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金色のミリオーネ  作者: 林 泉
2/10

 村から少しはずれた場所に、その屋敷はあった。

 入口は太い木で作られたアーチが設えられ、蔦がどこまでも腕を伸ばすように絡まっている。両側にはたくさんの植物が植えられていたが、盛りの季節は過ぎていた。しかし、眠りについたかに見える緑の中に、一輪だけ黄色い花が咲いていた。

 それは、遠い南の異国から来た花であった。大きな五枚の花びらが漏斗状に広がり、真ん中から筒型の芯柱がくっきりと伸びている。芯柱は先端で雄しべから分岐した無数の雌しべが生えており、二つの性が一つになっているのだった。本来なら冬には咲くことのないものだが、ここでは大きく花開いていた。

 そしてアーチの下部には、同じく木でできた扉が取りつけられており、大抵それは開きっぱなしになっていた。その奥には木々の生い茂る庭と、白壁の屋敷が見える。

 それが少女の家であり、彼女の名を、ミリオーネといった。



 屋敷にはミリオーネの他に、二人の召使いがいた。一人はリンドという女で、まだ四十前なのに、歳より老けて見えた。始終いかめしい表情をしており、白髪まじりの金髪を、後ろで固く結わえてあった。

 もう一人はエラという。ミリオーネとそう変わらない歳で、やや横に広がった鼻が特徴の娘だった。エラは十日ほど前に屋敷に来たばかりだが、三日と経たぬうちから、それを後悔し始めていた。

(まったくもって、だまされたのよ。あんなやつの相手なんか、誰がまともにできるっていうの)

 エラは床に敷かれた赤い絨毯を踏みつけながら、人けのない広い廊下を歩いていた。二階の奥の部屋を目指し、ずかずか歩いていく。

 待遇が良いにも関わらず、ここの使用人はなぜか長続きしないことで有名だった。だがエラの家は貧しく、自分で働く場を選ぶことはできなかったのだ。

 目的の部屋の前まで来ると、エラは一応、扉を何度か叩いて、

「ミリオーネさま、昼食のお時間です」

 形式的にそう呼びかけた。

 だが扉の向こうから返事はない。これは今日に始まった話ではなく、自分が来る前から繰り返されてきたことだと、エラにも想像がつくようになっていた。

 無人の廊下では、ため息を隠す必要もなかった。エラは大きく息を吐くと、

「ミリオーネさま! 入りますよ?」

 扉には鍵がついていなかった。部屋の主の状態を思えば、なぜ外から鍵をかけないのか、エラには不思議だった。遠い本邸にいる家族の意向なのか、古参の使用人であるリンドの判断なのか、確認したことはない。

 扉を開けると、まず目に飛び込んでくるのは、大きな窓と木製の寝台だった。だが、そこに部屋の主の姿はなく、エラの視線は壁際へ向けられる。正確には、壁にくっつけて置かれた一脚のひじ掛け椅子へ、だった。

 古いが上質の木と布で作られたと思しき椅子。そこに、ミリオーネはいた。ただ、普通に腰かけるのではなく、膝を立てて座面にしゃがみ込み、右手の親指を口に入れたまま、天井のあたりを見つめていた。

「ミリオーネさま、昼食の時間です。下へご案内します」

 エラが声をかけても、ミリオーネは身じろぎひとつせず、返事もない。

 今まで何回このやりとりをしてきたか、エラは数えるのも面倒だった。ミリオーネに近寄って彼女の顔を見下ろしても、いつも彼女は視線をよそへ逸らすのだった。

 ミリオーネが親指をくわえているため、その右手は唾液で濡れて光っていた。それに気づいたエラは、不快になり眉をひそめた。何とかして、そこに触らずに済ませたいと考えながら、彼女は強引にミリオーネの腕をひいた。

「早く立ってください。下でリンドさんが待ってますから」

 エラは重い砂袋でも引きずるように、ミリオーネを部屋から連れ出そうとした。だが彼女は嫌がっているのか、椅子から動かない。

(もう、どこまで面倒なの、こいつ!)

 遅くなると食事の時間もずれていく。そうなったら、自分がリンドに怒られるのだ。

「スープが冷めますよ!」

 苛立ちの混じったエラの声に、ミリオーネは少しだけ動いた。椅子から降りはしたものの、数歩進んだだけで、その場に座りこんでしまう。

 普通に歩けば、瞬きを何度かする間に、扉までたどり着けるだろう。しかし、エラはこの少女を連れ出す時、目前の扉さえ、途方もなく遠いように感じた。

 その後も、二階から一階の居間へ入るまで、ミリオーネは少し歩いてはしゃがみ込むことを、十数回くり返した。エラはその度に怒ったりなだめたりしつつ、スープもとうに冷えた頃、やっと彼女を食卓へ座らせた。

 食卓の上には白い皿が数枚並べられており、それぞれパンと豆のスープ、生野菜や焼いた肉が盛りつけられていた。

 厨房からリンドが現れ、エラの手で押し込まれるように席についたミリオーネに、深々とお辞儀をした。まっすぐ伸びた背筋を腰まで曲げ、しばらく経ってから頭を上げる。これは、リンドがいつも彼女に対して行う仕草だった。

(ばかみたい。そんなことしたって、どうせこの子にはわかりっこないのに……)

 エラはそれを見るたび、いつもそう思った。表向きはリンドに従って一緒に頭を下げているが、ミリオーネが周りの者の言葉やふるまいを、ちゃんと理解できているとは思えなかった。

 リンドはエラに目配せすると、再び厨房へ戻っていった。

「はあ……」

 残されたエラは、またため息をついた。

 ミリオーネの前には木のスプーンとフォークが置かれていた。これらを使って、彼女に食事をさせるのも、エラの役目だった。



 エラは、ミリオーネがまともにスプーンやフォークを使うのを見たことがない。彼女に出される食事は、肉や魚など高価なものも多く含まれ、味つけも優れている。だがミリオーネはそれらに興味を示す様子もなく、ただじっと座っているだけだった。

「ミリオーネさま」

 エラは手にしたスプーンでスープをすくい、ミリオーネの口元へ差し出した。が、ミリオーネはそれを拒むように顔を窓側へ背けた。

「栄養なんですから、食べて下さい」

 エラが苛立ちをおさえながら、スプーンをさらに彼女の口へ押しつける。すると、ミリオーネはいきなり頭を振り、右手でスプーンを払いのけた。その勢いで、スープの汁が、エラの顔や服に飛び散った。

(……飢え死にしろ……!)

 エラは頬や鼻頭についた汁を指でぬぐい取り、心の中でミリオーネを呪った。一刻も早くここから立ち去りたい気持ちになるのを我慢して、次はフォークを掴んだ。

それを肉にぐさっと突き刺し、再びミリオーネに向き直る。

 ミリオーネは目線を宙にさ迷わせ、頭をぶんぶんと上下に振っていた。その行動の意味は、エラにはまったく理解できない。厄介なのは、こうなると、彼女の口に肉を入れようにも、動きを合わせるのが難しいことであった。

「じっとして下さい、ミリオーネさま」

 エラの呼びかけを聞くふうもなく、それどころか、ミリオーネは上半身全体を前後に揺らし始めた。まっすぐ伸びた彼女の金髪が、乱れて波打っている。

「まだ一口も召し上がってませんよ。言うことを聞いて、食べて下さい」

 ミリオーネのおかしな動きをやめさせようと、エラは片手で右腕を押さえた。その瞬間、ミリオーネは強い力でエラの手を振り払い、立ち上がろうとした拍子に椅子から転げ落ちた。

「ミリオーネさま!」

 驚いて、悲鳴を上げるエラ。

 ミリオーネの右足首は、生まれつき向きが変形していた。そのためか、急に動こうとしてもうまくいかず、体勢を崩してしまうようだった。

 怪我などさせたら、とんでもないことになる。エラは慌ててミリオーネを助け起こそうとしたが、背後に視線を感じ、恐る恐る振り返った。

 すると、いつからそこに居たのか、リンドが険しい顔で立っていた。彼女は大量のじゃがいもを詰めたかごを持っており、無言のまま、エラにそのかごを押しつけるように差し出した。



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