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金色のミリオーネ  作者: 林 泉
5/10

 数日後。

「ミリオーネさま、どこですか?」

 氷が息を吹いたような風を受けながら、エラは庭を歩き回っていた。

 リンドの手を借りた長い昼食を終え、散歩の頃合いになったが、屋敷内にミリオーネの姿がない。

 うろたえるエラに、

「庭におられるのだろう。今日、ミリオーネさまは窓のそばにある木を見ておられた」

 とリンドが言った。しかし、エラにはミリオーネがいつも視線を宙にさ迷わせているふうにしか見えず、彼女がいつそんな木を見ていたのか、さっぱりわからなかった。それでもミリオーネが中にいないのは確かなので、エラは半信半疑で庭へ向かったのだった。

 屋敷を囲むように立つ木々が、緑の葉を揺らしてエラを出迎える。エラは道のあちこちに生える雑草を足でかき分け、注意深く辺りを確認しながら進んだ。

「ミリオ――」

 うんざりしつつ、再び口を開きかけたエラの視界の端に、横たわる人の足らしきものが映った。

「……?」

 不気味だったが、エラは嫌な予感がして、その場へ駆けよった。すると、茂みに顔を突っ込んだミリオーネが、うつ伏せで倒れていた。

「ミリオーネさま!」

 意識を失っているのだろうか。エラはすぐさまミリオーネを抱き起こそうとした。だが、それによって、蜘蛛の巣に覆われた茂みにかじりつくミリオーネの姿があらわになった。小虫のついた白い蜘蛛の巣が、綿菓子のようにミリオーネの口に入っていく。

「きゃあああああっ!」

 エラは思わず叫び声を上げ、慌ててミリオーネから飛びのいた。

 蜘蛛の巣や草を食べるミリオーネの横顔に、表情はない。エラはおぞましさを感じたが、放っておけばミリオーネは腹を壊してしまうだろう。エラは顔をしかめつつも、勇気をふりしぼり、ミリオーネを茂みから引き離した。

「一体、何してるんですか!?」

 ミリオーネは抵抗しなかった。口を動かすのをやめて、ぼうっと座りこんでいる。

(何なの、こいつ――)

 エラはミリオーネが口にした物を吐き出させるべきだとわかっていたが、できなかった。せめて、一刻も早くリンドの所へ連れていかねばと考え、エラはミリオーネの手首を持って立ち上がらせようとした。

(あれ……?)

 そこで、エラはある違和感を抱いた。焦っていたため、今まで触れたことのない右手首を掴んでいる。だが、その皮膚は滑らかでなく、固くがさついていた。

 それが気になったエラは、しゃがんでミリオーネの手首を覆う袖をめくった。

 すると、手のひらから少し下がった辺りに、かさぶたがあった。何かに噛まれたような傷に見える。しかも傷は一つではなく、同様のものがいくつも重なっていた。中には、かさぶたを無理に剥がそうとしたのか、薄桃色の痕が残る箇所もあった。

(どうしたんだろう……)

 エラは首を傾げた。いずれも最近の傷ではなさそうだが、どのようにしてできたのか、また、なぜ同じ所に集中しているのか。

 エラは答えを求めてミリオーネを見たが、彼女は口の端から唾液をひとすじ垂らしたまま、うつむいていた。



「茂みに顔を突っ込んで、草や虫を食べていたんです」

 エラはミリオーネを半ば引きずって連れ帰った。そして彼女を食卓の椅子に座らせると、リンドのいる厨房に駆けこんでそう言った。

 だが、リンドはエラの言葉を聞いても動じなかった。

「ミリオーネさまは、時折……まるでかささぎになったように、目についた物を口に入れてしまわれる」

 それは昔から見られる、ミリオーネの行動の一つらしい。間もなくリンドは食器棚から皿と木のスプーンを取り、ミリオーネの口に残った物をかき出し始めた。ミリオーネは口を開かされることに抵抗し、頭を左右にぶんぶんと振ったりした。しかしリンドはその動作の合間を見計らい、食べかけの残骸を器用に取り出していく。

 エラはそれを見て、安心するとともに、ミリオーネの手首の傷のことを思い出した。

「あの、ミリオーネさまの右手首ですが――」

 そこまで言いかけた時、突然、玄関の呼び鈴がけたたましく鳴り響いた。さらに、扉を強く叩く音も聞こえてくる。

 話の途中だったが、リンドに目で促され、エラは玄関に向かう。扉を開けると、見知らぬ年配の男がいた。

 男は本邸の使用人だと言い、やや早口で話した。

「奥さまがこちらへ寄りたいと仰られて、馬車の中でお待ちなのです」

 奥さま。思わぬ一言を耳にして、エラは息をのんだ。男の言葉どおり、アーチの向こうに二頭立ての馬車が停まっている。空いた御者台の後ろに、豪奢な造りの客室が設えられていた。

 エラは慌てて、転がるようにリンドのもとへ走った。



「奥さまが……」

 エラの報告を受けたリンドの顔に、深い影のような険しさが宿る。その表情は、ミリオーネが草や虫を食べていると聞いた時よりも、よほど張りつめて見えた。

(奥さまってことは、ミリオーネの母親? 一体、どんな人なのかしら……)

 エラはそう思いながら、ちらりとミリオーネを見た。だが彼女は相変わらず椅子に座ったきりである。

「エラ」

 リンドが、声をひそめてエラを呼んだ。さっそく用事を言いつけられると踏んだエラだったが、

「奥さま――マーティーヌさまには、気をつけなさい」

 実際に言われたのは、予想だにしない内容であった。

「あの方の言葉は、注意して聞きなさい。あの方が仰ったことに、決して軽々しく同調してはならない」

 エラには、リンドの言うことが理解しかねた。それは一体どういう意味ですかと訊ねようとした矢先に、

「お久しぶりね、リンド」

 美しい調べにも似た声が、エラの背後から響いた。

 エラが仰天して振り向くと、部屋の入口に一人の女が立っていた。

 女はリンドよりだいぶ年下に見える。艶やかな黒髪に金の髪飾りをつけ、絹の青いドレスをまとっていた。女はエラと目が合うと、柔和なほほえみを浮かべて言った。

「玄関が開いていたものだから……」

 その台詞で、エラは自分が扉を閉めずにここへ戻ってきたことに気づいた。同時に、自分がひどい失態を犯した気分に襲われた。

「すみません、奥さま――」

 謝罪しかけたエラだったが、それを制するように、リンドが一歩前に出た。リンドは腰を折って女に一礼して、

「ようこそお越し下さいました、マーティーヌさま」

 抑揚のない声で歓待の意を示した。

 女――マーティーヌは笑んだまま、リンドをしばらく見下ろしていたが、やがて黒い瞳をゆっくりとミリオーネに移した。

「ミリオーネは、元気かしら?」

 その直後、

「ぐううううっ!」

 突如、大きな唸り声がした。マーティーヌに目を奪われていたエラが声の方に注目すると、ミリオーネが椅子にうずくまり、わなわなと体を震わせていた。

「申し訳ありません、マーティーヌさま。ミリオーネさまはお体の調子がすぐれませんので、お部屋へお連れして参ります」

 リンドの申し出に、

「あら、残念ね」

 マーティーヌは小首を傾げて呟いた。

 エラは、あっけにとられてミリオーネを見つめていた。口を閉ざした貝のような格好で発した、獣じみた叫び。

 それはエラが初めて聞いた、ミリオーネの声だった。





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