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5.過去、そして親友(1)

「あー、だるい」


 呟きながらサチは寝返りを打ち、うつぶせになって手を伸ばした。そしてスマホを探す。手に当たったそれを掴んで今度は仰向けに寝転ぶと、画面のロックを解除した。

 時刻は午前十時を過ぎたところ。かなりの寝坊だ。昨日に比べて傷やたんこぶの痛みはマシになったが、代わりのように全身が痛い。それはまるで筋肉痛のような痛みだった。一挙一動がとても怠い。

 開いたスマホにはメッセージが一件届いていた。瑞穂からだ。


『おはようございます、怪我の具合はいかがですか? 冴木くんと御影さんの話し合いは先ほど、双方が謝罪をするという形で終わりました。それから冴木くんのお母様が、先生の治療費については全額支払うと申し出てくれましたので、領収書を控えておいてください』


 固い文体での事務的な用件。きっと周りに人がいる状態で打ったのだろう。送信された時刻は九時五十分。つい先ほどのことだ。サチは身体を横に倒して、寝転んだまま返信を打つ。


『おはようございます。何事もなく話し合いが終わって良かったです。領収書の件も承知しました』


 送信。しばらく返信は来ないだろう。そう思っていたが、意外にもすぐに既読がついた。そして少しの間があって返信。


『本当は先生に直接謝ってもらいたかったです。でも、あちらにはその気はないようで、食い下がってみましたが校長に止められてしまいました。すみませんでした』


 ごめんなさい、という可愛い泣き顔のスタンプが押された。サチは思わずフッと笑う。


『わたしのためにありがとうございます』

『怪我、大丈夫ですか?』

『怪我は大丈夫。でもなんか、身体が怠いです。筋肉痛かも。正直、今日休みでよかったー』


 送信してゆるい感じのスタンプを押す。


『無理はしないで、今日は本当にゆっくり休んでくださいね。クラスのことはわたしに任せて!』


 すみません、と打ちかけてすぐにその文字を消す。そして代わりに『ありがとう』と打って送信。続けて『よろしくお願いします』と送る。すると、任せろ! っと力強いスタンプが返ってきた。

 サチは笑って画面をタップするとトーク一覧の画面に戻った。そして自然と開いていたのは、美桜とのトークルームだ。

 彼女のメッセージは日曜日のやりとりが最後。昨日から何もメッセージは来ていない。サチはため息を吐いて、もぞりと身体を起こした。


 昨夜は結局、あのまま何も話すことはできなかった。

 バスが到着して美桜に起こされ、降車するとそこに真澄が待っていた。わざわざバス停まで来て待っていたようだ。そしてまず、サチに対して深く謝罪をしてくれた。大丈夫だと何度言っても、しばらく頭を上げてくれなかった。そんな真澄の姿を、美桜はただ見つめているだけだった。

 そして一緒にアパートへと歩き、それぞれの部屋に戻った。繋いでいた手をいつ放したのかわからない。バスを降りてから部屋に入るまで、美桜は一度もサチの顔を見ようとはしなかった。


 ――好きだよ。


 耳の奥で響く、美桜の声。彼女は気づいていただろうか。サチが起きていたことを。それとも眠っていると思って声に出したのか。

 サチはノロノロと身支度をしながら考える。

 このまま聞かなかったことにして、これまで通り彼女と接することはできるだろうか。彼女の態度がもし変化していたら、そのときはどうする。そして、自分の彼女に対する態度が知らず知らずのうちに変わっていたとしたらどうする。

 きっと美桜は気づくだろう。彼女は人の気持ちに敏感だから。そうなれば、きっと今までのような関係を保つことはできない。

 サチは洗面所で鏡を見つめる。頭に包帯を巻いた、ひどい顔の自分がそこに映っている。

 自分は美桜を見るとき、どんな表情をしていたんだろう。どんな気持ちで彼女と接していたのだろう。


「わかんないや……」


 ――もっと、自分に興味を持ってよ。


 美桜の言葉が蘇る。サチは思わず笑ってしまう。どうして彼女は見透かしてしまうのだろう。今までサチが他人どころか自分にすら興味を持ってこなかったことを。

 だけど今は違う。だって、こんなにも美桜のことを考えてしまっている。自分がどんな風に美桜と接していたのか考えてしまっている。

 このアパートに来て、たったの三日。しかし、そのたった三日間が今までの人生で一番楽しかったのだ。美桜がいつも一緒にいたから。

 きっと彼女はサチのために、サチが楽しい気持ちになれるように導いてくれていたのだろう。あの金曜の夜から、こんなポンコツな自分を全部受け入れてくれて。それなのに、自分は彼女の気持ちに気づきながらも気づかないふりをして。


 ――ああ、なんだか息苦しい。


 サチは洗面台に両手をついて俯く。そして深く息を吐いた。


「……どうしよう」


 呟いても答えが見つかるわけもなく、サチは水道の蛇口をひねって顔を洗った。

 頭の包帯はとれてしまったが、とりあえずたんこぶは触らなければ大丈夫そうだったので、そのままにしておくことにした。

 左腕の包帯をなんとか代えて、外の空気を吸おうと玄関を開ける。するとドアノブに紙袋が一つ提げられていた。中を覗くとパックケースに入ったサンドイッチがメモ紙と一緒に入っていた。

 メモには、おそらく真澄の文字で「娘と作りました。よかったら朝食にどうぞ」と書かれてあった。

 レタスとハム、そしてトマトとスクランブルエッグが厚切りの食パンで挟んである、なかなかボリュームのあるサンドイッチだ。

 サチは袋を手にして空気を吸い込む。昨日の夜のような湿気はない。カラっとした晴天。悶々とした気持ちとは真逆の、爽やかな良い気候だった。


「あ、そうだ」


 ふと思い立ってサチは部屋に戻るとマグカップにコーヒーを淹れる。そしてサンドイッチの袋とマグカップを持って、再び部屋を出た。向かう先はアパートの裏手だ。


「ナナキちゃん、おはよう」


 小声で声をかけながら小屋を覗いてみると、ナナキは気持ちよさそうに眠っていた。ナナキにとっては。いつもと同じ朝なのだろう。

 サチは小屋の近くに腰を下ろして紙袋を置くと、サンドイッチのパックケースを取り出す。そして袋の上にマグカップと一緒に置いた。


「プチピクニック……」


 一人でそんなことを呟きながらコーヒーを一口。怠い身体に染み渡る苦いコーヒーにサチは息を吐いた。そしてサンドイッチを一口食べる。


「美味しい。なんでスクランブルエッグ、こんなフワフワになるんだろ」


 そのとき、ナナキがぼんやりと目を開けた。サチの声に反応したのか、それとも匂いに反応したのか、ナナキは少しの間サチのことを見ていたが、やがて再び目を閉じて寝入ってしまった。


「君はのんびりさんだね」


 サチはナナキに微笑みかけると、再びサンドイッチを口に運んだ。

 静かな空間にそよぐ風。のんびりと眠る老犬の傍らでピクニック気分を味わっていると、なんとなく冷静な気持ちになってくる。そして真澄の残したメモをもう一度眺めながらサンドイッチを食べ進める。そうしているうちに、あることを思い出した。


「住民票……」


 そういえば取りに行かなければならなかった。次の休みにでも休日窓口へ取りに行こう。そう思っていたが、今日は平日。休日に行くよりも窓口は空いているだろう。

 瑞穂からはゆっくり休めと言われているが、どうせ家にいても答えの出ない考えに悶々とするだけだ。身体は痛いが、それはきっと家でじっとしていても同じ事。ならば、動いた方が気が紛れるかもしれない。

 よし、とサチはサンドイッチを食べ終えると、一気にコーヒーを飲み干して出かける準備を始めた。

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