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6.雨、溢れた想い(3)

 翌日も安定した梅雨模様だった。今年の梅雨は長くなると天気予報で言っていた。ここ数日、ずっとシトシトと降り続いている雨。

 サチはこの時期があまり好きではなかった。湿気がひどくて蒸し暑く、体調も崩しがちだ。そんな時期に来る誕生日が嫌だった。まるでこのジメジメした気候が自分の性格を表しているようで。

 しかし、今年は違う。

 サチは朝のホームルームが終わった教室で、集めたプリントをまとめながら美桜の席へ視線を向けた。彼女はいつものように机に頬杖をついて三奈たちと楽しそうにお喋りをしている。


「先生、待って! 俺、まだプリント出してない」


 ふいに聞こえた声にサチはそちらへ視線を移す。男子生徒がクシャクシャになったプリントを一生懸命に机の上で伸ばしていた。そして慌てて記入し始めている。サチは苦笑しながら「早くね」と声をかける。そのとき「三奈さ、いま何が欲しい?」という美桜の声が聞こえた。


「え、なにいきなり」

「いいから」

「そうだなぁ」


 視線を向けると、三奈は美桜の前の席に後ろ向きに座って考え込んでいた。


「新しい服とか? もうすぐ夏だし。水着でもいいかなぁ。ああ、新しいファンデも欲しいんだよね。化粧崩れしないってやつ。それから――」

「あー、もういいや」

「ええ? なにそれ。そっちから聞いておきながら」

「いや、あんたに聞いたの間違ったなって思って」

「ひどくない? あ、とか言いつつ、わたしに何かプレゼントしてくれるとかでしょ」

「それはない」


 きっぱりと言い切った美桜に三奈は「またまたー。誕生日プレゼントとか考えてくれてんでしょ」と言った。その言葉にサチは密かにドキッとする。


「いや、あんたの誕生日プレゼントはもう決まってるじゃん。みんなからコーラを一本ずつ。去年、それでいいって言ったよね?」

「待って。それ覚えてない。そんなこと言った?」


 三奈の慌てた声に周囲の子たちの笑い声が響く。


「先生、これ」


 ピラッと目の前にプリントが差し出されてサチは「あ、はい」とそれを受け取る。そしてプリントの束と出席簿を抱えて教室を出た。すると、ちょうど瑞穂が廊下の向こうからこちらへやってくるのが見えた。


「明宮先生。ホームルーム終わりですか?」


 サチの前で立ち止まって瑞穂が言う。サチは頷いて「先生はどちらに?」と聞いた。


「ちょっと準備室に」

「あれ? でも準備室って職員室からだと、ここ通らない方が近いですよね?」

「明宮先生に会えるかなと思って」


 一瞬、周囲がざわついた気がする。しかし瑞穂は気にしていないのか「会えてラッキーです」と笑った。サチは苦笑する。


「何か御用でしたか?」


 言いながらサチは歩き出す。職員室とは逆方向だが、ついでにサチも準備室に寄ることにした。


「用ってほどでもないんですけど……。いや、やっぱり大事な用ですね。忘れないうちにと思って」


 サチは首を傾げて視線で問う。


「先生、明日が誕生日なんですよね」


 そのとき、後ろからサチにぶつかるようにして女子生徒が通り過ぎた。三奈だ。彼女は振り返ると、サチを睨みつけてからトイレの方へと去って行った。


「……すごく睨んでましたね、高知さん」


 瑞穂がポツリと言う。


「やっぱり、気のせいじゃなかったですか」


 サチはため息を吐いた。


「まあ、生徒全員の気持ちを理解するなんて無理ですから」

「そうですね……」


 頷いてサチは「それで」と瑞穂を見た。


「なんで知ってるんですか? わたしの誕生日」

「昨日、柚原さんから教えてもらって」

「柚原さん……。いつの間に連絡先交換してたんです?」


 瑞穂は笑みを浮かべて「先生が居眠りしてる間に」と言った。


「で、明日はみんなでパーティしないかって柚原さんが言ってて」


 キラキラした子供のような笑顔で瑞穂は言った。


「え、あー。みんなで、ですか――」


 答えに困って眉を寄せたサチを見て、瑞穂は「もしかして、もう予定が?」と泣きそうな表情を浮かべる。


「いや、えっと……。あ、そのみんなっていうのは御影さんも入ってますか?」


 少し声のトーンを落としてサチは聞く。瑞穂は当然のように頷いた。


「もちろんです」

「だったら、彼女にも聞いてみなくちゃ」

「あ、そうですね。じゃあ――」


 瑞穂はそこで言葉を切って困ったように首を傾げた。


「先生から聞いてもらうっていうのは変ですよね? 先生の誕生パーティなのに」

「まあ、そうですね」

「わたしが直接聞くと、きっと嫌がりますよね。学校だし」

「たぶん、そうですね」

「んー」


 瑞穂は困ったように眉を寄せて考え、やがてパッと思いついたように笑みを浮かべた。


「じゃあ、柚原さんから聞いてもらいます。たしか連絡先交換してたから」

「え、そうなんですか?」

「彼女、すごく嫌がってましたけどね。柚原さんの粘り勝ちって感じでした」


 そのときのことを思い出したのか、瑞穂はクスクス笑った。そして「みんなの予定がオーケーだったら、パーティしてもいいですか?」と首を傾げた。


「あー、はい。そうですね」

「先生のお家でやっても?」


 サチが頷くと、瑞穂は満面の笑みを浮かべた。そして「約束ですからね!」と力強く言うと、いそいそと階段を上がって行った。きっと準備室でミナミに連絡を取るのだろう。サチはその場に立ち尽くしてため息を吐く。


「――ごめん、御影さん」


 思わず呟く。つい、美桜に決定権を委ねて逃げてしまった。あんなに嬉しそうに話してくる瑞穂の気持ちを無碍にはできなかったのだ。

 美桜だってあんなに嬉しそうに言ってくれたのに。サチ自身も、美桜と過ごす誕生日を楽しみにしていたくせに。

 瑞穂のキラキラした笑顔と、昨夜の美桜の嬉しそうな微笑みが同時に脳裏に浮かぶ。サチはもう一度深いため息を吐いた。


「あー、何やってんだろう。わたし」


 自己嫌悪に襲われながら、サチは力なく準備室へ向かった。

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