8.幸せ、冷たい心(6)
浴室から出て部屋に戻ると、ミナミはキッチンに立っていた。
「お、サッパリした? はい、水分補給」
彼女は言いながらサチにポカリのペットボトルを差し出した。
「ありがとう……。なにしてるの?」
「朝ご飯作ってた。明日の朝、トースターで焼いて食べてよ。ホットサンドになるから」
見ると、どうやらサンドイッチを作ったようだ。彼女はそれにラップをかけて冷蔵庫へ入れる。
「しっかし、もう少し食材仕入れた方が良いよ。野菜も肉も、ほとんど何もないじゃん」
「ああ。買い物も行ってないから」
「栄養偏るわけだ」
ミナミは笑いながら「これ、ちゃんと食べてよね」と言った。
「食欲なくても頑張って食べること。いい?」
「うん。ありがとう」
サチの言葉にミナミは嬉しそうに笑った。
「あと、風邪薬も飲んで。ほら」
ミナミは言いながら錠剤を瓶から出してサチに渡す。サチは素直にそれを飲んでから思わず笑ってしまう。
「え、なに? なんかおかしい?」
「だって、お母さんみたい」
クスクス笑うサチをミナミは困ったように見つめて息を吐いた。
「ま、いいよ。今日はお母さんでも。ほら、飲んだらさっさと布団に入る」
「はーい」
サチは言われるがまま、ミナミが敷いてくれた布団に入って座る。ミナミは氷水の入ったボウルを持って布団の横に座った。
「アイスノン、冷やしてる途中だからさ。今はこれで我慢してね。体温計も持ってくればよかったなぁ。うっかりしてた」
彼女は言いながら氷水に浸したタオルを固く絞ってサチに手渡した。手のひらがひんやりとして気持ちが良い。
「ありがとう、柚原さん、もう大丈夫だから」
「そう? 寝付くまでいようかと思ってたんだけど」
「ううん。大丈夫。そこまで甘えられないよ。子供じゃないんだし」
ミナミはしばらくサチの顔を見つめてから「そっか」と頷いた。
「じゃ、帰るわ。何かあったら何時でもいいから電話しなよ? いいね?」
「うん」
サチが頷いたのを確認してミナミは立ち上がる。そのとき、隣の部屋から三奈の笑い声が聞こえた。
談笑しているのか、楽しそうな笑い声。しかし美桜の声は聞こえない。聞こえてくるのは三奈の声だけだ。一気に胸が苦しくなる。
どこかの窓が開いているのだろうか。だからこんなに声が聞こえてくるのかもしれない。
「三奈って子、今日は泊まるっぽいね」
「うん。そうだね……」
サチはミナミを見上げながら笑みを浮かべる。
「楽しそう、だね」
ミナミは美桜の部屋の方を見ながら舌打ちをした。
「美桜も注意すればいいのに。ったく、無神経な。注意してこようか? わたし」
ミナミはサチへと顔を向け、そしてハッとしたように少し目を見開いた。サチは笑みを浮かべたまま首を左右に振る。
「いいよ、別に」
苦しいのを我慢して、なんとか声を絞り出す。ミナミは微笑むと「わかった」となぜか再び腰を下ろした。
「じゃ、わたしも泊まってく」
「え、なんで。ダメだよ。幸ちゃんだって寂しいだろうし」
「いま寂しいのは明宮でしょ」
ミナミは言いながらサチの頭にポンと手を置く。
「そんな顔してさ」
「え、どんな顔?」
「寂しいのを我慢してる顔」
彼女は微笑みを浮かべたままサチの頭をポンポンと叩く。再び聞こえてくる三奈の声。サチの身体は無意識に強ばっていた。
「大丈夫。ちゃんと明日の朝までそばにいるから。だから泣かないでいいって」
言われて初めてサチは自分が泣いていることに気づいた。ミナミはサチの手から濡れタオルを取ると、もう一度濡らして固く絞る。
「一緒にいてほしいなら、そう言えばいいんだよ。泣くほど寂しいならさ」
そうだ。これは苦しいのではない。寂しいのだ。
一人は寂しい。だから苦しい。
自覚すると余計に涙が溢れてくる。
「もっと甘えてもいいんだよ、明宮はさ」
「だって、甘えるのはずるいことだって……」
「なにそれ。お母さんに言われた?」
ミナミは軽く声を上げて笑うと「ほら、横になって」とサチの身体を支えるようにして寝かせた。そして濡れタオルをサチの額に乗せ、その手で頬に触れる。柔らかくて温かな手。
「言ったでしょ。ずるくてもいいって。人間、時にはずるくなってもいいんだよ。甘えたい相手がいるなら甘えちゃえばいい。相手がそれを許してくれるのなら、尚更」
ミナミはサチの頬に触れたまま「ね?」と包み込むように微笑む。その笑みを見つめながら、気づくとサチは「――寂しい」と呟いていた。
「ひとりは、寂しいよ」
寂しい、とサチは涙を堪えることもせず繰り返した。ミナミは「うん。うん、そっか」と頷くと添い寝をするように身体を横たえた。
「大丈夫だよ。一緒にいるから。だから――」
ゆっくり休んで、と囁くようにミナミは言う。その言葉に誘われるようにサチは瞼を閉じた。布団の上でミナミがリズムを取るようにトントンと手を動かす。その振動が心地良くて、気持ちが落ち着いていく。
トントンと繰り返される微かな振動に誘われて、少しずつサチの意識は眠りの中へと落ちていく。
――もっと甘えてもいいんだよ。
その言葉が、なぜかずっと頭の中に響いていた。




