6.
「連絡します……」校内放送のスピーカーを通して教頭先生の声が校舎に響いた。「各教室の教員はホームルームが終わり次第、いったん職員室に集まって下さい……また、生徒は、教師の臨時ミーティングが終わるまで、静かに教室で自習を続けてください」
(きっとシマダ先生に関するミーティングだ)僕は思った。
校庭の真ん中に立ったまま人間の腕ほどもある赤黒いミミズの群れに全身を覆われ肉を食われているシマダ先生をどうするか……それを相談するつもりなのだろう。
気分が悪くなって、僕は大ミミズの塊と化したシマダ先生から目を背け、もう一度、フクカワ先生を見た。
担任の女教師は、魅入られたように窓ガラス越しに校庭を凝視していた。カッと見開かれた目は油を塗ったようにテラテラとした粘っこい輝きを放っていた。
赤い唇の端が、わずかに釣り上がっていた。
(笑っている……)
笑い声こそ発していなかったけど、フクカワ先生の横顔は、確かに、不気味な笑みを作っていた。
「あ……あの、先生……」カズヤが、我を忘れて窓の外を見つめる担任教師に声を掛けた。「放送で呼ばれましたよ。先生方は全員職員室へ来い、って」
勇気のあるやつだ……と、僕は思った。あんな物凄い形相の先生に声を掛けるなんて、僕にはとても出来ない。
カズヤの席からだと先生の背中しか見えない。だから声を掛けることができたのかもしれない。この恐ろしい笑い顔を見ないで済んでいるのは運が良い。
窓から離れた席だから、カズヤは校庭にある〈チコクイ・ミミズ〉の姿も見えていないだろう。吐き気を催すほどに気持ち悪いミミズの塊を見ずに済んでいるのも運が良いと思った。
カズヤに言われて、フクカワ先生は一瞬ギリッと奥歯を噛んで不愉快そうな顔をした直後、クルリと振り返って彼を見た。
振り返った時には既に、可愛らしいとさえ言える『営業スマイル』の顔になっていた。
「そうね……じゃあ先生、職員室に行くわ……会議が終わるまで皆んな静かに自習してるのよ」
* * *
結局この日の一限目は先生が来ないまま終わった。
フクカワ先生が教室から出て行くと、廊下側に座っていた生徒の何人かが立ち上がって窓際に来た。怖いもの見たさというやつだろう。
校庭にポツンと立つミミズの塊を……表面をウネウネと終始動かしている、かつてシマダ先生だったものを見て、これ見よがしに「おえぇぇっ!」と大声を出して渋い顔を作り、またそれぞれの席へ戻って行った。
「救急車、呼ばないのかな?」
僕が誰に言うでもなく呟くと、隣のアカシナさんが「え?」と聞き返した。
「ほら、ときどき学校やら町から配布されるチラシに書いてあるだろ? 『〈チコクイ・ミミズ〉を見たら、決して触らない、近づかない、直に消防に連絡すること』……って」と、僕はアカシナさんに言った。
「たぶん、とっくに誰かが連絡していると思うよ」
「じゃあ、何で救急車が来ないんだよ」
「来ても手の施しようが無いからでしょ」
「じゃあ、何で町民に連絡するよう指導してるんだよ」
「さあね。統計とるためじゃないの? データ収集とか、そういうやつ」
「本当かよ」
「そんな、問い詰められても困るって。そんなこと私が知る訳ないでしょ」
「まあ、それもそうか。ごめん」
その時、少し離れた席に座っていたカズヤが僕らの所へ来て会話に入った。
「何だよ? 何なにぃ? 二人で何を楽しそうに話してんの?」
「別に大した事じゃないよ」アカシナさんがカズヤに素っ気なく返した。その言い方や、言った時のちょっと戸惑ったような表情を見て、僕は(あれ?)と思った。
何か不自然だった。
アカシナさんのその時の顔は……迷惑、という感じではなかった。嫌悪、とも違う。
微妙に困った顔、困惑した顔という感じなんだけど……
カズヤが校庭のシマダ先生を見た。
「うえぇぇ、噂には聞いてたけど、想像以上にグロいな。キョウイチは〈チコクイ・ミミズ〉って見たことあるか?」
「いや。僕も今日が初めてだよ」
「アカシナさんも見てみろよ。すげぇよ」カズヤが言った。
「いいえ。結構です。さっきチラッと見ました。見て後悔した。もう二度と見たくない」
「だよなぁー」
その時、再び校内放送が発せられた。
「全校生徒に連絡します。今日の午前中、校庭への出入りを禁止します。校庭へは立ち入らないでください。繰り返します。校庭への出入りを禁止します。校庭へは立ち入らないでください」
* * *
二限目、三限目、四限目と、午前中の授業はいつも通り進んだ。
その日、僕らのクラスの時間割にシマダ先生の授業は無かった。
授業をしに来た先生たちは「お前ら、校庭には出るなよ」と軽く念を押すだけで、それ以上の状況説明をあえてする事は無かった。
四限目の半ば過ぎ、それまで立像のように校庭の真ん中にあった〈チコクイ・ミミズ〉の塊が突然グズグズと崩れ落ち、絡まり合っていた赤黒い巨大ミミズの群れは一瞬で解れて四方八方に散り散りになり、一匹残らずどこかへ隠れてしまった。
(全部、食べ終わったんだ……)
僕はその様子を教室の最後尾窓際の席から見て思った。
ミミズらが居なくなった後には、シマダ先生の来ていたスーツの成れの果てであろうボロボロの布切れが血溜まりの中に固まっているだけだった。
雨の中、校庭の血溜まりが徐々に薄まり、広がっていく。
それから十分ほど経って、消防だか保健所だか分からないけど、全身を隙間なく覆う銀色の防護服を着た男たちが数人やって来た。
後から聞いた話だと、シマダ先生が〈チコクイ・ミミズ〉に喰い尽くされたのを見て、職員の誰かが再度、消防に連絡したという事だった。
朝、最初に先生たちが消防へ連絡を入れたとき『ミミズが被害者の体を食い尽くして居なくなったらもう一度連絡するように』と言われたらしい。
防護服を着た男たちは、血溜まりからサンプルを採取し、ボロボロになった衣服を黒い大きなビニール袋に入れて口を閉じ、さらにそれをアルミ製の箱に仕舞って鍵を掛けたあと、消毒薬だか何だか分からない液体を大量に散布して帰って行った。
雨水と大量に散布された薬液によってシマダ先生の血は薄まり、最後には何処かに流れて消えてしまった。
教室の窓から見る限り、シマダ先生がその場所でミミズに喰い殺されたという痕跡は、きれいさっぱり無くなってしまった。




