5.過去、そして親友(11)
「今日さ」
ミナミは低い声で口を開いた。
「九年ぶりに会えて嬉しかったんだよ。普通に話せて、あの頃のように普通の友達として明宮はわたしを見てくれて。やっぱり明宮は普通の人生を送ってたんだって、そう思った。なのに」
ミナミはバスタオルを頭から被って顔を隠した。
「話してみたら、何なの。女子高生に告白されたってさ。それで悩んでるって言ってるあんたを見てたら、なんか無性に腹が立って。相手がどんな奴か見てやろうって、そう思って来たんだ。そしたら、明宮はわたしが見たこともないような表情であの子のこと見ててさ。あんなの好きだって言ってるようなもんじゃん。正直、何なんだよって思った。なんで……」
ミナミの声は震えていた。僅かに触れる彼女の肩が小刻みに震えている。彼女は一度、大きく息を吐き出した。
「――なんで、わたしじゃダメだったんだよ」
そう、呟くように言った彼女の声は涙混じりだった。
「島村さん……」
「わかってる。わかってるよ。わたしは旦那のことが好きだし、子供だってめっちゃ可愛いし、愛してる。今のわたしは幸せなんだよ。でもさ」
彼女はサチを見た。バサリとバスタオルが落ちる。彼女は泣いていた。あのときのように。悲しそうに。そして、寂しそうに。
「なんかもう、よくわかんなくて。モヤモヤすんの。胸が苦しい。今のわたしは幸せだし、家族のこと大好きだよ。でも、やっぱりまだどこかで明宮のことも好きなんだよ。だから」
「……だから?」
だから、とミナミは繰り返して涙を流しながら唇を噛んだ。
「こうして、二人っきりで話したかった」
ミナミは真っ赤になりながら続ける。
「全部ぶちまけて、スッキリしたかった」
そして彼女は潤んだ瞳でサチの目をまっすぐに見つめた。
「島村ミナミは、明宮サチのことが大好きだった! 大好き、だったんだ――」
言いながら、彼女は再び俯いた。
「……うん」
サチは頷くと、床に落ちたバスタオルを拾ってミナミの頭に被せた。そしてまだ濡れている髪を拭いてやる。ミナミは顔を俯かせて、ただされるがまま拭かれている。あのときのように。
サチは高校時代のことを思い出しながら「わたしね」と口を開く。
「高校生の頃って本当に自分のことしか考えてなかった。自分のことが嫌いで、でも傷つきたくなくて。傷つくのが怖いから誰かと必要以上に関わりたくなくて、いつも逃げてた。きっと年齢よりもすごく子供だったの。そんな子供だったわたしは、島村さんの気持ちに気づけなかった」
サチは手を止めるとバスタオルごとミナミをそっと抱き寄せた。
「ごめんなさい」
胸元でミナミの押し殺した泣き声が聞こえる。外で降り続ける雨は、それをかき消すには弱々しい。
「明宮は」
掠れた声で彼女は言う。
「あの頃、少しでもわたしのこと好きだった?」
サチは微笑む。
「じゃなきゃ一緒にご飯食べたり、修学旅行を二人で行動したり、深夜まで長電話したりしなかったよ。わたしは、島村さんのおかげで寂しくなかった」
ありがとう、とサチは彼女を抱きしめた。背中に回されたミナミの手がそっとサチを抱きしめ返してくる。
「そっか。なら、いいや。わたしも明宮がいたから寂しくなかった」
――こうしてれば寂しくないでしょ? わたしもこれで寂しくない。
思い出した。そう言ってミナミが一緒に昼食を食べようと言ってきたのは、あの梅雨の日の翌日だったのだ。あのときから、彼女はいつだってサチの近くにいてくれた。
「明宮は、今は寂しくない?」
「うん。寂しくない」
「そっか」
「島村さんは、寂しくない?」
するとミナミは「幸せだよ」と呟くように言った。
「母さんと旦那、それに子供。大好きな人たちと一緒にいられてすごく、すごく幸せ」
「よかった」
そう言って、サチは彼女をぎゅっと抱きしめる。
「――ありがとう、サチ」
彼女がサチのことを名前で呼んだのはそれが初めてで、きっとこれが最後なのだろう。彼女を抱きしめながら、サチはそう思った。
しばらく二人はキッチンに座り込んだまま抱き合っていた。そうしていると、唐突にミナミが「よし!」と気合いを入れるような声を出してサチから離れた。そしてニッと笑みを浮かべる。
「明宮もさっさとシャワー浴びてきなよ。あ、なんなら風呂入れてもいいよ?」
彼女は言って立ち上がると「そんで」とサチを見下ろした。
「風呂から出たら、もう島村ミナミはいません」
意味がわからずサチは首を傾げる。すると、ミナミは腰に手を当てて「ここにいるのは柚原ミナミです」と言った。
「柚原さんの奥さん。柚原さんのママ。島村ミナミじゃないの。奥さんでママなの。わかった?」
サチはフッと笑って頷いた。
「わかった」
「よし。じゃあ、風呂行ってこい!」
サチの肩をバンッと叩いてミナミは畳の部屋へと移動する。
「しっかし、マジで何もないなぁ。テーブルなくて、どう生活してんの」
そんな声を聞きながらサチは浴室へと向かった。
さすがに今から風呂を入れる気にもなれず、シャワーで手早く済ませる。そうして浴室から出ると、ミナミはすでに布団を敷いてゴロゴロとリラックスしているところだった。
「あ、おかえり。早かったね」
「シャワーにしたから。まだ傷が痛いし」
「そっか。あ、腕の包帯、巻いてあげようか?」
「ううん、大丈夫。それより島村さ――」
「んー?」
ミナミはむくりと起き上がってサチを睨むように見てきた。
「ゆ、柚原さん?」
「うん。なに?」
サチは眉を寄せて「呼び辛いよ」と息を吐いた。
「あいつの顔がよぎる?」
「先生の顔? まあ、そうだね。先生、元気?」
「白髪と皺を気にしてる以外は元気。あいつ、もうすぐ四十なんだから多少の白髪と皺は年相応なのにね」
サチは苦笑する。そしてミナミが敷いた布団をぐいと引っ張った。
「これ、横向きにしないと」
「えー、なんで。いいじゃん、これで」
ミナミは言いながら再びゴロンと仰向けに寝転んだ。
「もう、ちょっと起きて。布団これしかないから。二人で寝るには狭いでしょ」
「美桜とは一緒に寝たくせに」
思わずサチは「なっ!」と高い声を上げた。
「まさか、聞いてたの……」
ミナミはニヤニヤと笑って頷いた。
「同じベッドで一夜を供にしたって言ってたね」
「その言い方、なんかやだ。あのときは布団にビール零しちゃってて使えなかったから、だから」
「はいはい。一緒に寝ただけなんだよね。何もせず、ただ寝てただけなんでしょ。明宮はお子ちゃまだから」
サチはそのときのことを思い出すと「まあ、うん。そう」と頷いた。その反応にミナミは目を丸くして「え、何したの?」と身を乗り出してくる。
「何もしてない! ほら、起きて。布団横にするから。あとバスタオルも使ってないやつ、そこにあるから二枚とって」
「ちょ、わたし客でしょ?」
「親友でしょ」
サチが言うと、ミナミは驚いたように口を閉ざし、そして笑った。嬉しそうに。
横長の布団に二人並んで寝転び、暗い部屋の天井を見つめる。敷き布団からはみ出した足が畳に当たって、少し寝づらい。
「なんかさ」
ふいにミナミが言った。
「修学旅行みたいだね、これ」
「たしかに」
「あのとき、布団は人数分あったのにこんな感じで寝てたの、なんでなんだろ」
「枕投げで布団がグシャグシャになってたからだと思うよ。一番暴れてたのは柚原さん」
「そだっけ」
ミナミとサチは笑い合うと、再び沈黙が降りてきた。そしてそれを破ったのは、やはりミナミだ。
「美桜のさ、どこが好きなの」
「なにそれ」
「教えてよ」
「……わかんないよ」
「好きなのに?」
「柚原さんはわたしのどこが好きだったの?」
少しの沈黙。そして「わかんない」という答え。サチは思わず笑ってしまう。
「ね?」
「だな」
二人で息を吐くようにして笑う。
「ま、美桜はわたしもわりと気に入ったよ。ちょっと明宮に似てるし」
「似てる?」
「ほんとにちょっとね。雰囲気が」
「ふうん」
「ま、それはいいとして」
もぞりと布団が動いた。ミナミが体勢を変えたのだろう。
「瑞穂のことだけどさ」
「松池先生?」
「あいつ、あんなに天然とは思わなかったよ」
「うん。そうだね。わたしも最初びっくりした。学校ではすごくクールな感じだから。いつもキリッとしてて、人を寄せつけないっていうか」
「でも、明宮には懐いてるよね」
「たぶん、プライベートで偶然会っちゃったからじゃないかな。素の状態の松池先生とホームセンターで遭遇しちゃって、それで仲良くなったの」
「ふうん」
何か含むような声だった。サチは不思議に思って「なに?」と訊ねる。
「いや、別に何でもない。気のせいかもしれないし」
「気になるんだけど」
「気にしないで。あ、そうだ」
ごそごそと布団が動く。そして右隣がぼんやり明るくなった。どうやらミナミがスマホを手にしたようだ。
「連絡先、教えてよ。もし何かあったら人生の大先輩である柚原ミナミさんが相談にのってあげるから」
「大先輩って、同い年じゃん」
「わたし、奥さんでママだぞ」
サチは笑ってスマホに手を伸ばす。そしてアカウントと電話番号を交換する。スマホの画面に照らされたミナミは嬉しそうに画面を見つめている。そして「ありがとう」と言った。
「何が?」
「あんな告白したのに、それでも友達だって言ってくれて」
「大親友なんでしょ?」
「……うん。大親友として、これからもよろしく。明宮」
「うん」
それきりミナミは口を閉ざした。
スマホを置いて、再び暗闇にもどった室内。ぼんやりと真っ黒な天井を見つめているサチの隣で、微かに聞こえてきたのはミナミの寝息。
「――ありがとう、島村さん」
サチはポツリと声に出して言う。
こんなポンコツな自分をずっと想っていてくれてありがとう。そして、これからも友達でいたいと思ってくれてありがとう。
ミナミはもぞりと動いたが何を言うでもなく、穏やかに寝息を立てていた。




