第九十四話 悪化する事態
ユリアとの戦いから数時間。
日が沈んで夫妻が起床した事でようやくメルセデス達は本命の情報を聞けるようになった。
念を入れてユリアには再度花粉を嗅がせて眠らせておき、屋敷の一室に閉じ込めて見張りも付けた。
その上で防音の魔法をかけた別室にシェーンベルク夫妻とメルセデス、ハンナの四人だけが入り、ドアを閉める。
これならば早々、外に話が漏れる事はないだろう。
椅子に腰かけ、話し辛そうにしているかつての部下へとハンナが遠慮なく本題に切り込む。
「遠回しなのは好きじゃないから先に答えから聞くね。
ニクラスさん、貴方はかつてアウグスト王の命令でクリストフさんを暗殺してしまった。
そしてその娘を捕まえたものの、情に絆されて殺す事が出来ずに義娘とし、育ててきた。
その娘こそがヴァルブルガさん……間違いない?」
「……そこまで、お見通しでしたか」
ニクラスの観念したような声に、ハンナは顔を険しくする。
出来れば否定して欲しかった……というのが本音だ。
自分とメルセデスが深読みしすぎていた、というのが一番丸く収まる道だったのだ。
しかし悪い予想ほどよく当たるものだ。
これでクリストフ、ヴァルブルガ、フェリックスが一本の線で完全に繋がってしまった。
間違いなく、フェリックスはクリストフの孫である。
つまり彼はダンジョンの継承者だ。
そしてヴァルブルガはこの事を知っている。
だからこそ、フェリックスを正当なグリューネヴァルトの跡継ぎにする事にああまで必死だったのだ。
暗殺された父と同じ道を歩ませたくない。我が子には『グリューネヴァルト』という確たる自分を守れる力を得て欲しい。
あるいは、自分が本当の娘でなかった事で常に疎外感のようなものを感じていたのかもしれない。
だからこそ、せめて我が子には……間違いなく自分とベルンハルトの子であるフェリックスには自分と違い、しっかりとした居場所を手に入れて欲しい。
そんな気持ちが先行し、暴走していたのが以前のヴァルブルガだったのだ。
そりゃあ必死にもなる、とハンナはヴァルブルガを不憫に思った。
隠していても、いつバレるか分からない。
バレてしまえば父と同じように殺されてしまうかもしれない。
だからフェリックスには後ろ盾を得て欲しいのに、ベルンハルトは我が子への愛をまるで示さない。
それどころか、別の場所から出てきたメルセデスという規格外ばかりに目を向けるようになってしまった。
通常、貴族の跡取りは男と相場が決まっているがベルンハルトは良くも悪くも型破りだ。古い風習にも必要性がある事は理解しているが、それに囚われない。
必要ならば踏み越えて無視してしまう。
これではヴァルブルガが焦るのも当然だ。
「私はかつて王の命令により、大きな過ちを犯しました。
クリストフを殺め、そしてその娘を捕え……しかし、どうしても幼い子を殺す事が出来なかった」
悔いるように話す男を見ながらメルセデスは、ただ呆れるしかなかった。
中途半端すぎる。
結局の所今回の騒動はこの男の優柔不断さが招いたことではないか。
任務に徹するなら徹するで最後までやり切ればよかった。
逆に情に絆されるくらいならば最初からやらなければよかった。
そのどちらも選択できず、半端な事をするから一番厄介な事になっているのだ。
思考停止して命令に従うのは、暗部として正しい一面もある。
兵というのは国家が持つ手足であり、王とは脳である。
ならば脳の命令に従順に従うのは決して間違いではない。
だが思考停止するならば最後まで停止していろ。半端に情を出して余計な事をするな。
逆に手足である事を放棄するなら最初から放棄するべきだった。
これではただの八方美人だ。任務に忠実な優秀な兵の顔を維持しようとして、しかし子供を殺す悪人になりたくないから善人のような顔をして半端に助ける。
こういう半端な輩が一番、事態を悪化させるのだ。
「中途半端、と思うでしょう?」
そんなメルセデスの考えを見抜いたように夫人が呟いた。
こちらは夫と違って随分と声に力がある。
「この人は昔からそう。人様に悪く思われるのが嫌で、その場その場でよく見える行動ばかりを取る。
だから後になっていつも面倒な事になるのです。
私と結婚した時だってそう。信じられますか? この人は、婚約者である私に自分の仕事を隠していたくせに結婚直前で自分の仕事やクリストフさんを殺してしまった事をぶち撒けて、ヴァルブルガを義娘としたいなどと言い出したのです」
言いながら夫人はペシペシと夫の頭を叩く。
「それは……ご愁傷様だな。しかしならば何故、こんな男と結婚したんだ?」
メルセデスはつい、妻の目の前で『こんな男』呼ばわりしてしまったが夫人は気にしていないようだ。
彼女は微笑みながら言葉を続ける。
「簡単ですわ。余りに情けなくてだらしなくて……私は思いました。
『ああ、この阿呆は私がついてやらなきゃ駄目だ』と。
それに、そのまま放置してはヴァルブルガが不幸になるのも目に見えていましたからね。
まあこの馬鹿と結婚すると決めた時点で大抵の馬鹿は受け入れるつもりでしたから……娘が増えるのも些細な問題ですわ」
どうやらニクラスは、最後の最後で女運にだけは恵まれていたらしい。
ここまで駄目っぷりを披露した後で、それでも受け入れてくれる女などそうはいないだろう。
彼女ならもっといい相手を見付ける事も出来たとは思うが、まあ愛の形は人それぞれか。
そう思い、メルセデスはハンナへと視線を向けた。
「これからどうする、ハンナ」
「ん、とね。とりあえずフェリックス君とヴァルブルガさんには護衛を付けないとね。
とはいえ、いきなり護衛なんか付けたら怪しいだけだから隠れるのに長けた子を付けるけど」
とりあえず、ヴァルブルガとフェリックスが万一誘拐などされたら厄介だ。
なので隠れて護衛を付けるのは必要だろう。
これに関してはベルンハルトの許可もいるだろうが、案外彼も既に手を回しているかもしれない。
「それから、相手側の支援者をまずは引き抜いて回ろうか。
何人かはトライヌさんみたいに抜けたがってると思うから、そんなに難しくはないと思う」
組織を支えるには支援する者が必要だ。
それを全て抜いてしまえば、相手側の発言力は格段に落ちる。
ダンジョンがある以上は完全に無力化する事は不可能だが、やるとやらないとでは大分違うだろう。
「フェリックスには教えなくていいのか?」
「いずれ教える必要はあるけど、今は話さない方がいいかな。
変に責任感を発揮しておかしな事されても困るし。
とりあえずこの屋敷には護衛を残しておくけど、ニクラスさんも気を付けてね」
とりあえず今後の方針を決め、それからハンナはユリアを閉じ込めている部屋へと向かった。
帰る前に彼女はしっかりと回収しておく必要がある。
脱走などされては面倒なのでかなり厳重に閉じ込めた方がいいだろう。
そのような考えは、ドアを開いた瞬間に吹き飛んでしまった。
――何と、ユリアがいなかったのだ。
椅子にしっかり縛り付けておいたはずなのに、完全に消えている。
そして見張りに付けたはずの部下は床に倒れていた。
「え……ちょ、ちょっと待って! メルちゃんストップ」
ハンナは慌てつつも不用意に部屋に入ったりはせず、メルセデスを制止してから気配を探る。
だがユリアの気配がどこにも感じられない。
注意深く短刀を椅子に投げるも、普通に刺さるだけだ。
お得意の水鏡を用いて消えているというわけではないらしい。
「……不味いかな、これ」
用心しつつ部屋に入り、壁や天井を探る。
もしかしたらそういう場所に潜んでいるかもしれないと思ったが、それもない。
ならば逃げたとでもいうのか?
しかしこの部屋に窓はなく、壊した跡もない。
そもそも椅子に縛られた上で寝かされていたのだ。
そこからどうやって逃げ出した?
ハンナは警戒を解かずに思考を巡らせるが、メルセデスは椅子の上に残されていた一枚の羊皮紙に気が付いた。
それを開いてみると以下のような事が書かれている。
『任務の邪魔をしてしまい、本当にすみませんでした。
お詫びに、貴方方がニクラスから聞き出した重大情報を一足早く私がバジル殿へお伝えして参ります。
それとあの花粉、効き目凄いですね。風の魔法で吸わないように口の中に留め、見張りの人に吹きかけたら一発でした。
志を同じくする者同士、またどこかでお会いしましょう。
あ、それと任務の邪魔をしてしまった事、どうかバジル殿には内緒にしておいて下さい……』
ハンナは思わず羊皮紙を破りたくなった。
何という事か。彼女はこちらの花粉を利用して見張りを眠らせ、そして鍵を奪って堂々と出て行ったのだ。
縄は多分、氷の魔法か何かで斬ったのだろう。
何より腹が立つのは、別にこちらの嘘を見破っていたとかそんなんではなく、普通に騙された上でお詫びのつもりでこちらにとって一番嫌な事をしているという事だ。
「メルちゃん……予定変更。フェリックス君に事情を話して完全防備敷くよ」
ハンナは何かもう、泣きたい気持ちで一杯であった。
花粉無効化の風魔法……リアルにあればどれだけいい事か……。




