を遮って言った。
「え……?」
「だって、わたしがそう思うように仕向けたんだから」
彼女は言って悲しそうな笑みを浮かべた。サチは意味がわからず、ただ瑞穂の顔を見つめる。彼女は続ける。
「サチはまっすぐで素直だから、わたしがサチのことを好きだって言い続ければその言葉を受けとめて、そのうち自分の気持ちと勘違いするんじゃないかって、そう思ったの」
「瑞穂……? 違うよ、わたしは」
「違わないよ。だって、わたしが好きだって言うまでサチはわたしのことそういう対象として見てなかったでしょ?」
「それは――」
サチは答えることができなかった。たしかにそうだったかもしれない。だって瑞穂と親しくなった頃にはもう、サチの心の中には美桜がいたのだから。
サチが答えないでいると瑞穂は「わたしは、自分勝手で嫌な奴だから」と俯いた。
「サチが悲しんで苦しんでる姿を見てチャンスだって思ったの。今ならあなたはわたしのこと見てくれるかもしれないって。だけどあなたは優しいから御影さんのことを忘れたりなんかしない。だったら、わたしを御影さんの代わりにしてもらえばいいって思った。そしてわたしがずっと好きだって言い続ければ、きっといつかサチの心の中にわたしへの感情が生まれて、わたしのことを好きになってくれるって」
瑞穂はそう言うと、ため息を吐いて顔を上げた。
「結局、御影さんにはかなわなかったけど」
そう言って彼女は微笑んだ。そして「ごめんね」と続ける。
「サチの気持ちにウソをつかせようとして。苦しませちゃって、ごめん。辛い思いをさせちゃって、ごめんなさい」
ごめんなさい、と繰り返す瑞穂は、微笑みながら泣いていた。サチは堪らず彼女に両手を伸ばすとその細い身体を抱き寄せる。瑞穂は驚いたのか、びくりと身体を強ばらせた。
「苦しい思いを、辛い思いをしてたのはわたしじゃなくて瑞穂の方でしょ!」
思わず強い口調で言ってしまい、サチは一度深く呼吸をして瑞穂の身体を抱きしめる。
「たしかにわたしの瑞穂に対する好きの一部は勘違いだったのかもしれない。だけど、わたしは瑞穂のこと好きだからね。今までも、これからもずっと。だから――」
サチはギュッと腕に力を込める。
「友達になってよ、また。瑞穂」
腕の中で瑞穂が声を殺して泣いている。サチは彼女を強く抱きしめたまま続ける。
「何を都合の良いことをって思うよね。わかってる。だってこれはわたしの我が儘だもん。だけど、わたしは瑞穂にそばにいてほしい」
「そばに……?」
消え入りそうな、震えた声で瑞穂が言った。
「うん」
「いいの? まだ、近くにいても」
「なんでダメだって思うの?」
「……だって、わたしサチのこと傷つけた」
「それはお互い様じゃない?」
「でも――」
「何度でも言うよ? わたしは、瑞穂のこと好きだよ」
それは瑞穂が望んだ『好き』ではないけれど、それでも伝えずにはいられない。その言葉が瑞穂のことを傷つけているのだとしても、それでも伝えたかった。
「……柚原さんよりも?」
サチの腕の中で鼻をすすりながら瑞穂は言った。思わぬ言葉にサチは「んー」と苦笑して唸る。
「それは難しい質問だなぁ」
すると笑ったような息遣いが聞こえた。
「こういう場面でくらい、そうだよって言ってよ。サチ」
「あ、ごめん。えっと……」
慌てて言い直そうとするも、今更な気がする。サチがあたふたしていると、瑞穂はそっと身体を離して笑みを浮かべた。
「サチのそういうところが好きですよ」
サチは困惑しながらも笑う。そしてもう一度彼女を抱きしめた。
「ありがとう、瑞穂。ほんとに、ありがとう」
心からの感謝をサチは何度も伝える。その言葉を瑞穂は「うん。うん」と何度も頷きながら聞いていた。そして「今度はわたしがサチの一番の親友になりますね」と泣き笑いのような声で言う。
「もうなってますよ」
「ライバルがいるので」
「んー、どっちも一番じゃダメかな」
「わたしが一番がいいです」
サチは笑う。瑞穂も笑う。二人はしばらくの間、笑いながら抱き合っていた。やがて、先に身体を離したのは瑞穂の方だった。彼女は深く息を吐き出すと、頬に残った涙を手で拭って「うん」と頷いた。
「もう大丈夫」
瑞穂はそう言って笑みを浮かべる。
「だけど、やっぱりちょっと一人になりたいかな」
「瑞穂……」
「大丈夫ですよ。ただ少し、気持ちの整理をしたいだけだから」
安心させるように笑って瑞穂は「だから」とサチの右手を両手で握った。
「明日からは、友達としてよろしくお願いします。サチ」
まっすぐにサチの瞳を見つめながら瑞穂は言う。サチも彼女の手に左手を添えて「うん」と頷く。そして、どちらからともなく手を放した。
「それじゃ、またね。瑞穂」
立ち上がり、バッグを手にして瑞穂に手を振る。瑞穂は座ったまま「うん。また」と手を振り返す。そしてそのままサチは彼女に背を向けて玄関へ向かった。
「ありがとう、サチ」
ドアを開けて外に出る瞬間、穏やかな瑞穂の声が聞こえた。




