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3.友達、本当の彼女(3)

「――今のはナシでお願いします」


 しばらくの沈黙のあと、瑞穂がポツリと言った。サチは「はい」と頷いて顔を上げる。瑞穂の顔はまだ赤かった。彼女は一度深呼吸をするように息を吐くと「ほんと、すみません」と前髪に手をやりながら言った。


「わたし、いつもなんかこう、相手を勘違いさせるようなことを言ってしまうようで。素直に思ったことを口にすると、なぜか相手の方の反応が予想とは違うというか、おかしくて。だから職場ではあまり話さないようにしてるんです」

「ああ、そうなんですか」


 サチは頷いてから少し考える。


「ちなみに、どんな言葉を相手に言ったときそんな感じに?」

「どんな……。別に普通だと思うんですよ。可愛い服を着てるとか、新しい髪型が似合ってるとか。男性の方なんて、手伝ってもらったお礼をしたら、なんか、ちょっと引かれてしまって」

「あー、それは――」


 どうやら彼女には自分がモテているという自覚がまったくないようだ。むしろ、自分の言動が相手に不愉快な思いをさせていると勘違いしているようである。


「んー」


 自然とサチは唸ってしまう。これは教えた方がいいのか。それともそっとしておいたほうがいいのか。悩む問題だ。

 サチが唸りながら考えていると、瑞穂は心配そうに「あの、明宮先生」と窺うような視線で見てきた。


「もしかして、気分を害されましたか?」

「いえ。むしろ逆です」


 サチはまっすぐ瑞穂を見つめながら言った。彼女は怪訝そうに首を傾げる。


「逆?」

「松池先生が予想外に面白い方だったので驚いただけです」

「面白い、ですか。そんなこと初めて言われたけど……」


 困惑した様子で視線を泳がせた瑞穂だったが、すぐに嬉しそうに笑った。


「でも、嫌われたわけじゃなくて良かった。やっぱり、明宮先生は良い人ですね」

「やっぱり?」

「はい。だって、学校でも先生は周りと距離を取りながらも、相手の気持ちを汲んだ行動をしてるでしょう? なんて言うか、相手の気持ちがわかってるみたいな」

「そんなことないですよ。わたしはただ、周囲の迷惑にならないようにご機嫌取りしてるだけみたいなもんですから」


 目立たないように。誰にも興味を持たれないように。ただ、そこにいるだけの人になれるように。幼い頃からそうやって過ごしてきたのだ。そうすれば、面倒なこともやり過ごしてこれたから。


「それがすごいなぁって。わたし、密かに学校で先生のこと観察してたんですよ」

「へ?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。しかし瑞穂は気にした様子もなく「ここで会えたのが明宮先生でよかったぁ」と嬉しそうに笑った。


「もし会ったのが生徒や他の先生だったら、わたしたぶん学校辞めてました」

「そんな大げさな」

「だって、こんな恰好ですよ? ただでさえ引かれてるのに、こんな恰好見られたらもう学校にいられません……」

「わたしならいいんですか」

「明宮先生なら、なんか安心です。他言しそうもないし」

「まあ、しませんけど。そんな仲の良い相手もいませんし」


 サチが言うと瑞穂は声を出して笑った。笑った口から八重歯が覗く。可愛らしい笑顔だった。まるで少女のように笑う人だ。そんなことを思いながら彼女をぼんやりと見つめていると、瑞穂は笑顔のままサチに向かって僅かに首を傾げた。


「明宮先生、もしよかった一緒にランチしませんか?」

「ランチ……。今からですか?」


 サチはスマホで時刻を確認する。


「あ、なにか予定が?」

「予定というか、実はいまランドリーで布団を洗ってる最中で。もうすぐ洗濯は終わりそうですけど、そのあとまだ乾燥が」

「ああ、そうなんですね。じゃあ、軽めにたこ焼きとかどうです? すぐ近くに美味しいたこ焼き屋があって。この店の裏なんですけど」

「あ、じゃあ是非」

「やった!」


 すっかり心を許してくれたのか、瑞穂は無邪気に喜んで「じゃあ、お会計済ませちゃいましょう」とサチのカートを引っ張った。


「あの、でも松池先生のお買い物は?」


 サチが言うと、瑞穂はぴたりと足を止めて「忘れてた」と呟いた。そして慌てて振り向くと「すぐに選ぶので、先にレジ行っててください」と足早にどこかへ行ってしまった。


「……意外すぎる人」


 ギャップどころの話ではない。サチが思っていたイメージとはまるで別人だ。クールで一匹狼の敏腕教師、というイメージだったのだが、どうやら天然のかわいい系教師だったようだ。サチは思わず笑いながらスマホを取り出した。

 出てくるとき、結局お昼ご飯をどうするのかはっきりさせないまま出てきてしまった。一応、連絡しておいた方がいいだろう。


『お昼、やっぱり食べてから帰るね』


 送信。既読、返信。


「相変わらず早いなぁ」


 フフッと笑いながら返信を読む。


『カーテン、いいの見つかりましたか?』

『うん。見つかったよ』

『サイズ、間違ってません?』

『大丈夫。たぶん』


 犬が大笑いしているスタンプが押された。


『じゃ、どんなの選んだのか楽しみに待ってますね』

「――まあ、選んでもらったんだけど」


 きっとこれを見た美桜はサチのイメージよりも大人っぽいと思うだろう。少しはポンコツから昇格できるだろうか。


「たこ焼き、美味しかったら御影さんにも買って帰ろう」


 カートを押してレジに向かいながら呟く。


 ――たこ焼き、好きかな。


 サチは笑みを浮かべながらレジ待ちの列に並んだ。


 レジで会計を済ませて瑞穂と合流したサチは、ひとまず荷物を車に置くことにした。


「松池先生も車ですか?」

「あー、まあ。この辺は車がないと無理ですから」

「ですね」


 サチは苦笑して自分の車の前で立ち止まると後部座席に荷物を置いた。しかし瑞穂は動こうとしない。


「先生、荷物いいんですか?」

「えっと……」

「あ、もしかして車、向こうの方に停めてあったり?」

「ううん。そこに」

「そこ?」


 瑞穂が指差した方へ視線を向ける。そこには軽トラが一台停まっていた。


「軽トラ」

「はい。軽トラなんです」

「ワイルドですね」

「実家のなので……」


 サチは笑ってから「荷物、置いてきてください」と促す。瑞穂は恥ずかしそうに頷くと、かなり使い込まれた軽トラの助手席に荷物を置いた。


「あ、そういえば明宮先生。お布団、大丈夫ですか」


 言われて時刻を確認する。


「ちょうど洗濯終わった頃だと思います」

「じゃあ、あと乾燥が五十分くらいかな」

「よくご存じなんですね」


 瑞穂は苦笑して「一人暮らしも引っ越しが多いとランドリー頼みになってしまって」と言った。


「そんなによく引っ越しを?」


 駐車場を出てホームセンターの外の歩道をぐるりと歩きながらサチは聞いた。


「まあ、けっこう学校変わってるので」

「へえ」


 そういえば美桜が言っていた。瑞穂は去年の春に今の学校にやってきたと。


「ずっと教職を?」

「そうですね、一応。でも私立ばかりを転々としてますけど。あ、ここです」


 言って瑞穂が足を止めたのは、かなり年期の入った小さな店舗だった。入り口は開放されていて暖簾がかかっている。その店内から漂ってくるのは香ばしくて美味しそうな香り。表に立てかけられた真っ赤な看板には、大きく太い手書きの字で『こだわりたこ焼き屋!』とある。


「こだたこ屋さんです。わたしが子供の頃からあるんですよ」

「こ、こだたこ屋さん?」

「長いから、名前」


 へへっと笑って瑞穂は店舗の中に入る。


「らっしゃい!」


 威勢の良い声に目を向けると、エプロン姿の五十代くらいだろう男がカウンターの向こうに立っていた。彼は瑞穂を見ると人懐こい笑みを浮かべて「よう、みっちゃんじゃねえか」と言った。


「みっちゃんはやめてください。おじさん」

「ああ、すまんすまん。そちらはお友達かい?」


 サチは軽く会釈する。するとなぜかおじさんは嬉しそうに「そうかそうか」と感慨深げに頷いた。


「みっちゃんにも友達ができたんだなぁ。よかったなぁ」

「ちょっと、おじさん――」

「みっちゃん、いつもひとりで食べてたもんなぁ。高校の卒業式だって、寂しそうにひとりで食って帰って行って。その直後、みっちゃんの学校の生徒さんたちいっぱい来たんだけど――」

「ほんとにやめてってば、おじさん!」

「おお、悪い悪い」


 ようやく瑞穂の言葉が届いたらしく、おじさんは嬉しそうな表情のまま謝ると「みっちゃん、ちょっとドジなとこあるけど良い子だから。今後ともよろしくな、姉ちゃん」とサチに言った。


「あ、はい」


 なんとなく勢いに押されてサチは素直に頷く。そんなサチを見て、瑞穂は顔を真っ赤にしながら「ネギたこマヨ多めを二つ、外で食べるから!」と早口で言って複数枚の小銭をカウンターに叩きつけるように置いた。そしてサチの腕を引っ張って外に出て行く。


「え、松池先生?」


 ここは自分が払おうと思っていたのに、たこ焼きの金額がわからない。慌てて振り返ると「はいよー!」と嬉しそうなおじさんの声が店内に響き、そこに置かれたお金は回収されていった。

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