10.君と、わたしと(4)
サチはふと目を覚ました。温かさに包まれていた身体がなんだか寂しい。そして寝返りを打って気づく。隣で眠っていたはずの美桜がいない。
「御影さん?」
身体を起こして呼びかけるも、部屋に彼女の姿はなかった。物音もしない。ただ、なぜか甘くて香ばしい良い香りが部屋を包み込んでいた。
サチは服を着て布団から出ると、キッチンに行く。すると、そこにはラップがかけられた皿が一つ置かれてあった。皿の上にはフレンチトースト。そしてその皿の隣には付箋が一枚貼られてあった。
『三奈と話してきます。先生、全然起きないから朝ご飯勝手に作ったよ』
サチは付箋を見つめながら深くため息を吐いた。
「また寝坊を……」
どうしてちゃんと起きれなかったのだろう。美桜と一緒に朝ご飯を作りたかったのに。美桜だって、もっとしっかり起こしてくれたらいいのに。
思いながらフレンチトーストに視線を向ける。
「美味しそう」
自然と笑みが浮かぶ。サチは湯を沸かしてコーヒーの準備をしながらスマホを開いた。時刻は九時過ぎ。美桜はいつ出掛けたのだろう。こんなに早くから、三奈に会いに行ったのか。
――大丈夫かな。
そのとき、ポンッとスマホにメッセージが届いた。差出人は美桜だ。急いで開くと、そこには『行ってきます』と言っている犬のスタンプが一つ。サチも同じ犬のスタンプで行ってらっしゃいと返してから、続けて文字を打つ。
『わたしも行ってくるね。フレンチトースト食べてから』
既読。そして返信。
『行ってらっしゃい、先生』
『行ってきます』
それきり返信はない。サチはそっとスマホの画面を撫でてから別のトーク画面を開いた。
上部に表示されている名前は瑞穂。そのトークルームには、誕生日のパーティを楽しみにしている瑞穂の言葉で溢れていた。
遡っても遡っても瑞穂の言葉はひたすらに優しくて、サチのことを想ってくれているものばかり。
脳裏に浮かぶのは瑞穂の笑顔と、そして昨日の別れ際に見た、力なくミナミに寄りかかって俯く姿。
「瑞穂――」
サチは呟きながら一文字、一文字ゆっくりと打ち込んでいく。
『今日、会いに行ってもいいですか? 話したい』
メッセージはすぐに既読になった。しかし返信はなかなか来ない。湯が沸いたことをケトルが知らせている。サチはケトルを手にすると、マグカップに乗せたコーヒーのフィルターに湯を注いでいく。そうしているとポンッとスマホから音がした。サチはケトルを置いてスマホを開く。
『わかりました』
短い言葉。それ以外の返信も、スタンプもない。サチはしばらくその言葉を見つめてから、再びコーヒーを淹れ始める。
朝食を食べたらすぐに行こう。行って、話して、そして……。
「どうしたらいいんだろう?」
元の関係に戻れるだろうか?
きっと瑞穂はわかってくれる。だけど元通りの友人という関係には戻れないだろう。友人に戻りたいと思うのは、きっとサチの我が儘でしかないのだから。
「でも、寂しいよ……」
サチは切ない気持ちを抱えながら、美桜が作ってくれたフレンチトーストを食べ始めた。
まだ温かいそれは、優しい味がした。
すっかり通い慣れた道を辿り、サチはいつもと同じコインパーキングに車を停めた。そして瑞穂がいるマンションへ向かう。
瑞穂と付き合い始めてからずっとそうしていたように。
いつもと同じように。
昨日の雨は上がって今日は晴天。まだ午前中だというのに日差しは強く、肌をジリジリと焼いていく。マンションが近づくにつれてじんわりと汗をかいてくるのを感じたが、それは暑さのせいではない。緊張のせいだった。
瑞穂の部屋の前で立ち止まり、一つ深呼吸をする。そしてサチはインターホンに指を添え、もう一度深呼吸をしてから押した。間延びしたような電子音が鳴り響く。そしてすぐに、声もなくドアがゆっくり開いた。
「サチ、入って」
いつもと同じ瑞穂の言葉。しかしその表情も仕草も、そして態度も、いつもとは違う。懸命に微笑む彼女の顔を見ていられなくて、サチは「お邪魔します」と俯きながら瑞穂の部屋に上がった。
「よ、明宮。昨日ぶり」
部屋に入った途端そんな言葉をかけられて、サチはホッとしながら彼女に笑みを向けた。
「柚原さんもいたんだね」
するとミナミは力なく笑って「昨日からずっといるよ」と言った。
「そっか……」
瑞穂のそばにずっとついていてくれたのだろう。ミナミは頷くと「よっこらせ」と立ち上がる。
「じゃ、わたしは帰るからさ」
「え、帰っちゃうんですか……」
瑞穂が心細そうな表情で呟く。ミナミは困ったように「うん。帰るわ」と頭を掻きながら答えた。そして瑞穂とサチを見て微笑む。
「ちゃんと、二人で話しなよ」
「柚原さん……」
それでも瑞穂が不安そうにミナミを見つめていると、ミナミは少し背伸びをして瑞穂の頭をポンポンと叩いた。
「また泣きたくなったら肩でも胸でも貸してあげるからさ。だから」
がんばれ、と瑞穂に優しく言葉をかけてから、ミナミはサチに顔を向けた。
「じゃ、行くね」
「あの、柚原さん」
思わず呼び止めると、ミナミは「ん?」と振り返る。
「あ――」
ありがとう、と言いかけてサチはその言葉を止めた。自分がそんなことを言えた立場ではない。そう気づいて、サチは笑って誤魔化した。
「ううん。なんでもない」
「ふうん? じゃあね」
ミナミは不思議そうにしながらもう一度手を振り、瑞穂の肩をポンと叩いて出て行った。




