第八十六話 裸の王様
「どういうつもりだ。あんな名前を名乗らせて」
マックスとの顔合わせを終えたメルセデスは、退室すると同時にバジルを問い詰めた。
あの無知な少年が自分からあんな名前を名乗るはずがない。
間違いなく、誰かに唆されたものだ。
そしてそれは、この男を措いて他にない。
メルセデスの問いに対し、バジルは屋敷の中の一室を示した。
ここで話すとマックスに聞こえる可能性があるから、そちらで話そうという事だろう。
バジルに案内されて部屋へ入ると、中にはまたしても鎧兵士が数体いた。
メルセデスの後に入ったバジルは部屋に鍵を閉め、誰も立ち入らないようにする。
「この部屋は壁が厚く、外に声が漏れにくいように出来ています。
ここならば聞かれる心配もなく話す事が出来るでしょう」
「つまり、ここで何が起こっても誰も気付けんわけだ。閉じ込めたつもりか?」
「まさか。そのようなつもりは全くございません」
相変わらず柔和な笑顔を浮かべてはいるが、やはりこの男はどちらかといえば汚いタイプだ。
直接的な手段にはまだ出ていないが、相手に圧力をかけて同調させるような手法が得意らしい。
先程のマックスとの顔合わせもそうだ。
こちらの逃げ場がない状況に連れてきて、武力を見せてメルセデスが自然とマックスに頭を垂れるように仕向けようとしていた。
もしあそこでメルセデスが、仕方なくだろうと、一度でもそういう態度を取ってしまえばその時点で上下関係が出来てしまう。
演技だろうが止むを得ずだろうが関係はない。国一番の貴族の娘がマックスに頭を下げたという事実が出来てしまうのだ。
そして今回は密室で、やはり武力を見せている。
決してバジル自身が脅しを口にしているわけではない。そういう態度を取ったわけでもない。
だが逃げ場のない所に閉じ込め、そこに兵隊を配置してしまえば自然と相手は下手に出るだろう。
何故なら生殺与奪権を握られているのだから、気が気ではなくなる。
これで尚も自然体のままで在り続ける者は三種類しかいない。
一人は、脅されている事に気付けぬほどに鈍い者。
これはある意味幸せ者だ。
バジルの表面上の柔和さに完全に騙され、壁の兵士も頼もしい護衛程度にしか思わず、部屋の鍵を閉められても額面通りに『これなら気兼ねなく話せるな!』と思うような、そんな物事の裏を全く察せない底抜けのお人好し……つまり、ジークリンデのようなタイプである。
……いや、流石に彼女はそこまで察しが悪くはないか。
一人は過剰に自信を抱いている者。
この程度の兵力など物の数ではないと思い込み、自分ならばどうにでもなると慢心している相手にこんな脅しは通用しない。
そして最後……本当にこの程度の武力ではどうにもならない者。
バジルは今、メルセデスがどのタイプなのかを探ろうとしている。
まだ強硬手段に出ず、友好的な態度を維持しているのはこちらがどのタイプか分からないからだ。
下手に突いてもしも最後のパターンだった場合、破滅するのは彼の方である。
「聞かせてもらおうか。何故あのような名前を名乗らせた。
あれでは国に喧嘩を売っているようなものだ」
「あの名前は決意の表れでございます。必ずこの国の王になるという不退転の決意……故にオルクスの名を冠しておられるのです」
「当の本人は何も分かっていないようだがな」
不退転の決意……ここはまあ、信じていいだろう。
少しでも退く気があればあんなふざけた名前にはしない。
ただし、その決意はマックス本人ではなくバジルのものだ。あの少年はただ何も分からぬままに背負わされているに過ぎない。
彼は自分が何を背負っているのかすら理解していないだろう。
「あんな子供を旗頭に……いや、そういえばまだ年齢を聞いてなかったな。
あの少年は今何歳なんだ? 十二歳程に見えるが」
「今年で十一歳となります」
どうやら本当に子供だったらしい。
見た目に反して実は二十とかはないようだ。
もっとも、十一歳にしても幼すぎる気がしないでもない。
メルセデスが十一歳だった時は前世の記憶持ちなので比較対象にならないとして、ジークリンデやクラスメイトのドード・リオッテが十一歳だった時と比べても尚幼い。
十一歳といえば日本の価値観ではまだまだ子供だが、この国ではそれほど子供という認識ではない。
親の仕事の手伝いくらいはする年齢だし、既に仕事を始めている者もいる。
婚約者がいる事だって珍しくはないだろう。
子供には違いないのだが、それでも文化の違いから日本よりは早い自立が求められる。
そしてこれは本題と全く関係のない余談だが、ジークリンデが女だった事に当時ショックを受けていたドード・リオッテは今では新しい恋に燃えている。
今度のターゲットは少し薄幸そうな金髪の美男子で、公爵家の息子らしい。
あれ? これフェリックスじゃね?
それはともかく、マックスは恐らくジークリンデと逆だ。
親から冷遇されていたが故に苦労をし続け、結果的に十一歳の時点で驚くほど大人びていたのがジークリンデである。
最近は特に胸が大人びているが、それはどうでもいいか。
マックスは……あれは、甘やかされすぎたタイプだ。
バジルを筆頭とする取り巻きが彼を常に持ち上げ、崇め、煽て、それが当然と思うような価値観が築かれてしまっている。
マックスが悪いわけではない。何も知らぬ状態でこんな所に閉じ込められて『貴方は王です』と毎日毎日取り巻きに煽てられればそういうものだと思ってしまう。
何も知らぬ、ただ純粋なだけの少年王。それが玉座に就いた所で統治など出来るものか。
民の心すら満足に把握出来ないだろう。
まあ、他者の心が分からないと言う点を言えばメルセデスは全く人の事を言えないのだが、マックスは王としては致命的に過ぎる。
「裸の王様が出来上がるな」
自分では何も出来ない。何も考えない。
何かあればすぐにバジルを頼りにし、彼に『これは馬鹿には見えない服です』と言われれば信じ切って裸になってしまう。そんな幼い王様だ。
「そうならない為の私達です」
「そうしてしまう為のお前達、の間違いだろう?」
バジルの言葉に、すぐさま訂正を入れる。
彼等がいる限り、マックスはいつまで経っても子供のままだ。
このまま成長しても図体だけが大きい子供が出来上がるだろう。
放置しても面倒になりそうだし、もういっそ、ここで叩き潰してしまうか?
そうメルセデスは物騒な思考を巡らせる。
しかしそのタイミングで、何者かが外からドアを叩いた。
「誰ですか? 今は話の最中なのですが」
「商人のトライヌです。メルセデスさんがいると聞いて、是非お話をさせて頂きたく……」
ドアの向こうから聞こえたのは、知り合いの商人の声であった。
かつてダンジョンに潜った際に救助し、チョコレートと缶詰の製法を教える事によってメルセデスに富をもたらした小太りの商人、トライヌだ。
バジルが確認するように視線を向けてくるので、頷いておく。
メルセデスとしても何故トライヌがここにいるのかは気になるところだ。
それに彼はメルセデスにとって貴重な商人の知り合いなので、流石にこれを叩き潰すわけにはいかない。
バジルがドアを開くと、小太りした商人が入ってきた。
「ほっほほ、お久しぶりですな、メルセデス殿。成長して益々美しく…………あ、いえ、相変わらず若々しいようで」
「無理に世辞を言おうとするな。成長していないのは自分で分かっている」
お世辞は商談の基本だ。
トライヌもまずはお世辞から入ろうとしたのだろうが、メルセデスが当時からほとんど変わっていない為に空振りに終わってしまった。
吸血鬼の不老期は本当に不公平だ。フレデリックのように老いてしまう者もいれば、メルセデスやハンナのように幼いまま止まってしまう者もいる。
フェリックスのように肉体のピークである二十で止まる事もあればジークリンデのように大人になり切らない絶妙な年齢で止まる事もある。
そしてトライヌは外見的には中年親父である。これもどちらかといえば外れを引いてしまった部類だろう。
「バジル殿、少々話したい事があるので外に出てもよろしいですかな? 大事な商談は人に聞かれたくないのです」
「…………いいでしょう。では護衛を」
「いえ、結構。そんなものなくとも、メルセデス殿がいれば怖いものなどありません」
バジルからの護衛を断り、トライヌはポテポテと歩く。
気のせいか、昔より更に太ったような気がする。
メルセデスの与えた知識は彼を裕福にしたようだが、それに比例して肥えてしまったようだ。
「さあ、メルセデス殿。ついてきて下され」
「ああ」
さて、何故この男がここにいるのか……。
話によっては迂闊にバジルを潰せなくなるので、あまり厄介な話でない事を期待しよう。
ベアトリクス「メルセデス! あのジークリンデという娘に『これは馬鹿には見えない服だ』と言ってみてくれないか! あの娘ならば素直に信じるかもしれん!」
メルセデス「多分素直に信じて自分は馬鹿だったのか、と落ち込むだけだぞ」




