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6.雨、溢れた想い(2)

 雨が降りしきる日曜日の夜。夕食を終えたサチは美桜と一緒にテレビを見ていた。しかしあまり面白い番組をしていない。美桜は飽きたのか大きく伸びをして「それにしても」とサチの部屋を見渡した。


「ようやく先生の部屋、普通に生活できるようになりましたね。テーブルもテレビも、あと服の収納棚も増えたし」

「そうだね」


 サチも自室を見渡しながら笑う。

 テーブルとテレビは怪我をした週の土曜日に実家へ取りに行った。一人で行こうと思っていたのだが、力仕事ならば自信があるからと瑞穂が付いてきてくれた。

 あの日から連絡を取っていなかった母は、やはり帰宅したサチに対して素っ気なかった。しかし瑞穂がしっかりとした挨拶をしてくれたおかげで少し気を良くしたのか、帰りがけになぜか梅干しを持たされた。自家製の梅干し。それも大瓶に入れられたままである。


「お友達にも分けてあげなさい」


 そう言って、母は家事仕事に戻っていった。よくわからないが、母なりの気遣いだったのかもしれない。

 収納棚の方は数日前にミナミが持ってきてくれたものだ。もう使わなくなったから、と。


「あとは料理を覚えるだけですね。先生」


 デカフェのコーヒーを飲みながら美桜がニヤリと笑う。サチは苦笑して「料理の指導、今後ともよろしくお願いします。御影先生」と頭を下げる。


「でも先生、けっこう大ざっぱというかポンコツだからなぁ。砂糖と塩間違えたり、大さじと小さじ間違えたり。基本的にずっと強火だし」

「そこを諦めずに、なんとかお願いします」


 すると美桜は「しょうがないなぁ」と笑った。

 最近、美桜はよく笑う。それは家にいるときだけではなく、学校でもだ。教室で三奈たちと話しているとき、以前よりも笑顔を見ることが多くなった。


「――最近、学校楽しそうだよね。御影さん」

「え、なんですか。突然」


 美桜は少し驚いたように目を大きくした。


「いや、教室でもよく笑ってるなと思って」

「そうかな……」


 少し恥ずかしそうな表情で美桜はコーヒーを飲む。そして「たぶん」と呟くように言った。


「先生が最近、人気あるから」


 思わぬ言葉にサチは「わたし?」と高い声をあげた。美桜は頷くとスマホを取り出した。


「最近、松池先生が雰囲気変わったでしょ? 接しやすくなったというか。それでファンクラブの子たちがすごい騒いでて」

「ああ、そういえばファンクラブあったんだっけ」

「そう。で、松池先生を変えたのは先生じゃないかってみんなが言ってるの。それで先生の株が上がってる」

「なにそれ。なんでわたし?」


 聞くと美桜はきょとんとして「気づいてないんですか?」と言った。


「え、なにが?」

「これ、見てくださいよ」


 美桜が差し出してきたのはスマホだった。それはグループラインのようだ。


「これって、もしかしてクラスの?」

「そうですけど」

「え、そんなのあるんだ?」

「普通ありますよ。それより、これ。ほら」


 言って美桜は画像をタップして全画面表示した。それを見てサチは眉を寄せる。


「なにこれ」

「先生と松池先生」

「うん。それはわかる。でもこれ――」


 それはサチと瑞穂が楽しそうに笑い合ってお弁当を食べている姿だった。あの多目的教室で。


「盗撮じゃない?」

「ま、そうですね。ファンクラブの子たち、学校での松池先生の行動見てますから。あの教室でお昼を一人で食べてたのもずっと前から有名でしたよ。一人で憂いた表情で食べる姿がいいって」

「……なにそれ」


 思わずサチが引き気味に言うと、美桜は笑って「わたしも理解はできません」と言った。


「で、この写真は先生が一緒にお昼ご飯を食べるようになってから松池先生が劇的に変わったっていう証拠なんだって。ほら、こっちが一人で食べてる頃の松池先生」


 言って美桜がもう一枚の画像を表示させた。そこにはあの多目的教室で一人、背筋を伸ばしてお弁当を食べる瑞穂の姿が映っていた。サチの知る、仕事モードの瑞穂の表情。けれど、その瞳は寂しそうに見えた。


「ね? すごい変化でしょ」

「まあ、たしかに」

「しかも一緒に食べてるときの二人、距離が近い」


 そう言った美桜の声は低い。


「そ、そう?」


 サチは首を傾げた。意識したことはないが、たしかにこうして写真で見ると多少距離が近いかもしれない。


「でも、友達だし。こんなもんじゃない?」


 しかし美桜は深く息を吐いて「変な噂も立ってますから、気をつけた方がいいですよ」と言った。


「変な噂?」

「先生と松池先生が付き合ってるって」

「は?」


 思わず高い声が出てしまった。美桜は憮然とした顔で「みんなそういうの好きだから」と肩をすくめた。


「トーク遡ったらそういう話題もあるから、見てみたらどうです?」

「いいの? 変なこと言われてたりしない? わたし」


 聞くと、美桜は複雑そうに笑った。


「先生のこと悪く言ってる子はいないから、大丈夫です」

「そうなんだ」


 サチはトークを遡っていく。最近の話題はもっぱらサチと瑞穂のことばかりのようだ。何やら勝手な妄想が繰り広げられている。しかもその噂を好意的に受け取っている生徒が多いような気がする。


「なんでみんなこの噂にノリ気っていうか、好意的なの」


 思わず呟くと美桜は「その写真の効果ですかね」と言った。


「最近たしかに松池先生は接しやすくなったけど、こんな笑顔を見せるのは先生だけだから」

「へえ。ただの友達なのに」

「ただの、ね」


 何か言いたげな美桜の声にサチは彼女へ視線を移した。しかし美桜は首を横に振るだけで何も言わない。不思議に思いながらも、サチはさらにトークを読み進めた。

 たしかにサチのことを面白がる発言はあっても、けなしたりするような発言は見られない。しかし、一人だけサチに対して否定的な意見するアカウントがあった。その名前には三奈とある。


「……わたし、高知さんに嫌われてるのかなぁ。学校でもよく睨まれてる気がするし」

「ああ、三奈ね」


 美桜は苦笑した。


「あの子、良い子なんだけど性格捻くれてるから。別に先生のこと嫌ってるわけじゃないと思いますよ。あのとき、病院にだって付いてきてくれたし」


 たしかにサチが病院に運ばれたとき、目覚めるまで病室にいてくれた。しかしそれは瑞穂の話を聞く限り、サチを心配してというよりは美桜を心配しての行動だったように思う。

 美桜は手にしたマグカップを見つめながら「三奈は」と続ける。


「小学校、中学校とも学年が荒れてて、イジメがひどかったんだって」

「え、イジメ……?」

「そ。誰か特定の子がターゲットになってるっていうわけじゃなくて、なんかそのとき気に入らない子がいつの間にかイジメられてるみたいな、そんな感じ。そんな中で自分の身を守りながら生きてきたら、やっぱり捻くれちゃうと思う。だからたまに問題起こしたりするんだけど、ちゃんとそれがよくないことだって理解はしてるの。ストッパーがいれば大丈夫」

「それが御影さん?」


 訊ねると美桜は苦笑した。


「まあ、そんな感じ。あの子の攻撃的な態度は防衛本能みたいなもんだから、気にしないでいいですよ」


 優しい口調で美桜は言う。そんな彼女にサチは微笑んだ。


「高知さんのこと、よくわかってるんだね」

「一年の春に、ちょっとやり合ったから」

「え! そうなの?」

「うん。で、わかったの。三奈はかなり捻くれてるだけで、根は良い奴だって」

「へえ……。親友なんだ?」

「さあ、どうだろ。なんか、あいつが勝手に懐いてきたから」

「まんざらでもない、と」

「なにそれ」


 軽く美桜が笑う。サチも笑いながら再びスマホに視線を落とした。そしてふとある一文に目がとまった。


「へえ、松池先生の誕生日って七月なんだ。もう来月だね」

「何かしますか? パーティとか」

「そうだね。きっと松池先生喜ぶだろうし。あと柚原さんもそういうの好きそう」

「……そのときは松池先生の部屋でやってくださいね」


 あの夜を思い出したのか、美桜は嫌そうに顔をしかめた。そして「そういえば」とサチからスマホを受け取りながら美桜は思い出したように言う。


「先生の誕生日っていつですか?」

「わたし? えっと、明後日かな」

「は?」

「え?」


 なぜ美桜がそんな変な顔をしているのかわからずサチは首を傾げる。すると美桜の顔は一気に不機嫌そうな表情へと変化した。


「え、なに? なんで怒ってるの?」

「いや別に怒ってませんけど、なんで言ってくれないんですか。誕生日がもうすぐって」

「なんでって、聞かれなかったから……」


 サチの答えに美桜は深く息を吐いて「何が欲しいですか?」と首を傾げた。


「え?」

「誕生日プレゼント」


 サチは慌てて「いやいや」と両手を振った。


「いいよ、別に。欲しいものはとくにないし」

「よくない。何が欲しいですか?」


 なぜか怒った様子で美桜はサチを見つめてくる。サチは考えながら視線を彷徨わせて「み……」と言いかけ、その言葉を飲み込んだ。


「み?」


 怪訝そうに眉を寄せる美桜。サチは誤魔化すように笑って再び考える。


 ――御影さんと一緒にいたい。


 そんな言葉が出そうになった。今だってこうして一緒にいるのに、何を考えているんだ自分は。サチは心の中で自分を叱責する。


 ダメだ。こんな想いを彼女に向けてはダメ。きっと彼女は答えてくれるから。そうしたらきっと戻れない。そんなのはダメだ。自分の気持ちで彼女の人生を縛ってはいけない。彼女にはまだ、たくさんの可能性があるのだから。


 サチは心の中でグルグルと考える。


「先生? なんか、大丈夫? 顔赤いけど」


 心配そうに美桜が言う。サチは「えと」と美桜から視線を逸らした。


「御影さんがくれる物ならなんでもいいかなぁって」

「えー、なにそれ」


 美桜は不満そうだったが、やがて「でも、うん」と頷いた。


「わかった」


 そう言って彼女は立ち上がり、マグカップをシンクへと運ぶとそのまま玄関へ向かった。


「じゃ、先生。明後日はパーティしようね。二人で」

「うん。え、二人で?」

「そう。二人で」


 美桜は嬉しそうに微笑むと「おやすみ、先生」と出て行った。


「――二人で」


 思わずサチは呟く。そして両手を頬にあてる。顔が熱い。サチは深く息を吐いて畳の上に横になる。


「しっかりしろ、わたし」


 言い聞かせるように呟くと、しばらくそのままの状態で面白くもないテレビを眺め続けていた。


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