第五話 アクエリアスという国と、スライムのこと
脱線してしまった話を戻し、スラミンの語りは続く。
……あくまで共存を訴えるユキエ一派と、強引な手段であっても確固たる生存権を得ようとした過激派との戦いは、結局一〇年近く続いたのだという。
その果てなきと思えた戦争は最終的にユキエたちの勝利で終わり、敵味方双方に多大な犠牲を払いながらも過激派は壊滅、終戦となった。
ユキエが説得した――もしくはたぶらかした――ことでこちら側に着いた魔物や魔族、さらにはこの戦争によって滅ぼされた街や村から逃げ出してきた住人に加え、相次ぐ転移者を抱え込み、唯一生き残った大国である<フレイム王国>との協定などなどを経て、始まりの街は新たに建国された<アクエリアス王国>の首都として発展を繰り返し、いまに至る。
現在もアクエリアス王国とフレイム王国は友好国としてこの大陸を二分し、人と魔物の共存共栄の姿勢を崩すことなく発展を続けているらしい。
またそのために必要なことの一環として、人と一緒の空間で暮らすことを望まない、または大自然の中で暮らしたいという魔物たちのため、そして環境保全を目的とした自然保護区域などを厳密に定めているらしく、アユムが出現したここもその区画に入っているのだとも教えてくれた。
「ユキエ様たちはそれはもう、並々ならぬ苦労を重ねられたらしいよ。事実上の戦争をしたんだもの、しかも目的の都合結果的には侵略戦争なんて悲惨なものだったわけだし、現住民と転移してきた魔物と魔族間にはとても深い溝ができてしまったらしくてね。転移者はそこまでの勝手ができなかったから、せいぜいよそ者が流れ着いた程度だったんだけど、やっぱりこういう対立があると疑心暗鬼になって排他的になっちゃうしでそりゃもう。だから、国としての基盤を固めつつ、被害に遭った人たちへの支援と並行して、押し付けにならない程度に魔物や魔族に対する敵意を取り除いていくのは本当に苦労したんだって……」
「だろうな」
アユムは思った。
魔物や魔族たちの事情は理解できる。が、これは俗にいう『難民問題』というものだ。
いかなる理由であれ、そこに同情の余地があれど、やってきた側の勢力が強大であれば事実上の侵略となり果てるのは歴史が証明している。
数の暴力とはいかなる状況にあっても強大なもので、いともたやすく少数を蹂躙してしまうものだ。
それに穏健派であったとしても問題は尽きない。たとえ配慮しているつもりでも、衣食住問題に就労問題、乗り越えるべき問題は多くいずれも深刻なものだ。
アユムが生まれた世界ですら、この手の問題は一度まきおこれば長く尾を引く問題になっていることからしても、その苦労が伺えるというもの。
「つまり、このアクエリアスって国自体も見方を変えれば侵略者が土地を奪って興した国……と見ることができるわけだな?」
「否定はしないよ。実際ユキエ様たち自身そういう自覚があって、女王になってくれと頼まれたときもさきに開拓を始めていた人たちや、フレイム国との折り合いをつけるためにあっちの人を立てるかって話にもなってたみたいだし。――ただ、始まりの村を開拓していたのはもともと別の国から海を渡ってきた人たちだったことや、ユキエ様の魔物に対する影響力が大き過ぎて上に立たないと収まりがつかなかったんで、こういう形になったんだ」
「そうか……当人たちが納得しているのなら、それでいいのかもしれないな」
いまはまだ部外者、それも現地を見てもいないアユムが言えることなどその程度だろう。それよりももうひとつ聞いておかねばならないことがある。
「そういえばさっき、『スライム以外』とか、妙な強調があった気がしたんだけど、どういうことなんだ?」
「えーと……実は僕たち――――この世界に来る前の記憶とか一切ないのです!!」
拳を握って(比喩だが)力説するスラミンに、アユムはがくりと肩を落とした。
――スラミンによると、スライムは気が付いたらもうこの世界にいて、ユキエたちの傍だったり、大陸の各地に点在していたのだという。
で、前述のとおりもともと人間に好意的だったり懐っこかった彼らはユキエと接触しなかった者たちも揃って人間の味方となり、人間に対して害をもたらす魔物や魔族と戦う道を選んだのだとか。
当初は気味悪がられてコミュニケーションも満足に取れずとも、そういったスライムたちの姿勢もあってかそれなりに良好な関係を築いていったようで、ユキエたちの元で言語と文字を学んだスライムたちがひとたび合流すれば、たちまちコミュニケーション手段が確立され、そうなったらもうスライムたちは怖いものなし。
あっという間に人間社会に馴染み揺るがない信頼関係を構築し、ユキエたちがフォローしきれなかった小さな集落などを中心にわが身を挺して人々を守り抜くことに成功したのだという。
……結果、スライムたちの尊い犠牲と献身により、魔物や魔族の被害を受けたものなどいないというこの大陸にあっても、『共存できるかどうかは魔物次第』という風潮が生まれたことも、アクエリアス国やフレイム国が現状の方針を曲げずに突き通せている下地になっているのだとと、スラミンは誇らしげに語る。
そのためスライムだけは本当の意味で別格扱いをされていて、現在までに悪意を持って人間と相対したことがない(嫌がらせなどに対するツッコミや、しつけのために手をあげることはノーカン)という揺るがぬ事実から、『スライムだけは絶対の味方』『かけがえのないパートナー』としての地位を確立してしまっているらしい。
「ご都合的な存在だな……」
それがアユムの素直な感想だった。
あまりにも人間にとってご都合的過ぎる存在だと、ここまで話を聞かされればよほど頭がお花畑でもないかぎり、だれでも同じような結論に至るだろう。
「ええ、まあ……。転移者も現地の方々もだいたいおんなじ反応してたかな? 魔界の人たちもスライムは見たことがないって証言してたしで、僕たちの出自に関してはいまもって不明な点が多くて。実は生態についても漠然としたものしかわかっていない始末だったり……」
「え? 漠然と?」
呆れた声で確認するように問いかけるなりスラミンは「いやぁ~恥ずかしながら……」と、どこから取り出したのかハンカチで頬を拭いながら恥ずかし気な様子で告げた。
……現状スライムについてわかっていることは、とりえず食事をするということ。
転移者の一部の人が考えたように、体で対象を包み込んだ捕食ではなく口を用いるが、その口も飲み食い以外では基本開かれない、栄養摂取のためだけの器官であり発声器官は別にあるらしい。
ほかの生物と違って排泄はしない。たぶん食べたものは完全に消化吸収してしまっているのだろうと考えられているが、詳細は不明。
あと体が異様に頑丈で、外見からわかるように物理衝撃に対する耐性が並外れている以外にも、魔法に対する耐性もずば抜けている。
なのでさきの戦争でもスライムの死者はほかの種族に比べると極端に少ない。再生能力の高さもそれを後押ししたのだとか。
ほかにも魔法を使った際の威力は上から数えたほうが高い部類に入り、魔力量も多く、魔法の柔軟性も人間に次ぐほど高く、総合的な戦闘能力はかなり高い水準にあるというか、種族比較だけで見れば最強と称されているらしい。
半面、牙も爪もないため物理的な攻撃は苦手ながらも、不意に相手に危害を加えてしまう危険は低いという両極端な性質を持つのがチャームポイントと語っている。
あとどのスライムも一時的に膨らんで倍のサイズになれる。ので、場合によっては人を(主に子供)を載せてあげたり、高所から飛び降りたり不意に落下した人のクッションになったりできると、眼前で膨らんで見せた。
ちなみに成人男性であっても一〇メートルまでなら無傷で助けられるのだとか。――体がはみ出して地面に激突しなければ。
あと一番大事かつよ~く知れていることがあり、それは目に入れても痛くないくらい人間が超大好きなこと。実際は人間に限らず魔族でもそうだし、共存しているのであれば魔物相手でもべたべたしているんだとか。
逆にそういった『家族』に対して敵意むき出しの相手には容赦なく、初手の説得を聞き入れ話し合いによる解決の意思があるならばそうするが、手を引くつもりが一切ないのならば、あくまで最終手段という姿勢は崩さないまでも殺傷という手段を選ぶこともあると断言していた。
あと最大の謎が一つ。
実は繁殖についてはまったく不明。
「え? じゃあどうやって増えるんだよスライムって……」
「気が付いたら増えてる、みたいな?」
「てへっ♪」と左目でウインクして誤魔化すスラミン。
(……かわいい……)
スラミンが属する世代が現在までに確認されている最も新しい個体であり、ここ数十年はスライムの子供が生まれた、子供を見た、という報告自体がないらしい。――なんとも不可解な情報だ。
ちなみに外的要因で死んだスライムはいれども、寿命で死んだスライムもやはり見つかったことがないらしく、ユキエがこの世界に来たばかりの頃から生きているスライムが大半であり、人と魔族の総人口とほぼ比例する数が生活しているらしい。
しかもみんなまだまだ元気でパワフル。今日も今日とて国のあちこちで家族に愛を振りまいたり、仕事に精を出して客をもてなしたり、職人気質になにをか作っていたりしているのだとか。
つまり魔物という生物の中でも飛びぬけて芸達者、かつ人間に限りなく近い生活や文化を構築できる変わった種族……を通り越して実質オンリーワンの存在として認識されているのが実情であり、ほかの魔物はもちろん魔族と比較しても異例中の異例とされている。
その正体はいまだに不明という、深く人間社会に浸透している割には謎多き生物。それがスライム。
「……ちなみに研究はどうやってやったの?」
「観察。本格的に研究して資料まとめようか、って話が出たときに……」
「なるほど、つまり検体があるほうがよくわかると?」
「そうだなぁ……。機材もだいぶそろってきてるし、そうしたほうが観察するよりもわかることは多いと思うんだが……」
白衣の男性が昼食のサンドイッチを齧りながら唸っていると、その相棒としてスライムの研究に協力していたスライムは「うんうん」と頷くと、デザートのリンゴの皮を剥くために持ってきていた果物ナイフを手に取った。
「ごはん食べてお薬飲んで寝てれば再生するから……」
キラリと光る果物ナイフ。その眼前には反対側の手。
「お手手の一本くらいー!」
「やめんかあー!」
「ってことがあって、それからも特に検体を集めたりしてないし、解剖なんてもってのほかってことでいまでもよくわかってないの」
「……」
アユム、沈黙。
なぜいきなり手を切り落とそうなどという過激極まる手段を講じようとするのか、理解に苦しむ。
にしてもスラミンの世代が現在確認されている最年少……。
「……ちなみにスラミンは今年でいくつ?」
「えーと……今年で九四歳!」
左手を上に掲げ、右目でウインクしながら回答するスラミン。
……この外観に言動で九〇歳越え。
「人は見かけによらないってか……」
ぼそりと呟く。
「イエ~ス! とにかく、僕たちはユキエ様の依頼を受けてアユムを待ってたの! だから王都のご家族の元まで僕たちが責任を持って送り届けるから、どうか大船に乗ったつもりでいてね!」
ぽよんと胸元を叩くスラミンにこくりと頷く。実にありがたい話だ。
正直だれの手助けも得られないという、最悪な事態を想定していたアユムからすれば、これはまさに天の恵み、いや亡き叔母の恵みか。
水はともかく食料は狩りや釣りで得るにしても、未知なる生物であった場合の可食部位の判断の難しさを考えると下手に手を出す気にはなれないし、それ以外の物資の補填は見通しが立たず、虫などによる被害を被った場合などなどの心配を考えれば、ここでスラミンたちに拾ってもらえたことは歓迎すべきご都合主義だ!
(ありがとう叔母さん。おかげで生き残れそうだよ)
「助かるよスラミン。おかげでその辺で野垂れ死ぬ結末だけは回避できそうだ」
「ふふん! そのために僕はここにいるんだからね! ――これでラジリンも喜ぶよ。ホントはアユムを迎えたがってたんだけど、いろいろと立場がある人だからできなくて……」
「ラジリン?」
聞きなれない人名に聞き返す。
「うん。ラジリンは僕のお師匠様でもあるラージゴージャススライムで、ユキエ様の右腕にして義姉弟の契りを交わした僕らスライム族の代表とも言える人。ユキエ様と家族ってことは、自然とアユムの叔父様でもあるって公言してるし、アユムの家族もラジリンの家で一緒に暮らしてるから、必然的に一緒に暮らすことになるよ」
「なるほど……ラジリンさん、か」