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8.幸せ、冷たい心(5)

 そのまま会話をすることもなく、車はアパートに到着した。


「そういえばさ」


 ミナミは車を降りながら「わたしがあげたお守り、ちゃんと持ってる?」と聞いた。


「あ、持ち歩いて落としたら嫌だから車に」


 すると彼女は「えー、ダメだって。ちゃんと肌身離さず持ち歩かないと御利益ないよ?」と口を尖らせた。


「そうなの?」

「そうでしょ。交通安全のお守りじゃないんだからさ」

「たしかに……。じゃあ取ってくる。あ、袋も一つ持つよ」

「いや、いいよ。これはわたしが持つ。ドア開けといて」


 サチは頷くと先に行って玄関のドアを開ける。そして部屋の電気を点けると、シューズボックスの上に置いていた車の鍵を手にして再び外へ出た。そのとき、美桜の部屋から笑い声が響いてきた。


「……この声、あの三奈って子?」


 室内に袋を置きながらミナミが言う。サチは頷き「泊まるのかな、今日」と微笑んでから車へと走り、ルームミラーのところに提げていたお守りを取って再び部屋に戻った。


「明宮ー。ドリンク、とりあえず六本くらい冷蔵庫に入れとくから。まあ、適当に飲んでよ」


 ミナミが冷蔵庫に瓶を詰め込みながら言う。


「うん。ありがとう」

「いや、いいけど。てか、もー、明宮。これ食べてないじゃん。わたしが作った誕生日料理」

「あ……」


 そういえば、余った料理をそのまま冷蔵庫に入れていたことを今頃になって思い出す。サチは申し訳なく思いながら謝った。


「食欲がなくて」

「……まあ、しょうがない。翌日から大変だったもんな。ご飯どころじゃないか」


 ミナミは冷蔵庫から皿を取り出すと「これは、もう捨てるか」とキッチンの台に置いた。


「え、そんなもったいないよ。まだ食べられるんじゃ」

「いいよ、無理しないで。こんなの、いつでも作ってあげるから。今は油物キツいっしょ」


 言いながら彼女は生ゴミの袋へ料理を放り投げていく。そしてサチを見ると「今、欲しいものある? 買ってくるか、作るかするけど」と心配そうに言った。サチは首を左右に振る。


「大丈夫。もう寝るつもりだし。明日も仕事だから」


 ミナミは僅かに目を見開くと「休んじゃえばいいのに」と呟くように言った。


「一日くらい休みなよ。寝て治るような、そんなもんじゃないでしょ。今の明宮は」

「大げさだって。大丈夫だよ。柚原さんと話して楽になったのは本当だし。体調も、なんか元気になってきたし」


 そう言うサチを見つめながら、ミナミは深くため息を吐いた。そしてサチの額に手を当てる。


「ウソばっかじゃん。これ、絶対熱あがってるよ」

「え、そんなことは」

「じゃ、感覚がバカになってんだ。我慢しすぎて、よくわかんなくなってるんだよ。ダメ。明日は仕事休みなさい」

「いや、でも明日になれば下がってるかもしれないし」


 サチの言葉に、ミナミは悲しそうに微笑んだ。


「なんで、わざわざ辛い目に遭いに行こうとすんの?」


 サチは言葉を呑み込み、ミナミの潤んだ瞳を見つめる。


「明日になったって美桜と話ができるわけじゃない。瑞穂とだって気まずいままでしょ。体調が悪いときは思考だってマイナスに偏っちゃうんだよ? わざわざ辛いってわかってるのに仕事に行くことないじゃん。しっかり休んで、まずは身体を回復させて、それからだよ」

「でも、仕事が――」

「きっと瑞穂がやるって。あいつは今の明宮がどういう状況なのかしっかり理解してんだから。その原因が自分にもあるってことも」

「だけど……」

「でも、だけど、か」


 ミナミはフッと笑う。


「普通はそういう言葉って言い訳で使うもんだけど、明宮は違うね」

「え……」

「誰かの迷惑にならないように、自分が我慢すればいいとか思ってる。昔からそうだよね」


 ミナミは「まったく」と呆れたような口調で言うと、ペチンとサチの頬を両手で挟んだ。そしてニッと笑う。


「いいから今は何も考えずに休みなって。明日、ちゃんと体調が良くなって頭がすっきりしてたら仕事に行けばいいじゃん。ね?」

「……わかった」


 サチが頷くとミナミは「素直でよろしい」と母親のような笑みで頷いた。


「じゃ、もう布団敷いちゃおう。着替えてきなよ。あ、シャワー浴びる?」


 サチは自分の顔に手をあてて頷く。


「ちょっと、サッパリしたいかも」

「ん。行っといで。布団敷いておくからさ」


 ミナミの笑顔に頷いて応えると、サチは浴室へと向かった。

 身体のしんどさは変わらないが、楽になったような気がするのは頭がフワフワしているからだ。しかし、不思議と気持ちは落ち着いている。

 もしかすると熱のせいで思考が回っていないのかもしれない。それともミナミがいるからだろうか。


 ミナミが、優しいから。


 ここにいる彼女は柚原の妻でも、幸の母親でもない。サチの親友だ。彼女が一緒なら、寂しくない。


 ――ほら、ずるい。


 サチはシャワーを浴びながら自嘲する。

 ここでならミナミの優しさが自分だけに向けられる。そのことに満足している自分がいる。

 彼女の優しさは安心できる。そんな安心できる優しさを独り占めしたい自分がいる。

 自分は、こんな人間だっただろうか。こんな自分勝手でずるくて、ダメな人間だっただろうか。


「ずるくてもいい、か」


 温かな湯を浴びながらサチは呟く。

 そのずるさは、どこまで許されるのだろう。いったい、どこまで……。

 そして、誰が許してくれるのだろう。

 サチは深くため息を吐いてシャワーを止めた。

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