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第三話 転移と出会いと




 ゲートに突入したアユムは光り輝く渦の中をただひたすらに落ちていた。渦の底にはまだなにも見えないし、落ちる速度が変わった感覚もない。

 ただ――。

(くそっ。思ったよりも魔力の消費が激しいし反動が……!)

 予想どおり、転移魔法としか表現できないこの現象を引き起こした反動が体に返ってくるのを感じる。

 杖を使う訓練の過程で自然と身に付いた、魔力が体から流れ出し消費されていく独特の虚脱感と疲労感が徐々に強くなっていき、体中が形容しがたい痛みとしびれにも似た感覚に襲われて、うめき声が漏れる。

 両手で握る杖もミシミシと嫌な音を立てているのが聞こえ、細かく震えている。このまま砕けてしまいそうな錯覚すら覚えるほどに嫌な振動だった。

 ……いったいいつまで続くのだろうか。この状況、おそらくもってあと数分が限界だろうに。

 早く着け、早く着け。

 そればかりを願っていたアユムの視界にふっとなにかが入り込んだ。

 ――人影だ。肌の露出が少ない服を身に纏い、胸部や腕やらにプロテクターのようなものを身に着けた人物――体型からおそらく女性だろうか。

 渦の外側にゆったりと流れ、はじき出されそうになっているようにも見える。

(――無視はできない、か)

 アユムは全身保護のために展開していた強化服の魔法を解除。解除の反動を使って女性に向かってダイブする。荷物の固定も解かれてバタバタと暴れ出し、風でも水でもないなにかによる抵抗で体勢が乱れる。

 だがあの人影を無視するという選択肢はない。アユムは荷物が飛ばないことを、体が負けないことを祈りつつ突き進む。

 ……思った以上に相対速度に差がある。チャンスは一度だけ。失敗したら彼女は得体のしれない空間に弾き飛ばされてしまうかもしれない。そんな予想が頭を過った。

 アユムは自由に動けない状況ながら、杖を左手に移動させ、空いた右手を必死で伸ばす。

 ただ一度きりのチャンスを逃さぬように。

 みるみる大きくなっていく女性の姿。どうやら気を失っているらしくゆらゆらと手足が漂い、ただただ空間に流されたままだ。

 歳はおそらく二十代後半くらい。全身泥まみれの格好だが、合間から除く白い肌、宙に流れる長く淡い色合いの金髪の美しさは、あまり年齢を重ねているようには見えない。

 その姿を鮮明に捉えらえるなり、ある事実に気づいたアユムは腕よ千切れろと言わんばかりにさらに手を伸ばした。

 ――女性は腹部に大きな赤い染みを作っていた。

 けがをしている。

 そう判断するのに十分すぎる材料だ。

 それもかなり重症で、すぐに手当てをしなければならない傷だ。

(あのけが! 俺の手持ちの医薬品じゃ手に負えない!)

 はっきり言って持ち込めた医薬品は大したものじゃない。消毒薬や塗り薬など、薬局で市販されている程度のささやかなもの。軽度の傷ならまだしも、あれほどの傷を手当てするには不足としか言いようがないし、アユム自身の医療知識もたいしたものではない。ここで拾ったところで手に余る相手だとすぐにわかる。

 だが、アユムは彼女を見殺しにするという選択肢をまったくといっていいほど思いつかなかった。

 たとえそれが苦しみを増すだけだとしても、最後の最後まであがいてこその命だと、もしかしたら救える可能性があるかもしれないと、そんなあいまいな希望に縋るように手を伸ばす。

 女性の姿ぐんぐん近づいてくる。もう少し、あと少し。あと三メートル、二メートル、一メートル。あと十数センチ……!

 アユムはゆらゆらと海藻のように揺らめく女性の右手に必死に手を伸ばし――捕まえることに成功した。

 そのまま力づくで引き寄せて抱きかかえる。

 けがのわりに顔色は悪くない。まだ希望が持てそうだ。


 ――眼前に広がる光が強くなる。

 光の渦がより激しさを増し、その奥に暗闇が湛えられるようになった。

 出口だ。

 本能的に察する。眼前の白い光は徐々に色が足されていって虹色の輝きへと変貌していく。

 アユムは予想される衝撃に備えて身を固くし、掴んだばかりの女性を話してたまるかと右腕に力を込めた。




 スラミンは逸る気持ちを抑えるように胸元を抑えながら、光り輝く湖面を凝視する。

 渦巻く光は白から徐々に青、赤、黄、緑と色が足されて虹色へと変貌していく。

 親友たちと身を寄せ合うように変化を見守り続ける。

 光はますます強く、そして激しさを増していく。

 ――時間にしてほんの数分、渦の中心になにやら黒い闇のようなものが生じ始めた。

「おおっ! もうすぐ出てくるよ!」

 イエロンが興奮気味に叫ぶ。

 スラミンも理解している。一七年前の『彼』の両親の転移のときにも似たような現象を目の当たりにした、間違いなくもうすぐだれかが出てくる。

 そわそわと落ち着かず、体をぷるぷると震わせながら、いまかいまかと待ち構えていたスラミンたちの眼前で、渦の奥にある黒き空間からなにかが飛び出した。

 驚きの声を上げつつ物体の行方を追ったスラミンたちの頭上で、その物体は空中になにかを打ち込んで釣り下がり、ゆらりゆらりと揺れていた。

「……くそっ! できるだけ静かに出たかったってのになんてざまだ! どこかに――!?」

『彼』は悪態をつきながら空中にぶら下がっている。

 非常に大きな荷物を背負い、左肩からショルダーバックを吊り下げ、なぜだか右手で大人の女性を抱えている。

 てっきり両親と別れたときから出現がずれただけだと思っていたのだが、彼はもう成人に近い。ということはあのときは転移せずに日本に留まっていて、あとからこちらに跳ばされてきたということか。

 そんな彼が真上に掲げている左手で握りしめている物体は――杖だ! 色や形状が変化しているようだが、この魔力の波動はかつてユキエが使っていた<ドライムの杖>に違いない!

 長らく行方不明になっていた杖は、おおかたの予想どおり彼の元に移動していたらしい。

 よくよく観察してみれば杖の先端は柄の部分から外れ、空中に固定されている。そのすぐ下から魔法で形成しているのだろう半透明な水色の鎖が伸び、柄の部分と繋がっているではないか。

 なるほど、『クリスタルチェーン』の魔法か。それで杖の先端と柄を分離して遠隔操作するという寸法か。

 その気になれば遠距離の相手を打ち据えるにも、絡めとるにも、いま眼前で行われているように空中に錨のごとく打ち込んで立体的な移動にも使えるとは。

 シンプルだが使い方次第で応用の幅を広げられる、実に完成された魔法。<ドライムの杖>ならではの完成度ということだろうか。

(……あれ? そんな魔法、登録されてたっけ?)

 いや、余計な詮索はあとだ。ついでに歓迎も後回し。

 ……だって彼が抱えている女性は大けがを負っている。すぐに治療が必要だということは見ればわかる。

「ブルーム!」

「わかってるって!」

 呼びかけるまでもなかった。ブルームとレッドルは手すりから飛び降りてキャビンに突撃していた。そこに置かれている医薬品を取りに戻ったのだ。

 スラミンはイエロンと協力して彼に呼び掛けて、<お迎えスライム号>の甲板に降りてくるように誘導すべく声を張り上げる。

「おお~い! こっちこっちー!!」

 彼は突然下から発せられた大声に驚いた様子だったが、すぐにこちらの意図を理解したのだろう、すぐに要望を出してきた。

「すまないがこっちに移動してくれないか!? 距離があって乗り移れない!」

 たしかに。

 彼と<お迎えスライム号>との間には数メートルもの距離がある。飛び移るだけなら体を振って反動をつけて飛び乗ればいい。あの高度なら難しいことではない。

 だがけが人を抱えた状態ではとてもそんな無茶はできない。こちらから迎えに行かなければならないという判断は適切だ。

「操舵は僕が!」

「錨上げぇ!」

 キャビンの上の密閉型操縦席の天井に飛び乗ったスラミンは、すぐに天井に設置されている非常用ハッチを開放、内部に飛び込むと専用に調整された操縦席に着座。

 操縦席の窓から舳先に移動し、アンカーリールのクランクハンドルに取り付いたイエロンの姿を見つけた。

「ほああああっ!!」

 イエロンは雄たけびを上げながら激しく体を上下に弾ませ、クランクハンドルを全力で巻き上げている。

 浅瀬に停泊していた<お迎えスライム号>だから、錨を巻き上げにかかる時間はほんの数秒、錨が上がりきったことを確認したスラミンはすぐにスタータースイッチを捻って<お迎えスライム号>の動力を始動させる。

 この<お迎えスライム号>も魔法科学で作られた一品。燃料に相当する魔力を蓄積する<魔力石>と、魔力を供給されると固定された魔法を発動する<魔法石>に各種<魔法回路>を組み合わせ、転移者の知見を最大限に活かして完成された動力船である。

 燃費が悪くて航続距離には難があるのだが、その運動性能、居住性能はこのサイズの船としては破格であり、こういう事態にも即座に対応できるだけの能力は、衰えたいまでも保持している。

 スロットルレバーに右手を添え、左手で舵を握ったときはたと気付いた。

(……あれ? 彼の反応、ちょっと不自然じゃない?)

 緊急事態で意識が回らなかったが、なぜ彼はスライムたる自分たちを見て驚かなかったのだろうか。

 向こうの世界にスライムはいない。

 空想の産物だから、絵の中とか話で聞いただけのゲームの中にしか存在しないと聞く。

 にも拘らず、どうして彼はほとんど驚きもせず自分たちの誘導に従う気になったのだろうか。

 いや、詮索している暇はない。あとで尋ねてみればいい。

「微速全身、〇・五!」

 上下反転したL字型のスロットルレバーを手前に引き、『微速前進』と書かれた位置で止める。

 船尾左右、喫水下に備えられた微速前進用の補助スラスターが起動。機関部に埋め込まれた<魔法石>が生み出す力で湖の水を船底の給水口から吸い上げ、噴射口から噴出して推力へと転ずる。

 転移者によってもたらされた<ウォータージェット推進>の発想を魔法で再現した代物だ。不足している科学知識の代わりに魔法を使っているため、本物とまったく同じというわけではないが、その機能に嘘偽りはない。

 スラミンは慎重に舵とスロットルを操作して、空中に釣り下がっている彼に<お迎えスライム号>の甲板が位置するように操舵。

 甲板の中央付近に彼が降りれるよう位置に到達する直前、船首喫水下のリバーススラスターを一瞬だけ吹かす。

 前進する力が打ち消され、慣性でほんの少しだけ船が前に進めば、ちょうど彼の足元に甲板の中央――つまり一番開けて障害物のない場所がやってくる。

 それを見届けたイエロンがすぐさまアンカーリールのハンドルを放す。すぐに自重で錨を湖底に向けて降りていく。このあたりの水深はせいぜい三メートル程度と浅く、錨はすぐに湖底に達し、船を係留した。

 そこまで見届けたであろう彼は、ゆるゆると『クリスタルチェーン』を伸ばして甲板の上に静かに降り立つ。その腕に抱えた傷だらけの女性の負担にならないよう、静かで慎重な、なかなか手馴れた魔法の制御である。

 彼は甲板に降りるなりすぐそばにいたイエロンに、

「彼女を寝かせられる場所は?」

 と尋ねていたが、イエロンが答えるよりもさきにキャビンの窓から転げ落ちんばかりに身を乗り出したレッドルが手招きしている。

「こっちこっち! キャビンにベッドがある!」

 彼はほとんど迷うそぶりも見せずに「わかった」と短く答えると、一度女性を甲板の上に座らせ、手早く左手の杖や荷物を手放し、両腕でしっかりと女性を抱き上げるとゆっくり慎重に立ち上がって、静かな足取りでキャビンに向かって歩き出した。

 スラミンはその姿を見送ったのち、スタータースイッチを再び捻って<スライム号>の動力を落としたのを確認してから操縦席後方の床にあるハッチを開放、するりとキャビンの中に降り立つ。

 彼はレッドルとブルームの案内で、キャビンの奥にある寝室へと案内されていた。

 あとから追いかけてきたイエロンとも合流して、そのまま二人並んでキャビンから様子を伺う。

 さすがにけが人をソファーに寝かせるわけにはいかない。本当ならアユムを迎え入れたとき、王都に付くまでの間利用してもらう予定で備えられたベッドだが、思わぬ形で役に立った。

 やはり、準備はしておくものだと痛感する。ほとんど使われていないが手入ればっちりきれいで清潔なベッドなら、けが人を寝かせても大丈夫だろう。

 彼は人を抱えて歩くにはやや狭いキャビンに四苦八苦しながらも、ドアを潜って慎重な動作でベッドに女性を寝かした。

「医療品は十分?」

「万が一用に備えているよ。ささ、君は男性だから出てった出てった! どうしても手を貸してほしかったら呼びつけるから! イエロンも手伝って!」

「ほいきた!」

 隣にいたイエロンがすばやく彼の脇を抜けて寝室に飛び込む。

 彼は心配そうな表情のまま言われたとおりキャビンに戻ると、寝室のドアを後ろ手に占める。

 ――が、引き戸だったことに困惑しているのが表情でわかった。

(引き戸じゃないと、僕たち困るもん)

 魔物との共存。聞こえはいいが、実際に生活様式を合わせるのは本当に大変だ。

 開き戸を採用すると、特に人間の生活に密着しているスライムが弾き飛ばされる危険があり(というか採用前は頻繁に起こった)、ドアノブの位置の都合自分で開けるのも困難という問題が生じたので、取っ手を下まで伸ばした引き戸が一般的になったというだけだ。

 これなら狼でも鳥でも、パワーさえ足りていれば開けられるし、ドア自体も強度と軽さを両立すべく工夫が凝らされているのだ。

「さて……と。荷物を取りに行きたいんだけど、いいかな?」

 彼はたしかめるようにスラミンに問うた。

『どうぞどうぞ、お手伝いします』

 スラミンはここぞとばかりに『スライム語』であいさつしてみた。もちろんこれは確認作業である。

 魔物の言葉が人間に通じることはない。普通の人であれば、いまのスラミンの言葉は「ピー」という鳴き声にしか聞こえなかったはずである。

 しかし眼前の人物がユキエの甥であり、魔物使いの能力を持つ人物であるのなら……!

「え? ……でも、その体で持てるの? 結構重いよ?」

『スライムは見かけによらず力持ち。なんともないよー』

 ダメ押しにもう一度だけ。

 彼は言葉の違いにまったく気づいた素振りもなく「じゃあ行こうか」とキャビンを出て行こうとしている。

 ――彼はスライム語を苦もなく理解して応答した。この才能は、まず間違いなく『魔物使い』のもの。確定だ。

 ……ようやく、ようやく長年の苦労が報われる日が来た。

 てっきり幼い子供だと思っていたから、ご両親と一緒に子育てにも関わってウハウハな日々を送るものだと期待していたのは裏切られたが、まだまだ彼は若い。

 ――一緒にいられる時間はまだたっぷりある。これから自分は彼と一緒に過ごしていくんだ。

 スラミンはこの仕事の最大の報酬――アユムのパートナーになるという夢が果たされようとしていることを実感し、滂沱の涙を流した。

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