第七話 出撃直前
まずはクローゼットの戸を開け放つことから始める。中には長年愛用している装備一式が収められている。
ラジリンは仕事に赴くとき、いついかなるときもかならずフル装備で挑んでいる。――例外は街中での公共福祉系の仕事を受けるときだけだ。
まずは王冠のような金色のサークレットと一体になった、豪奢な装飾が施された<マジカルファイバー>で編まれた<ラジリンマント>。艶のない白いシャツの上から羽織る。表は水色裏地はオレンジ色に染められたラジリンの兜であり鎧だ。
サークレット中央に埋め込まれた、ブリリアントカットされた無色の<魔力石>は緊急時の魔力供給源として機能する。
その左右に二つづつ青と黄の<魔法石>が並んで配されていて、その魔法で生み出した水をマントに染みわたらせることで極めて高い衝撃吸収能力、水を任意で結晶化させることで攻撃を跳ね返す強固な鎧としても使えるなど、状況に応じて性質を変化させることができる最高級品だ。
左手には繊維強化金属にも近い強度を持つ魔界原産の植物――<金剛樹>を削って作った土台に、<マジカルワックス>で煮詰めた<マジカルハードレザー>を重ね、さらに<金剛樹>の樹液を主材に、魔法で処理して生成される<アクアニウム>という非常に強固な樹脂で何層にもコーティングした円盾、<ラジリンシールド>を構える。
表面にラジリンの姿を印してあり、裏の取っ手部分に<マジカルストリングス>が巻かれたリールが取り付けられ、いざというときは投擲武器として使用することも想定されている。
一見市販品と変わらないように見えて、非常に手の込んだ一品である。
そして最後にメインウェポン。
右手に携えるは青い柄の先端に勇ましい顔立ちの自分の像に加工した、透明な<魔法石>が取り付けられた<ラジリンの杖>。
柄の部分は金剛樹の枝をていねいに磨いて処理した本体の表面に、これまた<アクアニウム>でコーティングしたものだ。
先端の<魔法石>は専用品で、数々の失敗作を経て完成させることができた、ラジリン専用の増幅用<魔法石>。専用と銘打っているように、ラジリンのエレメントの変化に対応しその力を増幅する働きをする。
立場的にも『最強』を求められるラジリンのポテンシャルを最大限に引き出し、ときに増幅することを目的としてふんだんに金を使った愛用の装備。
その具合を確かめたラジリンは、さきほど荷物を詰めたバッグをマントの下に背負ってサクラに出発を告げる。
「じゃあ僕は行くよ。目的地はちょうど<出会いの湖>の方向にあるから、仕事を終えたあとに様子を見に行ってみるよ」
そう断ってサクラの肩をぽんぽんと叩き、部屋を出た。
二階にある自室から廊下に出たラジリンは、そのままてくてくと廊下を進み、一階に降りるためのスロープ(滑り止め加工済み)を降り、お弁当を受け取るためキッチンへ。
「にゅ? おお、ラジリン! お弁当できるよ。みんなで分けて食べてね」
住み込みのお手伝いさんとして雇っている、もうすっかり家族の一員のグリーンスライム――ミドリンがコックスタイルの衣装で出迎えてくれた。
ミドリンが示したさきにはバスケットが一つ。蓋を開けて中身を確認してみると、ていねいに詰められた麗しきごちそうの数々が目に飛び込んでくる。
鮮やかな野菜と厚めに切ったハムを具材としたサンドイッチ。
綺麗な飴色に輝く魚の照り焼き。
今朝市場で買ってきたばかりの新鮮なオレンジ。
そしてラジリンお気に入りの銘柄のリンゴジュースの瓶に、重ねられた木のコップが数個。
じゅるりとよだれが垂れそうになる。とてもおいしそうな料理だ。
「ありがとうミドリン。ああ、そうそう伝えておかないとね」
ラジリンはサクラから聞かされたことをミドリンにも伝える。ミドリンはたいそう驚いた様子だったが、思ったよりは冷静に受け止めていた。
「そっか。ついにこの時が……カケルさんとサキさんには僕から伝えておくよ。ラジリンは自分の仕事を済ませて」
ミドリンは決意に満ちた眼差しでラジリンを後押しする。きっとミドリンの頭の中では「きっと今夜には到着するはずだから、晩餐の用意をせねば!」と、料理当番を一手に引き受ける立場としていろいろとプランが練られているのだろう。
ラジリンは弁当をカバンの中にしまうと、だれも見てないのに威厳たっぷりに玄関に向かって歩き、スライム用の下駄箱の戸を開いて中から自分の外履きを取り出すと、部屋履きを脱いで外履きを履く。
――ジャストフィット!
と、だれも見ていないのに格好をつける習慣を終える。
靴を履いて全高が一六〇センチに達したラジリンは、体を屈めるように腕を足元に伸ばして部屋履きを掴み、下駄箱にしまうと玄関の戸のカギを回して開錠、引き戸を開いて家の外へ。
……どんよりとした曇天がラジリンを迎える。
この季節ならさんさんと輝く太陽が、白い雲が彩を加えるかのように青空に浮かんでいる光景が出迎えてくれるであろう空は、憂鬱という言葉が似あいそうなほどに曇っていた。
「……」
なんとなく気を削がれた気がしたが、気にせず後ろ手に戸を閉めると、眼前の街並みを目に焼き付けるかのように眺めた。
――この国を興したときに命題となった、人型ではない魔物たちとの共同生活を考慮して整備された街並み。
ラジリンたちの苦労の証であり、誇るべき大仕事の結果だ。
水に強い石を主体に木を使った家屋が立ち並び、水の中を生活の場に選ぶ住人との共同生活のためあちこちに大きな水路が曳かれ、石畳の通路と並走するようにして街中を走っている。
ガタイの大きな魔物や馬車の運行を考慮して道幅は基本的に広くとられ、場所によっては車道と歩道が区分されているのは転移者たちの故郷――日本に倣ったものである。
そして主に小さなスライムのためであるが、段差という段差が生じないように配慮され、大きな段差にはスロープを付けるなどして徹底したバリアフリーが実施されたことでお年寄りでも安心して歩けるなど、徹底して気が配られていた。
街並みを見渡せば、そこには住人の姿が溢れんばかりに目に入り込む。
人、魔族、魔物。
すべてが法の加護の元、そして互いの理解の元、同じ場所で生活している。
ラジリンたちがユキエと共に血反吐を吐く思いで作り上げた夢の光景。
ラジリンはアユムがようやく来るという感慨からか、みんなで造った街並みを一層誇らしげに、何度見ても褪せることのない光景を噛みしめるようにゆったりとした足取りで街路を通り抜けた。
街路を抜けたラジリンは、街を囲むように建てられた分厚く、高さが三〇メートルにも達する城壁の足元にたどり着く。
目当ての城門の前には同行する予定の冒険者が数名、ラジリンに先駆けて到着し、待ってくれていたようだ。
「お待ちしておりましたよ、教官」
この一行の中で事実上のリーダーである冒険者のガイナ。もちろんラジリンが手塩にかけて育て上げた冒険者の一人。
彼は魔族の父と人族(日本人)の母を持つハーフ。角刈りにした黒髪に掘りの深い精悍な顔立ちは、ぱっと見三十代手前に見える若々しさ。
いまは鎧とインナースーツで隠れている体は鍛え上げられたまさしく男の肉体美をもつ、実に魅力的な男性と言えよう。……だがこう見えて、実年齢七〇歳にもなるベテラン中のベテラン冒険者であり、ラジリンも太鼓判を押す優良冒険者である。
「やあ、ガイナ。遅れてごめんよ。今日はよろしくね」
「はい、教官」
ガイナは革鎧の部品が擦れる小さな音と共に胸を張る。
使い込まれた<マジカルハードレザーアーマー>は歴戦の猛者の証。
一見シンプルで貧弱そうな革鎧も卓越した技術で造られたもので、その防御性能は下手な鋼鉄製の鎧よりも上でありながら軽量かつ静音、冒険者必須装備の<インナースーツ>と、襟元に埋め込まれた青と黄の<魔法石>によって発動する水魔法を利用したパワーアシスト機能とダイラタンシー防御機構も併用すれば魔族や魔物と言った、人間から見れば格上の相手と戦っても後れを取ることはない。
鎧の各パーツは柔軟かつ優れた耐久力を持つ<マジカルストリングス>で接続され、自由に動かせる肩当に腰回りのプレートアーマーが付属、手甲と脚絆もセットになったフル装備。
頭には<マジカルハードレザー>製の兜も被り、別途用意しているマスクで防毒・粉塵対策も万全と、過去の戦訓を基に改良と発展を続けた、地味なようで最先端の防具。
左手にはラジリンの物と同じ構造のヒーターシールド。これも優れた防御性能を持つ品で、ときに相手を直接殴打する目的でも使われる。
右手には金剛樹を削りだした本体に<アクアニウム>製のヘッドを付けた<マジカルメイス>。
六枚のプレートが交差するシンプルな形状のヘッドの中央に、縦に並んだブロック状の青と黄色の<魔法石>が埋め込まれている、やや重めな魔法の杖。
メイスという形態から来る魔法のイメージ誘導の影響で、遠距離になにかしらの事象を放つよりもヘッドに事象を纏わせて殴りかかる用途に特化しがちな接近戦向けの装備だ。
いずれの装備も一級品であり、ガイナはそれらを身に纏うことを許されるレベルの冒険者ということを意味している。いわば身分証明の代わりとも言えるだろう。
立派な教え子の艶姿に喜ぶ一方で、まだまだ駆け出しも同然の若輩者はというと――。
「ちっす、教官! 今日はよろしくっす!」
件の若い男性冒険者――ロウが軽い調子であいさつ。ロウは耳が隠れる程度まで金髪を伸ばし、目尻が下がり気味で全体的に線が細い印象を受ける、ヘラヘラした顔つきの若輩者。種族的には純人間である。
装備は冒険者共通の<インナースーツ>を除けば、比較的軽装なブレストアーマーに籠手と正面が<マジカルハードレザー>で補強されたブーツ。頭は安価な造りの革兜に左手に小さな円盾、後ろ腰に吊り下げた<マジカルブーメラン>、背中に斜めに背負った先端に青い魔法石の付いたシンプルな形状の杖。
駆け出しにしては充実した装備だが、これもむやみやたらと犠牲者を出すまいとする冒険者ギルドの努力のたまもの。
商品の代金を月々の給料や仕事の成功による報酬分から天引きするローン制度を整備して、不十分な装備での依頼遂行を極力回避するように心掛けているからだ(ただし分不相応な装備の支給に援助はない)。
ついでにラジリンも務めている訓練所も完備し、必ずそこで合格を受けなければ仕事に出られないようにするなど、冒険者の教育には万全を期している。その甲斐あってここ数十年の間、冒険者の犠牲者は激減している。
もちろんロウも教育課程は受けていて、高い成績を収めている新人だ。彼我の実力差と立場の差は理解しているようでこちらの指示に逆らうことはないし、自分の失敗を素直に認め下手な言い訳もしないと、表向きの態度から受ける印象よりもずっと真面目だった。
「こらっ! 目上の人に対する礼節をもっと身につけなさい!」
足元のレッドスライム冒険者が注意を飛ばした。
こちらは頭頂と額部分が頑丈な<マジカルハードレザー>、側面と後方を<マジカルマント>で保護したスライム用の鎧を身に纏い、マントに隠れた背中にはスライム用の短杖を横向きに吊り下げている。
……この二人のコントは実に見慣れた光景だ。
この国の住人は大抵スライムと一緒に暮らしているから、冒険者になると言えばよほどのことがない限りは同居しているスライムもついてくる。そうでない場合は手の空いている冒険者スライムがパートナーを組み、相性がよければそのまま固定のコンビを結成するのが恒例となっている。
彼の場合、後者からスタートしていまは同居するにまで至ったなかよしさん。つまり、この二人の衝突はじゃれあいも同然なのだ。
「いいじゃねえかよ、ぷにりん。肩ひじ張るのは苦手なんだよ」
「あのねぇ、ラジリンは大先輩の上に教官なんだよ? 最低限守るべき礼節というものが……」
「じゃかぁしい!!」
「にゅおっ!?」
ロウはすばやく足元のぷにりんを掬い上げると、防具の隙間に両手を突っ込んでこちょこちょとくすぐり始めた。「にょわーっ!」と嬉しそうな悲鳴を上げるぷにりんに、ロウは調子に乗ってさらにくすぐっている。
「あ~はいはい、君たちほんとに仲いいね。とりあえず出発前に余計な体力使わないでよ」
ラジリンはやれやれとあきれ気味に注意。ほぼほぼ形だけの注意である。
注意されたロウは「へーい」とあっさりとぷにりんを放り出し、両手を頭の後ろで組む。放り出されたぷにりんは地面に落下、べたりと着地して体をぷるんぷるん振るわせている。
そんな毎度のやり取りを呆れ半分な視線で眺めているのは、パーティーメンバーの魔物たち。
ガイナの相棒のイエロースライムのマルルン、疾風ウルフと呼ばれる狼型の魔物のアラシ、コカットゥと呼ばれる寸詰まりなノーマルオカメインコ(サイズは鷹並み)の鳥型の魔物のピーちゃん。
彼らは彼らでわれ関せず、装備の点検をしたり軽い冗談を言い合ったりして場を温めている。
いずれも比較的初期の段階からユキエに誑かされ――もとい懐いて共同生活を始めた魔物たちの子孫だ。
特に付き合いの長い彼らは、冒険者以外にも各々の個性を生かす形で人間社会に寄り添って生活している魔物の代表格でもある。
「んじゃ、そろそろ出発しようか。日が暮れるまでには到着して、日が落ちたら駆除にかかるよ。相手は魔虫、対話は不能なうえに狂暴かつ猛毒の持ち主だから、遠慮なく刈り取ってしまうように。――相手には悪いけど、こっちも生存圏を守るためだから、情けを掛けちゃあダメだよ。もちろん女王を取り逃がすなんてヘマはなしで。確実に巣を潰すからね」
ラジリンの注意勧告に全員が真剣な態度で頷く。さすがにみんな、この手の事案に対する対処法は心得ている。
今回駆除を依頼されているのは魔虫と呼ばれる生物で、魔物や魔族と一緒に転移してきた魔界原産の生物の一種だ。
魔族や魔物と違って魔法という超常の力は一切使えない、魔界産の虫だから魔虫、獣であれば魔獣と呼ばれている。
性格は一様に攻撃的で、体格は魔物最小に部類されるスライムやコカットゥーよりも小型で繁殖力に優れた種族が多い。おそらく魔法を使えないながらも魔物や魔族との生存競争に勝つために必然的にそうなっていったのであろうことはうかがえるが、それゆえにこちら側の既存の生態系を一方的に蹂躙できるだけの力を秘めていた。
もちろんそれはとてもありがたくない侵略であり、魔界からの逃避者の受け入れを是とするアクエリアスであっても見過ごすことができない案件であった。
なので定期的に冒険者による周辺環境の調査を兼ねた遠征を行い、同時に街暮らしが肌に合わず野で暮らす魔物たちが社会サービスを受けるための金策手段として、積極的に監視と管理を行うことで対処している。
巣を発見できずとも、それらしい姿を見たなら容赦なく叩き潰し、周辺一帯を捜査して卵やら幼体やらをつぶさに叩いても叩いても、どこからかまたやってくる。
幸い爆発的な繁殖による生態系の崩壊は戦中と戦後の混乱期を除いて許していないが、あの騒動で消えてしまった生物がどれほどなのか……見当もつかない。
もちろん魔界産の植物も似たり寄ったりなので、間引いたり利用できるものは人の管理下に置いて自然に拡散しないようにしたりしているのだが、それでも結構広がったりしているので手を焼かされている。
おまけにどちらも魔物使いの能力の範疇に含まれていないので、対話共存はできず、こちら側の都合で一方的な干渉をするのが精いっぱいというのも……。
(――こればかりは、アユム君が来たとしても……)
おっとそうだ、一応告げておくべきだろうと考えたラジリンが口を開く。
「えーと。伝えておきたいことがあります。まだ確定というわけではないんだけども、わが娘サクラちゃんが予知夢を見たそうです。内容は新たな魔物使い、アユム君がついに到着するといったものでした。夜には天気が崩れて大荒れって予想されていることからするに、おそらくそのタイミングであると予想されていますので、予めご了承ください」
簡素な説明ではあったがみなも事態を飲み込んでくれたらしい。動揺が見え隠れしている。
「……たしか、転移予定地点にはスラミンたちが行ってるんでしたよね? 教官も行ったほうがいいんじゃないんですか? スラミンたちを疑うわけではないんですが、教官にとって家族と言えるユキエ様の甥っ子となれば、見過ごさせるわけには――」
「ガイナ、だからと言って牧場の危機を見過ごすわけにはいかないでしょ? そりゃみんな一人前の冒険者だし正直僕いらないとは思うけど、それでも依頼を受けてしまった以上反故はできないよ。ほら、信用第一が僕らの信条なわけですし」
「しかし……」
ガイナは渋い顔だ。彼の言い分はもっともだが、私情で仕事をほっぽり出すわけにはいかない。それを理解していて当然の彼がこう切り出すということは、ラジリンへの気遣いにほかならない。
「ほらほら、いい加減出ないと時間がもったいないって。はい出発しゅっぱ~つ!」
ラジリンは有無を言わせず音頭を取って、城門を開けるよう近くにいた衛兵に身振り手振りで合図。
ガイナの心遣いに乗りたいのはやまやまだが、仮にも国を代表する一流冒険者が私情を優先していては示しがつかない。涙を呑んで我慢するしかないのだ。