9.同じ笑顔、偽りの想い(1)
――温かい。
サチはウトウトしながら思った。温かくて心地良い。布団の温もりとは違う、柔らかさのある温もり。もぞりと身体を動かす。しかし、思うように動くことができなかった。
「……んー」
唸りながらもう一度身体を動かすが、やはり何かに邪魔されて動けない。
――なんだろう。
半分夢の中だった意識が徐々に覚醒する。サチは大きく呼吸をしながら瞼を開けた。すると、目の前には微笑みをたたえた瑞穂の顔。
「おはようございます」
瑞穂が言う。サチは返事をしかけたが、自分の状態に気づいて苦笑した。瑞穂は向かい合うようにしてサチの身体を抱きしめていたのだ。くっつけられた額が温かい。
「何やってるんですか?」
「ハグです」
「うん。それはわかります。でもこの姿勢、難しくないですか?」
サチの身体が瑞穂の右腕の上に乗っているので、瑞穂の方こそ身動き取れない状態だ。いつからこうしていたのかわからないが、きっと腕が痺れているに違いない。しかし瑞穂は「前に聞いたことがあって」と額をくっつけたまま言う。
「ハグをすると、お布団で眠ったときのように心が癒されるって。だからお布団で眠りながらハグをすると効果は二倍じゃないかと思って」
瑞穂は真面目な表情だ。
「この状態、いつから?」
瑞穂は少し考えて「たぶん、一時間くらい?」と答えた。部屋に時計がないのでわからないのだろう。そして期待したような顔でサチを見つめてくる。
「どうです? 効果はありましたか?」
「眠ってたからわかりません」
「えー……」
残念そうにしながら瑞穂はサチの背中から手を離した。解放されたサチが身体を起こすと瑞穂はわずかに顔をしかめる。やはり腕が痺れているようだ。彼女は身体を起こして右腕をさすっている。
その様子を見ながら「まったく」とサチはため息を吐いた。そして「はい」と両腕を広げた。
「え?」
瑞穂が目を丸くしている。サチは急に恥ずかしくなって視線を逸らしながら「ハグ、してくれるんじゃないんですか?」と言った。瑞穂は嬉しそうに笑みを浮かべたが、すぐに右腕に視線を向ける。
「ちょっと、ちょっとだけ待ってもらえますか? あの、腕が……」
「じゃあ、いいです」
「あ、ウソ。待って。します。させてください、ハグ」
必死な様子で瑞穂は言うも、やはり右腕が動かないようだ。サチは再び苦笑しながらギュッと瑞穂の身体を抱きしめた。そしてすぐに手を離す。
「はい。癒しタイム終了」
「……今の、癒されました?」
どこか不満そうな瑞穂の表情。サチは首を傾げた。
「瑞穂は癒されなかった?」
瞬間、彼女はきょとんとした表情を浮かて「名前――」と呟く。そしてすぐに満面の笑みを浮かべた。
「癒されました。今、癒されました」
サチは笑みを浮かべて「良かった」と頷くと、布団から出て着替えを棚から出す。そして瑞穂に視線を向けた。
服を貸そうと思ったのだが、どう考えても自分の服が彼女の体型に合わないと気づく。なによりきっと服の趣味が違うはずだ。
しばらく無言で瑞穂を見つめて考えていると、彼女は「あ、大丈夫ですよ」と言った。
「今日、出かける前に家に寄ってもらったら着替えるので。それまでは昨日の服で大丈夫です」
「わかりました。じゃ、そうしましょう」
そう答えながらサチは座ってテレビをつけ、天気を確認する。予報に変化はない。一時間予報を表示させても晴れマークが並んでいる。
「ちょっと暑くなりそう」
口の中で呟きながら、サチは自然と美桜の部屋の方へ視線を向けていた。
テレビの画面に表示された時刻は午前九時半。いつも通りなら、すでにナナキの散歩も終わっている時間。二人は今、何をしているのだろう。
「――御影さんたちなら、さっき出かけたみたいですよ。ドアの音が聞こえたので」
「あ……」
サチは瑞穂へ視線を向け、そして咄嗟に笑みを浮かべる。
「そうですか。二人も今日はデートですかね」
着替えを終えた瑞穂は「わたしたちはどこに行きましょうか」と微笑んだ。
「考えてくれました?」
「えっと――」
正直、何も思い浮かばない。今までデートといえばどこへ行っていたのだろう。ドライブをしたり、近くのモールに行ったり、映画に行ったり。しかし、それをそのまま瑞穂とするのは違う気がする。
「瑞穂はどこに行きたい?」
聞いてみると彼女は首を傾げて「そうだなぁ」と考え込んだ。
「わたしも考えてみたんですけど、好きな人と行くのならどこでも楽しいなって」
――好きな人と行くのなら。
その言葉で昨夜、中断した思考が蘇る。
――もし、御影さんと行くのなら。
生き物を見られるところがいいかもしれない。彼女は動物が好きだから。しかし、この街の近くに動物園はない。では他に生き物が見られる場所といえば――。
「水族館」
つい、声に出てしまった。サチは窺うように瑞穂の顔を見る。彼女は包み込むような笑みで頷いた。
「行きましょう。水族館」
そして彼女は「洗面台、借りますね」と立ち上がり、洗面台のある脱衣所へ向かう。サチはそんな瑞穂の背中を見つめながら、ただ座り込んでいた。
心に罪悪感がまた一つ、コトンと落ちる音が聞こえた気がした。




