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9.同じ笑顔、偽りの想い(10)

 サチは瑞穂のマンション近くにあるコインパーキングに車を停め、ハンドルに額をあてるようにして目を閉じていた。叩きつけるように降る雨の音が、煩いほど車内に響いている。

 ナビに視線を向けると、表示されている時刻は十九時五分。約束は十九時だ。


「行かなくちゃ」


 呟いて身体を起こすと、ミラーを覗き込んで笑みを浮かべてみる。

 瑞穂の誕生日。ちゃんと笑顔で祝ってあげたい。

 たくさんの優しさを、たくさんの愛情をくれる瑞穂に笑顔で「おめでとう」と言ってあげたい。

 サチは両手で頬を挟むようにして笑顔を作ってみせる。そのとき、バッグに入れていたスマホが鳴った。着信だ。画面を見ると、ミナミの名前。

 サチは一度息を吐いてから通話をタップした。


「あ、出た。明宮、今どこにいんの? 時間過ぎちゃってるけど」


 ミナミの声は少し心配そうだ。サチは「ごめんね」と謝る。いつもと同じ声のトーンで。


「ちょっと渋滞しちゃってて。今、ちょうどマンション近くの駐車場に車入れたところ」

「あ、そうなんだ? じゃ、待ってるからね」

「うん」

「ケーキを濡らしたり、ひっくり返したりしないように」

「大丈夫だよ」


 サチが笑って返すとミナミも「ゆっくりでいいよ。明宮、焦るとコケちゃいそうだから」と笑った声がして通話が切れた。自然と深く息を吐き出す。


「よし」


 小さく気合いを入れてサチは車から降りる。そして本降りの雨の中、傘を差してマンションへと向かった。





「ごめんね、二人とも。遅れちゃって」


 サチは瑞穂の玄関で服についた雫を落としながら笑みを浮かべてそう声をかける。


「ほんとですよ。人に遅れないようにって言っておきながら」


 瑞穂は不満そうに言いながらも玄関でサチを出迎えてくれた。サチはもう一度謝ってから「瑞穂」と彼女の顔を見つめた。瑞穂は不思議そうな表情をしてわずかに首を傾げる。


「――誕生日、おめでとう」


 ちゃんと笑えている間に、精一杯の笑顔で言う。

 瑞穂は一瞬目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。


「うん。ありがとう」

「おーい、お二人さん。わたしもいるってことお忘れなくー」


 ミナミが部屋から顔を出して仏頂面で言った。サチは笑いながら「ごめんね、柚原さん」と謝る。


「まったく……」


 ミナミはため息交じりに言うと、サチの顔を見て心配そうに眉を寄せた。


「柚原さん?」


 サチが首を傾げると、ミナミは「いや」と薄く微笑む。


「早くケーキ、テーブルに置いてよ。待ってたんだから」

「あ、うん」


 サチは慌てて部屋へあがる。テーブルの上にはすでにたくさんの料理が用意されていた。中心にはケーキを置くためのスペースだけが残されている。


「ほんとにごめんね。料理、わたしも少し手伝うって言ったのに」

「いいよ。それに明宮が料理できるようになったとか、にわかには信じられないし」

「いえ、それがちゃんと料理できるようになったんですよ。サチ、最近はお弁当も自分で作るようになったし」


 瑞穂がすかさずフォローをするように言った。


「ふうん」


 頷きながらもミナミの顔は疑いの表情だ。サチは苦笑する。


「じゃあ今度、柚原さんの誕生日のときにはわたしが作るからね」


 するとミナミは驚いたような表情浮かべてから「まあ、期待はしないけど楽しみにしてるよ」と笑った。

 そして三人でテーブルを囲んで食事をしたり、ケーキを食べたり、お喋りをしたりする。


 サチの誕生日のときのような楽しい時間。温かな時間。

 そのはずだ。

 しかし、サチの心はポッカリと穴が空いてしまったかのように空虚だった。


 瑞穂が笑顔でいてくれるように、楽しい時間を過ごせるように。

 ただそれだけのために笑顔を浮かべ続ける。

 話を合わせる。

 テンションを合わせる。


 少しずつ、瑞穂やミナミの表情が曇っていくことに気づきもせず。


「あ、そうだ。プレゼント」


 あらかた食べ終えてまったりとした時間を過ごし始めた頃、サチはバッグの中からラッピングされた箱を取り出した。


「あらためて、誕生日おめでとう。瑞穂」

「ありがとう」


 瑞穂は嬉しそうにそれを受け取ると「開けてもいい?」と首を傾げた。


「うん」


 サチが頷くと彼女は丁寧に包装を外していく。そして箱を開けると「これ……」と呟いた。

 それはグラスだった。以前、瑞穂と一緒に出掛けた高原のショップに置いてあった、地元の職人が作ったという一品物のグラス。緑と青が混じったような不思議な色をしていて、光があたると綺麗に反射する。


「瑞穂が欲しいって言ってたから」

「でも、これけっこう高かったのに」

「誕生日だからね。特別」


 サチは笑う。瑞穂はその笑みを見て「うん。ありがとう」と顔を俯かせた。


「――大切にするからね」

「うん」


 そしてサチはミナミに視線を向ける。次はミナミがプレゼントを渡す番だと思ったのだ。しかし、彼女はなぜか真面目な表情でサチのことを見つめていた。不思議に思っていると、突然サチのスマホが鳴り始めた。


「あ、電話? こんな時間に誰だろ」


 サチに電話をかけてくる相手など、今では瑞穂かミナミくらいしか思い浮かばない。しかも時刻は二十二時を過ぎている。

 間違い電話だろうか。

 怪訝に思いながらスマホの画面を見たサチは「え……?」と無意識に声を漏らしていた。


 そこに表示されていた名前は、御影美桜だった。


 サチは鳴り続けるスマホを見つめる。


「サチ、出ないの?」


 瑞穂が遠慮がちに言う。サチは「うん」と頷きながらも、画面に表示されている名前から目が離せない。そのとき「美桜からじゃん」と耳元で声がした。驚いて振り返ると、いつのまに移動したのか、ミナミが背後からスマホを覗き込んでいた。

 彼女は真剣な表情で「出なよ」と言う。


「――うん」


 サチは頷き、そっと通話をタップしてスマホを耳にあてた。


「もしもし。御影さん?」


 声をかけるも返事はない。


「……御影さん?」


 もう一度声をかける。しかしやはり返事はなかった。サチは耳を澄ます。聞こえてくるのはザーッという雨の音と微かなカエルの声。

 サチは聴覚に意識を集中させながら眉を寄せた。今日、美桜は三奈の家に泊まると言っていた。それなのにどうしてこんな時間に外にいるのだ。

 そしてどうして、何も答えてくれない。


「御影さん、どうしたの? 大丈夫?」


 そのとき、微かに吐息の音が聞こえた気がした。そして「あー、ごめんね。先生」と美桜の声。しかし、どこかその声の様子がおかしい。くぐもっているような、小さな声。雨の音に紛れてあまりよく聞こえない。


「ちょっと間違えてかけちゃったみたい」

「間違えてって……」

「ごめんね、じゃあ」

「待って、どうして外に――」


 しかし通話は切れてしまった。サチはスマホを下ろして、画面を見つめる。


「美桜、どうしたの?」


 ミナミの心配そうな声にサチは視線を彼女に向ける。そして首を左右に振った。


「それが、よくわからなくて……。でも、なんか間違えてかけちゃったみたいだって」


 その答えにミナミは「間違いか」とホッとした表情を浮かべた。


「じゃあ、大丈夫なんじゃない?」

「うん。でも――」

「違うって、思うんですか?」


 瑞穂の声にサチは目を向ける。彼女は「だってサチ、すごく心配してるから」と心配そうに続けた。サチは再びスマホに視線を向ける。


「御影さん、今日は高知さんの家に泊まるって言ってたんです」


 その瞬間、ミナミが目を丸くした。そして静かな口調で「聞いたの……? 美桜から?」と言う。サチは頷いた。


「さっき、家を出るときに会って。今日は高知さんの誕生日だから、ここには来られないって」

「え、誘ってくれてたんですか?」


 瑞穂が驚いたように言う。


「柚原さんが、誘ってくれたみたいで」


 サチは言いながら、ミナミへ視線を向けた。彼女はなぜか怒ったような顔で頷く。


「まあ、断られたけどさ。友達を祝ってあげたいからって」

「そうだったんですか……」


 瑞穂は複雑そうな表情で俯いた。


「でも、今の電話は外からかけてたみたいで。こんな時間なのに」

「外から……」


 呟いたミナミは、やはりどこか怒ったような表情でテーブルを見つめていた。


「買い出しに行ってる途中だったとかじゃないですか?」


 瑞穂が強ばったような笑みを浮かべて言う。


「たしかに。今日は向こうの親もいないって言ってたから、コンビニにでも行ったのかも」

「きっとそうですよ。大丈夫です。御影さん、しっかりしてるし」

「うん……。そうですよね」 


 瑞穂の笑みに合わせるように、サチも笑みを浮かべる。しかしミナミだけは険しい表情でサチと瑞穂のことを見ていた。そして深くため息を吐く。

 今までに見たことのない表情。

 感じたことのない、気まずい空気。


「柚原さん……?」


 不安になってサチは彼女を見つめる。すると彼女は悲しそうな目をサチに向けて「やめようよ、もう」と静かに言った。

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