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金色のミリオーネ  作者: 林 泉
6/10

 リンドがミリオーネを廊下へ連れ出し、室内にはエラとマーティーヌが残された。マーティーヌは食卓につくと、エラが淹れた紅茶を口にしながら訊ねた。

「あなた、新しい人ね。名前は?」

「エラと申します、奥さま」

 エラは壁際に控えるように立ち、神妙に頭を下げた。

「そう……。ねえ、エラ、ここは寂しいでしょう?」

 優しく語りかけてきたマーティーヌに、エラは思わず顔を上げた。すると、その先には気遣わしげなマーティーヌの表情があった。

「あなたはまだ若いわ。でもミリオーネはあんなふうだし、リンドは厳しいでしょう? もし辛いことがあっても、相談できる相手がいないと思うの」

 マーティーヌは、エラの現状を正確に言い当てていた。

「だから、わたしで良ければ、どんなことでも言ってね」

 相手を包みこむようなマーティーヌの雰囲気に、エラは一瞬、胸を詰まらせた。同時に、人の笑顔や心の通った交流というものから、いかに自分が遠く離れた暮らしをしていたか思い知らされる。

 この屋敷に来てからの出来事や思いが、早瀬のごとくエラの脳裏を流れていく。しかし、それらが口をついて出ようとした時、エラの耳の奥で、リンドの一言が甦った。

 ――マーティーヌさまには、気をつけなさい。

 リンドの真意は不明だった。エラに悪口を言われると考え、釘を刺しただけかもしれない。だが、その他にも、エラには引っかかることがあった。先ほどのミリオーネの行動である。

(あんな、人とは思えない声を……)

 あの時の彼女は、全身で何かを訴えていたのではないか。食事の際とは比べものにならない、強い拒絶のように見えた。

(それは一体、何に対して?)

 と考えた矢先、エラの目に映ったのは、マーティーヌだった。

 まさか、こんな優しそうな人が。

 エラは疑念を打ち消し、マーティーヌに何か答えねばと焦った。けれどエラの口は、凍りついたように動かない。

 視線を伏せたままのエラに、マーティーヌが再び言葉を投げた。

「わたし、ミリオーネを見ていると、哀れでならないの。話すことも歩くことも、何を生み出すこともできない。神さまは、どうしてあのような存在をお造りになったのだろうって」

 エラを見つめるマーティーヌの瞳は、月も星明かりもない夜に似た色をしていた。

「エラ、あなたもそう思わない?」

 マーティーヌが問いかけた時、廊下から、またミリオーネの叫び声がした。

「本当に……仕方のない子ね」

 マーティーヌは悩ましい声で呟くと、優雅な仕草で席を立った。そして、もはやエラの存在など忘れたように、一瞥もくれることなく廊下に向かっていった。



「奥さま……!」

 エラがあたふたとマーティーヌに付き従って廊下へ出る。すると、階段の手前で膝を抱え、しゃがみこむミリオーネの姿があった。

「ミリオーネさま」

 傍らのリンドも片膝をついて声をかけたが、ミリオーネは立ち上がろうとしない。

 そこへ、マーティーヌが絨毯を悠然と踏みしめながら、ミリオーネの側へ行き言葉をかけた。

「ミリオーネ、また止まっているの?」

 エラの位置からでは、マーティーヌの後ろ姿しか見えず、彼女がどんな表情をしているかはわからない。だが、その声を聞いた途端、ミリオーネは体をわななかせた。

(やっぱり、いくらなんでも様子がおかしすぎる……)

 エラは眉をひそめて、背後からそっとマーティーヌに近寄った。

 一方、マーティーヌは身を屈めて、

「かわいそうなミリオーネ。苦しいのね。もう、何もしなくていいのよ」

 そう言ったあと、ミリオーネの耳元へ口を寄せ、低く囁いた。

「あなたは、ただ……自分が無力だと、わかっていればいい」

 ミリオーネは両膝の間に顔を埋め、一切の反応を示さなかった。

「マーティーヌさま」

 その時、ミリオーネに寄り添っていたリンドが、毅然とした口調で呼びかけた。

「なあに?」

 マーティーヌは姿勢を起こし、リンドを見下げる格好で応じた。

「おそれながら、申し上げます。ミリオーネさまは無力ではありません。ミリオーネさまが、私たちを育てるのです」

 廊下がしんと静まりかえった。しばらく、誰も声を発しなかったが、

「――ふふっ」

 やがて、マーティーヌの鈴を転がしたような笑い声が響いた。

「この子が、わたしたちを育てる? 面白いことを言うのね、リンド。やっぱりあなたには、この場所がぴったりよ」

 マーティーヌは左右の口角をつり上げ、そう言った。



 マーティーヌが屋敷を去ったのち、ミリオーネは自室にこもり、外に出なくなった。壁際の椅子にうずくまって、自分の右手首を噛んだり、その傷を指でいじったりした。目を離すとそれを繰り返すため、ミリオーネが起きている間は、リンドとエラが交代で付き添わねばならなかった。

 リンドは本邸に人手を求めたが、追加の使用人が来ることはなかった。

 


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