3.友達、本当の彼女(5)
駐車場まで戻ったサチは瑞穂と別れ、綺麗になった布団を車に積み込んでアパートへと戻った。駐車場にはすでにガス会社の軽ワゴンはない。
車を降りて見上げたアパートの二階の部屋は、すべての窓が開けられていた。しかし、どうやら美桜の姿はない。すでに掃除は終わったのだろう。時間的に今は昼食中かもしれない。たこ焼きはあとで渡そう。
思いながら布団を車から運び出していると「先生、おかえり!」と美桜の声がした。サチは布団を抱えたまま振り返ると美桜がこちらへ走って来るところだった。
「お酒の匂い、落ちた?」
彼女は車に残っていた敷き布団を抱えるとサチと並んで歩き出す。
「うん。もうすっかり。ランドリーもちゃんと使えたし」
「書いてありますもんね、あそこ。使い方」
「知ってたの?」
「うん。先生がそれでも間違ったら面白いなぁって思ったんだけど」
「さすがにそこまでは」
サチは笑って布団を自分の部屋へと運んだ。そして再び車に戻りながら「御影さん、もうご飯食べた?」と訊ねる。
「食べた。先生も食べてきたんでしょ?」
「うん。それでお土産買ってきた。御影さんに」
すると美桜は「へえ」と少し嬉しそうに笑った。
「なに?」
「ちょっと待ってね」
サチは運転席のドアを開けると助手席に置いていた袋を手に取る。
「はい、これです」
美桜は差し出された袋を受け取ると、不思議そうに中を覗き込む。
「たこ焼き?」
「うん。夕飯にでも食べて。すごく美味しかったの」
「へえ。これ、どこのですか?」
サチは購入した日用品が入った袋を運び出しながら「ホームセンターの裏にある、えっと、こだわりのたこ焼き屋さんだっけ」と首を傾げた。
「ああ、あそこ」
「あ、やっぱり知ってた?」
「うん。買ったことはないけど――」
サチは「そっか」と頷いて美桜と並んで部屋へと向かう。
「でもよくわかりましたね、先生。あの店、わかりにくいのに」
「ああ、うん。実はね、ホームセンターで松池先生に会っちゃって」
「え……」
「松池先生のご実家が近くなんだって。今日はたまたま帰ってたらしくてね。棚の場所とか教えてもらって。それで――」
「一緒に食べてきたの? たこ焼き」
「うん。子供の頃から行ってるお店なんだって。おじさんが良い人で――」
話しながら横を見ると、そこに美桜の姿はなかった。サチは立ち止まり、振り返る。美桜はサチを睨むようにして立っていた。
「御影さん?」
美桜は一歩サチに近づくと、たこ焼きの袋をぐいと押し返してくる。
「いらない」
「え、でも」
「もう、お昼食べたし。夕飯にたこ焼きはちょっと」
言いながら美桜は顔を俯かせた。
「御影さん、えと、どうしたの?」
「別に。たこ焼き、そんなに好きじゃないし」
言いながら彼女は袋をサチへと押しつけてくる。
「先生食べなよ。美味しかったんでしょ?」
サチは困惑しながら袋を受け取る。
「ね、ねえ、御影さん。ほんとにどうしたの?」
しかし、美桜はサチの方を見ようとはせず、アパートの二階に視線を向けた。
「あ、そろそろ窓閉めなきゃ」
そう言って逃げるように階段を駆け上がっていく美桜の背中を、サチはただ困惑しながら見送るしかなかった。
一体どうしたのだろう。ついさっきまで笑っていたのに。たこ焼きが嫌いだったのか。いや、受け取ったときは嬉しそうだった。
「――なにか悪いこと言っちゃったかな」
少し、はしゃいでいたのかもしれない。瑞穂との時間が楽しかったから。いつもと違うサチのテンションを美桜は不快に思ったのかもしれない。
サチは部屋のシューズボックスの上にたこ焼きを置き、日用品の袋をキッチンの床に置いた。そしてため息を吐く。
昔からこういうところがあった。自分が楽しい気持ちだからといって相手もそうだとは限らないのに、それに気づかない。すぐに自分のことしか見えなくなる。悪い癖だ。
「謝らなきゃ……」
サチは再び玄関のドアを開ける。まだ部屋には戻っていないかもしれない。待っていてもいいだろうか。
「あ、荷物」
そういえば、まだキャリーバッグが美桜の部屋にある。あれも取りに行かなかれば。
外に出ると、二階で物音がした。やはりまだ部屋には戻っていないようだ。サチは少し迷ってから美桜の部屋の玄関ドアのノブに手を掛けた。鍵はかかっていない。中に入ると、なんとなく甘くて良い香りがする。この香りは――。
「――ホットケーキ?」
きっと美桜が昼食に焼いたのだろう。思いながら部屋に上がり、畳の上へと足を進める。そこで、思わずサチは立ち止まった。小さな丸テーブルの上。そこにラップがされた皿が一つ置かれてあったのだ。その皿には綺麗な色に焼かれたホットケーキが三枚。まるでそれは――。
「あ……」
声が聞こえてサチは振り返る。玄関に、美桜が不機嫌そうな顔で立っていた。しかしすぐにサチが何を見ていたのか気づくと、バツが悪そうに視線を逸らした。
「これ、もしかしてわたしの?」
美桜は玄関に立ったまま「……別に」と低い声で言う。
「ちょっと分量間違っただけだし」
「そっか……」
サチは言って息を吐くと「ごめんね」と謝った。美桜が驚いたように目を見開いて顔を上げた。
「わたし、ウザかったよね。ちょっとはしゃいじゃってた」
「はしゃぐほど楽しかったんだ?」
「え……」
「松池先生とご飯食べて、楽しかったんでしょ? わたしは一人だったのに」
サチは一度その言葉を受け止め、そして首を傾げた。
「えーと、御影さん」
「なに」
「もしかして寂しかった、とか?」
瞬間、美桜は顔を真っ赤にして「違うし。バカじゃない?」と声を荒げた。その反応にサチは「そっか」と顔を俯かせた。
「じゃあ、やっぱりごめんなさい。わたしが鬱陶しかったから」
「あ、いや。そうじゃなくて――」
なぜか少し狼狽えた様子を見せた美桜は迷うように視線を彷徨わせてから「あー、もう……」と額に手をあてて息を吐き出した。
「それ、先生のだよ」
彼女は言って、玄関を上がるとサチの隣に立ってテーブルに視線を向ける。
「ちょうど焼き始めた頃に先生から食べてくるって連絡きてさ。けっこうタネ作っちゃったしどうしようってなってるときに、先生は楽しくはしゃいでたこ焼き食べてたんだなって思ったら、なんかムカついたの」
「そう、なんだ。なんか、やっぱりごめ――」
「だから」
謝ろうとしたサチの言葉を遮って美桜は言った。
「責任を取って食べてくれますか?」
彼女はまだ少し赤くなったままの顔でサチを見た。サチは彼女の顔を見つめ返して微笑む。
「うん。ありがとう。お夕飯にするね」
「夕飯にホットケーキって太りそう……」
「好きだから」
美桜が「え?」と大きく目を見開いた。
「ホットケーキ。わたし好きだから大丈夫だよ」
「――なにそれ、どういう理屈」
美桜はなぜか恥ずかしそうに俯きながらため息を吐いた。サチは笑いながら「あ、でも、御影さんはたこ焼き好きじゃなかったんだね」と少し残念に思いながら言った。
「いや、嫌いじゃないけど」
「え、でもさっき」
「うるさいな! 嫌いじゃないってば。だから食べる。たこ焼き」
「そう……?」
「うん」
美桜はやはり恥ずかしそうに俯いたままだ。サチはフッと笑ってホットケーキの皿を手に取る。
「じゃ、夜はわたしの部屋で一緒に食べよっか」
「……先生」
「なに?」
「テーブル、あるの?」
サチは動きを止め、少し考えてからそっとテーブルに皿を戻した。そしてニコリと笑う。
「御影さんの部屋で、一緒に食べよっか」
美桜は呆れたように深くため息を吐くと「ほんと、このポンコツ先生は」と呟いた。そしてサチのキャリーバッグを取ると、玄関へ向かう。
「部屋に荷物を置いて、あと何が必要かメモっていきましょう。で、ネットとかで一気に買ってください。じゃないと先生、いつまで経っても一人暮らしできそうにない」
「……はい」
サチは返す言葉もなく、身を小さくしながら頷いた。




