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第六話 ラジリンとサクラと





「え――と。ポーションに魔虫の毒によく効く解毒薬に、ガーゼに包帯に軟膏――忘れちゃいけない非常食に水、と……」

 そのスライムは自室で出陣の準備をしていた。ついさきほど受けた依頼を遂行するための準備だ。

 彼は普通のスライムの四倍にも達する身長一三〇センチ、幅一四五センチの巨体を誇る、見かけは巨大膨張したブルースライム。

 しかしてその実態は、任意の体色に変化させることでグリーンやレッドやイエロースライムの特性を任意で切り替え、場合によってはそれらすべての力を両立した『ゴージャスフォーム』と呼ばれる姿に至れる唯一の存在――同時に唯一確認されているスライムの進化形態であるラージゴージャススライムと呼ばれる存在である。

 ここアクエリアス王国と隣国であり同盟国であるフレイム王国含め最強と言われる冒険者であり、かつては初代魔物使いユキエと義兄弟の契りを交わしてその生涯の傍らにいた、とても特別な立場にあるスライムであった。

 ――名を、ラジリンという。

 ユキエから授かった二つ目の名前であり、かつて『伝統』と称して付けられた名前を基に、見事におっきくなった姿に合わせて改名された、彼女との絆であり共に手を取り合って生きた証――生涯誇っていける大切な名前である。

 そんなラジリンが今回ギルドから受けた依頼は魔虫退治。国の重要な食糧庫でありラジリンも昔から懇意にしている牧場に出現した、蜂型の魔虫とそれが作り出した大型の巣を退治することが依頼だ。

 これは国としても放置できない案件である。

 牧場が機能不全になると国民が食べる食料が足りなくなってしまうし、なにより牧場で働いている人たちが困る。

 こういう事態の対処を心得ていた牧場主は、巣を発見したその足ですぐさま王都の門を叩き、門番に事情を説明してギルドまで最優先で送り届けてもらって依頼を提出していた。

 すぐさま最重要案件として受理されたその依頼を、本部に併設された訓練所の教官として勤めていたラジリンが目に留め、予定の空いていた馴染みの冒険者数名と一緒に、ちょっとした企みもあって引き受けたのである。

 ちょうど目をかけている新人がいるので、自分を含めた熟練パーティーに組み込んで仕事を見せ、体験させ、学んでもらう。

 熟練者ばかりのパーティーに新人が一人という極端な編成だが、それ自体はさほど珍しい構成とは言えない。

 ――それは新人が無茶をしてけがどころか再起不能になる――最悪死亡してしまうという事態を極力回避するためだ。


 アクエリアスの冒険者は対話が望めると判断している相手に対し、最初から殺すつもりで戦いを挑むことはない。つまり、どうしても戦闘になると後手に回ってしまうこともあるし、殺さず――できればけがもさせずに無力化を是非とする以上、わずかなかけ違いで大きな被害を被る危険性と常に隣り合わせ。

 だからこそ、われらは『冒険者』を名乗っているのだ。

 成り立ち自体は民兵の延長のような、ならず者すら抱え込んでしまっていた組織であったがいまは違う。

 国家が課した試験をパスし、その技能と人格を認められなければならない国家公務員に等しい。

 その仕事内容も今回のような危険性物の駆除から魔物や魔族との戦闘、そして街の美化活動から下水の清掃の手伝い、人手不足のお店だったり農家の手伝いまで多岐に亘る。

 そうした危険や困難を伴う事業に自ら進んで挑むことを『冒険』と比喩することで、設立当初の名称を継承したまままったく新しい組織へと変革を遂げた、かつての戦いの名残。

 そして、この国をあるべき姿に留め続けるために必要不可欠な組織と言えよう。

 しかしそれゆえに、牙を剥いてくるかもしれない相手すら快く受け入れるために、たとえ前線に出る者であっても大きな被害を受けるわけにはいかないのだ。

 ……悔恨を残さぬために。

 となれば、熟練者が新人を徹底的に教育することは必須と言ってもいい。とにかく経験者からていねいに学ぶのが上達の早道であろう。


「あとは……」

 ラジリンは革のバッグに荷物をていねいに詰め終えると、今度は自分の装備品を入れたクローゼットを開けて中身を取り出すべくその巨体を揺らす。

 ……部屋のドアがノックされたのはそんなときだった。

「ラジリン、あたし」

 静かな少女の声がドアを通して聞こえてくる。この声の主は――。

「サクラちゃん? どーしたの~?」

 疑問に思いながらも『愛娘』に呼び掛けられれば応えぬわけにはいかぬ。

 われながらダンディーな声で応えつつ、開きかけたクローゼットを締め直し、のっしのっしとドアに向かって歩き出す。

 ドアの取っ手を掴んで横にスライド。開け放たれたドアのさきには『愛娘』こと人間の少女――サクラが立っていた。

 黒髪黒目の典型的な日本人女性。愛らしくはっきりとした顔立ちがまぶしいが、本人は主に胸元のボリュームが不足していることをコンプレックスに思っているらしい。

 いまはピンクを基調に白をあしらった、ゆったりめの私服姿なのだが、それがまた一段とかわいらしい。このまま速攻でハグしてしまいたいくらいだ。

 背中に掛かる程度のつややかな黒髪の後ろのほうが跳ねているところからするに、休日だからとお昼寝でも楽しんでいたのだろう。

「ラジリンごめん。ちょっと夢を見たものだから」

「ほむ」

 詳しく話を聞くために部屋の中に招く。

 サクラは部屋の中に足を踏み入れると、来客(人)用に置いてある丸椅子に腰かけ、視線を合わせてきた。

「夢? なんか怖い夢でも見たの?」

 サクラの対面にあるラジリン専用ソファ(特注品)にどっかりと座って詳細を訪ねると、サクラはなにやら複雑そうな表情。

 なにかを言いかけては口を噤んだり眉間にしわを寄せたりしている。

 ラジリンは急かすでもなく辛抱強く待った。――出発時間が迫っているが、娘の相談を捨て置くなどできない。

 時間にすれば数分程度だっただろう。意を決したらしいサクラはようやく口を開いてくれた。

「……兄さんが、来る。兄さんと迎えに行ってるスラミンたちと一緒にいる夢を見た」

 サクラは無表情に、そして静かに語った。

「兄さん? って……もしかしてアユム君! ユキエちゃんの甥っ子でカケルさんとサキさんの息子さんで、君のお兄ちゃんの!?」

「……そう言ってる……というかラジリンのセリフが説明臭い」

 文句を言われてしまった。だがそれも仕方がないことだろうと心の中で言い訳する。

 動揺するなというほうが無理というものだ。

 ラジリンは立場的に忙しかったりで長期間街を離れることができないからと、スラミンたちに委ねるしかなかっただけで、本当なら彼がこの世界に来たときまっさきに出迎えてやりたかったのはほかならぬ自分なのだ。


「ラジリン。わたしの大切な大切なラジリン。あの子がこの世界に来たなら……どうか支えてやって」


 思い起こされるのは晩年のユキエの姿。

 出会った当初は弾けんばかりの生気を放っていた少女も、長い年月を経てすっかり歳を取り、落ち着きのある老婆となっていた。

 一〇年にも及ぶ戦争、新しい国の擁立、発展。

 いずれも楽な仕事ではなかった。何度も傷つき、心身ともにぼろぼろになることがあっても折れず、何度でも立ち上がって目の前の壁にぶつかり続けた日々を経て、年相応、立場相応の落ち着きと聡明さを彼女に与えていた。

 ラジリンはずっとその傍らで公私に亘って彼女を支え続けた一人。

 共に苦労を重ね、ときに白目を向いてひっくり返ったりしながら度重なる問題を解決し続け、その結果生まれたのがこのアクエリアスだ。

 いくつもの河川が海で交わるように多種族が交わって生きる国――そしてすべての命の源という考えから名付けられた、われらの新たなる故郷。

 そんな激動の人生を終える数年前、彼女は夢を見たのだという。

 それは元の世界で水難事故に遭遇して以来消息がわからない、だができることならば元気に暮らしていることを願っていた甥っ子が……大切な姉の子がこの世界にやってくる夢だと。

 それも――自分と同じ魔物使いの能力を発現して。

 それを聞かされたとき、ラジリンは複雑な気持ちになった。たしかに魔物使いはこの国にとって欠かすことのできない存在。この国に根を下ろした魔族も魔物も、全体から見ればほんの一握りの存在、一地域の住人にすぎない。

 彼らがもともと住んでいた世界で対処しようのない脅威にさらされた結果、生き残るために行った最終手段――それが神のごときと称される強大な力を秘めたドラゴンの転移魔法による別世界への逃避、新たな生存圏の確立であったらしい。

 ゆえに今後もさらに多く魔族や魔物が転移してくることが予想されているが、地域が異なれば言語や文化も異なる。彼らを円滑に説得し共存の道を模索するためには、魔物使いの力が必要だろう。

 だが……。


「本当は来てほしくはないのだけれど。それが、あの子が背負わされた運命みたいだから」


 愛する家族に同じ苦しみと責を背負わせたくはないという思いがべったりと張り付いた、悲しい悲しい言葉にラジリンは返す言葉を持ち合わせていなかった。

 ……あれから八〇年余り。

 一七年前に彼の、そして眼前のサクラの両親が来たときには姿が見えず、それからずっと、一七年もの間辛抱強く待っていた彼が、ようやくこの地に姿を現す。

「それっていつ!? たまにある予知夢的ななにかだったとしたら……」

 ちらりともう一度時計を見る。……これは、もしかしなくても。

「……下手すると今日中には来る、とか……?」

「だと、思う」

 サクラは申し訳なさそうに告げる。

(おふ、仕事を請け負ってしまったこのタイミングでかい!)

 ラジリンはタイミングが悪いと頭を抱えた。

 冒険者は信頼が命。たしかに新たな魔物使いの到来は国の重大な案件であるが、今回の仕事だって国の大事。反故するわけにはいかない。

「……依頼を無視しては行けないなぁ。スラミンたちに任せるしかないか」

 彼らの能力を疑いはしない。彼らとてラジリンが育て上げた一人前の冒険者であり、実績も十分にある。でなければ大事な甥の出迎えを任せたりはしなかった。

「だよね。…………スラミンたちなら大丈夫、だね」

「……サクラちゃん。お兄さんのこと、やっぱり気になる?」

 問いかけてみると、サクラは押し黙って視線を逸らす。

 ――やはりか。当然だろう、生まれてこのかた、存在だけは知らされていても実際にあったこともない他人に過ぎない。それに兄ともなれば、今後生活を共にすることは必然とも言えるし、いままでの生活が一変してしまうことは避けられないことだ。

 年頃の娘には、まだまだ両親に甘えていたい彼女には手放しで喜べることではないか。

「……正直、うまくやっていける自信ない」

「だろうね。兄と言っても面識もなく、これまでの生活を壊す人物。すぐに好意的にはなれないよね、そりゃ」

 ラジリンはにょーんと体を縦に伸ばし、その太くたくましくもぷにぷにすべすべの手でサクラの頭を撫でる。

「でもちゃんと挨拶して、話してみるんだよ? 向こうだって君が生まれてることを知らないだろうし、スラミンたちから聞かされて困惑するだろうってことを考えれば、お互いさまなんだから」

「……うん」

 サクラは割と素直に頷いてくれた。根は素直でいい子なのだ。

 ――彼女の両親も立派だが、なによりラジリンも性根のひん曲がった子に育てた覚えなどない。

 ラジリンは「よしよし」と満足げに頷くと、威厳を出すために身に着けている白い付け髭(ガイゼル髭)を左手で撫で、出発の支度を再開することにした。

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