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9.同じ笑顔、偽りの想い(11)

「なに言ってるの、柚原さん」


 サチは笑みを顔に張り付かせたまま言う。しかし、ミナミは悲しげな表情を崩すことなく「こんな白々しい会話、もうやめよう? 二人とも」と続けた。


「自分の気持ちにウソつき続けたって、苦しいだけじゃん。誰も幸せにならない」

「そんな、わたしもサチも別に――」

「大丈夫なわけないから明宮に電話してきたんだよ、美桜は。わかってるでしょ」


 瑞穂の言葉を遮って言うと、ミナミはサチに視線を向ける。


「美桜が彼女の家に泊まるって、それ美桜が自分から明宮に言ってきたの?」

「……うん」

「なにそれ、変でしょ。だって美桜、明宮とは距離を置いてたんだから。なんでわざわざそんなこと言ってくるわけ? 何か別に伝えたいことがあったからじゃないの?」

「それは――」


 サチは視線を俯かせる。


「サチ……?」


 瑞穂の声。しかし、彼女はそれ以上なにも聞いてこない。


「やっぱり、何かあったんでしょ」


 サチは視線を俯かせたまま答えることができなかった。瑞穂がいるのだ。言えるわけがない。

 深い、ため息が聞こえた。


「わたしさ、明宮と瑞穂が付き合いだしたって聞いてから、よく美桜と話してたんだよね。電話とかで」


 その言葉にサチは顔を上げた。彼女はテーブルの上に置かれた食べかけのケーキをぼんやりと見つめている。


「明宮には瑞穂がいるけど、きっと美桜にはいないと思ったから。自分の本心を話せる相手が」


 サチはその言葉にハッと息を呑む。


「あの三奈って子にはさすがに話せないでしょ。だからまあ、わたしに話して気晴らしにでもなればいいなと思って。でも美桜はさ、何も言わないんだよね」

「言わない……?」


 瑞穂が呟くように言った。ミナミは頷く。


「言わないんだよ。全然弱音を吐いたりしない。でも、たまに美桜の方から連絡がくることがあってさ、そういうときは会ってご飯とか食べに行ったりしたんだけど、それでも全然、平気なふりして笑うんだよ。学校で明宮がこんなドジなことしてたとか、次の明宮の授業のテストでは良い点とれるように頑張るとか、そんなことばっかり言ってて」


 サチはミナミの言葉を聞きながら、手に持ったままのスマホに視線を落とす。ミナミは「でも」と一度言葉を切って息を吐いた。


「そうやって話してる美桜の笑顔はさ、すごく辛そうで苦しそうで……。自分は三奈とうまくやってるから大丈夫とか言ってるんだけど、全然幸せそうじゃなくて。わたし、見てられなくてさ」


 サチは俯いてグッとスマホを握る。


「それでも、明宮が幸せなら美桜の気持ちも報われるんじゃないかって思ってたんだけど。でも――」


 違うじゃん、と彼女は言った。震えた声で。

 サチは顔を上げて彼女を見る。ミナミは泣きそうな表情で「全然違う。だって明宮、美桜と同じ顔で笑ってるんだもん」と続けた。


「もう大丈夫だからって、瑞穂がいるから平気だって、前会ったときにそう言いながら笑ってる明宮は全然大丈夫そうじゃなかった。時間が経てば変わるかもって思ったけど、今日会っても同じ笑顔でさ。わたし、そんな明宮の顔は見てられない」


 ミナミは耐えるように息を吐き出す。


「前にさ、わたし言ったじゃん? 明宮がどんな選択をしても全力で応援するって。でも、今の明宮を応援なんてできないよ。今の明宮は、わたしが好きなまっすぐな明宮じゃない」

「そんなこと……。わたしは、だって」

「瑞穂も、わかってたはずだよね? ずっと一緒にいたんだから」


 サチは瑞穂に視線を向ける。彼女は辛そうに眉を寄せて頷いた。


「――わかってました」


 言ってから彼女は「ううん」と首を左右に振る。


「わたしは、最初からわかってたんです……。サチはきっとわたしの前では本当の笑顔を見せてはくれないって」

「瑞穂……?」

「当然ですよね。だってサチはわたしのこと好きじゃないから」

「そんなことない。そんなことないよ? わたしは――」

「サチの好きは、わたしと同じ好きじゃない」


 瑞穂は少し強い口調で言った。そして疲れたように微笑む。


「わかってたけど、でもこのままずっと一緒にいれば、いつかはわたしのこと好きになってくれるんじゃないかって。そう思って、サチの辛そうな笑顔に気づかないふりをしてたんです。サチは、自分がどんな表情をしてるのか気づいてないみたいだったから」


 瑞穂は言って目を伏せた。


「わたしはずるいから、サチの気持ちを考えることもしなかったんです。ただずっとそばにいてほしくて……。だって初めてだったから。こんなに誰かを好きになったのは。誰かにそばにいてほしいって、そう心から思ったのは」

「それで、瑞穂は幸せ?」


 瑞穂は目を伏せたまま、首を左右に振った。子供が駄々をこねるように、何度も。


「――苦しいです。サチといると嬉しい。でも苦しい。寂しい。こんなに近くにいるのに、サチの心はいつだって遠くにあるから」


 消え入りそうな声で、彼女は言った。サチは瑞穂に手を伸ばしかけてやめる。


「明宮だって、同じじゃないの?」


 ミナミが静かに言った。彼女に視線を向けると、ミナミは悲しそうに微笑んでいた。


「今、明宮は幸せ?」

「わたしは……」


 幸せになろうと、そう思って頑張っていた。

 瑞穂といれば寂しくない。瑞穂といれば心穏やかになれる。

 瑞穂といれば――。


 しかし、その気持ちの先にはずっと美桜がいた。美桜がいてもいいのだと、そう思っていた。当然のように。

 サチは瑞穂に視線を向ける。

 代わりでいいから。そう瑞穂が言ってくれたから。美桜のことを忘れなくてもいい。美桜のことを好きなままでいいから、と。


 それが彼女の本心じゃないことくらい、わかりきっていたのに。


 俯き、背を丸めて小さくなった瑞穂を見つめながら、サチは心の中に溜まり続けていた罪悪感が一気に溢れ出したのを感じた。すべての罪悪感が溢れ出し、そして心が次第にはっきりしていく。


 ――わたしは、なんてひどいことを。


 もっと甘えてもいいのだとミナミは言った。けれど、きっとそれはこういうことではなかったのだ。


 瑞穂の気持ちを利用して、瑞穂を通して美桜のことを想って……。

 瑞穂が傷ついていないわけがないのに、それに気づかないふりをして、挙げ句には自分の気持ちすらどこかに閉じ込めて。


「瑞穂、ごめ――」

「謝らないでください」


 瑞穂は俯いたまま言った。そして少し顔を上げると弱々しく微笑む。


「言ったじゃないですか。ずるいのはわたしです。わたしがサチの気持ちを閉じ込めたんだから。わたしを通して御影さんを想うように。そうすれば、あなたはわたしのことを少しでも見てくれると思ったから。悪いのは、わたし。だから――」


 瑞穂は言葉を切ると、一つゆっくりと呼吸をする。そして「行ってください」と柔らかな口調で言った。


「でも――」

「これ以上、サチの辛そうな笑顔は見たくないから。わたしが見たい笑顔は、わたしといると見られないから。だから、行って?」


 瑞穂は「ね?」と首を傾げた。


「瑞穂。でも、それじゃ瑞穂が――」

「明宮」


 ミナミが言った。彼女は瑞穂の隣に座ると彼女の頭をポンポンと優しく叩く。


「瑞穂の言葉、ちゃんと聞いてた? 瑞穂は明宮の本当の笑顔が見たいんだよ」


 サチは瑞穂に視線を向ける。彼女は微笑んだまま頷いた。


「――ありがとう、瑞穂」


 サチは言って笑みを浮かべた。瑞穂は少し目を見開き、そして嬉しそうに「うん」と頷いてから顔を俯かせる。その細い肩は、微かに震えていた。


「……わたし、行くね」


 サチはスマホを握りしめ、バッグを手にして立ち上がると玄関へ向かう。


「明宮の人生が、良い方向に向かいますように……」


 ミナミの呟くような声にサチは立ち止まる。そしてバッグからお守りを取り出して笑った。


「ちゃんと持ってるから、大丈夫だよ」


 ミナミは微笑み、そして「そっか」と頷いた。

 サチは瑞穂に視線を向ける。彼女はミナミの肩に寄りかかるようにして、ただじっと顔を俯かせていた。

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